↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/67

第6話 黒魔導士の本当の仕事

 王都中央冒険者ギルドの資料室には、華やかな英雄譚など一冊も置かれていない。


 あるのは、討伐した魔物の種類、遭遇地点、負傷者、使用した術式、消費した物資、依頼達成までの日数といった、物語にすれば誰も読みたがらない記録ばかりだった。


 セシリアは、その退屈な帳簿を三時間近く読み続けていた。


「……やっぱり、おかしいわ」


 机に積み上げた報告書の一冊へ指を置く。


 今から二年半前。


 勇者パーティが初めて討伐したワイバーンの記録だった。


 当時の自分たちは今よりずっと未熟で、討伐前にはかなり緊張していたことを覚えている。ところが実際の戦闘は、拍子抜けするほど簡単に終わった。


 ワイバーンは飛び立とうとして何度も失敗し、吐き出した炎も弱々しく、ギルバートが翼を斬った後はほとんど抵抗できなかった。


 当時は皆、こう考えた。


 ――噂ほどの魔物ではなかった。


 だが、討伐報告書には違うことが書かれている。


『接敵直後、黒魔導士レクスが弱体術式を開始』


 その数行後。


『対象の飛行能力が著しく低下』


 さらに。


『火炎放射の威力減衰を確認。勇者ギルバートが正面より突入』


 セシリアは黙ったまま、次の記録を開いた。


 岩甲巨人。


 巨大な岩石の身体を持ち、通常の剣では刃が通らないとされるBランク上位魔物だ。


 これも苦戦した記憶がない。


『レクス、術式開始』


 その直後。


『対象の外殻が脆化。聖剣による切断が可能となる』


 次は双頭蛇。


 災害指定を受けた大型魔獣で、毒液だけでも一つの村を全滅させられると聞いていた。


『レクス、毒腺および魔力循環へ干渉』


『対象の毒性が急速に低下』


『前衛二名、毒液を浴びるも症状なし』


 セシリアの手が止まった。


 あの日、バルガスは双頭蛇の毒を真正面から浴びた。


 本人は「俺の身体が頑丈だから効かなかった」と笑っていたし、自分もそう思っていた。


 だが、その直前。


 レクスは確かに言っていた。


『毒はかなり落とした。多少浴びても死にはしない』


 誰も真面目に聞いていなかった。


 ギルバートは「ならさっさと突っ込むぞ」と叫び、バルガスは笑いながら盾を構え、自分も攻撃魔法の詠唱へ意識を向けた。


「……嘘でしょう」


 呟いた声が、静かな資料室へ吸い込まれた。


 セシリアは椅子から立ち、さらに古い記録を探した。


 偶然かもしれない。


 報告書の書き方に癖があるだけかもしれない。


 そう思いたかった。


 けれど調べれば調べるほど、同じ順序が繰り返されている。


 敵と遭遇する。


 レクスが術式を始める。


 直後から敵の動きが鈍る。


 攻撃の威力が下がる。


 防御が崩れる。


 再生能力が止まる。


 毒や炎が弱まる。


 そして最後に、ギルバートたちがとどめを刺す。


 ほとんど例外がなかった。


「セシリア?」


 背後から声をかけられ、彼女は肩を揺らした。


 振り返ると、入口にバルガスが立っている。普段着の上から薄い革鎧だけを身につけ、まだ脇腹を庇うような歩き方をしていた。


「何してるんだ、こんなところで。昼飯にも来ねえから探したぞ」


「……調べ物よ」


「見りゃ分かる。何のだ?」


 答えるか迷った。


 昨日までなら、口にする前に自分で否定していただろう。


 けれど今は、机の上に記録がある。


「私たちの過去の討伐報告」


「なんで今さらそんなもんを?」


「ゴブリンの件が気になったからよ」


 バルガスの表情が少し険しくなる。


 セシリアは一冊の報告書を差し出した。


「これ、読んで」


「俺は細かい字が嫌いなんだよ」


「いいから。ここだけでいい」


 不満を言いながらも、バルガスは指で示された箇所へ目を落とした。


 岩甲巨人討伐戦。


 数行読み進めたところで、眉間に皺が寄る。


「……外殻脆化?」


「その前を見て」


「レクスが弱体術を開始……」


「次も」


 別の報告書を渡す。


「双頭蛇?」


「毒のところ」


 バルガスは読み進めるうちに、だんだん口数を失った。


 五冊目を読み終えた頃には、椅子を引いて座っていた。


「これ……全部か?」


「今のところ調べた分は全部」


「何が?」


「戦況が変わるタイミングよ。必ずレクスが術式を使った後なの」


 バルガスはしばらく答えなかった。


 厚い指で報告書の端を撫でながら、何かを思い返している。


「待てよ。じゃあ、俺がガルガディアの大剣を受けた時も……」


「記録を探したわ」


 セシリアは一番新しい報告書を開いた。


『黒魔導士レクス、対象の筋力低下を確認。盾士バルガスへ前進を指示』


 たった二行だった。


 しかし今読むと、意味はまるで違う。


「俺は……」


 バルガスは乾いた声を出した。


「あの時、まともに受け止めたと思ってた」


「私もそう思ってたわ」


「いや、実際受け止めただろ」


「受け止めた。でも、相手がどれだけ弱くなっていたのかを私たちは知らなかった」


 バルガスは反論しかけ、やめた。


 代わりに拳を握り、膝の上へ置く。


「九十九パーセントって言ってたよな、あいつ」


「追放した夜にね」


「俺、笑ったぞ」


「私もよ」


 それを認めると、胸の奥が妙に重くなった。


 レクスが怒鳴り返してくれていれば、まだ楽だったかもしれない。


 けれど彼は怒らなかった。


『全部解除するが問題ないな?』


 ただ、それだけを確認した。


 こちらが「いらない」と言えば、本当に全部外して去った。


 そして翌日、自分たちは普通のゴブリン相手に逃げ帰った。


「でもよ」


 バルガスが低い声で言う。


「これだけじゃ、レクスのおかげで全部勝ってたって証明にはならねえだろ。俺たちだって何年も鍛えてきた。ギルバートの剣も、セシリアの魔法も偽物じゃねえ」


「そんなことは言ってないわ」


「いや、分かってる。分かってるんだが……」


 言葉が続かなかった。


 自分の努力を否定されたくない。


 同時に、レクスの働きを否定し続けるのも違う気がする。


 その二つは本来両立するはずなのに、今までの三人は「自分たちが強いなら、レクスは不要だ」と勝手に結びつけていた。


 セシリアも同じだった。


「私ね、ずっと勘違いしてたのかもしれない」


「何を?」


「弱体魔法って、攻撃魔法が使えない人間の代用品だと思ってた」


 自分で言って、嫌になる。


 魔術学院でもそう教わることが多い。


 敵の速度を少し落とす。


 防御をわずかに削る。


 味方の一撃を通りやすくする。


 あくまで補助であり、戦闘の主役ではない。


「だからレクスが『弱らせた』って言っても、せいぜい一割とか二割だと思ってたのよ。私が炎を撃てばもっと大きな成果を出せる。そう考えてた」


「でも、あいつは九十九って言ってた」


「普通ならあり得ない数字なのよ!」


 思わず声が大きくなった。


 資料室の奥にいた職員がこちらを見たため、セシリアは慌てて声を落とす。


「一種類でも二割落とせれば、弱体術師としては一流よ。複数を同時に九十九なんて、学院で言ったら笑われる。だから……私は最初から、本気で聞いてなかった」


「俺なんか数字すら知らなかったぞ」


「あなたは魔法の話をすると寝るでしょう」


「難しいんだよ」


「そういうところよ」


 いつもなら少し笑えるやり取りなのに、今日は二人とも笑えなかった。


 バルガスが不意に顔を上げる。


「なあ。装備にも何かしてたよな」


「え?」


「あいつ、最後の日に言ってただろ。装備に維持してる術式も解除するって」


 セシリアの背筋に冷たいものが走った。


 思い出した。


 遠征へ出る前、レクスはいつも装備を預かっていた。


『少し調整する』


 それしか言わなかった。


 自分は杖を渡し、翌朝返してもらう。


 魔力が妙に滑らかに流れることは感じていたが、それを杖そのものの性能だと思い込んでいた。


「私の杖……」


「どうした?」


「最近、魔力の消費が増えてる」


「いつからだ?」


 答えは分かっていた。


「レクスが抜けた次の日から」


 バルガスが口を閉じた。


「お前、それもっと早く言えよ」


「私だって疲れてるだけだと思ってたのよ! ゴブリン相手に焦って何発も撃ったせいだって」


「俺の盾もだ」


「何が?」


「重い」


 バルガスは、自分でも今初めて気づいたという顔だった。


「いや、盾そのものの重さは変わってねえ。ただ……前はもっと楽に衝撃を流せた。腕が痺れることなんて滅多になかった」


 セシリアは再び報告書を探した。


 装備整備記録。


 勇者パーティほどの高位パーティになれば、修理や魔術加工の履歴も残る。


 数枚めくったところで、見つけた。


『黒魔導士レクスによる補助術式更新』


 ギルバートの聖剣には防御浸透補助。


 バルガスの盾には衝撃分散と疲労軽減。


 セシリアの杖には魔力循環効率化。


 しかも一度ではない。


 定期的に更新されている。


「こんなの……知らない」


「俺も聞いてねえ」


「聞いてないんじゃない」


 セシリアの声が震えた。


「たぶん、言われてたのよ」


 思い出せる。


『杖の循環補助、そろそろ切れるから今夜預かる』


 自分は本を読みながら「分かった、朝までにお願い」と答えた。


『盾の衝撃分散を張り直しておいた。前より少し負担が減るはずだ』


 バルガスは朝食を食べながら「おう」としか言わなかった。


 彼は説明していた。


 ただ、誰も重要だと思っていなかった。


「……俺たち、何を見てたんだろうな」


 バルガスの声には、怒りより疲れがあった。


 セシリアは答えられなかった。


     ◇


「だから何だっていうんだ」


 その日の夕方。


 宿の一室で報告書を突きつけられたギルバートは、最初の数枚を読んだところで机へ投げ返した。


「敵が弱くなったのは分かった。それがレクスの仕事だったんだから当然だろ」


「当然って……!」


 セシリアは思わず立ち上がる。


「問題は程度よ! 私たちが考えてたより、あいつの術式はずっと強かったかもしれない。装備への補助だって、全部記録に残ってる!」


「だから、それが何だ!」


 ギルバートも声を荒らげた。


「補助されたからって、剣を振ったのは俺だ! ガルガディアの攻撃を受けたのはバルガスで、魔法を撃ったのはお前だろうが! レクス一人で全部倒したわけじゃない!」


「誰もそんな話してねえよ」


 壁際にいたバルガスが静かに言った。


 ギルバートが睨む。


「じゃあ何なんだよ」


「認めようって言ってんだ。あいつは俺たちが思ってたより、ずっと仕事してた。それだけだ」


「ふざけるな」


「何がふざけてんだ?」


「お前までレクスの肩を持つのか!」


 その言葉に、バルガスの顔つきが変わった。


「肩を持つとか持たねえとかの話じゃねえだろ。俺は自分の盾に何の術式が掛かってたかも知らなかった。お前は知ってたのか?」


「知る必要があるか? 補助役が補助するのは当たり前だ」


「じゃあ俺たちが敵を倒すのも当たり前だろ。その当たり前をやっただけで、なんで俺たちは英雄で、あいつは寄生虫になるんだ?」


 部屋が静まった。


 セシリアでさえ、バルガスがそこまで言うとは思っていなかった。


 ギルバートの顔が赤くなる。


 だが、すぐに言い返せなかった。


 しばらくして、ようやく絞り出す。


「一度失敗しただけだ」


「……何?」


「ゴブリンの件だけで騒ぎすぎなんだよ」


 ギルバートは机に置かれた報告書を押し返した。


「明日、もっとまともな依頼を受ける。そこで勝てば全部はっきりする。レクスがいなくても俺たちは変わらない」


 セシリアは、その横顔を見つめた。


 以前なら頼もしいと思ったかもしれない。


 けれど今は、ギルバートが証明したがっているものが「自分たちの強さ」ではなく、「レクスが重要ではなかったこと」に変わっているように見えた。


「もし、次も駄目だったら?」


 セシリアが尋ねた。


「あり得ない」


「だから、もしよ」


「あり得ないって言ってるだろ!」


 ギルバートは椅子を蹴るように立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。


 扉が強く閉まる。


 残された二人は、しばらく何も言わなかった。


 やがてバルガスが、机の上の記録へ目を落とした。


「……あいつ、今どこにいるんだろうな」


 セシリアは答えられなかった。


 王都を出たことしか知らない。


 ただ、昨日までは思いもしなかった疑問が、胸の中に残った。


 もしレクスが今もどこかで魔物と戦っているなら。


 自分たちが三年間「役立たず」と呼んでいた力を、初めて正当に見た誰かがいるのではないか。


 そしてその誰かは、きっともう気づいている。


 黒魔導士レクスが後ろで何もしていなかったのではない。


 自分たちが勝てる戦場を、最初から作っていたのだと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。