ep2.興味
イヴは右手に浮かんだ紋章を見つめていた。まだ熱をもっているそれは、ずっと求めていた観測神との繋がりを証明してくれる何よりの印。
「…………本当に、協力してくれるなんて」
「何、文句があるなら聞くけど」
「うわっ」
ここはイヴの部屋だ。イヴの部屋で、イヴのベッド。なのにそこにいない神の声が頭上から聞こえて、イヴは驚いて飛び起きた。
「危ないなあ。坊やは元気だね」
「いや、ここ、俺の部屋なんだが。観測神、その……勝手に入るのはどうなんだ」
「契約したんだから坊やのものは僕のもの。僕のものは、僕のものだけど」
リーシェはイヴのベッドに腰掛けて、薄く微笑んだ。
神というだけあって綺麗な顔をしている。煌めく金髪、花のような桃色の右目、全てを見通すような紅の左目、すらりとした体型、目を伏せた時に影を落とすまつ毛。そんな存在が自分の部屋にいる、という事実にイヴは少しだけ落ち着かなかった。
「……部屋、ないのか」
「失礼。僕も部屋くらいもらったよ、あのエデンのトップ? のおじさんにね」
「ナハーシュのことか」
「名前には興味ないよ」
ナハーシュ・ウェステリア。エデンの最高責任者であり、イヴの生みの親。天才的な頭脳を持つ科学者だ。戦争時も自身の知識と研究成果を地下で守り続けていた、ある種人類の宝。
……と、政府では思われている。だがその実はイヴを通して政府の実権を握り、他世界の資源や技術を手に入れようと企む狡猾な人間だ。イヴは彼を快く思っていない。リーシェと契約したことを報告した時、自分の最悪の計画を隠してへこへこ頭を下げる姿はいつにもまして不愉快だった。
リーシェがナハーシュを気に入ったらどうしようかと懸念していたイヴだったが、無情にもリーシェはナハーシュの話を全く聞こうとせずに「で、坊やには? 頭下げないわけ?」と冷たく睨んだのだった。
「そうだ観測神、せっかく来てくれたならあんたのことをもう少し知りたい」
「はぁ? 面倒だね、僕のことを知る前に君のことを話せば。興味があるところだけ聞いてあげる」
「え」
自分に話を振られて、イヴは呆気にとられた。
イヴという人間の話など、あまり面白いものではない。ましてや観測神の興味がある話なんてないだろう。だが、リーシェのオッドアイは早く話せと急かすようにイヴを見ていた。
「……名前は、イヴ・ウェステリア」
「知ってる。それで?」
「エデンに作られた完全遺伝子人間の一人で、あんたに選ばれて最高指揮官になった。今は公務を担っているが、基本ナハーシュを通さないといけなくて、ほとんどあいつが主導権を握っているようなもので、俺はそれを変えたくて。あんたと一緒に、本当の最高指揮官になりたい」
「……………………」
リーシェは怪訝な顔をした。
「人間の十五歳ってのは、趣味とか好きな子について話すものじゃないのかい」
「そうなのか?」
イヴは一般的な人間の十五歳というものがどんなものか知らない。悔しいがリーシェに言われたとおり、イヴの世界はこの世界政府の狭い建物とエデンの研究室、ナハーシュの知識だけなのだ。
「好きな食べ物とかないのかい」
「食べ物……今この世界はまだ食糧が不足しているから、そんな贅沢は言っていられない」
「馬鹿な子だね坊やは」
リーシェはふいとそっぽを向いて、部屋の隅の空間へと消えていった。
怒らせてしまったのだろうか。観測神の怒りの基準はよくわからない。だから先に知っておきたかったのに。
まあいい、明日の分を終わらせておこう。そう切り替えてイヴは机に向かった。その時。
「!?」
首筋に、冷たいもの。
「な、んだ、観測神?」
「あは、変な顔。食べな」
出した手に乗せられたのは、円柱の短い物体。食べな、というからには食べ物なのだろうが見たことがない。
「もしかして見たことないの? 上、蓋になってて……いいや、貸して。ほら」
リーシェはイヴの手からまたその物体をひょいと取り上げると、上の蓋を開けた。それから横についている小さな棒をその中身に刺した。
「……なんだ、これ」
「アイスクリーム。知らない? 牛乳とか凍らせたやつ。まあこんな世界で食べられるわけないか。とにかくこの白いところが甘いミルク味、黒い点々はクッキーだから安心して食べな」
「…………」
そっと刺された棒でまだ少し硬いそれを掬い上げる。一口、口に含む。
「!」
冷たい。口の中を凍らせるような冷たさと、その次に甘み。じんわりと、解けていくクリームの味。
初めて食べるそれに、イヴは感動した。こんなものがあるなんて。
「観測神、これ……」
「気に入ったかい? 次は坊やが頑張ったらあげるよ。あのおじさんには内緒ね、別の世界から僕が持ってきたって知ったら次から次へと要求してきそうだし」
「…………うん」
美味しい。イヴはつい夢中になってその小さな塊を食べた。リーシェはそれをじっと見ていた。あの時の冷たい目と同じ瞳で、でもどこか優しさを孕んだまなざしで。
「美味かった。ありがとう」
「ふん、観測神の契約者なんだから少しくらい贅沢しないとね。嫌だよ契約者がけちけちしてたら、いつか僕のおやつがなくなるでしょ」
「……そうなるまで、まだ俺といてくれるのか」
イヴの言葉にリーシェはぴたりと止まった。それからすっと表情を変える。
「調子に乗らないでよね。君が僕を満足させられたらって話だから、じゃ」
「あ、おい」
怒ったようにリーシェはまたどこかへと消えていった。
今度は、本当に怒らせたわけではないのがイヴにもわかった。あの観測神は人に距離を縮められるのを避けようとしている。それが契約者のイヴであっても、境界線を引いている。それを保とうとしているのだ。
理由はわからない。ただ人と神という立場の違いをはっきりさせているのかもしれない。ならばあのアイスクリームは……あの甘やかしは、何だったのか。
「よくわからないな、神っていうのは……」
まだ口に残る甘さを噛み締めながら、イヴはつぶやいた。
結局、リーシェ自身のことはよくわからなかった。
☆☆☆
「ね、僕のこと知りたいんじゃなかったの。今日は気分が良いから教えてあげるよ」
あろうことか、リーシェがそう言い出したのはイヴが大量の書類作成に追われている時のことだった。
書類作成と、観測神の生態。イヴの頭の中で天秤が揺れる。書類は早く終わらせないといけない。それは明白だ。だが、この観測神の気まぐれがいつまたイヴの良い方に働いてくれるかはわかったものではない。
「……少し待ってくれ。今すぐに書類を片付ける」
真面目なイヴは、書類を早く終わらせてリーシェの相手をするという暴挙に出た。
「書類? ふーん、大変だね」
「あんたは無いのか」
「無いよ? 僕のものは君のものだもの」
「この前と言っていることが逆なんだが」
この観測神を見ていると本当に何もかも文字通りの気まぐれなのだと思う。だからといってイヴは絶望はしなかった。むしろ気まぐれで選ばれたという方が特別感がある。実は思惑があって選ばれたという方が台無しというものだろう。
「よし、終わった」
「早いねえ。そんなに僕のことが気になる?」
「当たり前だ」
観測神の性質や権限も気になるが、イヴはリーシェという神のことを知りたいと思っていた。自分を選んでくれた存在。話に聞いていたその存在が、こうしてやっと目の前で契約者としているのだから。
「なかなか可愛いじゃない、坊や。いいよ、何が知りたいの」
「……じゃあ、好きな食べ物」
「観測神に何でも聞けるチャンスにそんなの聞くのかい。変な子」
いいだろ、と膨れてみるとリーシェは少し馬鹿にしたように笑った。
気になるのだ。アイスクリームのように、この観測神はイヴの知らないものをたくさん知っている。
「そうだね、僕はオムライスとか好きだよ。ふわふわのやつ」
「おむ……? なんだそれ」
「トマトの味がするお米に、ふわふわの卵がのってるの。今度見せてあげる。坊やの反応は面白いからね」
考えただけでおいしそうだ。アイスクリーム、オムライス。
「……早くこの世界でも、皆が食べられるようになるように頑張るよ」
「そうだね、君にかかってるんだから。『最高指揮官様』」
坊やではなく最高指揮官と初めて呼ばれた。イヴ、とはまだ呼んでくれないし、その呼び方もからかい混じりのものではあるが少しずつ認めてくれているような気がする。イヴのこの世界への思いが、誠意が、伝わっているのだろうか。
「さ、そんな最高指揮官様に僕のことをもう少し教えてあげないとね」
リーシェは目を細めて、またイヴの隣に座った。
こんにちは!
読んでくださりありがとうございます。ep0と1もちょくちょく読んでくださる方がいらっしゃりなんと感謝を述べれば良いのやら……!
完結はさせたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします!
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タラノリオ(2026.8.15)




