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「おーい、ここがどこかわかるかー?」


「ああ、ギリムさん。やったよ。帰られるよ。かえられるーぅ・・・・・・」


いつからか私は目の前の黒いシャツにすがり着いていた。

ここに来て、自分で思っていたよりも相当気を張っていたようだ。帰還が叶うとわかった途端、気が抜けてしまったようだった。この世界に来てから、私の感情の振れ幅はかなり大きい。


「シャツが伸びる。おいキリキリ。大丈夫だ。帰ってきたぞ。」


ギリムさんに軽く頭をはたかれて我に返った。こわばっていた手をゆっくりと広げれば、黒いシャツが離れていった。ギリムさんの体温と体臭がなくなり不安になった。そしてそんな自分に気付き、余計に不安になった。今、何を思った自分?



周りを見ればここはギリムさんの家のリビングだった。


「ほら、拭け。俺のシャツはよだれを拭くためにあるんじゃねぇ。」


私は寝ている間に少し泣いていたのか鼻水と涙の痕があった。それをよだれというギリムさんは気を利かせたのかデリカシーがないのか・・・・・・。考えている間に鼻先にゴワゴワのティッシュを差し出された。

この世界のティッシュ事情は遅れている。原料に木じゃなくて草を使っているからだろう。世界樹信仰のため、木を不浄の紙にするのは気が引けるらしい。

鼻がセレブになるやつが欲しいと言いつつ受け取ると、ギリムさんはさっさと着替えに行ってしまった。鼻水がシャツについていたのかもしれない。ごめんなさい。


私はジーンさんから元の世界に戻れるといわれて興奮してしまい、そこから意識があいまいになっていた。どうやってここまで帰って来たのかわからない。ギリムさんが席を外している隙にビーンズで時間を確認すれば、けっこうな時間が過ぎていた。


「ようやく話ができるまでになったか。」


着替えてきたギリムさんは呆れた表情で言った。ここまで私を連れてきたが、ぼんやりして返事すらしなかったそうだ。


「ご迷惑をおかけしました。それとね、今、すっごく飲み物が欲しい・・・・・・。」


意識が戻れば生き物としての欲求がむくむくと湧いて来た。本能のまま欲望が口からこぼれた。干からびそうだ。


「だろうな。口を開けてぼんやりしていたもんな。そりゃ水分が欲しくなるだろう。」


待ってろと言いながら、ギリムさんはキッチンへ向かった。ひどい言いようだが、言いながら彼の口の端が上がったようにみえた。喋る私に安心したのだろう。


「ほら、レモンソーダだ。蜂蜜も入れたから甘いぞ。」


ミントの葉も添えて出されたそれは、まるでお店で出されるもののようだった。さすが使用人の鏡!


「使用人か。そう思われるまでになっているなら嬉しいこった。」


また思ったことが口に出ていた。しかしギリムさんはそれに対して感慨深そうに言った。生粋の使用人だと思っていたら違うのだろうか。


「ああ、俺は雇用形態がちがうんだ。どちらかと言えば護衛に近いかな。」


私の疑問に答えてくれたが、余計に疑問が湧いた。

お世辞にもギリムさんは強そうに見えない。実際、ギリムさんに痛い思いをさせられたことがない。お屋敷では他の使用人に肩が当たっただけで吹っ飛ぶようにこけたりしていた。状況によっては触れあっただけで危険だったりする。ナプルガンさんに手首を掴まれたことを思い出して手首をさすった。


「そうだ。ギリムさんは痛かったことがないんだ!」


「はぁ?なんだそれ?どうしてその発言になるんだ。」


俺はおかしな言動はしていないぞ、と不機嫌に言うギリムさん。そちらの痛い意味じゃなくてですね。


「だって護衛なのに強そうにみえないしさ。それに今までギリムさんから触れられた時は痛く無かったし、ふっとばされたこともなかった。」


ギリムさんが嫌な顔をして眉間にしわを寄せた。最近気づいたのだが不機嫌な時も、困った時もこの顔をする。今は困ったときの顔にみえた。


「キリキリはそこまでか弱かったんだな。確かに、俺もそこまでじゃないが力は平均の半分くらいってところだろうな。だから護衛って言っても身体を張るほうじゃない。俺は探知機なんだよ。」


「探知機???」


お屋敷でも知っている人は少ないから、これは内緒だからなと言いながら教えてくれた。


ギリムさんの特殊能力は、人の悪感情を感じ取る能力だという。生まれた時から筋力が劣る割に、素早さやスタミナは人並みにあった。専門家には危険を感じたら戦うよりも逃げて生き延びるために発達した能力だろうと言われた。それって黒く光る虫じゃ・・・と言いかけたらギリムさんに言うな!と悲しそうに止められた。ここの世界にもよく似たヤツがいるらしい。


悪意を素早く把握し逃げる事に適した能力。これを情けない能力とせずに護衛の一人として雇ってくれたのがナプルガンさんだったそうだ。使用人として傍に控え、危険が迫ったら護衛対象を素早く逃がす。そうして力自慢の護衛が敵を捕えるという連携を取る。


「逃げるしかない特殊能力だけ・・と安く買い叩かれていたところに、旦那様は俺を高く評価して雇ってくれたんだ。恩を返そうと、雇われてから使用人らしく振る舞うために必死で学んだよ。」


「へえ、ナプルガンさんてギリムさんにとって良い人だったんだね。」


すこしの毒を吐くくらい多めに見て欲しい。私に対しては良い人じゃないのだ。

ギリムさんは溜息をひとつして、残念そうにした。


「旦那様は貴族の中では革新的なお人なんだ。身分に関わらずに能力に対して公平に引き立てて下さる。」


意外にもギリムさんはナプルガンさんを尊敬していた。


「キュリールも同じ職場で使用人だったが、旦那様は身分など気にしないといって婚約したんだ。聖貴人が来るまでは正式に結婚する予定だった。」


はいはい、その二人のお邪魔虫だった私はそれでいじめられたから知ってる。


「聖貴人はこの結婚を反対していた大旦那様からのごり押しで押し付けられたんだと思っていた。だからまさか本物だとは思わなかったんだ。」


ギリムさんがこちらを真剣に見ていた。なんだろう?鼻にティッシュでもついてる?


「あの時はすまなかった。不安で困っている子に取る態度じゃなかった。」


「ちょっとやめて! 突然謝ってくるなんてなんなの!?」


ギリムさんに頭を下げられるなんて槍が降るわ!と頭を上げさせた。ギリムさんに対して怒りの感情はとっくに消えていた。でもギリムさんを許すと言えば、ナプルガンさん達を含めてこの世界を許したことになるような気がして、許すとは言えなかった。


ギリムさんは自分が言いたかっただけだし、応えなくていいと言った。


「俺はずるい大人になっちまったな。」



ギリムさんは笑おうとして失敗して、しかめっ面になっていた。

不器用な人だ。









「ところで、キリキリはジールの話はどこまで覚えている?」


仕切り直してギリムさんは聞いて来たが、私は言葉に詰まった。あの時にジールさんに言われたことは、ほとんど覚えていなかったからだ。



ジールさん曰く、この世界に対して私の未練が無くなれば、世界樹の力で私という矛盾は正されるのだそうだ。

ややこしい言い方だが、要は帰りたいと強く思えば元の世界へ戻れるよってことらしい。



ギリムさんからそう教えられて、そんなの初っ端はなっからずっと思ってる!と言えば、世界樹の力が強く作用するところで願わなくてはいけないそうだ。ここから一番近い所は、ジールさんが研究して見つけた第三世界樹の内部だそうだ。この世界で3番目に世界樹の混じる割合が多い大木だそうだ。帰るならそこまでジールさんと行かなくてはいけない。そこでジールさんの能力を使い、世界樹の意思を増幅して帰還できるそうだ。


「ジールは世界樹の意思を増幅した。あくまでも世界樹の意思がヒトを呼んだと感じたそうだ。

 ジール曰く、今回の召喚は、世界樹がこの世界に聖貴人が必要としたから、呼べたそうだ。だからジールは、呼ばれたヒトは聖貴人になることで幸せになれると信じて疑わなかったそうだ。」


まあ、だからジールはあんたの不幸な状況を知って謝罪の嵐だったんだが、とギリムさんはこちらを伺いながら言った。


「確かに、元の世界では居所が無かったけど。どちらかと言えば今のギリムさんとの生活のほうが楽しいけどさ。でもね、聖貴人なんて望んでいない!もとの世界に戻ったほうが何百倍もマシ!!」


ギリムさんは痛みを堪えたような顔をした。


「好きでもない人の子供を産まされるなんてヒドイよ。どこが幸せなの?

 私は元の世界で普通に暮らすために努力してたの!あの人達との生活を抜け出すために、元の世界で頑張っていたの!」


その言葉にギリムさんは驚いたようだった。その驚きの方向性が違うことに私はさらに驚いたが。


「元の世界の生活は辛かったのか? だったらこちらの生活のほうが良いんじゃないのか?

 ホーン家に一生を保障されるんだぞ?世の中の女性は大抵うらやましいと憧れるぞ。」


「へ?何言ってんの?」


ギリムさんは聖貴人の立場はこちらでは誰もが羨む立場だと言い出した。


「俺の姪っ子甥っ子が多いのは、姉たちが貴族へ囲われているからだ。契約で子供を産んでいる。」


「は?契約で子供を?! お姉さんも聖貴人なの?」


「いや、聖貴人じゃないが、俺の家系は特殊能力者が出やすい珍しい血筋なんだ。そういう血筋は高い給金で貴族に雇ってもらえる。特殊能力を持つことは貴族である種のステータスだし、その能力は重宝される。子供も能力の有無に関わらず大切に育ててもらえる。将来その子供の子供が能力を持つかもしれないしな。

姉たちは確か10年から15年契約なはずだ。子供はずっと貴族に育てられるが、姉たちは年期が終われば自由だ。受け取った給金で贅沢をしなきゃ一生暮らせるだろうな。」



一般的な話だからあえて言わなかったが、と言われた。衝撃の一般論だ。はいそうですか、と簡単に納得できそうにない。


「俺は、キリキリは元の世界で苦しい生活をおくるより、こちらの世界で安泰な生活を送れば良いんじゃないかと思った。旦那様も、今なら待遇は考えて下さるだろうしな。」


「・・・・・・。」


安泰な生活?子供をビジネスで産むってことでしょ?この世界の常識は受け入れられそうにない。


「キリキリは料理も上手いし、常識も学んできた。旦那様の子供を産んでから、自分の幸せを探したっていいんじゃないか?館の婦人の采配が手に余るようなら、キュリールサマに任せるように旦那様に頼んでみるのも良いかもしれない。」


私は何も言えなかった。文化の違いが大きすぎる。


そこでふと、ギリムさんの言い分に違和感を持った。

ギリムさんはこの世界で暮らすことをお勧めしているようで、ホーン家の子供を産むことも勧めている。ありえない話だ。

私はもうホーン家から子供の産めない聖貴人だと報告されたはずだ。教会にも苦情を言っただろうに子供が産めたら問題がおきるだろう。


「ギリムさん。私はもう聖貴人じゃないんだよね?」


恐る恐る訊ねてみれば、ギリムさんはハッとしたようにこちらを見た。


「すまん。勘違いで余計な希望を持たせた・・・・・・。」


申し訳なさそうに言われたが、それで希望は持たなかったので大丈夫です。むしろヒヤリとした。

ギリムさんにはついでにこの世界の常識を教えてもらおう。今聞いた限りでもいろいろ違うようなので、この機会にぜひ聞いておきたい。


「じゃあギリムさんは愛する人ができたとして、その人が貴族の人と子供を産むから結婚は待っていてねって言ったらそうするの?いやじゃないの?」


「一般的には婚期を遅らせるだろうな。ただ期間は短縮するかもな。」


「じゃ、ギリムさんも愛する人がほかの人と子供を産んでもなんとも思わないんだ。」


なんだかちょっと残念に思ってそう言った。


「俺は・・・・・・、無理だからなあ。」


「あれ?やっぱり許せないんだ?!」


一般的な事って言ってることと違う!と言い淀んだギリムさんに突っかかると、うろたえたギリムさんは困った顔をして言った。


「いや違うんだ。ややこしいこと言ってすまん。俺は・・・・・・生まれつき子供が作れない身体なんだ。それでなのか、そういう意味で人を好きになったこともなくてな。」


「え?」


「おかしいだろう?そんな俺がキリキリに言えた立場じゃなかったな。」


とギリムさんは諦めたように笑った。


「私こそ、無理に言わせてごめんなさい。」


ギリムさんの私的な事を暴き立てたかった訳じゃない。想定外の事実に、私はギリムさんにこれ以上聞くことはできなかった。



「キリキリは元の世界で辛い思いをしているように思ったからさ。

 こちらでなら幸せに暮らせるんじゃないか、俺は手伝えるかなって、思わず説得に力が入った。」


傲慢だったな、すまんすまんと謝られた。

これでこの話は終わりになった。



◇◇◇




「でさ、キリキリさんの帰還の時期についてなんだけど。」



今日はピリカさんがギリムさん宅へ私を訪ねてくれました。ジールさんのお話を聞く大事な機会で、半ば意識を飛ばしてしまった私はその場で帰還の計画などできるはずもなく。

後日ピリカさんが帰還の日時を相談するために訪ねてきてくれたのだ。ちなみに今日はギリムさんはお仕事でここには居ない。普段ピリカさんと会う時はいつもギリムさんがピリカさんを休ませていたらしい。いくらギリムさんが不定休だからってヒドイので、今日は私とピリカさんで会うことになったのだ。用事があるのは私にだし。



「聞いたと思うけど、本当に何もかも未練なく願わなくちゃ帰還できないんだ。そこは聞いた?

 それと今、ジールは聖貴人の召喚の正当性について教会内部から審査を受けているから大っぴらに動けないんだ。本人も来れないことを残念がっていたよ。・・・召喚なんて無理やりやらされたようなものなのに。」


「そうなんだ?」


「ホーン家の大御所に聖貴人の下賜をごり押しされたんだけど、今は教会に年頃の聖貴人候補が居なくてさ。それで研究中の召喚に踏み切ったわけ。でも呼び出された君は帰還を強く望んでいる。

 ジールはそれを主張して送り返すための第3世界樹の使用を申請している。

 そうしたら周りが本当に召喚は正しかったのかと言い出して、ちょっと揉めているんだ。」


「揉めているの?第3世界樹の使用が出来なかったら・・・・・・。」


ゾッとして聞き返した。私の希望の光は様々な風にちらついて消えやすい。


「ああ、違う違う。召喚の是非を問うことでもめているだけ。帰還は反対されていないから。

 基本、教会の人達は世界樹の意思に逆らうことはしたがらないから。」


ジールさんは私の事をきちんと帰してくれるつもりなんだ。私の意思は世界樹の意思として、教会の人達は味方?になってくれるようだ。



希望の光が強くなってきた。私はふむふむと頷きながらお茶を勧めた。木の実の甘露煮もつけて。八百屋さんおすすめで甘露煮を作ってみたのだ。カラフルなパステルカラーのドングリがお皿の上でつやつやしています。


「これ手作り?僕これ好きなんだ!キリキリさんは料理上手って聞いてたけどホントだね!」


「ありがとうゴザイマス。」


八百屋さんに感謝。ギリムさんも今朝喜んで食べていた。


「そうそう、帰還は少なくともひと月後で考えて欲しいって。ジールと世界樹の調整もあるから。

 その間、くれぐれも未練を作らないようにってさ。まあホーン家の仕打ちを思えば、キリキリさんも未練なんてないだろうけどね。」


「ロリコン教師を付けたことはホント、ヒドイと思いました。」


「ろり、何?」


「こちらの話です。ではひと月後に帰られるように心づもりしておきます。」


その後世間話をしてピリカさんは帰っていった。

読んでいただきありがとうございました。


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