第二章 18話 予感。
迷宮都市、大聖堂。
白い石造りの祭壇の前に、二人の女性が向き合っていた。
一人は、銀の髪をした司教。もう一人は、白とも透明ともつかない色素の薄い髪をした、まだ幼さの残る少女だった。
「――我が祈りに応え、この者に清らかなる祝福を」
銀髪の司教が、聖水を少女の額に垂らす。
少女は目を閉じたまま、微動だにしなかった。
「主神の御名において、この者を聖女と認め、女神の恩寵をここに」
祭壇の蝋燭の炎が、わずかに揺れた。
儀式は、静かに進んでいった。祈りの言葉、聖水、香の煙。定められた手順が、一つずつ丁寧になぞられていく。
やがて、司教が最後の言葉を紡いだ。
「――以上をもって、洗礼の儀を終える」
少女が、ゆっくりと目を開けた。
「ありがとうございます、アウレア様」
少女は微笑んだ。作り物めいた、しかし完璧な角度の笑みだった。
「立派になられましたね、ルナーリア様」
「アウレア様のような立派な司教になれるよう、これからも精進いたします」
二人だけが残った祭壇の間に、静寂が満ちた。
少女――ルナーリアは、その微笑みを崩さないまま、口を開いた。
「アウレア様に、お伝えしたいことがございます」
「なんでしょう」
「お父様からの、伝言です」
銀髪の司教の表情は、変わらなかった。
「迷宮都市での、アウレア様の活動内容について。お父様は、大変お怒りでいらっしゃいます」
ルナーリアの声は、変わらず穏やかだった。
「スラムの民への施し。獣人への治療。教会の定めた通達に従わず、無償に近い形で医療行為を続けていること」
一つ一つを、丁寧に読み上げるように述べていく。
「教会の権威を軽んじる行いであると、お父様は仰っていました」
沈黙が続いた。
「……民を救うことは、女神の教えに背くのでしょうか」
アウレアが、静かに問うた。
「お父様は、そうは仰っていません」
ルナーリアが答える。
「ただ、正しい手順を踏まずに救うことが、女神教の秩序を乱すと。あなたの善意が、多くの司教の努力を無意味にしてしまうと」
「……」
「私は、ただの伝言役です。お父様の言葉を、そのままお伝えしているだけ」
ルナーリアは、また微笑んだ。
「アウレア様のご活動を、私は素晴らしいと思っております」
その言葉に、感情の色は見えなかった。
「ですが、これ以上続けられるようであれば――お父様は、次の手段をお考えになるかもしれません」
「次の手段、とは」
「私には分かりません。お父様のお考えは、私にも計り知れませんから」
ルナーリアは一礼した。
「本日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
そのまま、静かに祭壇の間を後にした。
残されたアウレアは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
蝋燭の炎が、揺れ続けていた。
◆
「――散れ!」
俺の声に合わせて、パーティが左右に分かれた。
目の前のゴブリンの群れが、統率を乱す。
背中の得物を抜く。あの日、騎士が握っていた大剣だ。
「――絞れ」
短く唱えると、刀身が淡く発光し、するすると形を変えていく。人の背丈ほどあった刀身が、扱いやすい長剣ほどの長さに収縮していった。
迷宮遺物。持ち主の魔力に応じて、姿を変えるらしい。大剣のままでは俺の体格に合わなかったが、こうすれば十分に振るえる。
変形した刃で、目の前の一体を薙ぎ払った。刃こぼれ一つない、綺麗な感触。
「その剣、まだ驚きだ」
戦闘の合間にジャコルが言った。
「剣闘士時代でも、見たこと、ない」
「迷宮の特産品だろうしな……」
レギンの遺物は、結局俺が持ち続けることにした。同じ剣を扱う前衛のジャコルは魔力が少なく、適正がなかった。
それに何より――これは、俺が受け取るべきもののような気がした。
「エルミラ、右!」
「言われなくても!」
その返事と共に、炎の槍が、逃げようとしたゴブリンを仕留めた。
連携は、以前よりずっと滑らかだった。この一週間、四人で潜り続けている。二層の探索も、少しずつ深いところまで進めるようになってきた。
戦闘が終わり、みんなで素材を回収する。
いつの間にか死体からの素材回収にも積極的になったエルミラを見て、感心する。
最初の頃はあんなに嫌がっていたのに、いつか、みんなで素材を剥ぎ取っている最中、もぞもぞと照れながら「私にも教えなさいっ!」なんて言い出したときは随分と驚いた。
「エルミラ……刃、入れるところ、違う」
「んんっ! 分かりづらいのよ!」
まだ慣れていないようで、教官のシュリにダメだしされているが。
(あの傲慢な姫様も随分と変わったものだ)
「今日はこのくらいにしとくか」
俺が言うと、全員が頷いた。
◆
地上に戻り、ギルドへ向かう道すがら、街の様子がいつもと違うことに気づいた。
人だかりができている。誰もが同じ方向を見ていた。
「なんだ、あれ?」
「……分からない」
俺と同じように、みんなも頭に疑問符を浮かべていた。
見ていると、通りの向こうに、白い装束の一団が見えた。統一された鎧を身につけた騎士たちと、その中央を歩く小柄な人影。
「あれは……」
「――『神聖騎士団』だ」
近くにいた冒険者の一人が言った。
その男は気さくに話を続ける。
「聖女様が、この街に来てるらしいぜ」
「聖女……」
その単語に、少し前に修道女から聞いた話を思い出した。
アウレアが教会を留守にしている理由の『洗礼の儀』の、当人か。
人だかりの向こうを見ようとしたが、すぐに一団は人混みに紛れて見えなくなった。
「関係ないでしょ、私たちには」
エルミラが素っ気なく言った。
「そうだな」
そう答えながらも、なぜか胸の奥に、小さな引っかかりが残った。
おれたちはその群衆から離れるようにして、ギルドへ向かった。
◆
ギルドに着くと、セルナが素材を確認しながら、ふと手を止めた。
「最近、依頼数が少し減っているんです」
「……聖女様が来たのと関係あるんですかね」
「かもしれません。街全体が、少し浮き足立っているというか……」
セルナの表情には、珍しく困惑の色があった。
換金・分配を終え、ギルドを出る。
夕暮れの通りを歩きながら、エルミラがぽつりと言った。
「うちの実家、代々熱心な信徒なのよね」
「そうなのか?」
「お父様なんて、聖女様がこの街にいらっしゃるって聞いて、朝からずっとそわそわしてたわ」
少し呆れたように言うエルミラ。
娘を迷宮に送る親なんてろくでもないと思っていたけど、意外と仲良さそうだな。この娘は図太いから心配していないということだろうか。最初の頃は迎えの馬車を毎回遣わせていたのに、エルミラが断ったようだし。
話を聞くに、エルミラの実家である『ボーライト家』は商家のようで。子どもたちの中で、エルミラは商売の才能がなかったようだが、魔法使いの才能はあったらしい。それで冒険者を目指したとかなんとか。
まぁ、この性格の娘だ。半分は厄介払いの意味も入ってそうだが。仲悪いわけではないようで安心した。
「エルミラの家って、そんなに信仰が篤いのか」
「篤いなんてもんじゃないわよ。うちの祖先、初代のボーライトその人は、女神教の教えを忠実に守った騎士だったらしいの。今でも家の中に、その人が使ってた聖典の写しが飾ってあるくらい」
エルミラは肩をすくめた。
「私は、そこまでじゃないけど」
そう事もなげに言う彼女は、本当に宗教のことはどうでもよさそうだ。
家の中のそういった事情を、彼女自身煙たがっているところもあるのだろうか。
「まあ、いいことだろ。信じるものがあるのは」
「あなたは、信じてないの?」
「……どうだろうな」
日本は無宗教だったしな……。
曖昧に濁すと、エルミラはそれ以上聞いてこなかった。
◆
仲間たちと別れた後、教会に着くと、扉の前に見慣れた人影があった。
この二人の組み合わせを見るのは結構久しぶりかもしれない。
「お兄ちゃん!」
「ユウトさん。おかえりなさい」
いつものように兄と呼ぶ可愛い声と、こちらを見て歓迎してくれる柔らかく優しい声。
夕焼けの光に照らされても、その銀髪は色を変えず輝いている。
「戻ってきたんですね。アウレアさん」
「ええ、先ほど」
「お兄ちゃんとほぼ同時だったよ」
アウレアは微笑んだ。
いつも通りの、優しい笑顔だった。
だが、どこかその笑顔に、ぎこちなさを感じた。
「アウレアさん、なんか元気ない?」
ミナも同じ事を感じたのか、子供らしい無邪気さそのままに聞く。
「……そうですか?」
するとアウレアは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「少し、疲れているだけですよ」
「ふーん……」
いつもの調子に戻って、笑う。
ミナは納得したのかしないのか、それ以上は追及しなかった。
しばらく世間話をした後、ミナが先に中へ入っていった。二人きりになったところで、アウレアが声を落とした。
「――ユウトさん。少し、お話ししたいことが」
その声の真剣さから、大事な話がはじまる予感がする。
先ほどのダラっとした雑談から雰囲気を変え、耳を傾ける。
「なんでしょうか」
「聖女様が、この街にいらしているのはお手紙でお話しましたよね?」
「ああ、はい。今日、その一団を遠目から見かけました」
「そうですか……その……聖女様が来られた理由ですが」
アウレアは、言葉を選ぶように続けた。
「女神教の禁忌に触れる者――神官でもないのに、治療や製薬を行っている者がいるという噂を、調査しに来られたそうです」
そのアウレアの言葉を聞いて、息が止まりそうになった。
(それは……)
「私も、詳しいことは分かりません。噂で聞いた話ですが……『神聖騎士団』と共に、『異端審問官』も、この都市に到着しているとか」
異端審問官。以前、ガドから聞いた言葉だ。
その言葉を口にしたとき、ガドは苦い顔をしていた。あのガドをして、そのような振る舞いをさせる相手は、相当厄介なのだろう。
「既に市井に紛れて調査を行っているかもしれません」
そう言うと彼女は少し目を伏せながら、続ける。
「ユウトさんの……その、お知り合いの方に、危害が及ぶかもしれません」
アウレアは、確信があって言っているわけではないようだった。断片的な噂を繋ぎ合わせて、それでも伝えないわけにはいかないと思ったのだろう。
教会の所属する立場でありながら、このような事を口にさせてしまっているという現状が、ただただ申し訳なかった。
「教えてくれて、ありがとうございます」
それだけ言うのが、精一杯だった。
頭の中でいろいろな考えがぐるぐると巡っている。
「お力になれることがあれば、いつでも言ってください」
アウレアの目に、本気の心配が浮かんでいた。
◆
夜、納屋に戻ってからも、頭の中でその言葉が回り続けていた。
(トリエさんのことだ)
間違いない。神官でもないのに治療を行っている者。それは、あの薬師のことだ。
明日にでも、彼女の元へ訪ねるべきだろうか。
得体のしれない嫌な予感が、ゾクゾクと脳裏をよぎり続ける。今まで感じたことのない、ねっとりとした闇が近づいてきている感覚。
「ユウト、難しい顔してる」
ミナが、隣で覗き込んできた。
この子はいつも俺の変化に敏感だな。俺以上に。
「……ちょっと、考え事」
「トリエさんのこと?」
図星を突かれて、少し驚いた。
「なんで分かったんだ?」
「なんとなく。アウレアさんと話してたことと関係あるの?」
「……そう、だな」
ミナは、少し不安そうな顔をした。
「大丈夫かな、トリエさん」
「……早めに、伝えに行った方がいいかもしれない」
「私も行っていい?」
そう聞いてくるミナ。
いままでなら断っていたその言葉に対して、今回はすぐに決断できた。
「頼む。ミナの力が必要になるかもしれない」
明日、真っ先に向かおう。
そう決めて、目を閉じた。
だが、その夜はなかなか、眠りが訪れなかった。




