第5話 勇者様、依頼失敗
「それで、ゴブリンの討伐証明部位はどちらに?」
王都中央冒険者ギルドの受付で、若い職員が困ったように尋ねた。
ギルバートは答えず、受付台へ肘をついたまま苛立たしげに指を鳴らした。
「だから何度言わせるんだ。俺たちは群れの規模を確認して、一度撤退したんだよ。あの森には依頼書に書かれていた数より遥かに多くのゴブリンがいた。情報が間違っていた以上、こっちの責任じゃないだろう」
「はい。群れの規模については改めて調査隊を出します。ただ、今回受注されたのは『街道周辺に出没するゴブリン五体以上の討伐』ですので、討伐を確認できる証明がない場合、依頼達成とは処理できません」
「勇者の俺が倒したと言ってもか?」
「倒されたのであれば、耳か魔石を提出していただく必要があります」
受付職員は穏やかな口調を崩さなかった。
だからこそ、ギルバートには余計に腹立たしかった。
昨日までなら、こんな新人向けの依頼を受けること自体なかった。魔王軍の幹部や大型魔獣を討ち取って戻れば、支部長自ら出迎え、受付など待たずに応接室へ案内されたものだ。
それが今は、木製の受付台を挟んで「ゴブリンを倒した証拠はありますか」と聞かれている。
「そもそも、俺たちは調査までしてやったんだぞ。普通なら追加報酬が出てもいいところだろうが」
「それにつきましても、調査報告として正式に受理できる内容であれば検討されます。ですが、現時点では『想定以上の数がいたため撤退した』という口頭報告のみですので……」
「お前、俺が嘘をついてるって言いたいのか?」
ギルバートの声が低くなった。
周囲にいた冒険者たちが、何となくこちらを見る。
それに気づいたセシリアが、慌てて一歩前へ出た。
「ギルバート、やめなさいよ。職員に怒鳴っても仕方ないでしょう」
「なら、お前が説明しろよ。あの森には普通じゃないゴブリンがいた。火炎弾をまともに受けても立ち上がってきたんだろ?」
「それは……そうだけど」
セシリアの声が小さくなる。
事実を話せば話すほど、自分たちがゴブリン相手に苦戦したことまで認めることになる。
バルガスは二人から少し離れ、壁際の長椅子へ腰掛けていた。鎧の下には治療院で巻いてもらった包帯があり、昨日棍棒で殴られた脇腹が、身体を捻るたび鈍く痛む。
本人は「森で転んだ」と説明している。
ゴブリンに殴られたなど、とても口にはできなかった。
「とにかく」
受付職員は視線を三人へ巡らせた。
「依頼は未達成として扱います。違約金については、対象の生息数が依頼情報と大幅に異なっていた可能性がありますので、調査終了まで保留とします」
「未達成だと?」
ギルバートの顔色が変わった。
「俺たちの記録に失敗をつける気か?」
「依頼を達成されていませんので」
「俺は魔王軍上級将軍を倒した勇者だぞ!」
とうとう声が酒場まで響いた。
何人もの冒険者が振り返る。
受付職員も一瞬だけ困った顔をしたが、それでも規則を曲げようとはしなかった。
「ギルバート様がこれまで多くの功績を挙げてこられたことは承知しています。しかし、過去の功績と今回の依頼結果は別です」
「……っ!」
「もういいでしょう」
セシリアがギルバートの腕を引いた。
「ここで揉めた方が目立つわ。調査が入れば、あのゴブリンたちが異常だったって分かるはずよ。その時に訂正してもらえばいいじゃない」
最後の部分は、むしろ自分自身へ言い聞かせるような声音だった。
ギルバートも周囲の視線にようやく気づき、舌打ちしながら受付を離れた。
三人が酒場の隅の席へ移動すると、バルガスが低い声で言った。
「俺は、あのゴブリンが変異種だったってのは違うと思うぞ」
「またその話?」
セシリアが眉を寄せる。
「五匹も十匹も、まとめて変異するわけねえだろ。それに見た目は普通だった。角が生えてたわけでも身体がでかかったわけでもねえ」
「だったら何だって言うのよ」
「それを考えてんだろ」
バルガスは脇腹へ手を当てた。
昨日から何度思い返しても納得できない。
自分は弱くない。
それだけは今でも確信している。
大型オーガの突進を真正面から受け止めたこともあるし、魔王軍兵士十人を相手に盾一本で仲間を守った経験もある。
それなのに、昨日はゴブリンの鉈を盾で受けただけで肘が沈んだ。
「なあ、セシリア。お前、本当に魔法の調子は普通だったのか?」
「普通よ」
「火炎弾、一発で殺せなかっただろ」
「見れば分かってたわよ」
セシリアの語気が強くなる。
「だから何? 私の魔力が急に弱くなったとでも言いたいの?」
「そうじゃねえ。ただ、俺たち全員が同じ日におかしくなるってのは妙だって話だ」
ギルバートが机を指で叩いた。
「結論を急ぐな。森かゴブリン側に何かあったんだ」
「でも」
セシリアは言いかけて止まった。
頭に浮かんだ名前があった。
レクス。
昨夜から何度も脳裏をよぎっている。
自分たちの装備へ付与していた支援術式。
敵対した相手へ自動で作用する弱体術式。
契約解除と同時に、全部解除する。
あの時は、恩着せがましいと思った。
だがもし、本当に効果があったのだとしたら。
「何だよ」
ギルバートが険しい顔で見る。
「言いたいことがあるなら言え」
セシリアは少し迷ってから、結局口にした。
「……レクスの術式よ」
ギルバートの指が止まった。
「昨日、あいつ全部解除するって言ってたでしょう」
「だから?」
「私たち、今まで敵が弱いのを当たり前だと思ってた。でも実際には、レクスが戦闘のたびに弱体魔法をかけてた。それは事実よね」
「何が言いたい?」
「もし、あいつの魔法が私たちが思っていたより強かったなら――」
「馬鹿馬鹿しい」
ギルバートは即座に切り捨てた。
あまりに早い返答だったので、セシリアの方が言葉を失った。
「黒魔導士一人抜けただけで、俺たちがゴブリンに苦戦したって言いたいのか? じゃあ今まで倒した魔王軍の奴らも全部レクスのおかげだったって? そんなわけあるか」
「全部なんて言ってないでしょう」
「同じことだ!」
ギルバートは声を落としたものの、怒気は隠さなかった。
「昨日一回うまくいかなかったくらいで、あいつの評価をひっくり返すな。俺たちは三年間戦ってきた。あいつの魔法が本当にそこまで凄いなら、とっくに分かってるはずだ」
その言葉には、それなりの説得力もあった。
少なくともギルバート自身にはそう思えた。
レクスはいつも後ろにいた。
敵を斬るわけでも、大魔法を放つわけでもない。ただ静かに術を維持して、ときどき「終わった」と告げる。
そんな男が、自分たちの勝利の土台だったなど認められるはずがない。
「次だ」
「何?」
「もう一度依頼を受ける」
ギルバートは立ち上がった。
「今度はゴブリンなんてやめだ。もっと分かりやすい相手を選ぶ。俺たちが普段通り戦えば倒せる魔物だ。そこで結果を出せば、昨日がおかしかっただけだと証明できる」
バルガスが顔をしかめる。
「俺は今日は休むぞ。この脇腹で大型魔獣相手なんざ御免だ」
「一日休め。それから行く」
「随分焦るのね」
セシリアの言葉に、ギルバートは睨むような目を向けた。
「焦ってねえよ」
「だったら別に、数日くらい休んでもいいでしょう」
「黙れ」
短い返事だった。
ギルバート自身、なぜこれほど急いでいるのか分かっていた。
怖いのだ。
昨日の出来事を「偶然」のまま放置することが。
もし次も同じだったら。
もしゴブリンだけではなかったら。
そんな考えを頭へ入れたくないからこそ、一刻も早く次の勝利が必要だった。
◇
翌日、ギルドから派遣された調査隊が森へ入った。
戦闘を避けながら巣の規模と個体の特徴を調べ、夕方には戻ってきた。
報告書を受け取った支部長は、何度か内容を読み返した。
「本当に間違いないのか?」
「はい。確認した範囲で二十七体。数は確かに依頼書より増えていました。ただし……」
「ただし?」
「全個体、通常種です」
支部長の眉が寄った。
「変異種ではない?」
「一体も。魔力反応、筋力、敏捷、外皮強度、全部この地域の一般的なゴブリンの範囲です」
横で報告を聞いていた受付職員が、思わず口を挟んだ。
「では、勇者様たちは普通のゴブリン相手に撤退したということですか?」
「事実だけ見れば、そうなりますね」
調査員も言いづらそうだった。
支部長はしばらく黙ったあと、依頼記録へ判を押した。
未達成。
勇者ギルバートのパーティ結成以来、初めてその文字が正式な記録として残った。
◇
同じ頃、ベルンではまったく別の騒ぎが起きていた。
「レクスさん、申し訳ありません。もう一度だけ聞きますね」
受付のミリアが、何とか平静を保とうとしながら書類を握っている。
「昨日、《銀翼》と一緒に黒鎧のガルムを討伐されたんですよね?」
「そうだ」
「黒鎧のガルムは災害指定魔獣です。討伐推奨はSランク複数名。過去三年間で七度討伐隊が組まれ、全て失敗しています」
「クラウディアたちも前に負けたと言っていたな」
「はい。その魔獣を、昨日は初回接触から討伐まで二十分もかかっていません」
「そんなに短かったか?」
「短いです」
ミリアは即答した。
レクスは首を傾げた。
自分としては、黒鎧のガルムは確かに強かったと思っている。ブラッドホーンベアのように九十九パーセントまでは落とせず、八割程度で抵抗された。
だから「かなり頑丈な魔獣」という認識だった。
「それでですね」
ミリアはさらに別の紙を差し出した。
「《銀翼》から、討伐報酬の半額をあなたへ譲渡するという申請が出ています」
「半額?」
「はい」
「俺はとどめを刺していないぞ」
「クラウディアさんから伝言も預かっています」
ミリアは少しだけ口元を緩めた。
「『とどめを刺した人間が一番偉いなら、肉屋の親方が世界最強になってしまう。私たちはそこまで恥知らずじゃない』だそうです」
レクスはしばらく考え、やがて小さく笑った。
「クラウディアらしいな」
「受け取られますか?」
「相手がそう決めたなら、ありがたくもらう」
「よかったです。受け取りを拒否されたら、クラウディアさんが宿まで押しかけると言っていましたので」
「それは困る」
「釣りの邪魔ですか?」
「よく分かったな」
「もう少し別のことにも興味を持ってください」
ミリアに呆れられながら、レクスは報酬袋を受け取った。
昨日買ったばかりの釣り竿は、朝から宿の部屋で待っている。
今日は川へ行くつもりだった。
「じゃあ、これで」
「あっ、レクスさん」
「まだ何か?」
ミリアが少し迷ってから尋ねる。
「王都には……戻られないんですか?」
「今のところは」
「勇者パーティの方々が、あなたを探しに来る可能性もあると思うんですが」
レクスは一瞬だけギルバートたちの顔を思い浮かべた。
だが、すぐに興味が薄れた。
「向こうは向こうでうまくやってるだろう。俺がいなくても困らないと言ってたからな」
「……そうですか」
「それに」
レクスは買ったばかりの釣り竿のことを思い出し、少し機嫌よく付け加えた。
「今日は魚を釣る予定がある」
勇者パーティが初めて正式な依頼失敗を記録したその日。
追放された黒魔導士は、そんなこととは何の関係もなく、川辺で昼寝をしながら魚が掛かるのを待っていた。




