109.断罪の女神ヴィルへミーナ
ミーナが皇帝の要請でやってきたのは、南の海である。
海に大規模な魔物の群れが出現したからだ。
「敵の数は?」
「はい。クラーケンキングが一匹、クラーケンジェネラルが十匹、通常クラーケンが百匹です。その他魚の魔物が二千ほど」
船に乗り込んだ彼女の隣に控えて、質問に応じているのは海軍の提督である。
「クラーケンの軍団と呼べそうだな」
彼女は自分が呼ばれた理由を理解した。
帝国の海軍は陸軍ほど強くはないが、それでも海賊退治くらいは朝飯前だろう。
ところがクラーケンキングは一級相当、クラーケンジェネラルは二級相当の強さを持つ。
海中で彼らを排除するためには異名持ちを倒せるほどの戦力が必要となる。
彼らだけでも厄介なのに、通常クラーケンと魚の魔物までいてはどれだけの被害が出るか分からない。
「何か予兆はあったのか?」
「は。クラーケンがやってくる予兆はあったと地元の漁師は申しておりましたが、クラーケンキングが来たのは初めてのことだそうです」
「……なるほど」
敵勢力の新たなる一手かもしれないとミーナは思う。
陸上戦では無双する帝国軍も、海中戦はどうなのかと考えたのだろうか。
目のつけどころは悪くない。
(海中の相手と戦えるのはバル様、私、シドーニエくらいか)
遠距離攻撃、それも水中でもおかまいなしとなると、八神輝でも条件を満たせる者は少ないのだ。
実はギーゼルヘールも条件は満たしているが、ミーナは彼を入れていない。
「すぐにすませよう」
「はい」
ミーナは不機嫌そうで、海兵たちは怯えている。
彼女の機嫌が悪いのはバルと一緒にいる時間が減ったせいにすぎないが、彼らには分からない。
クラーケンの群れごときに呼び出されたのが不満なのではないか、と勘違いしている者が多かった。
すぐにすませるというのも、彼女が八神輝でなければ大言壮語と受け止められていただろう。
彼女を乗せた船が沖に出ると、大量の泡と大きな音が発生して巨大な赤いイカが出現する。
「クラーケンキングか」
「そうだ……人間よ」
「しゃ、しゃべった?」
海兵たちが驚きの声をあげたのに対し、ミーナはため息をつく。
「キングと呼ばれる魔物はだいたい話せる。その程度のことも習っていないのか?」
「も、申し訳ございません」
恥ずかしそうに詫びる提督に彼女は舌打ちをしたくなったが、脳裏にバルの顔を浮かべて自重する。
「ならばこれを機に覚えておくがいい」
そう言ってクラーケンに向きなおる。
「クラーケンよ。どんな事情があって我らを脅かす? 大人しく故郷に帰るのであれば、痛い思いをしなくてもすむぞ。早々に去るがいい」
彼女が発したのは警告だった。
宝石や芸術にたとえられるほど美しい容姿にそぐわず、苛烈で好戦的な彼女がそのようなまねをしたのはバルのまねである。
話し合いで解決できるのであれば殺し合いはしなくてもよい。
バルの考えは彼女に理解に苦しむものだが、同時にできるだけ尊重したいものでもある。
それに皇帝の要請は「魔物を追い払うこと」だった。
会話で追い払っても命令違反にはならない。
「貴様らが領域は貴様らが勝手に決めたもの。我らはそれを否定し、驕りたかぶった貴様らに鉄槌をくだすためにやってきたのだ。血の雨を浴びながら絶望に打ちひがれ、すすり泣きとともに許しを乞うがいい」
クラーケンキングから返ってきたのはまぎれもない戦意と敵意だった。
その圧力に一般兵士たちは震え上がったし、提督も生つばを飲み込む。
「分かった」
ミーナの反応は短かった。
「そんなに血の雨が見たいなら降らせてやろう。お前たちの血の雨をな」
「小癪なエルフめ! 我らが力を思い知れ!」
クラーケンキングは触手を激しく揺らし、大量の水しぶきを飛ばす。
それが号令だったらしく魔物たちは一斉に前進を始めた。
ところが一メートルほど進んだところで彼らの動きは止まってしまう。
「何をしている!? 進め!」
何が起こっているのか分からないクラーケンキングは、怒声とともに命令を下す。
しかし、魔物たちは動かない。
よくよく見ると彼らは前に進もうとしているのに、少しも進めずにもがいている。
「ふっ……愚か者め」
ミーナはそう言うと、しなやかな右手をくいっと上にあげた。
同時にクラーケンキング以外の魔物たちが海の上へ引きずり出される。
「ひ、ひい……な、なんだ、何が起こっているのだ?」
「なに、ただの風の魔術で拘束し、持ちあげただけだ」
ミーナが説明したのはクラーケンキングにではなく、近くで唖然としてる味方の兵士たちにだ。
「な、なるほど……」
兵士たちはそう言ったものの、納得したではない。
(ここからどれだけ距離があるのだ? ……あれだけの魔物を拘束しようと思ったら、魔術省の魔術師数百人分は必要になるのでは!?)
と提督は思う。
単純計算でミーナは帝国選りすぐりの魔術師数百人分の戦力ということだ。
しかも少しも本気でやっているようには見えない。
「【轟炎陣】」
彼女の声とともに巨大な火の壁が発生して、クラーケンキング以外の魔物を焼き尽くす。
「あれって儀式魔術なんじゃ……」
「儀式魔術って一流魔術師が数十人がかりで何日もかけて起動させるやつだろ? ヴィルへミーナ様のはただの攻撃魔術じゃないか」
「たったひとりのただの攻撃魔術が、数十人がかりの儀式魔術よりも強いとかありえんのか……?」
「ありえるからヴィルへミーナ様は八神輝なんだよ」
味方の兵士たちはミーナの圧倒的な強さに驚きながら、会話するだけの余裕があった。
敵になったクラーケンキングはそうもいかない。
「ひいひい」
自分が敵に回してはいけない者を敵に回してしまったことを、ようやく理解した。
「た、助けて、己が悪かったから助けて、戦いは何も生まないんだ!」
必死なあまり滑舌がよくなっていたが、ミーナの心は動かされない。
「何をほざく? 戦いは悲劇や惨劇を生むものだろうに」
彼女は冷徹に斬り捨てる。
エメラルドのような瞳が「次の犠牲者はお前だ」と言っていると、クラーケンキングは直感した。
「か、帰るから! 二度とお前たちに迷惑をかけないと誓うから!」
「敵の力を見て態度を変える者は、強敵がいなくなったと思えばまた態度を変えるだろう。お前は今ここで死ね」
敵の哀れな声の訴えに眉一つ動かさず、ミーナはクラーケンキングを焼き殺す。
「す、すげえ……」
兵士たちは皇帝がミーナを派遣した理由を何となく察する。
提督は気づいていたものの、言葉にはできないために別のことを言う。
「争いは同レベルでしか発生しないとはよく言ったものだ。まるで罪人を一方的に処刑するかのごとき、圧倒的な強さ……だからヴィルへミーナ様は《断罪の女神 》と呼ばれるのだな」
たっぷりと実感がこもった彼の言葉は兵士たちの心にしみ渡った。




