15話 物語は紡がれた。
レッサーウルフは二層では最も厄介な相手とされている。
奴らは基本的に群れでいるし、単体でも一層二層の魔物の中ではトップクラスの危険度を持つ。さらに嗅覚が鋭いため、奇襲をする、逃げるという選択肢が取りづらいというのも、その危険度に拍車をかけているだろう。
「任せろ。二人は、下がって」
そういうジャコルの声に、迷いはなかった。
言われた通り、シュリと共に数歩下がる。エルミラの重みが背中にある。今の俺にできることは少ない。
(ジャコル……大丈夫か……)
見守るしかない状況の中、その勇ましい背中に一抹の不安を覚える。
確かにジャコルの優秀さは今日の探索である程度は分かっているが、彼の実力の全てを見たわけではない。それに、この数に対峙するのは万全の俺とシュリですら厳しいだろう。
両者が対峙する。ジャコルの背中の筋肉が盛り上がるのが分かる。
数瞬の間の後、狼が一斉に飛びかかった。
「グァアアッ!」
先頭の一体が、ジャコルの右腕に食らいついた。牙が肉に沈む音がする。
「ジャコル!」
「……」
思わず声を荒げる。
だが、ジャコルの表情は動かなかった。
次の瞬間。
ジャコルは噛みつかれたままの右腕を、そのまま壁に叩きつけた。
「――ッ!」
狼の頭蓋が、鈍い音を立てて潰れた。
自分の腕ごと、だ。痛みなど存在しないかのような動きだった。
俺は言葉を失った。
(人間の反応じゃない)
残った狼が二体、左右から挟むように迫る。ジャコルは剣を逆手に持ち替え、片方の喉元を薙いだ。返す刀でもう一体の脚を斬りつける。倒れた狼の首に、迷わず切っ先を落とした。
残るは二体。
一体がシュリに向かって走った。
「――っ!」
シュリが矢を放つ。眉間を正確に射抜いた。狼はそのまま倒れて動かなくなった。
最後の一体が、ジャコルに突進する。
ジャコルは避けなかった。剣を構えたまま、真正面から受け止めた。噛みつこうとした狼の顎を、剣の腹で押し返す。体勢を崩したところに、袈裟懸けの一撃。
五体、全て沈黙した。
(つ、強い……!)
その背中は、勇猛さを語る。
表情も変えずに剣の血を払う彼のその姿は、まさに鬼神だった。
◆
「……大丈夫か、その腕」
ジャコルの右腕は血まみれだった。噛み跡が深い。
「平気だ」
「平気には見えないって」
「痛みには、慣れてる」
いつも通りの、簡潔な答えだ。
「止血する」
シュリが横から来て、背負い袋から包帯を取り出す。
そのままジャコルの腕を取ると、グルグルと圧迫しながら巻いていく。
「感謝する」
その間も、彼の表情は変わることはない。
(凄まじい戦士だ)
俺は自分の背中を確認した。
(……エルミラ)
気づくと、薄く目が開いていた。
◆
ジャコルが休憩し、シュリが狼たちの素材を回収している。
周囲を警戒しながらそれを見ていると、背中に眠る姫は、その目を完全に開いた。
「……ここは」
かすれた声。
ギルドでの高慢な甲高い声はどこへやら。深窓の令嬢のようなか細さだ。
「二層。お前が落ちた場所の近くだ」
「私……助かったの」
「みんなのおかげだ」
「……」
エルミラはしばらく黙っていた。
その後、ジャコルとシュリの二人と目を合わせる。それから、俺の背中に頭を預けるようにして、小さく呟いた。
「……ありがとう」
珍しく、素直な言葉だった。
あまりにも似合わないその言葉に、若干の笑いが込み上げてくる。
「もう無茶するなよ」
「……分かってるわよ」
そう言いつつ、背中に回した腕に力がこもった。ぎゅっと、しがみつくような強さだった。
「あの、さ」
「なんだ」
「私を、背負って、助けに来てくれたのよね」
「シュリとジャコルもだ」
「でも、決めたのはあなたでしょう」
まあ、仮にもパーティの進行を決める役割だ。否定はできなかった。
とはいえ、なんと言えば良いのか分からないため返事に困っていると、彼女は続けた。
「……ありがとう。本当に」
声が少し震えていた。安堵からか、それとも別の何かからか。
命の危険に陥った状況から助かった。それだけ衝撃的だったのだろう。迷宮でパーティとはぐれた人の扱いは彼女も知っていただろうし、誰だってこうなるだろうな。
「ユウトって、意外といい人なのね」
「意外は余計だ」
エルミラが小さく笑った。背中越しにその振動が伝わってきた。
(迷宮のせいか? 感情が増幅されるっていう)
彼女の態度が明らかに軟化している。
単純に死にかけた後の反動か。判断がつかなかった。ただ、背中の重みと体温が、いつもより近く感じられた。
「みんなも、ありがとう。助けてくれて」
「……」
「……いや」
シュリは何も答えず。ジャコルは短く答えただけだった。この二人はどこか似ているな。
その顔にわずかに照れくささのようなものが浮かんでいた気がしたが、確かめる余裕はなかった。
「ん! 素材の回収、完了」
「よし……後は帰るだけだ。慎重に行こう」
二層の出口は近い。一層まで抜ければかなり安全になる。
仲間の無事の確認もできたおれたちの足取りは、行きよりも確かに軽くなっていた。
◆
地上へ戻る道のりは、比較的静かだった。
二層への階段まで戻り、そのまま一層を抜けて、迷宮の外へ出た。
「……ふぅ」
迷宮から出て、身体の緊張が抜ける。
光が目に染みる。地上の空気は清々しい。生きて帰ったおれたちを祝福してるかのように。
「生還者か」「怪我人がいるな」
衛兵の声にも、もう慣れた。
彼らは門番で、それ以上のことはしてくれない。
「太陽の光って、こんなに眩しいものだったのね……」
エルミラが心の内をそのままにして語る。
「あぁ……冒険者をやると、より一層そう思うよな」
俺の言葉にシュリがウンウンと頷いている。
それほど、迷宮内が異常な空間だということを改めて実感する。
「ねえ、ギルドへ向かってくれるかしら。迎えが来るはずなのよ」
「はいはい。迎えなんて大層なご身分なんだな」
エルミラは足を怪我しているため、俺が引き続き背負ったままだった。
みんなを連れ立って歩き出すと、背中のかかる重みが増す。首筋に呼吸の息が当たる。体重をかけてきたようだ。
「重くないの」
「今更聞くのかよ」
「重いなら言いなさいよ」
「重くない」
「そう」
満足そうな声だった。
◆
ギルドに着くと、セルナがすぐに気づいた。
「皆さん、ご無事で……!」
安堵した顔だった。それから、俺の背中のエルミラを見て、少し驚いた表情になった。
「エルミラさん、お怪我を」
「足を折っただけ。大したことないわ」
エルミラが答えた。声にはいつもの強がりが戻っていた。
シュリが素材を並べ始めると、セルナの手が止まった。
「これは……二層の素材ですね」
「色々あって」
「詳しい話は後で伺いますが……」
セルナが素材を確認していく。狼の牙、爪、毛皮。蝙蝠の羽。査定が進むにつれ、彼女の表情がわずかに変わっていった。
「合計で、銀貨二枚と銅貨十二枚になります」
思わず、シュリと顔を見合わせた。
一層の探索では、平均で銅貨三十枚ほど。今回はその七倍以上だ。
「……二層は、こんなに稼げるのか」
「実用的な素材が落ちますから。ですがその分、危険も比例します」
セルナが釘を刺すように言った。分かってはいる。
今日、エルミラを助けに行くあのとき。あと一歩遅ければどうなっていたか。想像に難くない。
◆
しばらくして、ギルドの入口に馬車が停まった。
降りてきたのは、上品な身なりの女性の使用人だった。エルミラの家の者らしい。
「お嬢様! お怪我を……!」
「……遅い」
エルミラが小さく悪態をついた。だが、その顔にはどこか安堵も見えた。
その使用人は、大事なお嬢様が奴隷の身分の俺に背負われているのを確認すると睨みつけてくる。
「そこの奴隷……その方は大変高貴な身分の方であらせられる。今すぐに下賤なその手を――」
「アデラ。このユウトは私の命の恩人よ。大事に扱いなさい」
「――か、かしこまりました。申し訳ありませんでした。ユウト様」
下賤。この。呼び捨て。こいつら散々だな。
「ふふん。感謝しなさいユウト」
「何に?」
「お嬢様。教会の手配は済んでおります。すぐに参りましょう」
教会、という言葉に、少し引っかかった。
一瞬、スラムのアウレアの教会が思い浮かぶが、流石にあそこではないだろうな。エルミラが貧民街に足を運ぶ姿は想像できない。
背負ったエルミラをゆっくりと地面に下ろしながら、聞いてみる。
「その教会はどこにあるんだ?」
「うちが懇意にしているのは、貴族街の大聖堂。ちゃんとした治療が受けられるところよ」
治療費も含めて、家の力が及ぶ範囲ということなのだろう。
俺やシュリが頼れる教会とは、そもそも違う場所だ。
地面に降ろし、一瞬肩を貸しながら使用人の元へとエルミラを連れて行く。
その後、馬車から出てきた複数の使用人に支えられながら、エルミラが担架のようなものに乗せられる。
「じゃあ、行くわ」
「ああ」
「その……また、会えたら会いましょう」
歯切れの悪い言い方だった。
彼女なりに勇気を出した言葉なんだろうな。
「機会があれば」
「き、機会は作るものよ!」
そう言い残して、エルミラは馬車に乗せられていった。
◆
馬車が見えなくなると、シュリが小さく息を吐いた。
「……疲れた」
「今日だけの約束だったはずだよな?」
シュリが頷いた。
「また会うかもな」
「……分からない」
それだけ言って、シュリはいつもの調子に戻った。
「今日は帰る。明日は休みにして」
「ああ、お疲れ」
シュリが背を向けて歩き出す。
残ったジャコルが、俺を見た。
「また、組むか」
短い問いだった。
「ジャコルさえよければ」
「……悪くなかった」
それだけ言って、彼も背を向けた。
「……俺も帰るか」
スラム街の方へと足を向けて、歩き出した。
◆
教会に着くと、ミナが飛び出してきた。
「おかえり! ……なにその怪我」
ジャコルの噛み跡ほどではないが、俺の腕にも小さな切り傷ができていた。
「今日はちょっと大変だったんだ」
「ちゃんと話して」
「話すよ。約束したしな」
ミナが少し嬉しそうな顔をした。
アウレアが出てきて、俺たちを見た。
「お疲れ様でした。……今日はいつもと様子が違いますね」
「色々あって」
それだけ言うと、彼女は微笑んだ。
「無事で何よりです」
◆
夜、納屋に帰ってミナと一緒に横になる。
この瞬間だけだ。唯一、この世界で心が安らぐ。
「ミナ。明日、冒険は休みにしたんだ。それで、街に買い物に行かないか?」
「買い物? 何買うの?」
視界いっぱいにミナの顔。
覗き込むようにこちらを見てくるミナの顔を苦笑しながら手でどけると、ミナも笑った。
「そろそろこの寝床ともお別れしようと思って。それに家に色々と必要な物を置きたいんだ」
「ええ! 確かに寝心地は悪いけど……お兄ちゃんとの思い出のお布団ともお別れかぁ」
「全然名残り惜しくないな」
そのチクチクを背中に感じながら、一刻も早く別れたいと再度決心する。
今日の出来事を振り返る。
二層に足を踏み入れた。まだ怖い場所だ。でも、行けないわけじゃない。ジャコルが固定の仲間になってくれたら大きな戦力だ。それにエルミラも。あの魔法の火力は凄まじい。パーティに足りない圧倒的な火力になる。性格には難ありだが、うまくやっていけそうな気もする。
(少しずつ、前に進んでる)
「おやすみ、ユウト」
「ああ、おやすみ」
目を閉じる。
今日は、いつもより早く眠りが来た。




