110.先代将軍ウーヴェ
「私のご奉公はもう終わったと思っておったが……まだやることが残っていたとはな」
白いひげあごひげをたくわえた老人が騎士団の駐屯所の前でつぶやく。
しわだらけだがまだ背筋はしっかり伸びていて、足取りも確かであり、緑色の眼光は鋭く見た者に緊張を強いる力がある。
かつて将軍の座にあり、<<鬼将軍>>の異名をとったウーヴェその人だ。
彼を見たかつての部下たちは全員背筋を伸ばし、緊張を隠し切れない顔で迎える。
「ヴァインヴェルガーはいるか?」
「はっ。こちらへどうぞ」
相手が相手だけあって立ち番中の騎士も待たせるような真似はせず、そのまま通す。
本当ならば誰かが走って知らせるべきなのだが、それを思いつく者は誰もいなかった。
中にはウーヴェの顔を知らない若手もいて、不思議そうに先輩騎士にたずねる。
「あの方はいったいどなたなのですか?」
老人の顔を知る誰ものが緊張していることから、並大抵の人物ではないのだろうということは予想ができた。
しかし、それだけだったのである。
「あのお方が先代のウーヴェ将軍だ」
「げえっ」
若手は思わず声を出し、慌てて両手で口を押えた。
正規騎士にあるまじき醜態だったが、先輩騎士は決して咎めようとしない。
「あの方があのウーヴェ将軍なのですね」
「そうだ。あのお方があのウーヴェ将軍だ」
冬でもないのに寒そうな表情で騎士たちは言い合う。
彼らは凄まじい嵐の到来を覚悟した市民のような顔つきへと変わっている。
部下たちがそんな思いをしていたころ、ヴァインベルガーは将軍に宛がわれる部屋で静かに迷走していた。
普段は城に勤めている彼がこちらにいるタイミングでウーヴェが来たのは偶然ではないからである。
ノックとともに緊張した声が彼の耳に届く。
「将軍、失礼いたします。ただいまウーヴェ様がいらっしゃいました。将軍に会いたいとおっしゃっていますが」
「お通ししろ」
失礼がないようにとヴァインベルガーはあえて言わない。
ウーヴェのことを知る者で、彼に無礼を働けそうなのはヴィルヘミーナしかいないからだ。
そしてすぐにウーヴェはやってくる。
「久しぶりだな、ダヴィド」
ファーストネームで呼びかけるウーヴェに、ヴァインベルガーはうやうやしい拝礼をもって応えた。
「お久しぶりにごさいます、ウーヴェ様」
ヴァインヴェルガーにとってウーヴェは恩師に当たる。
「なかなか将軍としての働きぶりが様になっていると評判のようだな」
「恐れ入ります」
彼がウーヴェに対して敬意を向けているのは、何も先代だからというだけではない。
「それで、ウーヴェ様からご覧になっていかがでしょうか?」
「悪くはないが結果論だな。騎士どもの意識はやや甘いのではないか? 私を見てすぐにお前のところへ駆け出す騎士がいなかったほどだ。そのような意識で、緊急時に戦えるのか?」
「……返す言葉がございません」
ウーヴェの指摘をヴァインベルガーは恐縮して聞く。
彼が<<鬼将軍>>と呼ばれるほど厳しかったのは、常に最悪の事態に備えるようにという意識が強かったからだ。
ヴァインベルガ−はそれを理解しているし、自分が恩師ほど徹底できていないという自覚もある。
「口先だけの謝罪か?」
ウーヴェの眼光がさらに鋭くなり、ヴァインベルガーは思わず首をすくめたくなった。
恩師は理不尽ではなかったが、適当な言い逃れは絶対に許さない厳格な性格である。
「可及的速やかに問題点を洗い出し、改善に努めます」
「月に一度はチェックしに来るから、そのつもりでいろ」
というウーヴェの言葉にヴァインベルガーは驚かなかった。
予想できていたからである。
むしろ月一回ならば、昔よりも優しくなったと言えるほどだった。
「今日のところは見学だけさせてもらう」
「はい。誰かに案内させましょう」
「うむ」
ウーヴェの再登場により、騎士団は緩んでいた空気が引き締まるだろうとヴァインベルガーは思う。
(ただそれだけではすまないだろうが)
とも思わずにはいられなかった。




