17話 最初の物語の終わり。
鍛冶屋のカウンターに、短剣を置いた。
バイオン家から支給された、あの一本だ。刃こぼれもあるし、柄も何度か巻き直している。
元々貰ったときからボロボロだったものだ。まさかこの武器でここまで生き残るとは自分でも驚きだ。
その短剣が、最近さらに錆びついてきていてまともに切れなくなってきた。新しい武器に更新しようにも金が足りない。なら、なんとかこの短剣の寿命を伸ばそうというわけだ。
「研いでほしいんですが」
鍛冶屋の主人が手に取って、しげしげと眺めた。
その顔が、次第に驚きに変わっていく。
「……お前さん、二層まで潜ってるんだろ?」
「はい」
「こんな武器とも言えねえもんで戦ってたんか!?」
思わず苦笑いした。
確かに、ギルドで見かける同じランクの冒険者の武器と比べると心もとない。ジャコルの長剣なんかも鉄製のしっかりしたものだ。
「ご主人様からの支給品なので」
「そりゃあ、どうりで……」
主人は何かに納得したように頷いた。
「腕はいいって噂だぞ。早死にしないように武器は良いの使えよ」
「稼いだら、いずれ」
「ま、研いでやる。銅貨二枚でいい」
安く済んだ。今の懐事情には、ありがたい。
いずれ砥石を買って、自分で研ぐ技術を身に着けないといけない。
「新しいのが欲しくなったら、いつでも来い。値段は相談だ」
「ありがとうございます」
少し待って、研ぎ直された短剣を受け取った。刃先が、心なしか軽く感じた。
◆
ギルドに着くと、ジャコルがすでにいた。
昨日の私服のジャコルと見比べると、随分と冒険者に馴染んでいるように見える。
併設されている酒場で、朝から呑んでいる冒険者たちを遠目から観察していた。
「はやいな」
「いつも通りだ」
ジャコルらしい答えだった。
並び立ち、ジャコルと同じように酒場の冒険者たちを眺めていた。その間、一切会話は発生しなかったが、それが俺とジャコルの正しい関係性のように思えた。気まずいわけではない。単に、静かに過ごすのがお互いにとって楽なのだろう。
しばらくすると、見慣れた緑の外套の小さな人が入口に現れる。
シュリだ。彼女はそのままこちらに向かってきた。
「三人揃ったな」
そう思っていたところに、聞き覚えのある声がした。
「――あら、みんな揃ってるじゃない」
その声だけで、彼女がどんな人物か容易に想像できる。
「エルミラ。怪我は治ったんだな」
エルミラだった。仕立ての良い外套に身を包んでいる。
前回よりも、冒険者に寄せた格好をしている。
「セルナに用があっただけよ。あなたたちに会いに来たわけじゃないわ」
言い方はいつも通り高慢だったが、その頬はほんの少し赤らんでいる気がした。
朝のこの時間帯にいるのを考えると、偶然というわけでもないだろう。彼女らしい照れ隠しだ。
ここは俺が譲歩してやろう。
「せっかくだから、四人で潜らないか」
俺が言うと、エルミラが目を丸くした。
「……いいの?」
「一層の番人、まだ倒してないんだ」
「あの噂の……」
「エルミラがいると心強い」
シュリとジャコルも頷いた。
そんな俺らの様子を見て、だんだんと口元が緩んでいくエルミラ。
「――そ、そんなに求められたら仕方ないわね!?」
なんだか高笑いをし始めそうなほど喜んでいる。
実際、エルミラの火力はパーティに欲しい要素だ。多くの場合、迷宮で生死に関わるような場面は強敵との戦闘が多い。魔物の群れや、強力な単体の魔物。それらに対峙したときに頼れるのは、攻撃魔法を使える砲台役だろう。
前回の冒険で、エルミラはその砲台役に必要な部分をはっきりと示してみせた。
性格の方もまあ、なんとかなるだろう。
(扱いやすそうだし)
ついに高笑いを始めたエルミラを見て、思った。
「今日、やるか」
誰からともなく、そう決まった。
◆
迷宮に入り、深部へ向かう。
途中、リテルンとブラッドラットの混成の群れに遭遇した。以前より数が多い。十を超えていた。
「私がやるわ」
エルミラが前に出ようとして、止まった。
「――待った。ユウトの合図から」
自分で自分を制するように言った。
俺は少し驚いた。以前の彼女なら、迷わず飛び出していただろう。
「助かる」
短く言って、群れの動きを見た。
「右の壁際から回り込む。エルミラは中央に攻撃、ジャコルは正面から、シュリは左を頼む」
全員が頷いた。
俺の手を降る合図と同時に、動き出す。
エルミラの炎が中央を薙ぎ払う。狙いは正確で、味方を巻き込まない範囲に収まっていた。ジャコルが正面の数体を圧倒し、シュリの矢が背後に回った個体を的確に射抜く。
俺は左右の隙間を縫って、逃げようとする個体を仕留めていった。
数分もかからず、群れは沈黙した。
「……見違えたな」
思わず言った。
全員が見知った仲で協力的になるだけで、ここまで連携の質が上がるとは。
その中で最も活躍をしているのは間違いなくエルミラだ。味方を巻き込まないような範囲に制限した魔法にも関わらず、相手はその炎で全く身動きが取れなくなっていた。
おかげで、魔物からの反撃を恐れることなく追撃できた。
「当然でしょう」
エルミラは得意げに言ったが、その声には確かな手応えがにじんでいた。
この調子なら、いける。
冒険者の登竜門。第一層の最深部、その番人へ。
◆
おれたちは道中の素材回収もほどほどに、進行することを優先していた。
そのおかげもあって、あまり体力を消耗せずに目的の場所に辿り着いた。
目の前には、巨大な扉。
「ここが……?」
「番人の間」
エルミラの問いに、シュリが低い声で答える。
パーティに緊張感が走る。エルミラは分かりやすくビビっているが、シュリとジャコルも表情は変わらなくても、雰囲気がピリついている。
一番最初、この迷宮に潜ったときのことを思い出す。あの時はガドがいたし、番人のゴーレムも明確な攻略法が存在していた。
だが、迷宮の番人は毎回変わる。今回も同じゴーレムと限らないし、油断はできないだろう。
一層の番人を倒せば、おれたちは一端の冒険者として認められDランクへの昇級も近づく。
それに、番人は報酬を落とす。前回は大きな魔石だったが、場合によっては『迷宮遺物』と呼ばれる強力な魔道具を落とすこともある。
「準備はいいか?」
俺の問いに、みんなが頷く。
「行くぞ……」
扉に手をかける。重い。
力を込めると、ギギギと地面に擦れる音を立てながらゆっくりと開いていく。
「――――」
その先は、広い円形の部屋だった。天井が高く、壁一面に苔の光が灯っている。
中央に、それはいた。
全身を鎧に包んだ、大柄な騎士の姿。だが、首から上がなかった。
首の上には、ただ闇が渦巻いているだけだった。
右手には、大剣が握られている。刃渡りは俺の身長ほどもあった。
「――首無しの騎士」
ジャコルが呟いた。ギルドの書物で見た名前だ。一層の番人として、時折語られる存在。
騎士が、ゆっくりとこちらを向いた。首がないのに、確かにこちらを見ている気配があった。
一層や二層の魔物と比較しても、桁違いの存在感だ。
「行くぞ」
ジャコルが前に出る。
同時に、騎士が動いた。大剣を大きく振りかぶる。
(――あの、振りかぶり方)
どこかで見た動きだった。力任せで、隙が大きい。踏み込みが浅く、振り切った後の体勢を立て直すのに時間がかかる。
「……気をつけて」
シュリが言う。
彼女は、俺を見ていた。
「あの動き、知ってる」
その声に、確信があった。彼女も気づいている。
(やっぱり、そうなのか)
「――レギン」
「――ォォォ」
俺の言葉に返事をするかのように、その騎士は駆け出した。
◆
戦闘が始まった。
ジャコルが大剣を受け止める。重い金属音と共に、地面に亀裂が走った。
「――重い」
ジャコルが呻くように言う。
押せず押されず。火花を散らしながら、拮抗状態を作り出す。
「ジャコル、退きなさいッ!」
エルミラが叫び、ジャコルはすぐさま反応して飛んだ。
「『火玉』」
その杖の先、見えない何かが集まるようにして圧を増す。
それは直径三十センチほどの大きさになる。弾かれるようにして、放たれた。
すぐ後、エルミラの炎が騎士の肩に着弾する。鎧が焼け焦げるが、動きは止まらない。
(効いてるのか効いてないのか)
俺は騎士の脚元に回り込み、短剣で腱の位置を狙った。硬い金属の音がして、浅い傷しかつかない。
(弱点は、どこだ)
「――ォォォオオオ!」
騎士が咆哮した。声帯などないはずなのに、確かに音があった。
人の声とも、獣の声ともつかない、歪んだ音。
その音の中に、一瞬だけ、聞き覚えのある響きが混じった。
「――お、レ、ヨ、リぃ……」
全身の血が冷えた。
(俺より、優れてるのか――)
レギンが最後に叫んだ言葉だ。
「……レギン」
シュリが小さく、名前を呼んだ。
彼女も、あの日一緒にいた。
あの粗野な動き、人懐っこい笑顔。彼の面影が。
その瞬間だった。
俺が立ち止まったその瞬間。
「――――オオオォォォッ!!」
騎士の動きが、急に加速した。
狙いを定めたのは、エルミラだった。
(まずい……!)
「――ッ!」
エルミラが咄嗟に杖を構えるが、間に合わない。
騎士の左腕が、エルミラの体を掴んだ。そのまま、締め上げるように力を込める。
「ぐ、ぁ……!」
悲鳴が響いた。
「エルミラ!」
ジャコルが駆け寄ろうとするが、騎士の大剣がそれを阻む。
シュリが矢を放つが、騎士はエルミラを盾にするように体の位置を変えていた。狙える角度が、ほとんどない。
(――このままだと、殺される)
頭の中が、一気に冷えていく。
あの日と同じ感覚だった。ミナの足を掴んだ女の腕に、短剣を突き立てたときと。
考えるな。今は、考えるな。なにもかも。
視線が一点に絞られる。騎士の腕の関節、エルミラの体との間、わずかな隙間。
狙いを外せば、エルミラの腕ごと切り裂く。
「動くな、エルミラ!」
叫びながら、駆け出していた。
研ぎ直したばかりの短剣を、逆手に持ち替える。手に馴染んだ感触が、いつもより頼もしかった。
跳んだ。
騎士の腕の関節、その一点だけを見据えて。
「――ッ!」
切っ先が、狙い通りの場所に吸い込まれた。
金属が断たれる感触。騎士の腕から、力が抜けた。
着地してすぐ、そのまま腕に向かって切り上げる。
騎士の腕が飛ぶ。
「ォォォ!」
「――っはぁ……はぁ……」
エルミラの体が、地面に落ちる。
ジャコルがすかさず駆け寄り、抱きかかえるようにして騎士から引き離した。
騎士が、片腕を失ったまま、こちらを見た。
首はない。それでも、こちらを見ている気配だけは、変わらなかった。
(レギン……)
躊躇っている暇はなかった。
「――終わらせる」
騎士が最後の力を振り絞るように、大剣を振り上げた。
その動きに、見覚えがあった。
その一撃を、体を沈めて避ける。
がら空きになった胴に、短剣を突き入れた。
深く。迷わず。
騎士の体が、大きく痙攣した。
それから、徐々に力を失っていく。突き立てる短剣の上に、一粒の砂が落ちた。
見れば、崩れていくその体が、徐々に砂のように分解されていく。鎧の隙間から、灰色の何かが、光の粒子となって空気に溶けていく。
「――ユ、う、ト……」
「……」
それから、何もかもが、光の粒子となって消えていった。
最後に残ったのは、地面に落ちた大剣だけだった。
◆
部屋に静寂が戻った。
誰も、しばらく口を開かなかった。それぞれの息づかいが聞こえてくる。
やがて、最初に口を開いたのはエルミラだった。
「――やった。私たち、番人を倒したわ!!」
その声を聞いて、体から緊張が抜けていく。
すると、視界の端、エルミラがこちらに駆けてくるのが見えた。
「やった! やったわよ~~!!」
「お、おい、ちょっとまっ――」
そのまま突っ込んでくるエルミラを受け止める。
大興奮の彼女が力強く抱きしめてくる。困ったな。この感覚はあれに近い。大型犬に絡まれているときの、あの感じに。
「ユウト! 私たち、倒したのよっ!!」
「あ、ああ。分かったから、落ち着けよ……」
「なによ! 私たち、ついに……って……」
目の前にあるエルミラの瞳。
宝石みたいなその綺麗な赤い瞳を見ていると、彼女の頬がその瞳と同じような赤色に染まっていく。
「――な、なに抱きついてんのよっ!!」
バシン、という音と共に頬に痛みが走る。
(こっちのセリフ――)
体が地面に倒れゆく最中、呆れた様子でこちらを見る他の仲間たちの表情がやけに目に焼き付いた。
◆
「だ、だいたいね。奴隷の分際で私の体に触れれたということを、ありがたいと思って――」
「……」
ヒリヒリとする頬を感じながら、いまだに言い訳を続けるエルミラを放置して、あの騎士が落とした大剣に近づいた。
持ち上げようとして、驚いた。見た目の大きさに反して、思ったより軽い。
刃を見ると、いくつか小さな刃こぼれがあった。ジャコルと何合か打ち合ったときにできた傷だろう。
その時、体に一瞬重みが走る。
「うお、なんだ……?」
違和感と同時に周囲を警戒するが、特に変わった様子はない。
変わったのは、その剣だった。
刃にできたデコボコの傷。それが、見ているうちにゆっくりと塞がっていく。
「……直った?」
シュリが覗き込んで言った。
「魔力で修復してるみたいね」
いつの間にか近くに来ていたエルミラが言う。
(さっきの違和感はそれか……)
先ほどの重力が一瞬増したようなあの感覚は、体から魔力を持っていかれたときのものだった。
俺の魔力は人より多いらしいから、その違和感に気づきづらかったのだろう。
迷宮遺物。ギルドの書物で読んだ、人智を超えた品々のことを思い出す。
この大剣も、迷宮遺物の一つだろう。
(お前が、最後に残したものか)
言葉にはしなかった。
ただ、静かに、その剣を担いだ。
◆
部屋の奥、新たな扉が開いていた。
その奥に、二層へと続く大階段と、横には転移門が見える。
「今日は、ここまでにしよう」
俺が言うと、全員が頷いた。
一層の番人を倒したことで、おれたちの冒険はまた変わっていくだろう。
この剣をどうするか。二層にどう挑むか。それは、また次の機会に考えればいい。
「行くぞ」
その扉を四人で通る。
並び立つ仲間たちは、立派な冒険者の顔になっていた。




