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第11話 勇者、ドラゴンに挑む

 鋼牙虎の巨体が地面へ崩れ落ちた時、ギルバートはしばらく剣を下ろすことができなかった。


 最後の一撃を首へ叩き込んだ腕が震えている。


 恐怖ではない、と自分へ言い聞かせた。二時間近く剣を振り続けたせいで筋肉が疲れているだけだ。


「……見たか」


 荒い息を整えながら、ギルバートは倒れた魔獣を見下ろした。


「レクスなんかいなくても、俺たちは勝てる」


 少し離れた岩へ腰を下ろしていたセシリアは、すぐには返事をしなかった。


 杖を握る指が痺れている。


 残っている魔力も、ほとんどない。


 Bランクの鋼牙虎。


 少し前までの自分たちなら、こんな魔物に二時間もかけることはなかった。


 ギルバートが前へ出て、レクスが何かを呟き、自分が炎を一発か二発撃つ。あとはバルガスが逃げ道を塞げば、それで終わっていた。


 今日は違った。


 ギルバートの剣は硬い毛皮に何度も弾かれ、セシリアの炎は致命傷にならず、二人とも何度も死にかけた。


 それでも、倒したことは事実だった。


「そうね。私たちだけでも戦えないわけじゃない。それは分かった」


「だろ?」


 ギルバートは、その言葉の前半だけを拾った。


「結局、ゴブリンの件がおかしかっただけだ。俺たちはちゃんと強い」


「ギルバート。私が言っているのは――」


「もういいだろ、その話は」


 聞く気はないらしい。


 セシリアは言葉を飲み込んだ。


 鋼牙虎の討伐は、彼にとって確認ではなかった。


 最初から答えが決まっていたのだ。


 レクスは必要ではなかった。


 自分たちは強い。


 その結論へたどり着くためなら、二時間の苦戦も、尽きかけた魔力も、何度も死にかけた事実さえ見ないことにする。


「討伐証明を取るぞ。王都に戻れば、くだらない噂も止まる」


「くだらない噂?」


「レクスの話だよ」


 セシリアは顔を上げた。


 ベルンで起きていることは、すでに王都にも断片的に伝わり始めている。


 災害指定魔獣《黒鎧のガルム》討伐。


 国境砦で発生した原因不明の呪詛事件。


 そして、その両方に同じ黒魔導士が関わっていたという話。


 まだ正式な報告書の一部しか王都支部へ届いていないものの、冒険者同士の噂は役所の書簡より速い。


「レクスが活躍していることが、そんなに気になるの?」


「気になんかしてねえよ」


 返事が早すぎた。


「だったら放っておけばいいでしょう。向こうは向こうでやってる。私たちは私たちで、自分たちの実力を把握してやり直せばいい」


「やり直す必要なんかない」


 ギルバートは鋼牙虎の耳を切り取りながら吐き捨てた。


「俺たちは魔王軍幹部を倒した勇者パーティだ。Bランクを一匹倒した程度で『やり直し』なんて言葉を使うな」


 セシリアは黙った。


 その日の討伐にバルガスは参加していない。


 もし彼がいれば、今の言葉に何と言っただろう。


 少なくとも素直には頷かなかったはずだ。


     ◇


 王都へ戻った二人を待っていたのは、ギルバートが望んでいた賞賛ではなかった。


「本当なのか? あのレクスって、お前らと組んでた黒魔導士なんだろ?」


 ギルドへ入るなり、顔見知りの冒険者に呼び止められた。


 ギルバートの表情が固くなる。


「何の話だ」


「何って、ベルンの話だよ。黒鎧のガルムを弱らせて《銀翼》に倒させたっていう」


 別の男も酒杯を持ったまま会話へ加わる。


「それだけじゃないぞ。国境砦で六十人以上倒れた呪いも、そいつが解決したらしい。王国騎士団から正式な報告が届いたって受付で聞いた」


「解決したのは呪術師だ」


 ギルバートが言い返す。


「レクス一人で全部やったわけじゃない」


「そりゃそうらしいな。でも、レクスが呪いを弱らせるまで、誰も手を出せなかったんだろ?」


「……誰から聞いた」


「ギルドの掲示に出てるぞ」


 嫌な予感がした。


 受付脇の掲示板へ向かう。


 そこには王国騎士団第三大隊から送られてきた功績報告の抜粋が貼られていた。


 レクス・アルヴァーン。


 その名前が何度も出てくる。


 未知の寄生呪詛を解析。


 呪詛そのものへ弱体術を行使。


 六十三名の治療へ貢献。


 発生源となった旧監視塔の祭壇を無力化。


 さらに、その下には宮廷魔術師による測定結果まで添えられていた。


『対象術式の能力値をおよそ百分の一まで低下させたことを確認』


 ギルバートは紙から目を離した。


「……くだらない」


「ギルバート」


「弱体魔法が少し強いから何だっていうんだ」


 セシリアは訂正しなかった。


 百分の一を「少し」と呼ぶのは、さすがに苦しい。


「お前たち、鋼牙虎の依頼だったな」


 声をかけてきたのは支部長だった。


 討伐証明を確認し、書類へ判を押す。


「達成扱いにしておく。二人で倒したなら十分な成果だ」


「十分?」


 ギルバートの眉が動いた。


「Bランク一匹ですよ」


「そうだ。だから十分だと言っている」


「俺たちは勇者パーティだぞ」


「今は三人だろう。それにバルガスは負傷中、今日は二人だけだったと聞いた。無事に戻っただけでも――」


「馬鹿にしてるのか?」


 支部長が黙る。


「以前なら、こんな魔物は十分もかからなかった。それを二時間かけて倒して『よくやった』なんて、子供扱いするな」


「私はそんな意味で言ったんじゃない」


「なら、以前と同じ仕事をよこせ」


 ギルバートは依頼掲示板を見る。


「魔王軍か、ドラゴンか。それくらいのやつだ」


 セシリアが顔色を変えた。


「待ちなさい」


「何だよ」


「今の戦いで、自分がどれだけ消耗したか分かってるでしょう。鋼牙虎でこれなのよ。それより上をすぐ受けるなんて――」


「お前まで俺を弱者扱いするのか?」


「そうじゃない! 現実を見ろと言ってるの!」


 周囲が静かになる。


 ギルバートは返事をせず、掲示板へ歩いていった。


 そして依頼票を一枚剥がした。


「これだ」


 支部長の顔つきが変わった。


「待て。それは駄目だ」


「なぜ?」


「紅蓮竜の討伐だぞ」


 王都西方、火山地帯へ現れた成体ドラゴン。


 推定Aランク最上位。


 状況によっては災害指定へ引き上げられる可能性すらある。


 近隣の鉱山が一つ閉鎖され、すでに王国兵も立入区域を設けていた。


 ギルバートは依頼票を眺めて笑う。


「ちょうどいいじゃないか」


「何がちょうどいいのよ」


 セシリアの声が硬くなる。


「前にも倒しただろ」


 それを聞いた瞬間、彼女は言葉を失った。


 確かに倒したことがある。


 一年前。


 同じ紅蓮竜の成体を。


 あの時、ギルバートは一撃で翼を斬り、セシリアの氷槍は鱗を貫き、バルガスは正面から炎の息を受け止めた。


 圧勝と言ってよかった。


 しかし今なら思い出せる。


 戦闘開始直後。


 レクスはいつものように後方へ立ち、静かに言っていた。


『鱗の強度を落とした。炎も九割以上削ったから、バルガスなら受けられる』


 その時は、誰も気にしなかった。


「同じ種類のドラゴンだ」


 ギルバートは続ける。


「これを倒せば全部はっきりする。俺が強かったのか、レクスのおかげだったのか。文句ないだろ?」


「……それを確かめるために、命を賭けるつもり?」


「怖いなら来なくていい」


 その言葉に、セシリアの顔から迷いが消えた。


「そういう言い方をするなら行かない」


 ギルバートが目を見開く。


「何?」


「私は昨日、自分の実力を知りたいから鋼牙虎に付き合った。結果も分かった。レクスの補助がなくてもBランクは倒せる。でも、前みたいにはいかない。それが今の私たちの実力よ」


「一回苦戦しただけだろ」


「二回よ。ゴブリンも含めれば」


「ゴブリンの話を蒸し返すな!」


「蒸し返してるんじゃなくて、数えてるだけでしょう!」


 睨み合う二人の間へ、低い声が入った。


「ドラゴンだって?」


 バルガスだった。


 脇腹にはまだ固定帯が巻かれている。


 治療師から止められているはずなのに、ギルドまで来たらしい。


「ちょうどいい。バルガス、お前も来い」


「行かねえ」


 即答だった。


「またかよ」


「またじゃねえ。俺は怪我人だ」


「紅蓮竜は前にも倒した」


「その時はレクスがいた」


 ギルバートの顔が強張る。


「お前までそれを言うのか」


「事実を言ってるだけだ」


 バルガスは受付台へ拳を置いた。


「あの時の炎、俺が受けたんじゃねえ。レクスに弱くしてもらった炎を受けたんだ。今なら分かる」


「怖気づいたならそう言え!」


「ああ、怖いぞ」


 堂々と認められ、ギルバートの方が言葉に詰まった。


「俺は死ぬのが怖い。だから、自分が受け止められるか分からないドラゴンの炎の前には立たねえ。それの何が悪い?」


「勇者パーティの盾役だろうが!」


「だから何だ。盾役は死ぬ役じゃねえ」


 バルガスは一歩も引かなかった。


 周囲の冒険者たちも笑わない。


 冒険者にとって、恐怖は恥ではない。


 恐怖を知らない者から先に墓へ入ることを、皆知っている。


 ギルバートは二人を見比べた。


「分かった」


 声だけは静かだった。


「俺一人で行く」


「ギルバート!」


「俺が一人で紅蓮竜を倒せば、それで終わりだろ!」


 聖剣の柄を握り締める。


「レクスなんかいなくても俺は勇者だ。それを証明してくる」


 支部長が止めようと前へ出たが、ギルバートは依頼票を受付台へ叩きつけた。


「受注しろ」


「単独で許可できる依頼ではない」


「俺は勇者だぞ」


「だからこそ止めている」


「なら、勇者権限を使う」


 支部長の表情が変わった。


 王家から正式に認定された勇者には、魔王軍や災害級魔物への緊急対処を目的として、一部の受注制限を超える権限が与えられている。


 本来は人命救助のための制度だ。


 見栄を証明するためのものではない。


「ギルバート。本気か」


「ああ」


 止められない。


 支部長は長く息を吐いた。


「……受理する。ただしギルドとして推奨した依頼ではないと記録する。それと、最低限の監視員を同行させる」


「好きにしろ」


     ◇


 翌朝。


 ギルバートは王都を出た。


 結局、セシリアもバルガスも同行しなかった。


 ただし完全な単独ではない。


 戦闘へ介入しない条件で、ギルドの監視員二名が遠距離から同行している。


 火山地帯へ近づくにつれ、地面の色が変わった。


 草原は消え、黒い岩と赤茶けた土が広がる。


 硫黄の匂いが鼻につき、遠くでは山肌から細い煙が上がっていた。


 以前も来た場所だ。


「変わってねえ」


 ギルバートは自分へ言い聞かせるように呟く。


 一年前もここで紅蓮竜と戦った。


 そして勝った。


 記憶の中の竜は、確かに巨大だった。


 しかし鈍かった。


 聖剣を振れば鱗が裂け、炎もバルガスの盾を越えられなかった。


 怖い相手ではなかった。


「そうだ。俺は一度勝ってるんだ」


 腰の聖剣へ触れる。


 レクスが少しくらい弱らせていたとしても、最後に首を落としたのは自分だ。


 自分の剣だ。


 自分の力だ。


 その考えに縋るように、ギルバートは指定された谷へ入った。


 空気が熱い。


 谷の岩壁には、巨大な爪で削られたような傷が無数に残っている。


 監視員の一人が遠くから声を上げた。


「勇者ギルバート! 痕跡が新しい! 近くにいます!」


「分かってる!」


 聖剣を抜く。


 心臓が速くなった。


 興奮しているだけだ。


 恐怖ではない。


 そう思った直後。


 谷の奥で、岩山が動いた。


 最初はそう見えた。


 赤黒い巨体がゆっくり起き上がる。


 岩のような鱗が擦れ合い、低い音が谷へ響く。太い四肢が大地を踏むたび、小石が跳ねた。


 紅蓮竜。


 一年前に倒したものと同じ種族。


 同じ成体。


 そのはずだった。


「……こんなに、大きかったか?」


 ギルバートの口から、思わず声が漏れた。


 記憶より遥かに威圧感がある。


 赤い眼がこちらを捉える。


 次の瞬間。


 竜が顔を上げ、咆哮した。


「――――ッ!」


 音だけで身体が震えた。


 谷全体が鳴動し、聖剣を握る手に汗が滲む。


「何だよ……」


 ギルバートは一歩だけ後ろへ下がった。


 一年前の紅蓮竜は、こんな声を出しただろうか。


 いや。


 出していたのかもしれない。


 ただ、その時にはすでに。


 知覚も。


 筋力も。


 魔力も。


 すべて九十九パーセント近く奪われていただけで。


 そんな考えを振り払う。


「同じだ」


 聖剣を構える。


「同じドラゴンだろうが!」


 紅蓮竜が翼を広げた。


 熱風だけでギルバートの外套が大きくはためく。


 そして聖剣に選ばれた勇者は、この時になって初めて知ることになる。


 レクスに弱体化されていない、本物のドラゴンがどれほどの怪物なのかを。

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