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第9話 攻撃力を99%下げるという意味

 夜明け直後、レクスは王国騎士団第三大隊の一隊とともに、北の旧監視塔へ向かっていた。


 同行しているのは副長ローディスを含む騎士八名。それに、昨夜まで六十三人の兵士を診ていた老呪術師ガレンと、王都から派遣されていた宮廷魔術師の一人、アデルという三十代ほどの男だった。


 アデルは出発してからというもの、やたらとレクスの右手を見ている。


「何か付いているか?」


「いえ。そういう意味ではありません」


「なら、どうして何度も見る?」


「気になりますよ。昨夜、私はあなたが施術するところを遠くから何度か見ましたが、術式陣も魔力光もほとんど発生していなかった。それでいて、私たちが五日かけても解析できなかった寄生呪詛の隠蔽性能が一瞬で落ちたんです」


 アデルは馬を並べながら、少し興奮気味に続けた。


「宮廷魔術院では、弱体術を数値化して評価します。筋力を一割下げられれば実用級。二割なら高位。三割以上ともなれば、対象との相性や長い準備が必要になるのが普通です」


「それはベルンでも聞いた」


「では、なぜ昨日の報告書に『九十九パーセント程度』などと平然と書けたんです?」


「実際、それくらい落としているからだ」


「そこなんです!」


 急に声が大きくなり、前を歩いていた騎士が振り返った。


 アデルは咳払いして少し声量を落とす。


「失礼。しかし、九十九パーセントという数字を簡単に口にしてほしくない。もし本当に正しいなら、それは『かなり強く弱らせる』という程度の話ではないんですよ」


「どういうことだ?」


 レクスが尋ねると、アデルは今度こそ馬上で固まった。


「……本当に分かっていないんですか?」


「何が?」


「あなた、自分で使っている術でしょう」


「使えることと、他の人間の基準を知っていることは別だろう」


 それはレクスにとって、ごく当然の話だった。


 勇者パーティでは、敵を弱らせること自体が仕事だった。


 もっと落とせと言われれば落とす。効きが悪ければ抵抗力から削る。倒しやすくなるまで調整する。


 それだけだったので、「普通なら何割」という基準を真面目に調べたことがなかった。


 アデルは何か言い返そうとしたものの、最終的には額へ手を当てた。


「監視塔に着いたら、計測させてください」


「何を?」


「あなたの弱体術です」


「構わないが、今は呪詛の原因を調べる方が先だぞ」


「もちろんです。ですが対象が見つかったなら、その時こそ正確に測りたい。私が持っている魔力量計なら、術式前後の変化をかなり細かく記録できます」


 レクスは頷いた。


「好きにしてくれ」


 その返事を聞いたアデルの顔が、妙に嬉しそうになった。


「おい、レクス」


 反対側からガレンが馬を寄せてくる。


「あまり気軽に許可するでないぞ。その男は昨夜から、お主の術式を論文にしたくて仕方がない顔をしておる」


「論文?」


「誤解です、ガレン殿。私は純粋な学術的興味から――」


「同じ意味じゃ」


「名前を勝手に載せなければ別にいい」


「そこを気にするのか、お主は」


 朝の冷えた街道に、騎士たちの笑い声が少しだけ広がった。


 昨日までは重症者が次々に増え、誰も冗談を口にできなかったのだろう。


 それを思えば、悪くない朝だった。


     ◇


 旧監視塔は、砦から北へ一刻半ほど進んだ丘の上にあった。


 灰色の石を積み上げた塔は半ば崩れ、上階の一部には蔦が絡みついている。十年前に放棄されたという話にも納得できる荒れ方だった。


 だが、近づくにつれてレクスは眉を寄せた。


「止まってくれ」


 先頭のローディスが即座に手を上げる。


 騎士たちが足を止めた。


「何かありますか?」


「塔の中じゃない。ここからもう薄く広がってる」


「呪詛が?」


「ああ」


 レクスは地面へ視線を落とした。


 土の下を、細い糸のような魔力が走っている。


 昨夜患者たちの中にいた寄生呪詛と同質だ。


 ただし、こちらはまだ宿主へ入り込む前の状態らしい。


「踏んだだけで感染するのか?」


 ローディスが険しい顔をする。


「今のところ、それほど簡単ではないと思う。もしそうなら、前回の調査隊だけじゃなく周辺の獣まで全部やられているはずだ」


「では、何が条件に?」


「それを調べる」


 レクスはしゃがみ込み、土へ手を近づけた。


 触れない。


 ただ、地下へ潜っている魔力の流れだけを追う。


「塔の下だな」


「やはり祭壇か」


「たぶん」


 一行は慎重に監視塔へ入った。


 中は埃っぽく、古い木材と湿気の匂いが混じっている。崩れた机や割れた瓶が残され、十年もの間、誰も手入れしていなかったことがよく分かった。


 地下へ続く階段だけが、不自然なほど新しかった。


「以前からこうだったのですか?」


 アデルが尋ねると、ローディスは首を振った。


「前回の調査報告でも記されていました。階段自体は古いが、埃がほとんどなかった、と」


「誰かが使っている」


 レクスが言った。


 その一言で騎士たちが武器を抜いた。


 地下へ降りるほど、空気が重くなる。


 階段の先にあった部屋は、監視塔の規模には似つかわしくないほど広かった。


 中央に黒い石の祭壇がある。


 周囲には円形に溝が刻まれ、その溝から細い黒煙のような魔力が立ち上っていた。


「これか……」


 ガレンが杖を握り直す。


「昨夜の寄生呪詛と同じ気配じゃ」


「近づくな」


 レクスが止めた。


 祭壇の表面に、何かがある。


 一見すると黒一色だが、魔力を通して見ると、幾重もの術式が重なっていた。


 人間へ寄生するための呪い。


 増殖。


 魔力吸収。


 精神干渉。


 そして何より厄介なのが、一定量の魔力を吸い上げると、それを別の場所へ送る構造だ。


「これは病気を広げるための術式じゃない」


「何だと?」


 ローディスが聞く。


「兵士たちを殺すことが目的なら、もっと単純な呪いでいい。わざわざ生かしながら少しずつ魔力を吸う必要がない」


 レクスは祭壇へ目を凝らした。


「集めてるんだ」


「何を?」


「人間の魔力と生命力を」


 室内の空気が冷えた気がした。


 アデルが祭壇へ計測器を向ける。


「確かに……地下深くへ伸びる魔力線があります。ですが、この方向は国境の外ですよ」


「誰かが、この祭壇を餌場として使っているんだろう」


「そんな……」


 ローディスの顔が険しくなる。


「つまり砦の兵士たちは、偶然呪われたのではなく、何者かに狙われた?」


「そこまでは分からない。ただ、仕掛けた奴がいるのは間違いない」


 その時だった。


 黒い祭壇が脈打った。


 一度。


 二度。


 低い振動が地下室全体へ広がる。


「下がれ!」


 レクスが叫ぶ。


 祭壇から黒い霧が一気に噴き出した。


 霧は床を這うのではなく、明確に人間を狙って伸びてくる。


「結界!」


 アデルが防御魔法を展開した。


 透明な壁が黒霧を受け止める。


 だが、触れた部分から結界が黒く染まり始めた。


「侵食される! 長くは持ちません!」


「ガレン、解除は?」


「無理じゃ! 術式の核が祭壇そのものに埋め込まれておる!」


「なら」


 レクスは祭壇へ右手を向けた。


「弱らせる」


 アデルが振り返る。


「待ってください!」


「どうした?」


「今です! 計測します!」


「……この状況で?」


「この状況だからです!」


 必死すぎる顔だった。


 レクスは少し呆れたが、止める理由もない。


「好きにしろ」


 アデルは片手で結界を維持しながら、もう片方で銀色の測定板を床へ置いた。


「対象魔力強度、基準値一二八〇〇……防御術式出力九七〇〇……精神干渉強度八六〇〇……」


「数字を聞いても俺には分からないぞ」


「あとで説明します。術を!」


「分かった」


 レクスは意識を祭壇だけへ集中した。


 敵意は明確だった。


 こちらを侵食し、魔力を奪おうとしている。


 なら、対象にできる。


「《深淵呪詛》」


 黒霧が揺れた。


 祭壇を支える術式へ干渉する。


 魔力出力を落とす。


 防御を落とす。


 呪詛抵抗を落とす。


 侵食速度を落とす。


 増殖能力を落とす。


 転送効率を落とす。


 そして最後に、術式そのものの維持力を落とす。


「アデル?」


 レクスが呼ぶ。


 返事がない。


 横を見ると、宮廷魔術師は計測板を凝視していた。


「どうした?」


「……一二八」


「何が?」


「対象魔力強度です」


「さっき一万以上あっただろ」


「一二八です」


 アデルの声が震えた。


 何度か測定板を叩き、術式を再起動する。


「壊れたのか?」


「違います。正常です。防御術式九十七。精神干渉八十六。全部……全部、ちょうど百分の一前後まで落ちている」


「だから九十九パーセントくらいだと言っただろ」


「そういう話ではありません!」


 今までで一番大きな声だった。


 アデルはレクスを見る。


「あなた、本当に意味が分かっていないんですか?」


「だから何の意味だ」


「攻撃力が百ある敵を一にする、という意味ですよ!」


 アデルは興奮のあまり、結界を張っていることすら忘れかけていた。


「たとえば、普通の騎士が一撃で百の威力を出すとします。その百を十パーセント削って九十にする。それだけでも、致命傷を重傷へ変えられる可能性がある。二十パーセントなら八十です。十分、戦況を左右する!」


「ああ」


「では、九十九パーセントは?」


「一になる」


「そうです!」


 アデルは祭壇を指さした。


「一万二千八百の魔力を持つ術式を、百二十八にしている! これは『強い敵を弱くする』のではありません。脅威として成立するための強さそのものを、ほぼ全部奪っているんです!」


 ガレンが苦笑する。


「ようやく数字になったのう」


「笑い事ではありませんよ!」


 アデルはもはや止まらない。


「しかも複数能力へ同時付与! 抵抗を削った上からさらに弱体化を重ねる! こんな術式、宮廷魔術院の理論上ですら成立していません!」


「でも成立しているぞ」


「目の前で成立しているから困っているんです!」


 騎士たちの中から、堪えきれない笑いが漏れた。


 ローディスまで口元を押さえている。


 レクスは何とも言えない顔で祭壇を見た。


「それで、壊せるか?」


 ガレンが杖を構え直した。


「今なら石ころより脆いわい」


「なら頼む」


「お主がやった方が早いのではないか?」


「俺は弱くするところまでだ」


 レクスが答えると、ガレンはしばらく彼を見てから笑った。


「そうじゃったな。それがお主の仕事か」


 老呪術師が解除術を放つ。


 同時にアデルも魔法陣を重ねた。


 抵抗力をほぼ失った祭壇は、二人の術を受けた瞬間、乾いた音を立てて亀裂を走らせた。


 黒い霧が消えていく。


 地下へ伸びていた魔力線も途切れた。


 そして最後には、ただの黒い石の塊だけが残った。


「終わったな」


 レクスが右手を下ろす。


 ローディスは慎重に周囲を確認した。


「呪詛反応、消失しています」


「転送先までは追えんかったか」


 ガレンが悔しそうに言う。


「途中で術式を遮断したからな。だが方向は分かった」


 レクスは北東を見る。


 壁の向こう。


 国境を越えた先だ。


「仕掛けた奴がいるなら、祭壇が壊れたことには気づくだろう」


「また来る可能性がありますね」


「ああ」


 それでも、今は砦の兵士たちが再び同じ呪いに侵される心配はなくなった。


 ひとまず十分だろう。


 階段へ向かおうとすると、アデルが袖を掴んだ。


「レクス殿」


「今度は何だ?」


「帰ったら正式に測定させてください」


「さっき測っただろ」


「あれは緊急時の簡易測定です! 筋力、魔力、防御、敏捷、知覚、各項目について検証します。対象も複数用意して、抵抗値との相関を――」


「長くかかるのか?」


「最低でも三日。できれば一週間」


「断る」


「なぜです!?」


「釣りができない」


 アデルは言葉を失った。


 ローディスがとうとう声を上げて笑った。


「アデル殿、まず一日で済む計画を出した方がよさそうです」


「王国魔術史が変わるかもしれない研究なんですよ!?」


「俺の休日まで変える必要はないだろう」


「休日……」


 宮廷魔術師は、世界の理不尽を一身に背負ったような顔になった。


 レクスは気にせず階段を上がった。


 外へ出ると、朝より高くなった太陽が森を照らしている。


 予定より早い。


 これなら夕方までに川へ戻れるかもしれない。


 そのことを考えて少し機嫌が良くなったレクスの後ろで、アデルは測定板に残った数値を何度も見返していた。


 九十九パーセント。


 言葉にすれば、たったそれだけだ。


 だが宮廷魔術師である彼には、その数字が意味するものが分かってしまった。


 もし攻撃力一万の怪物が現れても、一百分の一なら百になる。


 防御力一万の竜であっても、一百分の一なら剣が通る。


 速度一万の魔獣であっても、一百分の一なら人間の目で追える。


 つまり相手が強ければ強いほど、この黒魔導士の価値は上がる。


「……神話級でも、同じなのか?」


 アデルが独り言のように呟いた。


 前を歩いていたレクスが振り返る。


「何か言ったか?」


「いえ」


 アデルは首を振った。


 まだ仮説にすぎない。


 けれど一つだけ、はっきりしている。


 勇者パーティがこの男を「攻撃魔法も使えない無能」と呼んで追い出したという話を、ベルンから届いた資料で読んでいる。


 今となっては、その判断の方がよほど信じられなかった。


「……あの勇者たち、本当に何を見ていたんだ」


 今度の呟きは、レクスの耳には届かなかった。

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