籠の鳥のわたし 1
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男は、丈の長い漆黒のローブを羽織っていた。
背は高いけれど、全体的にほっそりとしている。だけど軟弱という印象はない。彼がほっそりして見えるのは、わたしが普段から体格のいいジェラルドを見て来たからだろう。たぶん、騎士などの体を動かす職業の人以外の男性は、これが標準……にしては背は高いけれど、まあ、そんなものなのだろう。
肌は白く、普段から日差しにあたらない生活をしているのかしらって思った。
だって、たぶんわたしより白いわ。まあ、わたしはよくマノンの日向ぼっこに付き合って庭にでているから、お日様をしっかり浴びているんだけど。
じっとわたしを見つめる目は漆黒。黒曜石みたいな、本当に綺麗な黒よ。
顔立ちは端正で、静かな感じがする。
だけど変ね。とっても静かな感じがするのに、どことなく熱いものを感じるというか……なんか、怒っているようなそんな空気が漂っている。
……気のせいかしら?
だって、見ず知らずの男性に怒られる理由が思い浮かばないもの。
わたしは自分が今、とっても心もとないナイトウェア姿だってことも忘れて目の前の男性に見入ってしまった。
驚いたのももちろんあるけど、何故かしら、目が逸らせないの。
なんだか胸の奥がぎゅうっと切なくなるというか、ドキドキするというか、そわそわするというか、とにかく落ち着かない気持ちになるの。
……きっと、そう、あれね! いきなり知らない人がわたしの部屋にいたから驚いたのよ!
だって、シャルル以外にドキドキするなんてありえないものね!
わたしはそこでようやく、わたししかいないホテルの一室に見ず知らずの男がいる危険性について思い至った。
大変だわ! こういうのを「賊」って言うのよ!
わたしは慌てて、レーヌやジェラルドに知らせようと叫ぼうとした。
だけど、わたしが「きゃーっ!」って悲鳴を上げる前に、足早に近づいてきた男に、膝裏を救い上げられるようにして抱きかかえられてしまった。
「きゃっ!」
違う意味で喉から悲鳴が上がったが、男はすたすたとそのままベッドに歩いて行くと、ぼすんっ! と勢いよくわたしをその上に押し倒す。
レーヌに綺麗に洗ってもらって、しっかり乾かしてオイルまで塗って艶々にしたわたしの金髪が、ふわりとベッドの上に広がった。
……こんなに乱暴にしたら髪の毛が絡んじゃうっ!
せっかくシャルルのために整えたのに、どうしましょう⁉
なんて、あさってなことを考えられたのは一瞬だけだった。
男がわたしの顔の横にそれぞれ両腕をついて、息をかかるほどの至近距離に顔を近づけてきたからだ。
もう、頭の中が真っ白よ。
端正な顔が目の前にあって、爽やかなレモンのような匂いがする。
じっと穴があくほどに見つめられて、不覚にも、わたしの心臓がうるさくなった。
男の手がわたしの髪の毛を指先で梳くように撫でる。
……ど、どどどどうしましょう⁉
この状況はとってもまずいのではなかろうか。
……こ、こここれは、この状況は、俗にいう浮気というやつでは⁉
わたしは青ざめた。
違うのシャルル! これは不可抗力でわたしの意志じゃないの! と心の中で叫びつつ、状況を打破する方法はないものかと大混乱の頭で考える。
だけど、名案が浮かぶより早く、男が、とっても不穏なことを言った。
「いっそ、食べてしまおうか」
「⁉⁉⁉⁉⁉」
た、た、た……食べるって言った⁉
もしかして、この人は人間を食糧にする魔物か何か⁉
魔物なんて存在は物語の中でしか知らないけど、実在していたの⁉
……レーヌレーヌレーヌレーヌレーヌーっ‼
悲鳴を上げたいのに、喉の奥で凍りついてしまって声が出ない。
どうしよう、食べられる! 食べられる⁉
頭からばりばりいかれるのかしら?
それともナイフとフォークで切り分けられるのかしら?
食べ方は生なのかしら、それともソテーするのかしら?
焼くのならレア? ミディアム? ウェルダン?
なんにしても絶対いやああああああ‼
「わ、わわわ、わたしは、たたたた食べても、おおおお美味しくありませんよ⁉」
黙っていたら本当に食べられるかもしれないと、わたしは必死に声を絞り出して、何度もどもりながら訴える。
食べるなんて物騒なことを言った割に、男は静かにわたしを見つめている。
まるで、わたしの瞬き一つ見逃さないと言わんばかりの凝視の仕方だ。生まれてこの方、これほど凝視されたことはない。
相変わらず手つきは穏やかで、髪の毛なのに、壊れ物に触れるかのように優しく撫でられていた。
……き、聞き間違いだったのかしら?
そうよね。そうに決まっているわ。魔物は物語の中の存在で、人が人を食べるなんて現実にはあり得ないと思うもの。
人が人を食べる話は幼い頃に読んだ『深海の美女』の物語にあったけど、あれもやっぱり物語だわ。現実じゃない。
でも、食べるわけじゃないのなら、どうしてわたしはベッドに押し倒されているのかしら?
というかこの人は一体どこから来たのかしら?
これだけ騒いでいるし、なんならベッドに押し倒された時に「ぼすんっ」って結構大きな音がしたのに、レーヌやジェラルドはどうして来ないのかしら?
なんだかよくわからないことがたくさんで、何を考えていいのかわからなくなってくるわ。
「あ、あああのぅ?」
とりあえず、最初は目の前の男がどこの誰なのかを聞いた方がいいかしら?
ちょっと怖いけど勇気を出して話しかけてみると、男が目を細めて、わたしの髪の毛を指に巻き付けて遊びだした。
……な、何をしているのかしら?
そもそも、セキュリティがしっかりしているホテルなのに、この人、どうやってここに来たの?
もしかしてホテルの従業員? でも、ホテルの従業員が泊まっているお客さんをベッドに押し倒すかしら?
わたしはじーっと男の顔を見つめる。
紫色の髪に漆黒の瞳に漆黒のローブ……ローブ?
わたしはハッとした。
そうよ、ローブよ‼
「あなた――」
「やっと気づいたか」
わたしがぱっと顔を輝かせると、男がホッとした顔をした。うんうん、あたりね。やっぱりね!
「魔法使いね‼」
わたしが自信満々に言うと、どうしてか男が固まって、そのあとで盛大なため息を吐き出した。
「…………ハァ」
なんでため息をつくのかしら?
だって、そのローブって魔法使いがよく着るローブじゃない?
魔法師団の魔法使いも似たような……似たような? うーん、というかむしろ、同じような? こんな感じの国から支給されているローブを身に着けている。
……あれ?
このローブ、本当に魔法師団のローブに似ているわ。
というか、そのままじゃないかしら?
ということはこの男性は魔法師団の魔法使い?
つまりはシャルルの部下?
「ねえ――」
シャルルの部下にベッドに押し倒されている状況は、とってもまずい気がするの。浮気認定されたら大変だわ。浮気、しないけど!
もしかしたらこの男はわたしが第三王女エドウィージュだと知らないかもしれないわね!
師団長の婚約者だって知らないから、きっとこんなに顔を近づけるんだわ。
早いところ自己紹介して解放してもらいましょう――なんて、ぐるぐると考えていると。
「もういい、王女。時間切れだ」
「え⁉」
突然のタイムオーバー宣言をされた。
というか王女って言った? わたしが王女って知っていて、この体勢に持ち込んだってこと⁉
……まあシャルル‼ 大変よ! あなたの部下が反抗期よ‼
相手が反抗期な部下なら、シャルルの婚約者であるわたしにも優しくしてくれないかもしれない。わたしは慌てて身をよじって逃げ出そうとしたのだけど、男が鼻先がくっつくほどに顔を近づけて――
「たとえどこへ逃げようとも、俺は絶対に逃がさない。たとえ世界の果てだろうと追いかけて、必ずその足に枷をはめてやろう。俺から逃げる足など、必要ないだろう?」
「な、ななななな……」
暗く暗く、その漆黒の瞳をさらに闇色に染めて言う男は、わたしの顎を大きな手でつかむと、そのまま顔を近づけてきて……
「何を言っているの――⁉」
パニックになったわたしは、そんな男に向かって、渾身の頭突きを放った。
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