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ep1.観測

 部屋に入る。イヴの前に現れたのは金髪に紅と桃のオッドアイ。この荒廃した世界でなお、完全な存在。圧倒的な空気。

 観測神。

 人間というものをカテゴライズする全てのラベル――年齢、国籍、人種、性別さえも超越した、人ならざる者。この世界でエデンが目をつけたもう一つの存在。


 エデン含め、科学者たちは神の存在を信じていなかった。しかし世界がもう滅びかけていた大戦終盤に現れたその神はただ一言告げた。


『馬鹿みたい』


 そう言って、全ての兵器を破壊したのだ。

 それが数多の世界を見届ける観測の神であることは、後にわかったことだった。人知を、科学を、超越した存在。エデンは観測神を最高指揮官にしようとした。もちろん冷たく断られてしまったが。

 ならばせめてもう一つの計画であった、人類の結晶たる赤ん坊をその手で選んでもらおう。国籍も宗教も関係ない、人間よりも上位の存在である観測神に選ばれたとなれば生き残った人間たちの納得を得ることができる……何より、後に観測神からの協力を得られる可能性を残しておきたかったからだ。エデンはなんとか頼み込んで、観測神に赤ん坊を選ばせた。そうして選ばれたのがシリアル番号 02 の赤ん坊である「イヴ」だった。


「……お久しぶりでございます、観測神様」


 イヴは深々と頭を下げた。その目が、イヴを射抜く。冷たい部屋の空気が、また少し下がったような気がした。だが、不思議と怖くなかった。


「ふうん、君があの時の赤ん坊。随分様になったんじゃない?」


 観測神はただ冷静に、無表情のままそう言った。

 

 今日、イヴはどうしても観測神に気に入られなければならない。観測神からの協力を約束してもらわなければならない。エデンはどうしても観測神の力を必要としているからだ。

 それは、観測神という上位存在が人々に安心感を与えるからという単純な理由だけではない。観測神の性質……他世界に干渉できる、というものを利用するためでもあった。いやむしろ、それが大きな理由だ。

 どうやらこの世界の他にも、世界というのは存在するらしい。中には戦争が途中で終わった世界も、科学の発展した世界もある。この荒廃した世界には資源が足りない。解決するには、他の世界から搾取するしかないのだ。



 しかし、それはあくまでもエデンの目的だった。イヴには別の目的がある。その目的のためにもまた観測神は必要不可欠だったのだ。



「それで? 挨拶しにきたってことはどうせ協力しろとか何とかでしょ? 先に言っておくけど僕は協力しない。人間なんて嫌いだよ、あの時だって一度選んでやれば満足するかと思ったから乗ってあげただけさ」


 ふん、と観測神は脚を組んで座ったまま言い放った。

 燃えるような色。なのに冷たい目。嫌悪と、軽蔑。イヴはその目に……どこか、安心感を覚えた。


「人間が嫌いなのは重々承知の上。俺はただ、世界を平和にするために貴方様のお力を借りたいだけです」

「綺麗事を謳う人間はもっと嫌いだ。世界を知らないくせに生意気な坊や。平和なんて存在しない。それは知ってるでしょ。まして君みたいな子供に何ができるの? 僕に協力を要請するならまず夢から目覚めてからにしな。永遠に来ないだろうけれど」


 世界を知らない。

 当たり前だ。数多の世界を見てきた観測神からすれば、齢十五のイヴなど無知の存在。大人たちから偏見に満ちた「世界」を教えられ、従うしかないイヴなど。

 それは、わかっていた。


「争いを生むのは権力者であり巻き込まれた者のことなんて見ないふりをする。君だっていずれそうなるさ。愚かしい、人も神も……それで? 話はおしまいでいいかな? 可哀想に、君は所詮この世界の道具として生み出されたハリボテの平和。そんな君がいくら平和をつくろうとしても無意味。君が知っている、いや、教えられた世界はこの世界にとって都合の良い世界さ。本当の世界も知らないくせに舞い上がっていちゃ行きつく未来は一緒だよ」


 ハリボテ。その言葉が、深く刺さって……それでいて、ひどくすんなりと納得した。作り物で、中身の無い脆いもの。この観測神にとってイヴ・ウェステリアという最高指揮官はそういう存在だ。そして、イヴ自身にとっても。

 イヴは自覚していた。自分が世界のために、あるいは世界を良いようにしようとする大人たちの代理人として生み出されたことを。そんな自分が最高指揮官であることへの空虚さも。


「でも」


 反論ならできる。口を開いた瞬間だった。


「まだわからない? 愚かな者の愚かな行動に手を貸す義理はない、去れ」


 空気が変わる。張り詰めた空気に神というものの圧倒的な力をわからせられる。

 このままここにいたら殺される。それくらいの覇気だった。それでもイヴはこの神と話さなければならない。大人たちのいうことに従うためではない。観測神と話をできなかったら酷い罰が待っているからではない。ただ己の生まれたこの世界の、そして、瞳の奥に哀しみの色を隠す観測神のために。


 イヴの目的。それは、観測神に協力してもらうことでエデンの大人たちに有無を言わせない圧倒的な立場を手に入れることだった。そして他世界への干渉計画を白紙にすること。ハリボテではない、本当の平和をつくること。


「……俺は、あんたに選ばれた」


 イヴを造ったのはエデンだ。でも、選んでくれたのは……イヴを最高指揮官にしてくれたのは、観測神だ。イヴは期待していた。観測神は、エデンの大人たちの過ちを止めてくれるはずだと。観測神はエデンとは違うと。

 観測神に会うために、イヴはこれまでの最高指揮官敎育に耐えてきた。選ばれたことを、誇りに思って。


「それが何? 気まぐれの選択に意味はないよ」

「気まぐれの選択でも、選ばれたのは事実だ。そして俺は汚い大人の都合の良い教育に気づいて、自分が道具だと悟って、それでも今まであんたに選ばれたことだけを誇りに生きてきた。俺をその手で選んだあんただけが俺の理想を理解してくれるって、信じてた」


 観測神は根が優しいのか、口答えをしたイヴをその場で傷つけるようなことはなかった。緊張感が緩む。観測神は静かにイヴの次の言葉を待っている。


「あんたが一番、平和を望んでるんだろう? 観測神。俺はあんたの望みを叶えてやれる。俺はあんたの味方で、あんたは俺の味方のはずだ。あんたの協力がなくちゃ、それこそハリボテの平和しか生まれない。なあ、あんたが選んだこの俺を、平和の立役者にしてはくれないか? あんたに……俺が、あんたにこの世界の夜明けを見せてやる」


 必死だった。この世界を、他の世界を、守りたい。

 沈黙。味方という言葉に観測神の表情が少しだけ動いた一瞬を、イヴは見逃さなかった。だが、それもほんの少しの間。今イヴを見下ろす観測神は冷ややかで、まさに「観測」……全てを見透かすような、恐ろしい目をしていた。


「……っ、すみません。出過ぎた真似を、してしまって」


 恐る恐る、観測神を見る。イヴのグリーンの瞳と、観測神のオッドアイが交錯する。


 観測神は……笑った。


「ふうん、あのおじさんよりは賢いかもね? ……味方、か。面白い。いいよ、君に賭けてあげる。僕に選ばれたことをずっと誇りに思ってるなんて、可愛いじゃない」


 紅と桃の瞳にイヴを映して、その目は――世界を観測する神の目は、すっと細められる。イヴはほっとして崩れ落ちた。どうやら観測神の心を動かすことができたらしい。


「っ、本当に」

「ただし、君に見込みがなければすぐに協力を止める……それでいいね、坊や」

「! ああ」

「……契約をしてあげよう。僕の名前は……リーシェ。リーシェ・エーヴァルト・シュナイト。光栄に思いなよ、この世界では誰も僕の本名を知らないんだから」


 観測神……リーシェの紅い方の目が光る。紋章のようなものが浮かんだ。契約、なんて話は聞いていなかったイヴは唖然とそれを見ていた。


「なにぼーっとしてるの。坊や、君の名前は」

「! ……イヴ。イヴ・ウェステリアだ」

「契約するんだから、何か誓いな」


 急に言われても、と戸惑いながらイヴは同じく紋章が浮かび上がってきた自分の右手の甲を見ながら口を開いた。


「…………い、イヴ・ウェステリアの名において、観測神リーシェ・エーヴァルト・シュナイトとの契約を、成立させる……?」

「ふん、情けないね」


 鼻で笑うリーシェと戸惑うイヴが、まばゆい光に包まれた。

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