第7話 そんな馬鹿な
翌朝、ギルバートは誰より早く冒険者ギルドへ来ていた。
昨夜はほとんど眠れなかった。
目を閉じるたびに、ゴブリンの棍棒が迫ってきた瞬間と、机の上へ並べられた過去の討伐記録が交互に浮かんだ。
『対象の筋力低下を確認』
『外殻脆化』
『毒性低下』
どの記録にもレクスの名前があった。
だから何だ。
補助役が補助した。ただそれだけではないか。
そう言い聞かせても、胸の奥に刺さった小さな棘は抜けなかった。
「勇者様、お早いですね」
受付職員に声をかけられ、ギルバートは依頼掲示板から目を離した。
「ああ。今日は少し歯応えのある仕事を選びたい」
「昨日、ゴブリン討伐の調査結果が確定しましたが……」
「その話はもういい」
ギルバートは即座に遮った。
職員は一瞬だけ言葉を詰まらせたが、仕事だからか、そのまま説明を続けた。
「依頼地で確認された二十七体は、すべて通常種でした。数については事前情報との差がありますので違約金は発生しません。ただし、討伐実績がありませんので、依頼結果は未達成として確定しています」
「聞こえなかったのか。その話はもういいと言った」
「……承知しました」
昨日までは、ギルバートが少し声を強めれば周囲も職員も遠慮した。
ところが今朝は、近くで依頼を選んでいる冒険者の何人かがこちらをちらりと見ただけで、すぐに自分たちの話へ戻っている。
その反応が気に食わなかった。
勇者が新人向けのゴブリン討伐に失敗した。
噂が広まるには、一晩あれば十分だったのだろう。
「これを受ける」
ギルバートは一枚の依頼票を剥がした。
Bランク魔獣、鋼牙虎の討伐。
身体を覆う硬い毛と大きな牙を持つ大型魔獣で、村の家畜を何頭も襲っているという。
ゴブリンより遥かに強い。
だからこそ都合がよかった。
新人向け魔物に失敗した直後、Bランク魔獣を仕留めれば、昨日の一件など単なる事故になる。
「ギルバート」
背後から名前を呼ばれた。
振り返ると、セシリアとバルガスが立っている。
バルガスはまだ脇腹を気にしているようだった。
「もう依頼を選んだの?」
「ああ。鋼牙虎だ」
「昨日、バルガスはもう少し休ませるって言ってなかった?」
「歩けるんだろ?」
問われたバルガスは眉をひそめた。
「歩けるのと、虎みたいな奴の突進を受けるのは別問題だぞ」
「正面から受ける必要はない。俺が仕留める」
「だったら最初から俺を連れてく意味がねえだろ」
「三人で戦うことに意味があるんだよ」
ギルバートは依頼票を握りしめた。
「昨日の失敗は俺たち全員に関わる話だ。だから三人で取り返す」
セシリアは答えなかった。
言葉だけなら、以前のギルバートとそれほど違わない。
仲間と共に名誉を取り戻す。
聞こえはいい。
しかし今の彼が取り戻したいものは、名誉だけではない。
レクスがいなくても自分たちは強い。
その確信を取り戻したいのだ。
「私は行くわ」
セシリアが言った。
バルガスが驚いたように見る。
「おい」
「止めてもギルバートは一人で行くでしょう。それなら、私たちがいた方がまだ安全よ」
「安全って、お前……」
「ただし条件があるわ」
セシリアはギルバートへ向き直った。
「危険だと思ったら撤退する。昨日みたいに意地を張って戦い続けるのはなし。私かバルガスが退くと言ったら、あなたも退く。それなら同行する」
「最初から逃げる相談か?」
「違う。生きて帰る相談よ」
以前なら、セシリア自身も「勇者パーティがBランク程度から逃げるはずがない」と笑っただろう。
だが、ゴブリンに囲まれた森での恐怖はまだ身体に残っている。
それに。
もし過去の勝利が、レクスの弱体術を前提に成立していたのなら。
今の自分たちは、自分たちの本当の強さをまだ知らない。
「分かったよ」
ギルバートは渋々頷いた。
「ただし、そんな必要はない。鋼牙虎程度なら俺が一撃で――」
「その言い方、昨日も聞いたわ」
セシリアの一言に、ギルバートの口が止まった。
バルガスはそれを見て、小さく息を吐いた。
「俺も行く。ただ、盾は昨日みたいに無茶して使わんぞ」
「好きにしろ」
依頼を受注しようと、三人は受付へ向かった。
その時だった。
ギルドの正面扉が開き、旅装の男が入ってきた。
胸につけているのは、地方支部間の連絡を担うギルド職員の徽章だった。
「ベルン支部から緊急報告です。支部長宛ての書簡を預かっています」
聞き慣れた地名ではない。
ギルバートも最初は興味を持たなかった。
しかし受付奥へ向かおうとした男へ、別の職員が尋ねた。
「緊急報告って、魔物の大発生でもあったのか?」
「いや、討伐成功の報告らしい。黒鎧のガルムが倒された」
ギルド内の何人かが声を上げた。
「黒鎧のガルム!?」
「あの災害指定の?」
「《銀翼》がずっと仕留められなかった奴だろ」
ギルバートも名前くらいは知っている。
ベルン北方に住み着き、討伐隊を何度も退けてきた有名な魔獣だ。
「《銀翼》がようやく倒したのか?」
近くの冒険者が聞くと、連絡員は首を振った。
「《銀翼》が仕留めたのは間違いないらしい。ただ、今回は臨時で同行した黒魔導士がいたそうだ。その男が弱体術を使った途端、これまで剣を弾いていた外殻に普通に刃が通るようになったとか」
セシリアの身体が固まった。
嫌な予感がした。
「……その黒魔導士の名前は?」
自分でも驚くほど早く声が出た。
連絡員が振り返る。
「確か……レクスだ。王都から来た十九歳の冒険者で、少し前まで別のパーティに所属していたらしい」
ギルバートの顔から表情が消えた。
「なんだと?」
「知り合いか?」
「同姓同名だ」
答えたのは反射に近かった。
セシリアが横を見る。
「ギルバート」
「同姓同名に決まってる。あいつが災害指定魔獣をどうにかできるわけがないだろ」
「でも黒魔導士で、王都から来て、十九歳って……」
「偶然だ!」
声が大きすぎた。
ギルド内の視線がまた三人へ集まる。
連絡員は事情を知らないため、困惑しながら書類袋を抱え直した。
「いや、本人の登録情報も添付されてるはずだから、確認すれば分かると思うが……」
「見せろ」
「支部長宛ての書簡だから、勝手には――」
「俺は勇者だ」
ギルバートが詰め寄る。
「その男について確認する必要がある。名前だけでいい。以前の所属パーティはどこだ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
騒ぎを聞いた支部長が奥から現れた。
五十代の大柄な男で、ギルバートたちの依頼を長年扱ってきた人物でもある。
「朝から何の騒ぎだ」
「支部長。ベルンからの報告です」
「私が聞く」
書簡を受け取った支部長は封を切り、中身を確かめた。
読み進めるうちに眉が上がる。
「なるほど……黒鎧のガルムが討伐されたか。《銀翼》はよくやったな」
「黒魔導士について書いてあるだろ」
ギルバートが割り込む。
「所属履歴を読んでくれ」
支部長は怪訝そうな顔をしたものの、書類へ目を戻した。
「レクス・アルヴァーン、十九歳。職能、黒魔導士。昨日、ベルン支部にて単独登録証を再発行……前所属は――」
そこで支部長が顔を上げた。
「お前たちのパーティじゃないか」
誰も喋らなかった。
周囲の冒険者たちは、今度は露骨にこちらを見ている。
先ほどまで噂話をしていた者たちまで口を閉じていた。
「……詳細を読んで」
セシリアが頼んだ。
ギルバートが睨む。
「必要ない」
「私は聞きたいの」
「セシリア」
「聞かせてください、支部長」
支部長は二人の顔を交互に見たあと、報告書を読み上げた。
「《銀翼》四名および臨時協力者レクス・アルヴァーンの五名にて黒鎧のガルムと接敵。交戦開始後、従来の攻撃では外殻の突破困難。レクス・アルヴァーンが弱体術式を行使し、対象の身体能力及び外殻強度を大幅に低下させる。その後、《銀翼》の攻撃が有効となり、短時間で討伐に成功」
バルガスが口元を押さえた。
「……まただ」
「何がだ」
「同じじゃねえか」
ギルバートが振り向く。
バルガスは昨日読んだ報告書を思い出していた。
レクスが術式を使う。
敵の動きが鈍る。
防御が落ちる。
味方の攻撃が通る。
そして前衛が仕留める。
「俺たちの時と、まったく同じだ」
「偶然だ」
「どこがだよ」
「《銀翼》が強かっただけだ!」
ギルバートが叫んだ。
「Sランクパーティなんだから、勝って当然だろう! レクスはたまたまそこにいただけだ!」
支部長が難しい顔をする。
「それは少し違うようだぞ」
「何?」
「追記がある」
書類をめくる。
「《銀翼》側からの報告によれば、弱体術行使前は過去の戦闘同様、攻撃の大半が通用しなかった。術式後に状況が一変したため、討伐報酬の五割をレクスへ譲渡するとある」
「五割?」
セシリアが思わず聞き返す。
「Sランクパーティが、自分たちから?」
「そう書いてある」
ギルドが定める報酬配分ではない。
《銀翼》自身が、自分たちの取り分から渡したのだ。
その意味を、現役冒険者なら誰でも理解できる。
自分たちだけでは勝てなかった。
それをSランク冒険者が認めたということだ。
「そんな馬鹿な……」
ギルバートが呟いた。
今度の声には怒気がなかった。
自分に言い聞かせるような響きだった。
「だって、あいつは……攻撃魔法すら使えないんだぞ」
誰も答えない。
「戦闘中だって後ろに立ってただけだ。敵を倒したのは俺だ。俺が斬って、俺が……」
そこまで言って、ギルバートは止まった。
自分の言葉に、自分で気づいてしまった。
黒鎧のガルムを倒したのも《銀翼》だ。
レクスは今回も、おそらく最後まで自分では斬っていない。
それでも《銀翼》は報酬の半分を渡した。
自分たちと何が違う?
答えはひどく単純だった。
彼らは、誰のおかげで勝てたのかを理解した。
それだけだ。
「……ギルバート」
セシリアが静かに呼んだ。
今度は責める口調ではなかった。
「もう一度、考えた方がいいわ」
「何を」
「レクスが、私たちに何をしてくれていたのか」
「やめろ」
「ゴブリンの時だけなら、私だって偶然だと思いたかった。でも過去の記録も、装備の補助も、それに今度は《銀翼》まで同じ結果になってる。ここまで揃ってるのに、まだ全部偶然だって言うの?」
「やめろって言ってるだろ」
「じゃあ、何なら認められるのよ!」
セシリアの声にも感情が混じった。
「私だって認めたくなかったわよ! 三年間、自分の魔法が強くなったと思ってた。敵が簡単に倒れるたびに、自分は天才なんじゃないかって嬉しかった。でも違った部分がある。私の努力まで嘘になるわけじゃない。でも、あいつが助けてくれていたことまで嘘にはできないでしょう!」
ギルバートは唇を噛んだ。
「……黙れ」
「ギルバート」
「黙れ!」
今度こそギルド中へ響いた。
ギルバートは依頼票を受付台へ叩きつける。
「鋼牙虎の依頼は受ける。今日行くぞ」
「今、この話をした直後に?」
「だからこそだ!」
振り返った顔は怒っていた。
しかしセシリアには、その奥にあるものが分かってしまった。
恐怖だ。
次に勝てなければ、もう言い訳ができない。
だからこそギルバートは戦いたがっている。
「俺たちは勇者パーティだ。俺は聖剣に選ばれた勇者なんだ。レクスがいようがいまいが、それは変わらない。今日それを証明する」
支部長が眉を寄せた。
「待て。バルガスは負傷しているんだろう。今の状態でBランク討伐へ行くのは勧められん」
「必要ない」
ギルバートは剣の柄を叩いた。
「俺一人でも倒せる」
バルガスが立ち上がる。
「だったら俺は行かねえ」
「何?」
「昨日までは、仲間だから無茶でも付き合うつもりだった。けど今のお前は、魔物を倒したいんじゃない。レクスが役に立ってなかったって証明したいだけだろ」
「それの何が悪い!」
「そのために命を張る気はないって言ってんだ」
バルガスは普段、細かい理屈を並べる男ではない。
だからこそ、その拒絶は重かった。
「セシリア、お前は?」
ギルバートが問う。
彼女はしばらく黙っていた。
「……私は行く」
「セシリア!」
バルガスが止める。
「勘違いしないで。ギルバートに賛成したわけじゃない」
彼女は杖を握り直した。
「今の私自身が、どこまで戦えるのか知りたいの。レクスの補助がない状態で、自分の力をちゃんと見ておきたい。それを知らないまま次へ進む方が怖いから」
その理由なら、バルガスにも止められなかった。
「無茶だと思ったらすぐ戻れよ」
「分かってる」
ギルバートは満足そうではなかったが、二人だけでも十分だと言わんばかりに依頼を受付へ出した。
◇
同じ頃。
ベルンの外れを流れる川で、レクスは人生で二度目の釣りをしていた。
「……釣れないな」
昨日は昼寝をしている間に一匹掛かったので、釣りというものは意外と簡単なのかと思った。
今日は一刻以上座っているのに、浮きはほとんど動かない。
隣ではクラウディアが器用に三匹目を釣り上げている。
「餌の付け方が悪いんじゃない?」
「同じように付けたつもりなんだが」
「昨日買ったばかりなのに、どうしてもう玄人みたいな悩み方してるのよ」
「魔物なら弱らせればどうにかなるんだが」
「魚に弱体魔法を使うのは禁止」
「まだ何もしてない」
「今、やろうか考えたでしょう」
図星だったので黙る。
クラウディアが笑った。
「そういうところを見ると十九歳なんだなって安心するわ」
「どういう意味だ」
「黒鎧のガルムを弱らせてる時より、魚一匹釣れなくて困ってる今の方が年相応ってこと」
レクスが言い返そうとした時、遠くから馬の蹄の音が聞こえた。
一頭ではない。
街道を何騎もの騎兵が進んでくる。
先頭に掲げられた旗を見て、クラウディアが立ち上がった。
「王国騎士団?」
「珍しいのか?」
「ベルンに用事があるなら、普通は正門へ向かうわ。こっちは川しかないもの」
騎兵たちは迷うことなく二人のいる河原へ下りてきた。
先頭の騎士が馬を止め、兜を脱ぐ。
「失礼。黒魔導士レクス・アルヴァーン殿で間違いないだろうか」
「俺だが」
騎士は姿勢を正した。
「王国騎士団第三大隊より、正式な協力依頼をお持ちした」
レクスは釣り竿を持ったまま、少し困った。
「今度は何が出たんだ?」
すると騎士は、冗談を言うような顔ではなく答えた。
「魔物ではない」
その一言で、クラウディアの表情から笑みが消えた。
「北東の国境砦で、兵士が次々と倒れている。毒でも病でもない。治癒魔法も効かない。そして発症者の身体から、極めて強い呪詛反応が検出された」
騎士はそこでレクスをまっすぐ見た。
「王国の呪術師たちが、誰一人として原因を解明できなかった。黒鎧のガルムへ施したあなたの術式について報告を受け、我々はあなたなら何か分かるのではないかと考えている」
レクスは川面へ目をやった。
浮きが、ちょうど小さく沈んだ。
「あ」
「レクス?」
「いや、魚が掛かった」
「今そこ!?」
騎士たちが何とも言えない顔をする中、レクスは慌てず竿を引いた。
銀色の小魚が水面から跳ね上がる。
「やっと釣れた」
黒鎧のガルムを倒した時より嬉しそうなレクスを見て、クラウディアは額を押さえた。
だがレクスは魚を籠へ入れると、すぐに騎士へ向き直った。
「人が倒れているなら、見に行こう。俺に分かるかどうかは、現場を見るまで保証できないが」
「十分です」
騎士は深々と頭を下げた。
レクスは釣り竿を畳みながら、ほんの少しだけ惜しそうに川を見た。
「今日は一匹か」
「また来ればいいでしょう」
クラウディアが笑う。
その言葉に、レクスは素直に頷いた。
「ああ。今度はもっと釣る」
勇者パーティから役立たずとして追い出されて、まだ数日。
その黒魔導士のもとへ、今度は王国騎士団が頭を下げて助けを求めに来ていた。




