第10話 黒魔導士様
旧監視塔から国境砦へ戻ったレクスを待っていたのは、予想外に騒がしい出迎えだった。
城門をくぐった途端、中庭にいた兵士たちがこちらへ顔を向ける。昨日まで治療棟で寝込んでいた者も混じっており、中にはまだ杖をついている者さえいた。
「戻ったぞ!」
「祭壇はどうなった!」
「原因は潰せたのか?」
次々に声が飛ぶ。
副長ローディスが馬から降りながら片手を上げた。
「静かにしろ。祭壇は破壊した。周辺の呪詛反応も消えている。少なくとも、同じ経路から再び感染する心配はない」
歓声が上がった。
レクスはその中心から少し離れようとしたが、昨日助けた歩兵グレンに見つかった。
「レクスさん!」
「もう歩いて大丈夫なのか?」
「走れって言われたらまだ無理だけどな。でも昨日まで指一本まともに動かなかったんだぜ。これくらい平気だ」
グレンは笑ったあと、少し照れくさそうに頭を下げた。
「改めて礼を言わせてくれ。昨日は治ったことが嬉しすぎて、ちゃんと言えなかった」
「解除したのはガレンたちだぞ」
「それも聞いた。でも、あの爺さん本人が『レクスが弱らせなければ儂らには手も出せんかった』って言ってた」
「余計なことを」
「余計ではないわい」
後ろから老呪術師ガレンが歩いてきた。
疲れているはずなのに、その顔は妙に機嫌がいい。
「功績を正しく分けるのと、自分の功績をなかったことにするのは別の話じゃ。お主はどうも、その辺りが極端すぎる」
「俺はやったことを言っているだけだ」
「だから、その『やったこと』が普通ではないと言っとる」
「またその話か」
「これからもっと言われるぞ」
ガレンが意地悪そうに笑った。
嫌な予言だった。
その横では、宮廷魔術師アデルが旧監視塔で取った測定記録を抱えたまま、何やら書き込んでいる。
「何をしてるんだ?」
「記憶が鮮明なうちに記録を整理しています。対象魔力強度一二八〇〇が一二八。防御術式九七〇〇が九十七。精神干渉八六〇〇が八十六……見れば見るほど頭がおかしくなりそうな数字ですね」
「測定器は正常だったんだろ?」
「だから困っているんですよ」
アデルは紙から顔を上げた。
「レクス殿。少なくとも『九十九パーセントくらい』という自己申告が誇張でないことは証明されました。むしろ、あの言い方では軽すぎます」
「数字が同じなら軽いも重いもないだろう」
「意味の重さです!」
アデルの声に近くの兵士たちが笑う。
どうやらこの砦では、もう「宮廷魔術師がレクスへ振り回される光景」が珍しくなくなってしまったらしい。
大隊長が兵士たちを下がらせてから、レクスへ歩み寄った。
「ひとまず休んでくれ。報告書はこちらでまとめる。報酬についても正式に王都へ申請しておく」
「昨日の分だけでも十分もらったんだが」
「昨日は治療協力の報酬だ。今日は発生源の排除。別件だ」
「そういうものか」
「働いた者へ対価を払わなければ、次に頼みづらくなる」
実に分かりやすい理由だった。
レクスは素直に頷いた。
「なら受け取る」
「それでいい。それと、ベルンへ戻る馬車も用意する。昼には出せるだろう」
「助かる」
「釣りか?」
大隊長に先回りされ、レクスは少しだけ言葉に詰まった。
「……そうだ」
「やはりな」
大隊長まで笑った。
どうにも広まり方がおかしい。
◇
ところが昼になる前に、さらに厄介なことになった。
「黒魔導士様はこちらでしょうか!」
砦の門から、騎乗した三人組が駆け込んできたのだ。
先頭にいたのは若い女冒険者だった。革鎧の上に赤い外套を羽織り、背には自分の身長ほどもある弓を負っている。
レクスは近くにいたグレンへ聞いた。
「黒魔導士様って誰だ?」
「……あんたじゃないのか?」
「俺?」
「他にいるか?」
言われて周囲を見る。
それらしい黒魔導士は見当たらない。
「様はいらないと思うんだが」
「そこ気にするのかよ」
グレンが笑った。
三人の冒険者は馬を降りると、こちらへ真っすぐ歩いてきた。
「あなたがレクス様ですね?」
「レクスではあるが、様はなくていい」
「ではレクス殿」
「それも別にいらない」
「……レクスさん?」
「それくらいなら」
やっと落ち着いた。
女冒険者は戸惑いながらも、改めて頭を下げた。
「私はAランクパーティ《暁鷹》のリーダー、リーナです。こちらは剣士のハルトと治癒術師のメイ。南の宿場町を拠点にしています」
「それで、俺に何か?」
「はい。黒鎧のガルム討伐の話を聞きまして」
またそれか。
レクスは少し身構えた。
「《銀翼》が倒した」
「ええ。ただ、《銀翼》自身がそう言っているんです。『私たちだけでは倒せなかった。レクスの弱体術があって初めて勝てた』と」
「クラウディアが?」
「はい。むしろ、自分たちの手柄だけだと思われることを嫌がっていました」
実にクラウディアらしい。
「それで、私たちにもお願いしたいことがあります」
リーナの表情が真剣になる。
「南の岩山に、赤晶大蠍というAランク上位の魔物が巣を作りました。討伐依頼を受けて一度戦ったのですが、甲殻が硬く、尻尾の毒も強い。私たちだけでは厳しいと判断して撤退しました」
「撤退できたなら、それは正しいと思う」
「ありがとうございます」
リーナは少しだけ肩の力を抜いた。
「正直、そう言ってもらえるとは思っていませんでした。高位冒険者の中には、撤退を恥だと言う人もいるので」
「死んだら次の依頼を受けられないだろ」
「……本当に《銀翼》が話していた通りの人なんですね」
「俺について何を話してるんだ、あいつら」
ますます嫌な予感がする。
リーナは笑いを堪えた。
「『常識は通じないけど、話は通じる』と」
「褒められているのか?」
「たぶん最大限に」
「ならいい」
横でグレンが噴き出した。
リーナは気を取り直す。
「それで、もし可能なら赤晶大蠍の討伐に協力していただけないでしょうか。報酬は、私たちの取り分から半分お渡しします」
「半分もいらない」
「ですが――」
「俺は弱らせるだけだろ?」
「……その『だけ』が一番重要だと、《銀翼》から聞いています」
その言い方に、レクスは少し黙った。
勇者パーティにいた頃なら、弱体術を使うことは「当然の仕事」で、それに対して礼を言われることなどほとんどなかった。
今は違う。
自分が何を担当し、相手が何を担当するのか、最初から互いに分かった上で依頼されている。
それは思った以上に楽だった。
「日時は?」
「明日でも、明後日でも。こちらはあなたの都合に合わせます」
「明日は予定がある」
「では明後日で」
即答だった。
「予定の内容は聞かないのか?」
「《銀翼》から聞いていますので」
「……何を?」
「たぶん、釣りですよね?」
レクスは無言になった。
グレンが腹を抱えて笑い出した。
「クラウディア……」
今度会ったら、一度きちんと話をした方がよさそうだ。
◇
ベルンへ戻った頃には、その話はさらに酷くなっていた。
冒険者ギルドの扉を開けた瞬間、見知らぬ冒険者が立ち上がった。
「黒魔導士様だ!」
「戻ってきたぞ!」
「おい、誰かミリアさん呼んでこい!」
レクスはその場で扉を閉めたくなった。
「……帰っていいか?」
「駄目です」
ちょうど受付から出てきたミリアが即答した。
「なぜだ?」
「あなた宛ての問い合わせが朝から十三件来ています。全部、討伐協力か指名依頼です」
「十三?」
「それから王国騎士団から正式な功績報告。宮廷魔術院から能力測定への協力要請。《銀翼》からは『本人が嫌がると思うから無理強いしないこと』という追伸まで届いています」
「クラウディアだけは分かってるな」
「分かっている人が、どうしてここまで噂を広げたんでしょうね」
「俺が聞きたい」
酒場から笑いが起きた。
昨日までは遠巻きにこちらを見ていた冒険者たちの空気も変わっている。
好奇心だけではない。
何人かは明らかに尊敬に近い目を向けていた。
その中には、ブラッドホーンベアを小石で倒した話を笑った男もいる。
彼はレクスと目が合うと、気まずそうに頭を下げた。
「なあ、レクス」
「何だ?」
「この前は悪かった。小石の話、完全にホラだと思って笑っちまった」
「別に気にしてない」
「いや、俺が気にするんだよ。現場の死骸を回収した奴に聞いた。あれ、本当に戦闘らしい傷がなかったって」
「そうか」
「それに黒鎧のガルムまで……正直、今でもよく分かってねえけど、俺が馬鹿にできるような相手じゃなかった。それだけは分かった」
レクスは少し考えた。
「なら、それでいいんじゃないか」
「怒らねえのか?」
「謝った相手に、わざわざ怒り直してどうする」
「……あんた、変わってんな」
「それも最近よく言われる」
男は苦笑しながら席へ戻った。
ミリアが書類を整理しつつ、ふと口元を緩める。
「レクスさん、前より少し有名人らしくなってきましたね」
「有名になるつもりはない」
「もう遅いと思います」
そこへ、奥から支部長が出てきた。
「レクス、ちょうどいい。王国騎士団から届いた報告を読んだ」
「早いな」
「早馬だ。国境砦の兵士六十三名を救い、呪詛の発生源まで破壊したそうじゃないか」
「俺一人でやったわけじゃない」
「それも書いてある。お前が呪詛を弱体化し、呪術師と治癒術師が処置したとな」
「なら問題ない」
「問題はその次だ」
支部長は一枚の紙を受付台へ置いた。
「宮廷魔術師アデルから、測定結果が付いている」
近くにいた冒険者たちが、何となく耳をそばだてた。
「対象となった呪術祭壇の魔力強度、一万二千八百。それをお前の術式一回で百二十八まで落としたとある」
酒場が静かになった。
数字だけでは分かりにくいのか、支部長が続ける。
「分かりやすく言うなら、百人分の力を持つ相手を、一人分まで落としたということだ」
「正確には百分の一だな」
「それを平然と訂正するな」
支部長は額を押さえた。
酒場の奥から声がした。
「待てよ。じゃあドラゴン相手でも?」
「効けば同じ割合になる」
レクスが答える。
「巨人は?」
「抵抗されなければ」
「魔王軍の幹部とかは?」
「何度かやった」
一瞬の沈黙のあと、今度は酒場全体が騒然となった。
「何度か!?」
「魔王軍幹部を九十九パーセント落としてたってことか!」
「それじゃ勇者たち、何を相手に戦ってたんだよ!」
レクスは質問の意味がよく分からず答えた。
「弱らせた魔王軍幹部だが」
「そういう意味じゃねえ!」
あちこちから突っ込みが飛んでくる。
ミリアは笑いを堪えながら説明した。
「皆さんが聞きたいのは、勇者パーティがそれを知っていたのか、ということだと思います」
「説明はしていた」
「どういう風に?」
「『筋力を九十九パーセント落とした。もう前へ出て大丈夫だ』とか、『防御を削ったから今なら剣が通る』とか」
「……それを聞いていたのに、追放されたんですか?」
「数字の意味を信じていなかったんだと思う」
ミリアは何も言えなくなった。
代わりに、見知らぬ重戦士が呆然と呟いた。
「それ……勇者パーティが強かったんじゃなくて、レクスが勝てる状態にしてただけじゃねえのか?」
「いや、倒したのはあいつらだぞ」
「だからって!」
また笑いが起きた。
レクスには、どうも納得できない。
自分は敵を弱らせる。
前衛が倒す。
それで一つの戦闘だ。
どちらかだけで全部やったことにする必要はないはずなのだが、世間ではもう少し複雑らしい。
「とにかく」
支部長が騒ぎを収めるように手を叩いた。
「今日からレクスへの指名依頼は、一度ギルドで内容を確認する。本人へ直接押しかけるな。宿へ行くのも禁止だ」
「助かる」
「それからレクス」
「何だ?」
「お前の冒険者ランクについて、昇格審査を申請しておいた」
「必要ないぞ」
「必要だ」
「今のままでも依頼は受けられる」
「お前が困らなくてもギルドが困るんだよ!」
珍しく支部長が声を荒らげた。
「災害指定魔獣の討伐に関与して、王国騎士団の呪詛事件まで解決した男を、一般冒険者と同じ扱いのまま置けるか! 依頼主が混乱する!」
「そういうものか」
「そういうものだ!」
今度は酒場中から賛同の声が上がった。
レクスは仕方なく頷いた。
「分かった。ただし明日は無理だ」
支部長の顔が引きつる。
「……念のため聞こう。何がある?」
「釣りだ」
「やっぱりか!」
今度こそギルド全体が笑いに包まれた。
◇
その日の夕方。
レクスはようやく宿へ戻ることができた。
扉を閉めると、外の喧騒が少し遠くなる。
机の横には昨日買った釣り竿が立てかけてある。
「ようやく静かになったな」
追放されてから、まだほんの数日しか経っていない。
それなのに、以前より人と話す機会が増えた気がする。
しかも妙なことに、今の方が疲れない。
頼まれる仕事の難しさなら、勇者パーティにいた頃と大して変わらない。
違うのは、自分が何をしているのか相手が分かっていることだ。
できることを頼まれ、終われば礼を言われ、報酬を受け取る。
ただそれだけのことが、以前はほとんどなかった。
「……これが普通なのかもしれないな」
呟いて、ベッドへ腰を下ろす。
明日は一日休む。
朝から川へ行き、今度こそ三匹以上釣るつもりだった。
ところがその頃。
ベルンの酒場や冒険者宿では、すでに奇妙な呼び名が広まり始めていた。
魔王軍幹部を弱体化させ。
Aランク魔獣を小石で仕留め。
Sランク冒険者でも倒せなかった黒鎧のガルムを無力化し。
六十三人の騎士を苦しめた未知の呪詛まで百分の一へ落とした男。
いつしか冒険者たちは、半ば敬意を込めて彼をこう呼び始めていた。
――《黒魔導士様》と。
そして、その噂が王都へ届くのに、あと二日もかからなかった。




