6話 物語は仲間からはじまる。
朝は静かだった。
目を開けると、ミナはすでに起きていた。
新しい服のまま眠ったからか、顔がいくらかすっきりして見える。
「おはよう」
「おはよう、ユウト」
昨日買い置いたパンを二つに分ける。固くなっている。
「かたいね」
「水と一緒に食べればマシになるよ」
「うーん……」
水を含ませながらかじる。ミナが難しい顔をしている。
「稼げるようになったら、毎朝焼き立てを食えるようになるさ」
「……ほんと? 約束してくれる?」
「うん、約束」
「じゃあ仕方ないね!」
あっさり納得した。こういうところが、この子の変なたくましさだ。
外が段々と騒がしくなる。スラムの朝の声が聞こえてくる……怒鳴り声。犬が吠える声。毎回同じ声がするんだけど、野良犬と喧嘩でもしてるのか。
「ユウト、今日から迷宮?」
まっすぐ聞いてくる。
「そうだな」
「……うん」
その「うん」が少し引っかかった。
泣きそうな顔をしているのに、それ以上は何も言わなかった。
(結局、あそこしか思いつかなかったな)
「ミナ。行く前に、寄るところがある」
◆
スラムの教会は、朝の光の中でも同じように静かだった。
ただ、この前訪れたときは気づかなかったものがある。
教会の横手に、小さな建物が続いていた。木造の質素な造りだ。その入口から、子供が何人か駆け出してくる。
「孤児院だな」
ミナが足を止めた。
中から子供たちの声が聞こえてくる。笑い声。仲良さそうに追いかけっこしている。
教会の扉をノックすると、銀髪のシスターが顔を出した。相変わらず浮世離れした美しさだ。
「……一昨日の方ですね」
彼女は俺を認識すると、少し目を見開いた。
「あのときは大変お世話になりました……。ユウトっていいます」
「ふふっ。アウレアと申します」
手を差し出すと、快く応えてくれた。
握手を交わした瞬間。体が産毛だつような感覚に襲われる。
なぜだろう。敵意を向けられているわけではない。ただ、体が本能的に怯えている。
味わったことのない感覚だ。彼女が治安の悪い場所でこんな活動を続けていられる理由が少し分かった気がする。
「あれからお変わりありませんか?」
「おかげさまで。むしろ以前よりも体が軽くなりました」
「それは良かったです。毒の後遺症もなさそうですね」
それから、俺の隣のミナを見て微笑んだ。
「一昨日の夜は暗くて、よく見えませんでしたね」
ミナは少しだけ首を縮めた。
「お願いがあって来ました」
事情を話すと、彼女の顔が真剣になった。
「今日から潜るんですね」
「はい」
「……この子を、ここに?」
「迷宮に連れて行くわけにはいかない。スラムに一人置いておくのも危険で……」
アウレアはしばらくミナを見た。
ミナはじっと、教会横の孤児院を見ていた。
「この子を預かってもらえませんか」
「構いませんよ……一緒においで」
シスターの声は柔らかかった。
「いやだ」
ミナがきっぱりと言った。
「ミナ……」
「いやだよ。置いていくのは、いやだ」
声が少し上ずっていた。唇を強く結んでいる。
「危ないから行けないのは分かってる。足手まといになるのも分かってる。でも、いやなの。どこにも行かないで欲しいの」
「……」
「ユウトまでいなくなったら……」
そこで止まった。
両親のことを思い出しているのかもしれない。言葉にしなかったが、その目がそう語っていた。
思えば、保護することになり一緒に暮らしているのに、ミナのことを何も知らない。
ミナが奴隷になった経緯はもちろん、両親が何をしているのか、彼女の好きなものや嫌いなものまで何もかも。
生活のためにも迷宮に行くのは欠かせない。互いを知る時間が必要なのに、その時間を作り出せる余裕もない。
ミナのことを知るためにも、俺は生きて帰らなければならない。
俺はしゃがんで、ミナと目線を合わせた。
「帰ってくるよ。必ず」
「……ほんとう?」
「約束する」
「また約束。ほんとうに絶対帰ってくる?」
「絶対だ」
ミナはしばらく俺の顔を見つめていた。
それから、ゆっくり息を吐いた。
「……分かった」
アウレアがミナの肩にそっと手を置いた。ミナはその手を振り払わなかった。
「行ってらっしゃい」
アウレアが俺に言った。
俺は一度だけ頷き、そのまま歩き出した。
背後でミナとアウレアが何か話しているのが分かった。足は止めなかった。
それでも、ミナの声の最初だけが届いた。
「アウレアさん。私に――」
◆
ギルドに着いたのは昼前だった。
昨日より人が多い。依頼板の前に冒険者が群れている。
しかし、俺が今するべきなのは依頼を受けることではない。それ以前の話で、迷宮に潜る仲間を探さなければならない。
軽く視線を動かすと、セルナは今日もカウンターにいた。
そちらへ向かう。
「――昨日の方ですね。今日はどうされましたか」
「パーティを組みたいんですが、手続きがあるんですよね?」
セルナは頷く。
「はい。同行者の募集登録をする前に、職業の登録が必要です」
「職業……講習で言っていたやつですか」
「迷宮内での役割を示すものですね。戦士、盗賊、魔法使い……募集のときに相手が確認するので、先に決めておく必要があります」
昨日の迷宮を思い返す。
罠で死んだ男。ブラッドラットの毒。ガドが先頭で索敵して全員を動かしていた。彼がいなければ、俺たちは迷宮に入って数分で全滅していた。
ガドの役割はここでいう『盗賊』だっただろう。
「……盗賊にします」
言葉が、自然に出た。
事前に考えていたわけじゃない。思い返した光景が、そのまま答えになった。
「理由を聞いてもいいですか」
「昨日の迷宮で、罠で死んだ人間を見ました。索敵と罠解除ができれば、余分に人が死なずに済む」
「……なるほど」
セルナは少し考えてから続けた。
「少し確認させてください」
カウンターの下から白く濁った小さな水晶玉を取り出した。
「これは……?」
「魔力の量を調べるものです。職業によっては魔力が関係するので、念のため」
差し出されたので手をかざしてみる。すると、玉が光り始めた。
だんだん明るくなる。
なぜか、明るくなり続ける。
「…………」
セルナの手が止まった。
玉を眺めたまま、しばらく動かなかった。
「……少し、いいですか」
カウンターから出てきて、玉を別の角度から確認している。
「どうかしましたか」
「この反応は……かなり珍しいです。魔力が多いのは確かなんですが、光り方が初めて確認されるものですね」
「……」
そう言われても魔力という存在を認知できていない俺にはよく分からなかった。
しかし、理由の心当たりは一つだけある。
それは転生してきた、ということ。それがどのように作用するのか分からないが、寒村で暮らしてきた貧民の『ユウト』の体に魔力が多いというのは考えにくい。
「何か問題がありますか」
「問題というより……これほどの魔力があるなら、魔法使いの方が向いているかもしれません」
「……魔法使いは死亡率が高いとか。講習で言っていましたよね」
「よく覚えていましたね。ただ適正で言えば魔法使い向きで……」
「今の段階で死亡率が最も高い職業を選ぶ理由はない。盗賊のままでいいです」
セルナはしばらく俺の顔を見た後、石版に記入し始めた。
「分かりました。『盗賊』として登録します。後から変更することも可能ですので、覚えておいてください」
「はい」
「ここに指を置いてください」
そう言うと、セルナは石板をこちらに向けて置いた。
指示された場所に指を置く。
「少しチクッとしますよ」
言われた瞬間、指先に何かが刺さるような感触。
見ると、置いた場所の先端から針が出ていた。俺の血液が針を通して石板を巡っていき、幾何学模様を刻んでいく。
やがて石板自体が光ったかと思うと、その現象は収まった。
「一種の契約魔法です。世界中のギルドに情報が登録されると共に、あなたはこれから『盗賊』として成長していくことになります」
「……傷がもう塞がってる」
「特殊な素材でできた針を使用していますから」
流石だ、異世界。
◆
職業が決まったあと、セルナに同行者募集の板を案内してもらった。
パーティは基本的には前衛、後衛にバランスよく分かれ、四人で組むのが理想であるという。
俺が選んだ盗賊は万能型だが、前衛として扱うのが基本のようだ。
板に貼られた募集文を読む。
読み書きができるのは、こういうときにありがたい。
「新人歓迎。即戦力のみ」……即戦力ではない。
「前衛二名。三層以上の経験者限定」……経験が足りない。
「後衛求む。報酬は山分け」……役割が違う。
しっくりくるものがなかった。
周辺にいる冒険者は仲間を探している奴らだろうし、直接声をかけてみるか。
近くで飲んでいた男に声をかけた。
「すみません。仲間を探しているんですが」
男は俺の首筋を見た瞬間に、ぷっと笑った。
「奴隷? 冗談だろ。失せろ」
視線をジョッキに戻した。
現代に生きていたこっちは暴言を言われると内心ズキッとするんだが。
めげずに、別の男に声をかける。
「一緒に潜る人を探しているんですが……」
男は少しだけ考える顔をした後、俺の全体を眺める。
「昨日今日の新人だろ。乳くさいのと組む義理はねぇよ」
「そうですか……」
その後も、声をかけ続けた。
「――ダメだ」
「理由だけ教えてもらえますか」
「奴隷は主人の命令でいつ抜けるか分からん。パーティに穴が開く」
合理的だ。実際にそうなるかもしれないし、反論できなかった。
「そうですか。ありがとうございます」
「礼を言うな、気持ち悪い」
四人目は、少し話を聞いてくれた。
「昨日今日で学んだからって迷宮に潜れるほど、ここは甘くねぇぞ」
「一昨日、潜りました」
「……一層か」
「はい」
「ならなおさら。一層で運よく生き残ったからって調子に乗るな。むしろ幸運だと思って、迷宮からは手を引くんだな」
それだけ言って立ち去った。
(そうか。当然だ)
落ち込む気にもなれなかった。見ず知らずの奴隷と一緒に死地に入りたいとは、誰も思わない。欲しいのは安心して背中を預けられる仲間。
迷宮に関して講習を受けたとはいえ、経験が圧倒的に足りていないのは事実だ。しかし、このままではその経験すら積むことができない。
掲示板に戻る。もう一度眺める。
(一人では迷宮は無理だ。でも、誰も組もうとしない)
「どうするか……」
「……俺、さっきから見てたんだけどさ」
ふと、後ろから声がした。
振り返ると、長椅子に足を投げ出して座っている男がいた。
二十歳前後か、短い金髪、日焼けした肌。体格が横にも縦にも大きい。見た目だけなら戦士という言葉が真っ先に浮かぶ。その目は、緊張感なくこちらを見ていた。
「何か?」
「俺もパーティ探してるんだけど……一緒に組まねえ?」
「いいんですか! でも、俺は奴隷で……」
「構わねえよ! あんなに断られても冷静だったな。そこが気に入った!」
男は人の良さそうな笑みを浮かべる。
「名前はなんですか?」
「レギン。戦士のEランクだ」
「ユウトです。盗賊で、昨日登録しました」
「昨日? 急いでんな」
「借金がある」
「奴隷だもんな。そうか」
それだけ言って立ち上がった。でかい。この世界の住人の中でも、恵まれた体をしている。
ずいっとこちらに手を伸ばしてくる。
「まあ、よろしくな! 口調崩していいぜ。奴隷だからって俺は気にしねえからよ」
「あ、ああ……よろしく、レギン」
握手すると、ブンブンと腕を振られる。
ずいぶんと陽気な仲間ができた。まあ、陰気だったり嫌な奴よりは全然いいけど。
「俺も一人だったからさ、他に人がいねえんだ。後衛を探しにいこうぜ!」
「おう」
二人で板に戻ったとき、レギンが端に貼られた一枚の紙を指差した。
「これ、ずっとあったけど誰も見てなかったな」
「Eランク。急ぎ、前衛を探しています。長期で組みたい。報酬は山分け」
「読めんのか? 奴隷なのに」
レギンがちらりとこちらを見た。
「ああ……たまたま学ぶ機会があってさ」
「ふーん……」
彼の目線が探るようなものに変わっていく。
とはいっても、俺もなぜ日本語として読めるのか分からないので、探られても困るんだが。
「セルナさんに頼んで、募集文を貼った人を呼んでみよう」
「そうだな!」
二人で受付へと戻り、事情を話した。
セルナは話を聞くと、少し表情を変えた。
「この方は……少し特殊な事情がありますね」
「問題があるってことですか?」
「いえ、そういうわけではないんですが……本人とお話してみるのが良いでしょう」
それだけ言って奥に消えた。
しばらく待った。
レギンが「腹減ったな」と言い始めたあたりで、ようやく人が現れた。
小柄だった。
緑の外套を纏い、フードを深くかぶっていて顔が半分しか見えない。腰に短弓と矢筒。背負い袋が大きい。長期の旅に出るような量だ。
「募集文を呼んだ方ですか」
女の声だった。
フードの下から切れ長の目がこちらを見た。鋭い目だ。声やその瞳の感じからして、年は二十前後か。レギンや俺と近そうだ。
その目が俺の首筋で止まった。
「……奴隷ですか」
「そうです。なにか問題がありますか」
少し間が空いた。
ただの間ではなかった。何かを測っているような、静けさだった。
「……いいえ」
答えたが、何かを飲み込んだような声だった。
「シュリといいます。弓兵です」
「ユウトです。盗賊」
「レギンだ。戦士。よろしく」
シュリはレギンの体格を見て、わずかに表情が緩んだ。
「前衛はあなたたちだけですか」
「盗賊の俺も前衛寄りに動きます。頼りないのは分かってますが……」
「……後衛一人で潜るよりはマシです」
「急ぎで前衛を探してるって言ってたけど、何を急いでるんだ?」
レギンが聞くと、シュリの目が一瞬細くなった。
「……急ぎで、金が必要なんです。それだけです」
「理由は」
「答える必要がありますか?」
「おいおい、それぐらい――」
「分かりました」
レギンを遮るようにして俺が返事した。
追及しないことにした。こちらにも言えないことはある。お互い様だ。
「よろしくお願いします」
シュリが軽く頭を下げた。
◆
三人で迷宮の入口に立つ。
昨日と同じ石門。昨日と同じ冷たい風。
だが今日は違う。ボロの服じゃない。自分で選んでここにいる。
「緊張してるか、ユウト」
レギンが聞く。
「少し」
「俺もだ」
「嘘ですよね」
「まあな。俺はもう何回か潜ってるし」
それだけ言った。笑わなかった。
シュリは無言だった。
矢を一本確認してから、弦に指をかける。
「行きましょう」
石門が開く。
昨日と同じ冷たい空気が吹き出してくる。湿ったカビの臭い。青白い苔の光。
(また来た)
胃の奥が冷えるような感覚がある。
それでも、足は前に出た。
「先頭は俺だ」
レギンが前に出ようとする。
「待って」
「……あ? なんで?」
少し不満そうな声だった。
「盗賊が先頭に立つ。罠を踏む前に見つけるのが仕事だから」
レギンは少しの間、こちらを見た。
「――そっか。分かったよ。期待してる」
その目は言葉通り、俺を見定めようとしている瞳だった。
短剣を抜き、先頭に立った。
暗闇の中、青白い光だけが道を照らしている。
一歩ずつ、前に進んだ。




