遠回り
一人残された祥太は、なぜか居たたまれなくてその場に立っていた。すぐに茂樹が戻ってくる。二人きりになると部屋は静かになった。
「よかったね」
「え?」
「仲直りしたんでしょ?」
茂樹がカウンターを片付けながら言った。
「うん……。あっ」
頷いた時、からんとトップが外れて中身が零れた。床に滴る液体に慌ててしゃがんだ。
「いいから、気にしないで」
茂樹が祥太の手を取る。
「ああ、皮が剥けちゃったね。痛いでしょ」
「だ、大丈夫です」
「今日はもうやめておこう。あまり無理をすると腕が動かなくなってしまうから。ちょっと待っていて」
言うなり部屋を出て行った。すぐに戻って来た手には湿布薬が握られている。
「腕を出して」
「え?」
「湿布だよ。たぶん家に着く頃には、腕が痛くてたまらないはずだよ」
茂樹は優しく腕に湿布を貼ってくれた。
「無理しなくていいよ」
「……茂樹さん」
「何?」
「俺、何をやっても駄目だ」
「初めてで上手にできる人なんていないよ。できたら僕の方が困るよ」
「俺も練習したら、茂樹さんみたいに上手くなるかな」
「なるよ。大丈夫」
ぽんと肩を叩かれてほっとした。
「へへ、ありがと」
「今日はもうやめておこう。送るよ」
「え? でも……」
「車で送ってあげる」
祥太を立たせて二人は部屋を出た。ぱちんと明かりを消すと、あっという間に真っ暗闇になる。
「車持っているの?」
「18歳の時に免許を取ったんだよ。運転には慣れている」
「茂樹さん、年はいくつなの?」
靴を履いて二人が外へ出ると、だいぶ日は傾いていた。茂樹はドアに鍵をかけた。
「今年で29歳だよ」
「ええっ? 見えない。もっと若く見えるよ」
「ありがとう。祥太くんに言われるとすごく嬉しいな」
「そう?」
「うん」
何気なく交わされる会話が心地よかった。
腕の痛みも忘れて、彼のやわらかな声に釣られるようにエレベーターに乗っても笑顔でいられた。
エレベーターを降りている間、祥太はどこか思いつめた表情をしていた。
エントランスを出て、祥太が立ち止まる。
「どうしたの?」
「あの……、茂樹さん」
「ん?」
「俺、ここでいいです。やっぱり一人で帰ります」
「大丈夫?」
「はい」
祥太は顔を上げて、茂樹を見た。
茂樹は何も聞かずにこっと笑うと、じゃあ、気を付けてと言って、二人はそこで別れた。
祥太は来た道を思い出しながら一人で駅に向かった。
宏人は今頃、ミズホっていう女子と会ってるんだろうな。会って何をするんだろう。
ご飯を食べる? いや、それはないか、さっき食べたばっかだし。
じゃあ、映画? 買い物? カラオケ? 女子とデートしたことないし、何をするのか想像もつかないけど。
祥太は駅の改札を抜けて、数分待ってから電車に乗り込んだ。席はがらがらで適当な場所に座る。
宏人が言った、もうやめるって、どういう意味だったのだろう。
あの時、頭が真っ白になって状況もよく覚えていない。確か、いきなり彼女ができたから心配しなくていいよって言われたんだっけ。それから、なんでか分からないけど、もうやめるって宏人は言ったんだ。
自分と友達をやめる? 彼女ができたから、あんまり一緒にいられないってこと?
気が付けば電車が止まっていた。祥太は慌てて立ち上がり、電車から降りた。
そっか。
何が何だか分からないうちに、宏人は可愛い彼女を作って、自分とは友達でいるのはやめるって言ったのか(そんなことは言ってない)。
祥太は思いつめすぎて、駅の構内の椅子にフラフラと座って呆然とした。
仲直りできたと思ったのだけど、そうじゃなかった。
ああ、でも、どうして宏人は友達をやめるって言ったのに、茂樹の家にまで一緒について来たんだ?
どうして、彼女よりも自分を優先にするんだ?
頭がグルグルしてくる。心臓もドキドキしだして、気分がさらに落ち込みそうになった。ちょっと冷静にならなきゃ。
祥太は大きく息を吸って、吐き出した。
とにかく、宏人に彼女ができたことだけは間違いない。
だったら、できるだけ、宏人と一緒にいるのはやめた方がいいような気がする。
あれだけぐいぐい押してくる宏人のことだから、ミズホに対しても四六時中一緒にいたいと思うだろう。
ミズホってどんな女の子なんだろう。
祥太は、中学生だったあの日の学校裏での出来事を思い出して、ちょっと体が震えた。
宏人、いきなり押し倒したりなんて、きっとしないよね? ちょっと心配だな……。
祥太はようやく家に向かおうとしたが、少しだけ遠回りをして帰ろうと思った。




