9話 物語は彼女へと続く。
あれから、一週間が経った。
毎朝ミナをアウレアの教会に預け、シュリと迷宮に潜り、夕方に換金して帰る。その繰り返しだった。
借金は動いた。銀貨数枚分。ギルド経由で返済している。魔石なんかは見つからず、素材を持って帰って銅貨を稼ぐ日々だ。
シュリとの息は、少しずつ合ってきた。言葉は相変わらず少ない。それでも互いの動き方が読めるようになってきた。シュリが止まれば俺も止まる。俺が手を上げればシュリは弓を構える。言葉のいらない連携が、少しずつ形になっていた。
一つだけ、ずっと気になっていることがあった。
シュリは換金が終わると、毎回足早に消える。「明日も、よろしく」の一言を残して、雑踏に紛れる。追いかけたことはなかった。
そんなことが続いたある日のことだった。
◆
朝、教会に着くと、ミナは珍しく自分から扉を開けた。
「おはよう、アウレアさん!」
「おはようございます、ミナ」
先週とは違う。最初の日は扉の前で足が止まっていたけど、今は勝手に入っていく。
「ユウト、早く帰ってきてね」
「努力するよ」
「約束して」
「努力するって言ってるだろ」
ミナが膨れた。それでも、その顔は暗くなかった。アウレアの隣に立って、こちらに手を振っている。
(少しだけ変わったな)
慣れた様子のミナに、嬉しさと同時に寂しさも少しあるな。良いことだけど。
アウレアが俺に目を向けた。
「今日もよろしくお願いします。ミナはここ数日、とても熱心に勉強しているんですよ」
「勉強?」
「本人から聞いてみてください。ひみつらしいので」
ミナがそっぽを向いた。
どうやら、帰るまで秘密らしいな。今日も生きて帰る理由が増えた。
◆
ギルドに着くと、シュリがすでに来ていた。
いつ見ても同じ格好だ。緑の外套、深く被ったフード。腰の短弓と矢筒。背負い袋。
見る人が見ればみすぼらしい格好だが、実用性なんかを重視するシュリらしい。それにギルドでは珍しい格好ではないから目だたない。
シュリを見分ける方法は簡単だ。彼女は身長が高くないから、分かりやすい。
どうやらカウンターでセルナと何か話していた。俺が近づくと、セルナが顔を上げた。
「ユウトさん、おはようございます。ちょうど良かった。シュリさんにもお話していたんですが」
「なんですか」
「素材を持ち帰るだけではなく、ギルドの依頼を受けてみませんか」
「依頼……」
「街の商人や職人から必要な素材の注文を受けて管理しているんです。達成すると換金の他に報酬が出ます。素材の質が安定して求められているものはブラッドラットの牙や毛皮、リテルンの耳などです」
シュリが腕を組んだ。
「どのくらい増える?」
「依頼にもよりますが、素材だけで換金するより二割ほど上乗せになることが多いです」
「受ける」
即答だった。
「ユウトは?」
「もちろん」
「では、こちらの依頼票を」
セルナが紙を差し出す。内容を確認する。
シュリが横からちらりと見た。
「また読んでる」
「一応確認しておきたくて」
「……」
何かを言いかけて、やめた。
シュリはおそらく文字が読めない。この世界の識字率は高くないようで、ミナも読めないようだった。まともな教育機関もない世界だろうから当然のことか。
俺が文字を読めるというのはいい意味でも悪い意味でも目立つ。今は見られても問題のない人しかいないから読んでいるが、タイミングによっては読めないふりをしたほうが賢い時もあるだろうな。
「違約金がある依頼があるな」
「ぃ、イヤクキン……?」
困惑するシュリに説明する。
「期限内に納品できなかった場合こっちが金を払うことになるってことだ」
「……」
「自分たちの実力を考えて、達成できる依頼だけを受ける方がよさそうだ」
「ユウトに任せる……」
これ以上は考えたくない、といった様子のシュリに苦笑いする。
ここ一週間で随分と信頼されたものだ。まあ、迷宮には何時間も潜るし、一緒にいる時間は長いからな。
「セルナさんが言ってた……これと、この依頼を受けます」
「かしこまりました、受注しておきますね。受付嬢の私が言うのもなんですが、良い判断だと思います」
「ありがとうございます」
多くの冒険者を見てきただろうセルナさんに言われると、心強いな。
サインした依頼票を渡して、カウンターを離れる。
「お気をつけて」
「ん……」
「行ってきます」
セルナに見送ってもらいつつ、ギルドを後にする。
冒険者たちの喧騒から離れて、通りに出る。ギルド内の雰囲気は少し苦手だから、離れると心安らぐな。
商店街の方向を向きつつ、シュリにたずねる。
「道具の補充は?」
迷宮に潜り始めてから、利益の一部をパーティ共有資金としてプールするようにした。
探索には必需品がいくつかある。松明や薬草など、それらに当てるのだ。
後衛であり、背負い袋を持ってるシュリは道具担当でもあるため、彼女にお金を預けている。
脳内で帳簿を付けているが、ネコババされたことはいまだにない。真面目な性格の彼女だし、今では信頼している。
「今朝、やった」
「早いな。じゃあ……行こう」
深呼吸をして、おれたちは迷宮入口へと向かった。
◆
衛兵たちを顔パスで通り抜け、おれたちは迷宮に入った。
いつまで経っても慣れない迷宮の空気感に緊張しながら、進み始める。
迷宮に入って数分後、シュリが突然立ち止まった。
「止まって」
俺も止まる。何も聞こえない。何も見えない。
シュリがフードの中で、わずかに顔を傾けた。耳をそちらに向け、音に集中しているようだ。
(聞こえているのか……)
しばらくして、シュリから矢が放たれた。
音がした方向とは少しずれた暗闇の先。何かが倒れる音がした。
「ブラッドラット。一匹。潜んでた」
確かめに行くと、光も届かない暗がりに刺さった矢があった。
脳天に直撃しており、骨を貫通して仕留めていた。
「こんなに暗くても見えるのか?」
「大体は」
「頼もしいな」
「……獣人、それくらいはできる」
短く言って歩き出した。フードのふちで、耳が小さく動いた。猫のように。
今日の探索は順調だった。
依頼票にあった素材を集めながら、一層の奥まで踏み込む。シュリの索敵が加わることで、奇襲される場面が目に見えて減った。俺は盗賊としての感覚で空気を感じ取り索敵するが、彼女は物理的な視力の良さで敵を見つける。役割が自然に分かれている。
敵を先に見つければ、遠距離攻撃の手段があるおれたちは先制できる。比較的安全に魔物を狩ることができた。
あれほど危険だった迷宮探索も、今では二人だけで安定してできるようになっていた。
「行こう。こっちだ」
そうやって先導しながら、更なる深みへと歩んでいった。
◆
時間が経った。
迷宮にいくつか点在する小部屋の中で、おれたちは小休止していた。周辺の安全確認は済んでいる。
あれから順調に深いところまで来ていた。深く潜るにつれ魔物が増えるが、問題なく対処できている。
ただ、進軍速度が遅くなっている。体力が減ってきた。素材も溜まってきたしそろそろ引き際だろう。
「――ここまでだな」
「ん」
顔を見合わせ頷き合うと、道を引き返し始める。
もちろん気は抜けないが、帰りは比較的危険は少ない。魔物に遭遇したこともほとんどない。
足音を立てないように歩く。
帰り際、一層の最深部に続く石段が見えた。この先には門番がいる。つまり、二層への入口だ。
「いつか」
シュリが呟いた。
「ん?」
「二層、行く。今より稼ぎたい」
「そうだな。だけど今じゃ戦力がな」
「前衛、足りない」
「だな」
二人で石段を見ていた。
パーティメンバーの募集は常にかけている。ギルド側も推奨していることだから、ギルドに訪れた冒険者たちの目には入っているはずだが、一向に人は増えない。まだおれたちの実績が足りてないんだろう。魅力的なパーティに見えないということだ。
だけど、実力は確実についてきている。実際、入った人の半分は死ぬと言われている迷宮一層を安定して探索できているのだから。
焦らなくても、そのうち仲間になりたい人は現れるだろう。
ふと、レギンの顔が頭をよぎった。
あのようなことはもう起きてほしくない。新しい人を選ぶのも、慎重になったほうがいいかもしれないな。
「……ユウト?」
「ああ、ごめん。考え事してた」
「早く、帰る」
「お、おい」
シュリに背中を押されながら、足早に迷宮を歩いた。
◆
迷宮を抜けると、日が落ち始めていた。
初日の時と比べると、まだまだ日は高い。太陽の傾きが、おれたちの成長の指標となっている。
そのままギルドへ向かう。
まだ街は騒がしく、商店街などの通りは人で溢れていた。
ギルドにつき、入口を開ける。昼から酒盛りしてる冒険者たちの声を聞きながら、受付に向かう。
セルナが気づくと、笑顔を向けてくる。営業スマイルだが、悪い気はしない。
「おかえりなさい。怪我はありませんか?」
「はい。いつもの、お願いします」
「ええ、もちろんです」
許可をもらい、シュリと一緒に持ち帰った素材を並べる。
慣れた作業だ。セルナがそれらの素材を分類して、紙に記していく。
高速で動くセルナの手を、シュリと一緒に黙って見ている。的確に素材の状態を把握し、それに値段を付ける。とうてい真似できるものじゃないな。
換金が終わると、セルナが数字を出した。
「依頼達成の報酬込みで、銅貨六十七枚です」
六十七枚。最初にパーティで潜った時と比べると倍以上だ。
「よかった」
シュリが小さく言った。いつものように表情は動かない。それでも彼女が内心喜んでいるのは短い付き合いながら分かる。
もらった銅貨のうち、十七枚をパーティ資金として、残りをシュリと分けた。
「また明日、よろしく」
そう言って、シュリは素早く背を向けた。
「……」
そして俺は今日、気がつけばその後を追っていた。
◆
シュリは足が速かった。
人混みの中でもフードのせいで判別しやすい。商人街を抜けて、スラムの方向へ向かっていた。俺たちの納屋がある方向とは違う。スラムの中でも、南の方角だ。
入ったことのない区域だった。
シュリのフードに集中していた。
人の波に紛れながら、その緑色の背中だけを追い続ける。
道が変わった。石畳から泥道へ。建物の密度が増す。
路地の角に、柄の悪い男が二人、立っていた。目があった。値踏みするような視線だ。首筋の契約紋を見て、その目が少し緩んだ。奴隷か、という顔だ。
(これが『オブリゴ家』の縄張りか)
話には聞いていた。スラムを取り仕切る巨大組織。保護費を払えない者は排除されるか、組織に飲み込まれるか。
進むほど、空気が変わる。緊張感というより、重さだ。ここに住む人間全員が何かに縛られているような、そういう空気。嫌な雰囲気だ。
ドン。
肩に、衝撃が走った。
視線を戻すと、壁のような肩幅の男が立っていた。目立つ赤色のシャツを着ていて、露出した肌から刺青が見えている。
「おい、どこ見てんだ」
低い声だった。こちらを見ていない。視線はすでに別の方向を向いているが、腕だけが伸びてきて、俺の衿を掴んでいた。
「離してください」
「あ?」
にやりと笑う。その後ろにもう一人、同じような体格の男がいた。服装も全く一緒だ。
「こっちこいや」
引きずられた。路地の奥、建物の影が濃い場所だ。
格好が全く同じの人間が二人、明らかに組織に所属している。
こいつら、オブリゴ家の組織員か。
「奴隷が一人でこのへんをうろついてんのか」
「迷子か? 教えてやろうか、帰り道」
二人が左右を塞ぐ。袋小路で、壁を背負った。面倒な状況になってしまった。
(短剣はある。だが二人、ここで騒ぎを起こすのは……)
ここはオブリゴの縄張りだ。騒ぎになれば人が来る。
この都市にも法は存在するが、奴隷に有利に働くとは思えない。もしオブリゴ家相手に問題を起こしたら、俺を所有しているバイオン伯爵家がどういう扱いをするかは想像に難くない。
ただのチンピラに絡まれた以上に面倒な状況だなこれは。かといって、このまま黙ってやられて無事で済むとも思えない。
(どうするか――)
――その時だった。
影が落ちた。
音はなかった。ただ突然、頭上の光が遮られた。
次の瞬間。
ドォンッ――ドォンッ!!
衝撃音が二つ、ほぼ同時に鳴った。
両側にいた男たちの頭が、それぞれ壁に叩きつけられる。
何が起きたか分からなかった。
土煙が収まると、二人はそのまま崩れ落ちた。動かない。
中央に男が立っていた。
着地した直後なのか、膝がわずかに曲がっている。両足が地面についた瞬間を、俺は見ていなかった。ただ、頭上から落ちてきた何かが、二人を同時に沈めた。それだけが事実だ。
ハゲ頭。右目がない。全身に走る傷。左腕が、わずかに不自然な角度で下がっている。
「まさか……」
男はゆっくりと身を起こした。膝の土を払う。それだけだ。倒れた二人には目もくれない。
「――ボウズ」
こちらを見た。
ガドは口の端を少しだけ持ち上げ、にやりと笑った。
「元気そうじゃねえか」
◆
「――ガド、今までなにしてたんだ?」
「あぁ? オレぁ……」
それから、ガドはここ一週間ぐらいのことを語った。
都市の外の森に拠点を作った後、どうやって金を稼ぐか考えた時、彼は迷宮ではなく都市自体に目をつけたらしい。貴族や教会に商人、スラムを牛耳る組織と、あらゆる支配層がいるこの都市で、彼もいっちょ噛みしようと考えていたようだ。
そのため、まずはこの都市で金がどのように回っているか偵察をしに来た。貴族街は立ち入れないため、スラムから見回り、人脈等を作ろうとしている……と語った。
「お前さんはなにしてんだ」
「俺は……パーティを組んだ人がいるんだけど、ギルドで別れたあとなんとなくつけてたんだ」
「ストーカーかテメェ」
「ち、違うって」
「ふん。まあ俺もスラムを歩いてたらボウズを見かけたから、屋根伝いにつけてたんだけどな」
「見てたのかよ!!」
どうなってんだこのおっさんは。しかもこいつの移動経路、デフォルトで屋根なのか?
相変わらず只者じゃねえな。
「ガド、さっきは助かったよ」
「礼はいらねえ。ムカつくからぶっ飛ばしただけだ。あの組織、前から目をつけてた。やり口が気に入らねえ」
「……」
「弱い奴から搾り取る。そういうやり方だ。腹が立つぜ。まあ、俺には関係ねえ話だけどな」
ガドはそれ以上言わなかった。
やがて、狭い路地に続く道の前に着いた。
「確かシュリはこっちの方に歩いてたんだけど……」
「おいおい……この先は奴らの保護区だぜ」
「本当か? シュリのやつ、オブリゴ家の世話になってるのか」
二人で角から覗く。路地の先に、小さな建物が並んでいた。
住宅街、といった様子だ。住民は多そうだが、その中にオブリゴ家の組織員も点々としている。
その先、一つの小さな小屋の前でシュリが立っていた。
彼女の前に、太った男がいた。厚い金のネックレスをしている。一目でわかる、搾取する側の人間だ。幹部クラスだろうか。
「オイ、なにか話してるぞ」
「聞き取れないな……少し近づこう」
そのまま、建物伝いに影になるように移動していく。
組織員たちの目を避けながら、会話がなんとか聞き取れる距離まで近づけた。
「――今週分だ」
シュリが革袋を差し出している。
あれは、ギルドで受け取った報酬を入れてる物だ。何度も見たことがある。
「ふん」
男が中を覗いて、不満そうな顔をした。
「足りねえ」
「……先週と同じ額、入れた」
「先週の話なんかしてねえ。今週から上がったんだよ。二倍用意しろ」
「……」
「文句あるか」
シュリが黙っていた。
迷宮の報酬で受け取った銅貨は二十五枚。これは普通の市民が一週間働いて稼げるほどの額で、それなりのお金と言える。それでも足りないのか。
明らかに保護費の不当な釣り上げをされている。彼女はそういうのに屈するタイプとは思えない。普段の言動や行動から、彼女は芯のある強い人間なのは分かる。
それでも黙っているのはなぜだ。
その沈黙が何を意味するか、少しして分かった。
「おねえちゃん……」「だいじょうぶ……?」
建物の影から、小さな顔が二つのぞいていた。
幼い。七歳か八歳か。耳が尖っている。シュリと同じ、三角の耳だ。
家族、か? ここで暮らしている……つまり、人質か。
シュリは男からも、その子たちからも目を逸らさず、ただ黙って立っていた。
「……」
横でガドの気配が変わった。
声を出さずに、俺はガドを見た。
ガドの目が、子供たちのいる方向を見ていた。何も言わない。だが、その目の色が変わっていた。
男が手を伸ばし、シュリの革袋を奪い取ろうとした。
自然と、足が動いた。
そのとき。
「――待てや」
「ああ?」
ガドが路地に踏み込んだ。
男が振り返る。ガドの顔を見て、笑いかけた。しかし目が合った瞬間、その笑いが固まった。
ガドは何も言わなかった。ただ立っている。
それだけで十分だった。
男がじりじりと後退する。唾を飲む音がした。
「……あんた、ナニモンだよ」
「どうでもいいだろ。それより、その額で来週も来るなら、俺がいるかもしれねえ」
ガドが静かに言った。
男は何か言いたそうな顔をした。しかし何も言えず、踵を返した。
路地の奥に消える際、男は振り返って言った。
「てめぇら、ツラ覚えとくぜ」
その目は、その場にいる全員をばっちりと捉えていた。
男の足音が消えた後、俺は黙ったままのシュリに近づく。
「――シュリ」
「……!」
しばらく、誰も喋らなかった。
「……余計なこと」
シュリが言った。
フードを深く被り、目を伏せてて表情が見えない。
「お前の弟妹か、あれは」
ガドが聞く。
「……関係ない」
「そうか」
それ以上聞かなかった。
シュリがゆっくり振り返った。俺を見た。
「ユウト。なんで、ついてきた」
「……毎回急いで消えるのが気になって」
「……」
「迷惑だったか」
「……分からない」
その声に非難はなかった。ただ事実として言っている。
「あの男、上に報告するかも」
シュリが小さく言った。
その声は不安に満ちていた。なぜシュリがここで暮らしているか分からないが、この件がもし上の存在に耳に入ったら厄介事になるかもしれない。
「――問題ねえさ」
「え?」
ガドが語る。
「オブリゴの野郎どもは住民が"パンク"しねえように搾取し続ける。徴収額の釣り上げはアイツの独断だろう」
「どこでそんなの知ってくるんだよ」
「ちょいと情報屋の知り合いがいてな」
「じゃあ、大丈夫?」
「嬢ちゃんが心配してることにはならねえさ」
「……よかった」
俺はシュリに向き直った。
「シュリ、事情を話してほしいとは言わない。でも、知らないと動けないことがある」
「……」
「同じパーティなんだ。頼ってくれ」
「……いつか」
「それでいい」
シュリは少し間を置いた後、建物の方に目をやった。影に引っ込んでいた二つの顔が、またのぞいていた。
「……戻る」
シュリは建物の中に入っていった。扉の向こうで、小さな声が上がった。子供の声だ。シュリの声が、迷宮の中とは少しだけ違う温度で聞こえた。
◆
スラムを抜けながら、ガドが言った。
「面倒なことになったな、ボウズ」
「分かってる」
ガドの言ったことが事実だとしても、オブリゴ相手に問題を起こしたのは事実だろう。
上には伝わらないかもしれないが、あの幹部には認知されてしまった。
「あの組織、でかいぞ。お前らが太刀打ちできる相手じゃねえ」
「全面的にやりあうつもりはない」
「賢いじゃねえか」
ガドは腕を組んだ。しばらく黙った。
「……しばらく、ここらの様子をみてやる」
「手伝ってくれるのか」
「勘違いすんな。俺がやりたいからやるだけだ」
そっけない言い方だった。
でも、その目はさっきと変わらない。あの子供たちを見たときの目だ。
「ガド」
「なんだ」
「ありがとう」
ガドは舌打ちした。
別れ際、ガドが一言だけ付け加えた。
「オブリゴはな、教会と縄張りを分けてる。首を突っ込みすぎると、そっちからも圧がかかる。覚えておけ」
「分かった」
それだけ言って、ガドは路地の影に消えた。
◆
教会に着くと、ミナが駆け出してきた。
「おかえり! 遅かったじゃん」
「ごめんごめん。色々あった」
「怪我は?」
「今日はない」
「ほんとに?」
「ほんとに」
ミナが俺の腕を引っ張って確かめた。満足したように頷く。
アウレアが入口に立っていた。
「お疲れ様でした。……今日は少し遅かったですね」
「すみません。少し寄り道を」
「そうですか」
心配そうな目をした。それ以上は聞かなかった。
オブリゴとの問題を突き詰めると、アウレアさんも絡んでくるのだろうか。仮にそうなっても、できるだけ彼女には迷惑をかけたくない。
ミナを預かってくれた礼を言って、教会を後にする。
教会を出て、ミナと並んで歩く。この時間が、この世界で生きてて一番平和な時間かもしれないな。
「ユウト」
「なんだ」
「今日ね、光を手のひらに浮かべることができたよ」
「……光?」
「うん。小さいけど。アウレアさんに教えてもらって」
光を手に浮かべる……魔法か。
ミナには魔法の才能があったのか。
「アウレアさんに教えてもらってたのか、ひみつって」
「そう。怒った?」
「怒らないよ。……いつから」
「最初の日から」
初めて預けた日から、ミナは自分からアウレアに頼み込んでいたのだ。
(あのときの「私に――」か)
「何のために」
「ユウトと一緒に迷宮に行くために」
真顔で言った。
あまりの真剣なその表情に、一瞬言葉に詰まる。
「……それはまだ早い」
「分かってる。だからまず、お荷物にならないようにしてる」
ミナは明らかに覚悟を決めている。
迷宮は危険な場所だ。ミナを連れて行きたくない……でも、それは俺のわがままなのかもしれない。
ミナと並び立つ覚悟ができてないのは、俺の方なのかもしれない。
夜道を歩く。スラムの騒音が遠くなっていく。
今日一日のことが、頭の中で並んでいく。
シュリの弟妹の顔。ガドの目の色。徴収係が去っていく背中。ミナの決意。
解決したことは何もない。今日は少し、複雑な気分だ。
「ユウト、手」
「は?」
「暗いから、つないで歩こう」
「……そうだな」
差し出してきた手を、握った。
それでも、一人だったときよりは確実に。歩ける場所が増えてきている気がした。




