13
遅くなりました。すいません。
あの日から私はさらに慎重に過ごすことになった。
ギリムさんへ今までみたいに笑えているだろうか。
ギリムさんとの距離の取り方は不自然じゃないか。
ギリムさんと触れあったときに顔が赤くなるのはうまく誤魔化せているだろうか。
気が付けばカレンダーを見つめ、帰還までの残りの日数を数える自分がいた。そして帰還を伸ばす理由を探す。そしてそんな愚かな思考に溜息をつくの繰り返しだった。
この気持ちはこの世界への未練になるのだろうか。
それを恐れる気持ちもある。
矛盾しているが、しかし帰りたい気持ちも本物なのだ。高校生活は残念ながらこちらで過ごすうちに終わってしまったが、戻って大検を取り、大学に入りたい。そして今までの人生の目標である、きちんとした社会人になって幸せな家庭を築くのだ。
ただ、その相手がギリムさんだったら良いのにな、と都合の良い妄想をする。
そして我に返って空しくなる。
「今日は泊まり勤務だから明日の朝に帰ってくる。誰か訪ねてきても、絶対に招き入れるなよ。」
使用人スーツのネクタイを締めながらギリムさんが言った。つま先はもう玄関に向いている。急いでいるくせに毎回注意はしていくのだから心配性というか過保護というか。
「毎回言わなくてもわかってるから。ほら遅れるよ!」
でも心配してくれる気持ちがくすぐったくて嬉しかったりする。見送りに出るためギリムさんの背後についていくが、ニヤけないようにこっそり頬に力を入れる。
「キリキリのそのわかってるつもりってのが怖いんだ。」
はいはい、十分注意しまーすと玄関から送りだせば、キラリと青い船は森の中に消えていった。
何度見ても面白い通勤の風景だ。キレイな船は景色に溶け込んで見えなくなる。
どこかの研究者が、船がひしめく景色が美しくない、と高度な光学迷彩の技術を実用化したそうだ。自動操縦だから交通事故も人身事故も起きないからできるワガママだ。この世界は日本より高度な技術がそこかしこにあった。
「でもさ、やっぱりここは私の住む世界じゃないんだよなぁ。」
しんとした森の町で独りごちた。
ここは空気もきれいだ。食べ物も美味しい。もっと長くここに居たら、もしかしたら帰還を拒んでいたかもしれない。
でも一方で、私が切望するのは元の生活。ジャンクなファストフードやコンクリートを打つ雨の匂い、くだらないバラエティ番組。将来は大学を出てきちんとした社会人として働き、普通の人と、普通の温かい家庭を築くのが夢だ。
聖貴人と呼ばれ、匿ってもらって暮らす将来ではけっしてない。
帰還はあとひと月も経たないうちにやってくる。
望郷の念が薄れるには短すぎる時間。
私は、ギリムさんを慕う気持ちは自覚したと同時に、決して悟られないように心の奥底に沈めようと誓った。ギリムさんに言うつもりはない。私の爪痕を彼に残してどうするのだ。
この家で私を匿ってくれた上に温かく迎えてくれた彼に、迷惑をかけられない。
ギリムさんが泊まり勤務の時は、せめてもの恩返しだとお惣菜をたくさん作り、小分けにして冷凍することをしていた。この世界もキッチン設備は元の世界と大して変わらないからすぐに慣れた。もちろん野菜を中心としたものを多めにストックしていく。私はギリムさんを世話を焼く母親のようだと思っていたが、今の私の行動も似たようなものだ。冷凍庫を覗いたギリムさんは、私を息子の食生活を心配する母親のようだと言って嘆いた。
「あとはこのシチューが冷えたら小分けにして入れるだけか。」
晩御飯を多めに作って、残りはストック用にと思ったが大量に作りすぎたようだ。冷えるまでに時間がかかりそうだ。自分の食事が終わっても鍋は熱いままだった。
「まだかかるよねぇ・・・・・・。」
一休みしようとリビングのソファーに座ったところで記憶があいまいだ。
「んぅ・・・・・・あったかい。」
幸せな夢を見ていたと思う。もう少し寝ていればよかったと夢の名残りを惜しんでも、頭は駆け上がるように覚醒していった。
「?・・・ギリムさん?!」
昨日からソファーで眠ってしまったのはわかる。だが何故か私の隣にはギリムさんが寝ていて、私自ら彼に抱き付いていた。人に抱き付いてその上毛布に包まっていれば、そりゃあ暖かいだろう。
思いを自覚してからギリムさんに触れることを避けていた。自分がどう反応してしまうか怖かったからだ。
きっと今の私は鼻息荒く、顔は真っ赤に違いない。
「もう少し、あと、もー少し。今日の勤務は無いからなぁ・・・・・・。」
ギリムさんの言葉に驚いて、ビクリと3センチほど浮き上がった。
彼は眉間にしわを寄せながらむにゃむにゃと訳のわからない寝言を続けた。起きたときの気まずさを思って絶望的な気持ちでいれば、ギリムさんはまた定期的な寝息になった。助かった!
ギリムさんが寝ているうちにこの状態を抜け出すため、彼の身体の下にある私の腕を引き抜こうとした。すると体制が不安定になると思ったのか、寝ぼけたままのギリムさんは私の腰に抱き付き、お腹に顔を擦り付けてきた。これは犬だ、大型の犬だと自分を誤魔化しながらギリムさんの頭を抱えて中腰姿勢になり、そっと肘掛に移動させた。
途端、ビーンズが起動した。ギリムさんの頭を置く前だったからチャンネルがつながるのがわかったが、私は一方的につながったビーンズを切る術を知らなかった。後で冷静になって思えば、すぐに手を離せばよかったのだが、流れ込む情報に身体は固まったままになった。
知りたくなかったのか、知って良かったのか。
―――― 最初から、ギリムさんは私を裏切っていた。
ビーンズで送られてきた情報はギリムさんの勤務表だった。それ自体は何でもなかったが、カレンダー形式の勤務表は、報告書も添付している様式だった。このひと月の勤務表が受理されて返却されたようだが、ある日から毎日2通の報告書が添えられているのに目が惹かれた。
プライバシーの侵害だと、止めておけと、嫌な予感とともに頭の中で警告が鳴る。
それは、私がこの家にやって来た日から始まっていた。
その日から報告書は2通、毎日出されていたのだ。
揺らぐ思考のままビーンズで開いた報告書は、容赦ない事実を教えてくれた。
私の事は初めからナプルガンさんに報告されていた。
そこには、私がここに来た日の様子や食事の様子など細かく書かれていた。私の本当の年齢や、最近の報告では生理があったことも記載されていた。
一昨日の報告書は赤字で、聖貴人を近いうちにお屋敷に連れ戻すようにと、ギリムさんへ指令が書き込まれてあったのには絶望を通り越して笑ってしまった。
たぶんナプルガンさんも私を年若く思っていたのだろう。しかし自称の年齢と生理があったということで出産可能と判断されたのだろう、連れ戻されることになったようだ。あと、子作りの方法を理解しているか要確認、って書いてある。昨日の報告書に書かれた指示だから、今日あたり聞かれるの?好きだと思っている人から?
なんの罰ゲームだ。
本物だろうが偽物だろうが腐っても聖貴人。それを簡単に逃し、しつこく探さないことに違和感はあった。
あったが人間ってやつは信じたいことを信じる生き物であって。おめでたい私は、逃亡して一週間で外出できるなんておかしいよりも嬉しいと思ってしまった。
ナプルガンさん手配によるギリムさんの監視の下、私は自由だと錯覚させて泳がされていたのだ。要らないが捨てるわけにもいかない私を、目障りだから見えないところで管理していただけだ。
まんまと騙されておどらされた。しかし時間がない。反省は後でだ。
とりあえず早くここを出てジールさんの下へ行かなくては。そして連れ戻される前に帰還するのだ。この生活が離れがたいだなんて言っていた自分はなんと滑稽か。温かい家など、まぼろしだったんだ。小さい頃からそうだった。新しい母親が来たと喜んだ時、新しい妹が出来た時。温かい家庭ができるんだと喜んでも、そこに自分は入っていないのだと繰り返し思い知らされたじゃないか。手に入ったと思えばするりと抜けていく。
そんな元の世界でも、この世界よりずっと良い。子供を産む道具扱いの、押し付けられた人生よりマシだ。
少なくとも元の世界は自分の意思で生きていける。
今朝の事実に、私は混乱しながらもどこか心の一部は冷たくなっていった。
不測の事態に気持ちだけが焦るも、今出来ることは少ない。ならばといつものように朝の支度をし、昨夜にし損ねたシチューの小分け作業をしていれば、次第に頭も回ってきた。
夜勤開けのギリムさんは大抵昼過ぎまで寝ているから、気持ちの整理をつけて動揺を隠せるようにとにかく黙々と家事や掃除に励んだ。
ギリムさんはいつもどおり昼過ぎまで寝ていた。しかし、起きてすぐに緊急の呼び出しがかかったと慌ててまたお屋敷に飛んで行った。今後の私の引き渡しに関することを言われるのだろうか。
この隙に私は行動することにした。ぐずぐずしていたら、もう逃げられなくなるだろう。
ジールさんに会うことは意外と簡単だった。
ギリムさんがお屋敷に呼び出された後、まず商店街に行った。八百屋の奥さんに教会に行く方法を聞くためだ。世界樹信仰は一般的な宗教で、その教会は一般にも一部開放されている。規模の大きい教会は病院も兼ねているそうだ。教会に行く理由などいくつもある。私は身体が弱い設定を生かし、定期健診も兼ねて行きたいと言えばなんら疑われなかった。
「そこの階段から上がってすぐ左の待合所から乗り合い大型船がでてるから。片道20分ぐらいで着くわよ。本数も多いから帰りも心配いらないよ。」
これからのことで不安な気持ちが顔に出ていたのか、八百屋の奥さんは船の支払いの事や、病院の受付の仕方など聞いてないことまで丁寧に教えてくれた。人の親切が心に沁みた。
正直ジールさんもナプルガンさんの手先であったらどうしようと思ったが、ジールさんやピリカさんの話では教会とナプルガンさんのような貴族は反対する勢力のように感じた。
しかし悩んでいても仕方がない。ジールさんにしか帰還させられないのだ。
八百屋の奥さんに話を聞いた後、その足で私は教会へ向かった。窓口でジールさんを呼び出せば、予約をしていたわけでもないのに快く会ってくれた。急に呼び出してすいませんと言えば、世界樹の意思である私は尊い存在であるから、いつでも歓迎しますと熱に浮かされたような顔で言われた。この反応はうすら寒い恐怖を感じるが、しかし後がない私はここに飛び込むしか道は残されていない。なりふり構わずジールさんに縋った。
「貴族のやつらは、世界樹の御意思である貴方の存在をなんだと思っているんだ!」
ジールさんの拳は膝の上で強く握りしめられていた。
事情を話せばジールさんは思った以上にナプルガンさんのやり方に対して怒ってくれた。やはり教会と貴族は仲が良くないようだ。またはジールさんの世界樹信仰が想像以上に厚いのかもしれない。
「今すぐにでも元の世界へ戻して差し上げたいが、せめてあと8日後じゃないとできないのです。」
「数週間後といわれるよりマシですけど、急がないと私も近いうちに屋敷に連れ戻されちゃうんですよ。次は抜け出せる気がしません。」
「・・・・・・しかし赤い月が出ていないことには力が働きません。一番良い時期が来月なのですが、キリキリさんの気持ちが強ければ、赤い月の出始めでも十分成功するでしょう。」
「赤い月?」
「ええ、数か月毎に現れる小さな赤い月です。目立たないので気が付かれなかったのかもしれませんね。一度空に昇れば半月ほどみられるんですよ。その間は世界樹の意思とつながりやすくなるのです。一番良い時期は月が出始めて1週間ほどですね。」
この世界は毎晩いくつもの月や星が輝いている。毎晩何色もの月や星が入れ替わり上り、派手な夜空だと思っていた。赤い月もあったかもしれない。
世界樹がお気に入りという小さな赤い月が昇るようになると、世界樹の意思と言うものが強まり、植物の育ちが格段に良くなるそうだ。
「その日までどこかに隠れていようと思うのですが良いところはご存じないですか?」
帰還のためなら数日間の逃亡生活だってやって見せる。鼻息荒く言ってみた。
「それは・・・・・・。ホーン家が本気で権力や財力を使って探すのであれば、逃げることは難しいでしょう。特に帰還するために必要な教会と私を見逃す訳がない。」
ですよねー。普通はそう思い当たりますよねー。ころりと騙されていた私は黙るほかなかった。
「キリキリさんにはできれば大人しく騙されたふりをして、直前にこちらに来てもらった方が良いですが。」
8日後という微妙な長さをどう過ごせば良いのだろう。そもそも、近いうちに連れ戻せの”近いうち”とは何日間なのだろう。
それを言えば二人で考え込むことしばし。
顔を上げたのはジーンさんだった。
「・・・・・・キリキリさんが帰還を迷っている振りをしてはどうでしょうか?」
「どうして?あんなに拒絶したのに、かえって疑われませんか?」
「キリキリさんはこの前こちらにきたギリムという方と二人で暮らしているのですよね?」
こくりと頷く。
「あの方に悪い印象は受けませんでした。キリキリさんを帰還させてあげたいという気持ちは本物のように感じました。」
首を傾げた。先程ギリムさんは裏切っていたと説明したはずだが。
「ピリカのように見えるわけじゃないですが、私も人の感情は少し感じ取れるんです。」
ジールさんは目を細めてじっとこちらを見た。途端、何か見透かされるようで居心地が悪くなった。
「キリキリさんは、こちらに心残りが出来てしまったと言ってはいかがでしょう?帰還したくない、もしくはやはりこちらに残りたくなったと。でもまだ決心できないと揺れる気持ちを伝えたらどうでしょう?」
「・・・・・・ジールさんは私から何か、いえ、何でもないです。それは連れ戻される格好の機会では?」
「この世界を見て決めたいのだと、引き延ばす理由にもなります。特にギリムさんと言う方は、キリキリさんの希望に沿うように動いているように見えました。ギリムさんが伝える前向きな理由なら、ホーン家も無理やり連れて行くよりも、数日ぐらい様子を見るのではないでしょうか?」
騙されたふりをしながら騙す?
・・・・・・やるしかない。
読んでいただきありがとうございました。




