幕間 ミナの一日。
朝の光が、納屋の隙間から差し込んでいた。
ミナは薄目を開けて、隣で眠るユウトの寝顔を見た。
(今日も行っちゃうんだなぁ)
分かっている。仕方がないことだ。でも、毎朝この瞬間だけは、少しだけ胸が締め付けられる。
ユウトの体がモゾモゾと動き始めると、ミナは慌てて目を閉じて寝ているふりをする。
「ふぁ……」
ユウトが起きて上体を起こす。そのままの状態でしばらくボーッとしている。
その間もミナは内心、ニヤニヤしながら寝てるふりを続ける。
「……ミナ……朝だぞ」
ユウトがミナの肩を優しく揺する。
大好きな兄に起こされたミナは、すぐに笑顔を作った。
「――おはよう、お兄ちゃん」
いつも通りの朝が始まる。
◆
「行ってらっしゃい」
教会の前で、ユウトの背中を見送る。
振り返らずに歩いていくその背中を見るたび、ミナは同じことを思う。
(絶対に、帰ってきてね)
声には出さない。もう何度も言った言葉だ。言いすぎると、彼が困った顔をするから。
教会の扉が閉まると、ミナは一つ息を吐いて、中に入った。
朝の礼拝の時間になると、孤児院の子どもたちが列を作る。
祭壇の前に並び、女神への祈りの言葉を唱える。小さな声が重なって、聖歌のようになる。
ミナはその列に並ばない。
部屋の隅で、静かにその様子を眺めているだけだ。
―――――
「――ミナちゃんは、お祈りしないの?」
小さな女の子が、不思議そうに聞いてきたことがあった。
「私は、他に祈る相手がいるから」
そう答えると、女の子は納得したのかしないのか、それ以上は聞いてこなかった。
本当のことを言えば、ミナは誰にも祈っていない。信仰対象が、女神ではないというだけだ。
(ミナが信じてるのは、ユウトだけ)
女神が本当にいるのかどうかも分からない。ここにいる子どもたちは信じているようだけれど、ミナには実感がなかった。
困っているとき、助けてくれたのはユウトだった。飢えていたとき、そばにいてくれたのもユウトだった。
だから、ミナが信仰するものがあるとすれば、それはユウトだけだ。
―――――
(だからかな。見てるとなんだか虚しくなってくる)
新しく来た修道女が、ミナの様子に気づいて、小さく頷いた。
「アウレア様から伺っています。あなたは、無理に加わらなくていいですからね」
優しい声だった。それ以上は何も聞かれなかった。
教会には悪評がつきまとっているが、アウレアが管理するこの教会は本当に甘い。本当なら強制されることだろうから。
(アウレアさん、優しすぎるよ)
そう言う言葉とは裏腹に、ミナは少し安心していた。
◆
礼拝が終わると、子どもたちは思い思いに過ごし始める。読書をする子、黙想をする子、庭で遊ぶ子。
「ミナちゃん、一緒に遊ぼ!」
小さな子どもたちに手を引かれて、庭に出た。
鬼ごっこをしたり、石を積んで遊んだり。
この子たちのことは好きだった。信じているものが違っても、一緒に笑うことはできる。
遊んでいる間、ミナは自分が以前のように子どもに戻っているような気がした。
しばらく遊んだ後、ミナは一人、裏庭に向かった。
子どもでいるのは楽しい。けど、ミナは早く大人になりたいのだ。
これからが、今日の本番だ。
◆
裏庭の隅に、小さな植木鉢が置いてある。
中には、まだ小さな双葉が二枚だけ生えた苗があった。
アウレアに教わった修行だ。名前は『植属判定法』。テラの導き、と読むらしい。
生きている者ならば、誰もが持っている魔力。
その魔力には属性があるという。大きく分けて五つになる。
火、水、土、光、闇。人によって得意な属性が違う。それを、植物を与えて育てることで見極めるという方法だ。属性によって苗の成長方法などが変わる。
これを日々続けることで魔力を枯らし、身体の中にある魔力の器を大きくしていく。また、自然と魔力に属性を付加することによって、その属性との親和性を高めていく。
ミナは膝をついて、苗と向き合った。
(今日こそ)
両手を苗の周りにかざす。
目を閉じる。体の奥にある、あの水のような感覚を探る。
見つけたら、そっと動かす。急いではいけない。ゆっくり、丁寧に。アウレアの言葉を思い出しながら。
あまりにもじれったいその感覚に、自分の腕をもぎ取りたい衝動に駆られる。けど、集中を乱してはいけない。意識しなくなった途端、それは蒸発するようにして霧散してしまう。
それを腕伝いに指の先端まで満たしていく。
すると、手のひらが、じんわりと熱くなる。
目を開けると、苗の葉先がわずかに震えていた。
(変化してる……!)
昨日は、これだけで力尽きた。今日はもう少し粘れそうだ。
さらに集中を続ける。額に汗がにじむ。指先が少し痺れてきた。
それでも、止めなかった。
魔力の操作は想像力が重要。自分の中で、明確なイメージを作るのが大事とアウレアは言っていた。
ミナは自身の中で、そのイメージを確実に掴んでいた。
しばらくすると、頭の中に小さな石ころを積み上げるような感覚があった。数えている。その石が積み重なり、やがて目標の苗へと届く。そんなイメージを、繰り返し描いていく。
(あと少し)
十八個目。手のひらの熱が、少しだけ形を持った気がした。
十九個目。苗の葉が、ほんの少し色を変えた。
(――!)
二十回目。
苗の葉先に、小さな光が灯った。
葉の緑が、一瞬だけ淡く発光したように見えた。すると、ありえないことに、葉っぱの先から小さな蕾が生えた。
ミナは目を見開いたまま、しばらく動けなかった。
「……咲いた」
声が震えた。
(これって……光属性ってこと?)
アウレアの説明を思い出す。光属性は、通常なら咲かないはずの花を咲かせることがあるという。まだ花には程遠いが、確かに何かが起きた。
嬉しさよりも先に、めまいが襲ってきた。地面に手をついて、しばらく息を整える。
(もっと、もっと練習しないと)
膝が笑っている。それでも、心は満たされていた。
「すごい」
声がして顔を上げると、さっきの女の子が、いつの間にか裏庭の入口からこちらを見ていた。
「ミナちゃん、今の見た! 葉っぱが光ってた!」
「……見てたの」
「うん! すごい、すごい!」
無邪気にはしゃぐ声に、ミナは思わず笑ってしまった。
誰かに見られていた。それだけで、なんだか報われた気がした。
◆
午後、少し休んでからもう一度植木鉢に向き合った。
今度は石を数えるのをやめて、ただ集中した。
(これができたら、ユウトの役に立てるかな)
頭に浮かぶのは、いつもその考えだった。
冒険者パーティに加わりたい。守られるだけの存在でいたくない。危険な迷宮に、少しでも力になれる自分で行きたい。
それがどれだけ難しいことか、分かっている。だから、こうして誰も見ていないところで、地道に積み重ねるしかない。
(一人で抱え込まなくていいって、言われても)
ユウトはいつも、ミナを守ろうとする。それは嬉しい。胸がキュンキュンするほどに。でも、それだけじゃ嫌だった。
ミナも、ユウトを守れる存在になりたかった。
(だって、ユウトにもキュンキュンしてほしいもん)
その日は、結局三十回近く挑戦して、光ったのは最初の一回だけだった。それでも、確かな手応えがあった。
◆
夕方、教会の前で待っていると、遠くに見慣れた人影が見えた。
「――おかえり!」
思わず駆け出す。
ユウトの顔を見た瞬間、今日一日のことが全部、頭から吹き飛んだ。
そのまま飛びついた。目、鼻、口から吸引するお兄ちゃん成分が脳に染み渡り、ミナは幸せに浸る。
「――おかえり、ユウト」
もう一度言った。
言うたびに、実感する。
(今日も、ちゃんと帰ってきてくれた)
「ただいま……えっと、ミナ……いつも言ってるけどさ」
「ん?」
「噛みつくのはやめてくれよな……」
「やら!!」
そう、口からも成分を補給しないと。
ミナは今日も、ユウトのお腹に甘噛をした。




