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けなげな王子に愛を  作者: 春野セイ
第一部 中学生編
10/51

バーテンダー


 これが兄の言っていたトントンという音の正体なのだろうか。

 確かに夜な夜なトンカチを叩く音がしていたが、あまり気に留めなかった。

 朝練と宏人の家にも通い続けていたので、兄の部屋で何が行われていたかなんて、それどころではなかったのである。


「これはカウンターと言って、ここでカクテルを作るんだ」


 触ってみて、と言われて撫でるとその滑らかさに驚いた。

 茂樹は、目を丸くする祥太を見て笑った。


「驚いて当然だよね。まさか、ホームバーを作ってしまうんだから。裕一もがんばったね」


 茂樹がそう言ってするりとカウンターの中に入って、中央に立つ。

 気がつけば天井にスポットライトまで備え付けていて、兄がスイッチを押すと茂樹を照らした。


「ここまでするとはね」


 茂樹が苦笑しながら、カウンターの上に置いてあった不思議な形の筒を取った。


「それなに?」

「シェーカーだ。今度はこれを振る音がするから、覚悟しておけよ」


 兄がニヤニヤして言う。 何に使うものなのだろうと祥太は首を傾げた。


「今日はさ、特別に茂樹さんがカクテルを作ってくれるって来てくれたんだ。せっかくだから、祥太も一緒にご馳走してもらおうと思ってさ」

「え?」


 祥太が目をぱちくりさせる。よく分からないけど、宏人の家に行くのをやめさせてまで兄が勧めるのはよほどのことなのだろう。

 茂樹は、祥太に向かってにこっと笑うと、カウンターの下あたりを見て、冷蔵庫もあるんだね、と感心したように言った。

 それからビニール袋に入った氷を取り出し、牛乳、ざくろジュース、パイナップルジュースを取り出した。くだものはオレンジにレモン、それとパイナップルが出てくる。

 いろんな材料が出てきてびっくりだ。

 何を作るんだろうと興味津々で近づくと、茂樹はオレンジをくだものナイフで輪切りにした。

 手際の良さにびっくりする。

 あっという間にくだものをカットして、果汁を絞るためのスクイザーで果肉を絞った。オレンジの白い部分も避けて丁寧に絞っている。

 それからシェーカーに氷を二個入れ、カットしたパイナップルだけは別にして、計量スプーンで量った分量を次々に入れた。てきぱきと作業が進むので、祥太は目を見張るばかりだ。


 茂樹は、蓋をしたシェーカーを素早く手に持ってリズミカルに振り始めた。

 手を止めると、背が低く円筒形に近い小型のタンブラーに注いだ。

 ざくろの赤い色とパイナップルなどの黄色が混じったカクテルがグラスを満たしていく。最後にパイナップルをグラスにはめ込んだ。


「どうぞ」


 差し出された明るいピンクオレンジ色のカクテルが目の前に出される。

 祥太はごくりと唾を呑んだ。そっと手を伸ばす。


「い、いただきます」


 グラスはよく冷えていて、ゆっくり飲むとパイナップルとオレンジ、レモンの新鮮な匂いがした。ごくりの喉を鳴らすと冷たいジュースが喉越しを滑っていく。

 牛乳のやわらかい味とざくろのほのかな甘味もあっていた。

 すべてが混ざり合って一つになっている。

 美味しさに目を瞠った。


「トロピカルカクテル。飲みやすいでしょ」


 茂樹がにっこり笑った。

 その笑みを見たとたん、祥太は、鼻がツンとした。


「あ……」


 不意に涙が出た。


「し、祥太……」


 兄が驚いた顏で見ている。


「ごめ……っ。ごめ、ごめんなさいっ」


 泣くまいとしたが、口いっぱいに広がっている甘い匂いがたまらない気持ちにさせた。

 兄はおろおろしていたが、茂樹はカウンターを出てきて祥太の頭を優しく撫でた。


「大丈夫?」


 茂樹のカクテルがまずかったのではない。そう言いたかったが、声が出せない。


「祥太、大丈夫か?」

「うん、ごめ、ごめんなさい……」


 うまく言えなかった。


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