8話 物語は帰還からはじまる。
迷宮の帰り道は、想像より静かだった。
来た道を引き返す。既に罠を解除した通路を、今度は二人で歩く。
レギンがいなくなって、足音が減った。三人分だったリズムが二人分になっている。
先頭は変わらず俺だ。
来た道だからといって気は抜けない。迷宮が変化し続けるとはいえ、新たに罠が設置されている可能性はないが、魔物が移動している可能性は十分考えられる。
しばらく進んで、口を開いた。
「……レギンは、どうなるんだろう」
独り言のつもりだったが、後ろからシュリが答えた。
「迷い人、なるかも」
「迷い人?」
足を止めずに聞く。
「迷宮で希望を失った者がなる。気力を失くして、迷宮を徘徊するようになる」
「……その後は」
「闇に消える。ほとんどはそれで終わり」
「ほとんど、というのは」
「一部は魔物になる。最深部の番人になる者もいるとか」
淡々とした声だった。知識を並べるように、感情を乗せずに。
「レギンは、希望を失くした……のか」
「見た感じ」
シュリはそれだけ言った。
俺は前を向いたまま歩き続けた。
(あいつは今、迷宮のどこかをさまよっているのか)
あの目を思い出す。怒りでも悔しさでもない、暗くて複雑な感情の色。迷宮の呪いが増幅したとはいえ、あの感情はもともと奴の中にあったはずだ。
ギルドで声をかけられたときは嬉しかった。短い期間とはいえ、あいつの人となりはすぐ分かった。陽気なお調子者といった感じで、憎めないやつだった。
俺が、レギンをあの結末に追いやってしまったのか……。
「……気にしてる?」
シュリが珍しく、人の顔色を伺っている。
「まあ」
「私たちのせいじゃない。あいつが勝手に飲まれただけ」
「そう割り切れるものじゃ……」
「割り切らないと死ぬ」
彼女ははっきりと言う。
「レギン、ユウト殺すまで止まらなかった」
「それでも」
「君、死にたかったの?」
「そんなわけないだろ」
「でしょう。……助けられるの、自分だけ。他人助けたいなら、対価必要」
返す言葉が、なかった。
「君、優しいけど傲慢」
責める色はなかった。ただ事実として言うような、平坦な声だった。
しばらく歩いた。
「……どうして俺たちと組んだんだ」
「ん?」
「他人のことをそう見てるなら、一人で動けばいいじゃないか」
シュリが少し間を置いた。
「信用と利用は別。他人を信用すると死ぬので」
「……」
「一人では限界がある。それだけ」
それで話が終わった。
少し歩いてから、シュリが続けた。
「今日、収穫少なかった」
(この人は……)
先ほど背中を預け合っていた仲間を失った。それなのに「収穫が少なかった」という言葉が話の流れの中に出てくる。まるでそこに感情の置き場がないみたいに。
慣れているのか。それがこの世界の普通なのか。
(俺は、この価値観に慣れていけるのか)
答えは出なかった。
「……まだ迷宮の中だ。油断しないようにしよう」
自分に言い聞かせるように言った。
「……ん」
シュリが返事をした拍子に、フードのふちから何かが一瞬だけのぞいた。
尖った、三角の形をした何かが。暗くて確かめられなかった。
それ以降、おれたちは会話をすることなく、迷宮を歩き続けた。
◆
迷宮を出ると、外の光が目に刺さった。
昼を過ぎていた。太陽が傾いている。
衛兵が「生還者か」と言う。もう驚かなくなっている自分に気づく。
ギルドへ向かう。素材の換金のため。
シュリは並んで歩いた。フードを深くかぶったまま、こちらを見ない。二人の間に会話はなかった。
ギルドに着くと、セルナがカウンターにいた。
そちらに向かっていると、目があった。彼女はおれたちが二人しかいないところを見ると、少し目を伏せた。
「お帰りなさい。帰還したのはこれで全員ですか?」
「……はい」
「そうですか。レギンさんの情報を更新しておきますね」
そう言うと、セルナは気持ちを切り替えるように手を叩いた。
「今日の戦利品をお願いします」
「いくつかあるので……ここに出していいですか?」
「はい。こちらの布を敷いているところでお願いします」
素材を机に置く。革袋から順番に取り出す。
ブラッドラットの牙。毛皮の一部。リテルンは使える素材がないため、耳を切り落とせば討伐証として換金してもらえるらしい。
解体のほとんどはシュリがやってくれていた。俺も観察していたので、次からは協力できるだろう。
素材をひとしきり置くと、セルナが確認していく。
「……ブラッドラットの毛皮、状態が良いですね」
「そうなんですか」
「傷が少ない。仕留め方が綺麗だと素材の質が上がります。通常より少し高く取れますよ」
横でシュリが、わずかに動いた。
振り返ると、フードの下で目元が少し緩んでいた。ほんの一瞬だったが、確かに見えた。
「……思ったより、ある」
小さな声だった。思わず漏れた、というような。
すぐに無表情に戻った。
換金の数字が出た。
「合計で銅貨三十二枚です」
手のひらの上の銅貨を見る。軽い。
(借金は金貨二万枚)
金貨一枚は銀貨百枚。銀貨一枚は銅貨百枚。
金貨二万枚は……銅貨二億枚。今日稼いだのは銅貨十六枚。
数えるのをやめた。あまりにも馬鹿げていて、計算する気になれなかった。
それでも、今日よりうまくやれる日は来るはずだ。もっと奥まで潜れれば、稼ぎも変わる。
「明日も、よろしく」
シュリが言った。振り返ると、すでに踵を返していた。
「あ、ああ」
雑踏に消えていく背中を見る。
フードから、迷宮の中で一瞬見えたのと同じ三角の形がはみ出していた。今度は外の光の中で、はっきりと見えた。
尖った耳。人間のそれとは明らかに違う形だ。
(……獣人、か)
声をかける間もなく、シュリの姿が見えなくなった。
◆
スラムの教会に向かう。
孤児院の入り口から、子供たちの声がしていた。
扉をノックすると、アウレアが顔を出した。俺を見て安堵したように息を吐く。
「お帰りなさい。……怪我をされていますね」
腕の切り傷に目を向けていた。
「少し。大丈夫です」
「大丈夫ではないと思いますが……」
中に向かって声をかける。
「ミナ、お兄ちゃんが来ましたよ」
ミナを呼び捨てにしている。どうやらうまくやっているみたいだ。
しばらくして、足音が駆けてきた。
「――おかえり!」
ミナが飛び出してきた。
数時間離れただけなのによっぽど寂しかったのか、抱きついて離さない。
「はは……ただいま」
ミナは俺の腕の傷を見て、少し顔を曇らせた。
「……また怪我したの?」
「ちょっとだけ」
「毒じゃないよね?」
「ただの切り傷だ」
ミナは少し考えてから、アウレアを振り返った。
「アウレアさん、手当てお願いできる?」
「もちろんですよ」
アウレアの手のひらが傷口に触れる。柔らかな光が灯る。
「『キュア』」
傷が塞がっていく感触。痛みが引いていく。
「あ、ありがとうございます。何かお礼を……」
「いいえ、こちらこそ」
「え?」
アウレアは微笑んだ。
いただいてばかりで、なにかした記憶はないが。
「ミナが今日、よく手伝ってくれたので。よければ、一緒に夕食でもいかがですか」
「手伝い?」
見ると、ミナは少しだけ目を逸らした。
孤児院で何か仕事でもしていたのだろうか。
「色々と……ね」
それ以上は言わなかった。
◆
孤児院の食堂は、狭かった。
長い木のテーブルに、子供たちが並んで座っている。年齢はバラバラだ。小さい子は四、五歳ほど。大きい子は十歳を超えていそうだ。みんな多少汚れた顔をしている。服もくたびれている。でも目は生き生きとしていた。
「いただきまーす!」
誰かが言うと、全員がわあっと食べ始める。
野菜くずを煮込んだスープと黒パンだった。質素だ。けど、温かい。木でできたスプーンですくって口に入れる。
「……うまい」
思わず口から出た。
野菜の甘みがよくスープに出ていて、それと一緒に食べれば固い黒パンも美味しく食べられる。
「ふふっ。ミナが野菜を切ってくれたんですよ」
アウレアが言う。ミナが少し得意そうな顔をした。
「えへへ。うまいこと切れなかったんだけど」
「全然気にならないよ」
食べながら、子供たちを眺めた。
この子たちも、それぞれに事情があるんだろう。親を失くしたか、売られたか。誰一人として、ここに来たくてきた子はいないだろう。それでも、今この瞬間だけは、笑っている。
「今日はどうでしたか」
アウレアが聞いた。
一息つくと、今日あったことが頭をよぎっていく。
やっぱり、頭から離れないのはレギンのことだった。
「……色々ありました。うまくいかないことも」
「そうですか」
彼女はそれ以上聞かなかった。
隣で聞いているミナも、静かに食事を続けていた。
「明日も潜りますか」
「そうします。借金がありますから」
アウレアがかすかに表情を曇らせた。
心配してくれているのだろう。会って数日の他人なのに、迷惑もたくさんかけてしまっているな。
「ミナのことは心配しないでください。いつでも預かりますから」
「アウレアさん。本当にありがとうございます」
「いえいえ。私も、ミナがいると助かりますから」
会話が一区切りすると、様子を見ていた男の子が口を開いた。
「ねえねえ兄ちゃん、冒険者なんでしょ!!」
「おぉ、うん……そうだよ」
「すっげ~~!! なに倒してきたの? ドラゴン!?」
「いや、そんなやばいのは……」
「ねえねえ」「たからものあった?」「きかせてきかせて」「武器なに使ってるの?」
男の子が切り口になり、子どもたちの声が止まらなくなる。
段々と距離感が近くなり、囲まれる。グイグイと服を引っ張られ、身動きが取れない。
「あ、アウレアさん……助けて……」
「ふふっ……可愛いミナを置いていってるんですから、これぐらいは相手してもらわないと」
「ええ……」
「でしょう? ミナ」
アウレアさんが会話を振った先、当の本人は……。
「いや、私だけのお兄ちゃんにベタベタ触らないで」
不機嫌そうな顔をして、こっちを睨んでいた。
◆
孤児院を後にして帰路につく。
月明かり、街の喧騒から徐々に離れ静かになっていく。風が心地よい夜だ。
隣を歩くミナは、何か考えごとをしている。
「どうした」
「……なんでもない」
少し間があった。
「ユウト」
「なんだ」
「ちょっとずつでも、強くなれると思う?」
「……なれるだろ。人間は成長し続けるもんだ」
「そっか」
ミナは頷いた後、少し笑った。
「私も、ちょっとずつ強くなるから」
「……何の話だ」
「ひみつ」
確認しようとして、やめた。聞いても教えてくれないだろう。
「そうか。なら頼もしいな」
「うん。頼りにしてよね」
しばらくして納屋についたおれたちは、荷物を下ろしたりして一段落すると、寝る体制に入った。
藁の上に横になる。
今日起きたことが、頭の中でゆっくりと並んでいく。
リテルンの目。手放した短剣。レギンの暗い顔。シュリの冷たい言葉。収入、銅貨十六枚。
全部が重くて、でもひとつひとつを手放すことができなかった。きっと、これから忘れることのない記憶になっていく。
「おやすみ、ユウト」
「ああ、おやすみ」
目を閉じる。
生きているということを噛み締めながら、そっと意識を手放した。




