16話 お買い物。
「今日は休みだ~!」
朝、井戸で水浴びを終えたミナが大きな声を出す。
「今日はずっと一緒だね!」
「ああ。久しぶりにゆっくりしたいところだけど……」
言いながら、藁の感触を思い出す。背中がまだ少し痒い。
いよいよあの感触ともお別れの日だ。
「今日は買い物に行くぞ」
「買い物!」
ミナの声が跳ねた。
◆
まず、教会に顔を出すことにした。ミナを預ける必要はないが、挨拶ぐらいはしておきたい。
扉を叩くと、出てきたのは見慣れない顔だった。
若い修道女だ。アウレアより少し年上に見える。
「あの、アウレアさんは」
「アウレア様でしたら、しばらく留守にされています」
修道女は丁寧に頭を下げた。
人当たりの良さそうな人だ。
「留守? 珍しいですね」
「この都市に来られる聖女様の『洗礼の儀』があり、大聖堂に呼ばれておられます。しばらくお戻りになりません」
聖女、という単語に少し引っかかったが、詳しく聞く空気でもなかった。
「アウレア様から言伝を預かっております」
修道女が懐から折りたたまれた紙を取り出し、読み上げた。
「――しばらく留守にします。ミナのことは変わらず気にかけてください。ユウトさんも、無理をしないように。戻ったらまたお話ししましょう」
それだけだった。
相変わらず心遣いのできる人だ。それだけのことに手紙を残してくれるとは。
「分かりました。ありがとうございます」
「アウレアさんに会いたかったのに」
ミナが少し残念そうに言った。
魔法について学び始めてから、アウレアとミナは仲良しだ。まるで姉妹のように見えるときもある。
「戻ってくるって書いてあったろ」
「うん……残念だけど」
それ以上は言わなかった。
◆
教会を出て、商人街へ向かった。
目的は決まっている。まず寝具だ。
「うわぁ……」
布団屋に入ると、ミナが目を輝かせた。
綿の入った布団がいくつも並んでいる。触ってみると、藁とは比べ物にならない柔らかさだった。
ミナも触って、満足そうな声を上げる。
「これください」
「早いな」
「これでいいでしょ」
二人分の布団を選び、店主に代金を払う。銅貨数十枚。安くはないが、払えない額でもなかった。
「これで、あの藁ともお別れだ」
「ちょっと名残惜しいけどね」
「全然惜しくない」
ミナがくすくす笑った。
◆
次に向かったのは、雑貨を扱う店だった。
棚を見て回る。鍋、皿、燭台、それから小さな魔道具のようなものも並んでいた。
「これは?」
ミナが指差したのは、小さな赤い石がはめ込まれた燭台だった。
「魔石を使った火種石です。息を吹きかければ火が灯りますよ」
店主が説明してくれた。
息を吹きかけるだけで反応するのか。とても便利そうだ。
「お高いんですか」
「これは下級の魔石を使ってますから、銅貨五十枚ほどです。上級の魔石を使ったものは、こちらの……」
店主が奥から別の燭台を持ってきた。精巧な装飾が施されている。先ほどの魔石と比べると、大きさや輝きが段違いだった。綺麗に加工もされている。
「そちらは銀貨十枚です」
二十倍近い差だった。
(同じ用途でも、使う魔石の質でここまで変わるのか)
迷宮で拾う魔石の価値を、また別の角度で実感した。
俺たちが持ち帰る小さな魔石一つが、こうして誰かの生活道具になっている。
「下級のでいいです」
「毎度」
火種石を購入した。
ついでに小さな戸棚も一つ買った。持ち物を入れておく場所がなかったのだ。
すると、ミナが店の隅で何かを見ていた。
「どうした」
「これ……」
小さな布の巾着だった。刺繍が施されている。
ありふれた品だが、ミナはじっと見つめていた。
「欲しいのか」
「……いいの?」
「お前の金でもあるだろ」
ミナが少し驚いた顔をした。
これまで、ミナが何かを「欲しい」と自分から言うことは少なかった。必要なものは俺が決めて買ってきた。彼女自身が選んで、自分のものとして持つ。それが、彼女にとってどれほど久しぶりのことか、想像するだけで少し胸が痛んだ。
「じゃあ、これにする」
小さな呟き。その顔は明るかった。
◆
雑貨屋を出ると、少し歩いた先に小さな広場があった。
商人街の喧騒から外れた場所だ。石畳の隙間から草が伸び、端の方には花壇のようなものが作られている。都市の中でも、こういう場所があるとは思わなかった。
「きれいな場所だね」
「そうだな」
「だれかいるよ」
ミナが声を上げた。
花壇の前にしゃがみ込んでいる人影があった。
その人影には見覚えがあった。つい昨日、その背中を眺めていたのだ。
「……ジャコル?」
声をかけると、その人影がゆっくり顔を上げた。
いつもの装備とは違う格好だった。革鎧ではなく、布を巻きつけるような簡素で民族的な衣装。肩や腕が大きく露出している。
その肌に、幾つもの傷跡があった。切り傷、火傷の痕、何かで抉れたような跡。数え切れないほどだ。
一瞬、言葉を失った。
「……珍しい格好だな」
なんとかそれだけ言った。
彼もこちらを認識すると、顔を少し和らげる。
「私服だ。動きにくいのは、着ない」
ジャコルは手にした本に視線を戻した。ページの端が擦り切れている。
本か。なんとなくジャコルには似合わないな。それにしても本は結構高価なはずだけど……。
「だれ?」
「昨日、一緒に迷宮に潜った」
小声で聞いてくるミナに答える。
ふーん、と言いつつ、ミナはジャコルに近づいていく。
「何を読んでるの?」
ミナが横から覗き込んだ。
初対面のはずなのに、相変わらず人を恐れない子だ。
ジャコルもまた、ミナの距離の詰め方に反応せず、素直に本を見せながら答える。
「花の、名前」
本には、色とりどりの花の絵と、文字が並んでいた。
「これは」
ジャコルが花壇の一輪を指差した。小さな白い花だ。
「……分からない。まだ、探してる」
「載ってないの?」
「この本には、ない。別の本を、探す」
地道な作業だ。だが、その顔には確かな熱があった。
意外な一面だ。ジャコルは迷宮でも感情を見せたりせず、何を考えているか分からなかった。まさか花の名前を覚えているとは。
「ジャコルさんって、花が好きなの?」
ミナが無邪気に聞いた。
「好きだ。知らないこと、多いから」
短い答えだったが、その言葉には実感がこもっていた。
「昔は、知る暇、なかった」
ジャコルが自分の腕の傷跡に、ちらりと目を落とした。
「これ、剣闘士のとき」
あっさりとした言い方だった。
夥しい数の切り傷。それの正体は、剣闘士として活動していたときについたものだったのか。
「剣闘士……」
その単語に、色々な想像が浮かんだ。だが、詳しく聞いていいものか分からなかった。
しかし、ジャコルは止まることなく続ける。
「見世物で、戦っていた。ずっと」
ジャコルは傷跡を指でなぞった。
その動作から、彼が昔を思い出しているのが伝わってくる。
「花の名前、知らなかった。空の色も、あまり見なかった」
それだけ言うと、また本に視線を戻した。
「今は、自由だ」
「……そっか」
「その本、面白い?」
ミナが聞くと、ジャコルは少し考えてから頷いた。
「面白い。世界、広い」
ミナはジャコルの隣にしゃがみ込んで、一緒に花を覗き込んだ。
「これは、なんて花?」
「……分からない」
「一緒に探そうよ」
ジャコルは意外そうにミナを見た。それから、小さく頷いた。
「……ありがとう」
二人が並んで本をめくる様子を、少し離れて眺めていた。
あれだけの傷を負いながら、今は花の名前を探している。なんとも不器用なその姿が、彼の人間性を物語っている気がした。
「ユウトも、見る?」
ミナに呼ばれて、俺も花壇の前にしゃがみ込んだ。
しばらくの間、三人で本をめくりながら、名前の分からない花を探し続けた。
◆
ジャコルと別れてから歩いていると、鍛冶屋の前を通りかかった。
店先に並んでいるのは、見覚えのある形の武具だ。以前も通った店だろう。
「あれ……」
店の奥、作業場から金属を打つ音が響いている。その手前の台の上に、狼の毛皮らしきものが積まれていた。
「あの毛皮、この前の……?」
思わず呟いた。
鍛冶屋の主人が顔を上げた。
「ん? おう、レッサーウルフの毛皮だ。防具の裏地に使うといい断熱材になる」
「なるほど……そういう使い方か」
「冒険者か? 最近、二層の素材がよくギルドから流れてくるようになったな」
俺たちが持ち帰った素材の一部も、こうして誰かの手に渡り、誰かの防具になっているのだろう。
(俺の装備も、そろそろ見直した方がいいかもしれないな)
支給された短剣は、もう随分と使い込んでいる。元々がボロだったものだし、稼ぎが増えてきた今なら、少しは投資できるはずだ。
「今度、装備の相談に来てもいいですか」
「おう、いつでも来い」
鍛冶屋の主人は気さくに笑った。
◆
昼を過ぎ、ギルドに寄ることにした。
目的の一つは、酒場に置いてある書物だ。以前セルナに教えてもらってから、時々読みに来ていた。
棚には、迷宮の生態記録や、周辺国の地理、簡単な魔法理論の入門書などが並んでいる。難しい内容もあるが、読み書きができる分、他の冒険者より理解は早い方だと思う。
「今日はどれ読むの?」
ミナが隣に座って聞いてきた。
「これだ」
地図が載った本を開く。迷宮都市を中心に、周辺の国々が描かれている。
エルトラ諸国同盟。中小の国々が集まってできた同盟だ。その中心に、この迷宮都市がある。
さらに世界大陸の地図を見ると、同盟の外側に大きな領域があった。
「アレウス帝国……」
そう記された国は、地図上では同盟の何倍もの広さがある。
この世界で最も大きな国だろう。以前、軽く読んだ歴史によると、他の国を侵略することで領土を広げていったそうだ。
「でかいね」
「ああ」
その帝国と拮抗するために、この同盟は迷宮都市の資源に頼っている。そういう構図らしい。
迷宮都市自体は同盟に所属していながらも、独立している珍しい地域だ。国と呼べる規模ではないものの、その特殊性から一定の地位と安全が担保されている。
(俺たちが稼いでいる金貨や素材も、巡り巡ってこの都市や同盟国の力になっている)
実感の湧かない話だった。だが、少しずつ、この世界の輪郭が見えてくる。
今までは朧げだったものがはっきりと見えるようになって、今自分がいる場所をしっかりと認識できるようになっていく。
こうやって知識を積み重ねていくのは嫌いではない。
「――兄ちゃん、また来てたのか」
声をかけられて顔を上げると、以前見かけたことのある冒険者だった。ギルドの酒場で何度か顔を合わせた男だ。
「お邪魔してます」
「奴隷のくせに勉強熱心だな」
言い方は雑だが、以前のような刺々しさはなかった。
一瞬ミナが不穏な気配を放ったが、向こうの好意的な雰囲気を察してか大人しくなる。
「二層まで潜ったんだってな。ジャコルの野郎から聞いたぞ」
「ご存知でしたか」
ジャコルのことを知っているのか。まあ、目立つもんな……。
「あの寡黙な奴が珍しく喋ってた。よっぽど気に入ったんだろうよ」
男はニヤリと笑って、向かいの椅子に座った。
この調子だとここで飲み食いを始めそうだ。ミナもいるし、場所を変えるか……。
そう思って席を立とうとした矢先、男が喋りだす。
「なあ、迷宮の魔物の生態、詳しく知りたいなら教えてやろうか」
それは、少し前なら考えられなかった申し出だった。
俺もある程度、認められてきているということだろうか。
「お願いします」
男が語り始めた話に、ミナも興味深そうに耳を傾けていた。
◆
夕方、荷物を抱えて納屋に戻った。
布団を敷き、戸棚を置く。それだけで、部屋の雰囲気がずいぶん変わった。
その横に燭台を置いて、先端の魔法石に息を吹きかけると、小さな明かりが灯る。
今まで月明かりだけしかなかった部屋に、暖かな光が生まれた。
「わぁ……いい部屋になった」
ミナが布団に飛び込んだ。
ボフンと沈み込み、猫のような鳴き声を出す。
「行儀悪いぞ」
「気持ちいいんだもん」
俺も隣に腰を下ろした。藁のときとは比べ物にならない座り心地だった。
これなら気持ちよく眠れそうだ。
布団から起き上がったミナが、買った巾着を大事そうに戸棚の隅に置いた。
「今日、色々買えてよかったな」
「うん」
ミナがこちらを見た。
「ねえ、ユウト」
「なんだ」
「今日、初めて自分で選んで買い物した気がする」
「そうか」
「うん。……嬉しかった」
小さな声だった。だが、確かな重みのある言葉だった。
俺は何も言わなかった。ただ、その言葉を、大事に受け取った。
◆
夜、新しい布団に横になる。
柔らかい。今までの藁が嘘のようだった。
外はだんだんと肌寒くなっている。この世界にも季節はあるようで、これから冬が訪れる。暖かくして眠れるということが、ありがたい。
「……ん」
もぞもぞと、ミナが寝返りをうつ。
「……二人分買った意味ないな」
せっかく二人分の布団があるのに、寝るときになって結局ミナは俺の布団に潜ってきてしまった。
まだ一人で眠るのは寂しいのだろう。最近大人っぽくなったように見えて、まだ子どもの部分も残っている。
今日一日のことを思い返すと、色んな事があった。
何よりも嬉しいのは、自分がこの世界で生きているという実感が生まれたことだ。
この都市は、思っていたよりずっと大きな仕組みの中で動いている。俺たちの稼いだ小さな魔石一つが、遠く離れた国同士の均衡にまで繋がっている。
(俺はまだ、その仕組みのほんの一部しか見えていない)
それでも、少しずつ見えてくるものがある。
「おやすみ、ミナ……」
目を閉じる。
柔らかい布団の感触の中、眠りはすぐにやってきた。




