第67話 敵と話す
黒髪の女が「なぜ私たちがあなたに選ばせているのか、その話をしましょう」と告げたあと、崩れかけた礼拝堂にはしばらく誰の声も響かなかった。
割れた色硝子の隙間から差し込む昼前の光が、長机の上へ歪んだ模様を落としている。外では風に揺れた蔦が石壁を擦り、五分ごとの通信確認を知らせる小さな術具だけが、場違いなほど規則正しく淡い光を瞬かせていた。
相手は四人。こちらも四人。約束された人数に変化はない。
それでもレクスは、向かいに座る黒髪の女から意識を逸らさなかった。
「選ばせるって言い方からして嫌なんだけど」
「知っています」
「なら普通に説明して」
「では、できるだけ普通に」
女は両手を机の上へ置いた。右手の黒い紋章は隠そうともしていない。
「古代に封じられた存在は、一種類ではありません。深層王のように、現代の人間社会と共存させる理由がほとんどないものもいる。灰殖獣のように、性質そのものには利用価値があっても、現状のままでは危険すぎるものもいる。そして、あなたがリュネールで見たもののように――」
「地脈を回すやつ」
「ええ。封じ続けることで、むしろ人間側が損失を受けるものもあります」
レクスは眉を寄せた。
「見てたんだな」
「結果は確認しました」
「どこから?」
「それは答えません」
「だと思った」
女はわずかに笑ったが、クラウディアの表情は動かなかった。
「それで?」
彼女が促す。
「違うものを、全部『古代災厄』という名前で括って、殺すか封じるかだけで処理するのは非合理的。あなたたちはそう考えているの?」
「少なくとも、私は」
「組織全体じゃなく?」
「全体ではありません」
そこは迷わなかった。
◇
「さっき言った派閥の話と繋がる?」
レクスが聞く。
「繋がります」
「封じ続けたい奴。保存したい奴。使いたい奴。強制的に使えばいいって奴」
「概ね、その理解で構いません。ただし、それぞれの中にも意見の違いがあります」
ガレンが低く鼻を鳴らした。
「長生きした秘密組織らしい面倒臭さじゃな」
「否定できません」
「お主はどこじゃ」
老呪術師が真正面から問う。
黒髪の女はすぐには答えず、机に落ちた色硝子の光へ一度だけ目を向けた。
「私は、選別と安全化を優先しています」
「利用派?」
ローディス。
「近いですが、無条件の利用には反対です」
「都合よく聞こえるな」
「そうでしょうね」
ローディスの声には、騎士らしい抑制の奥に明確な警戒がある。
「深層王の覚醒を早め、灰殖獣へ属性を学習させた。それを『安全化のための調査』と呼べば済むと?」
「済むとは思っていません」
「なら、なぜやった」
「危険性を知らずに扱う方が、さらに多くの人間を殺すからです」
その答えは早かった。
レクスは少しだけ不快になった。
言っていることだけなら分かる。
だからこそ厄介だった。
「でも、調べるために人が死んでもいいわけじゃない」
「ええ」
「トルメでは死んだ」
「ええ」
「それで続けた」
「続けました」
謝罪で逃げないところは、ある意味で卑怯ではない。だからといって、許せるわけでもない。
「そこが信用できない」
「信用しなくて構いません」
「それも便利な言葉だよな」
「便利だから使っているのではありません。あなたが私たちを信用すべき材料がないから言っています」
「自覚あるんだ」
「あります」
◇
クラウディアが机へ肘をつかず、背筋を伸ばしたまま女を見た。
「一つ確認したいんだけど。あなたたちは古代災厄を『使えるか、使えないか』で分類しているの?」
「それだけではありません」
「他は?」
「封印の残存年数、周辺環境との結びつき、自己増殖性、知性、再生性、現代術式との適合、管理失敗時の被害規模。ほかにもあります」
「人間に役立つかどうかは?」
「重要な項目です」
「やっぱり入ってるのね」
「入っています」
女は隠さなかった。
「私たちが慈善団体ではないことくらい、もう理解しているでしょう」
「そこは最初から期待してない」
レクスが言うと、黒髪の女の口元がほんの少しだけ緩んだ。
「それでいい」
「でも」
「何です?」
「リュネールのあれを見て、少しだけ分かった」
女の目が変わる。
「何がですか」
「古い力を全部殺すか、全部封じるだけじゃ駄目な場合があるってこと」
クラウディアは黙っている。ガレンも口を挟まない。
「地脈を巡らせるものは、昔、百二十八人を死なせた。危険だったのは事実。でも、三百年ずっと強く封じ続けたせいで土地まで弱った。それなら、封印を緩める選択が必要だった」
「ええ」
「だから、お前たちの『選別する』って考え方が全部間違ってるとは言わない」
黒髪の女は初めて、はっきりと興味を示した。
「では」
「でも、人を試験材料にしていい話にはならない」
先回りして言うと、女は続きを飲み込んだ。
「そこを一緒にするな」
「……分かりました」
「本当に?」
「少なくとも、あなたがどこに線を引いているかは」
◇
「では」
ガレンが割って入った。
「お主らの古い呼び名について話せ。百年以上前の記録に《アーク》に近い音が残っとる」
黒髪の女の横に座る痩せた男が、初めて僅かに身じろぎした。
それを女は横目で見たが、止めもしない。
「古い呼称の一部で間違いありません」
「全部は?」
「まだ明かしません」
「現在の名は別だと言ったな」
「ええ」
「なぜ変えた」
「組織そのものが変わったからです」
ローディスが即座に問う。
「いつ」
「一度ではありません。分裂、再統合、再編を何度も繰り返しています」
「百年前の記録に、同じ印を使う者同士が互いを同胞と呼ばなかったとある」
「その時期も、分裂期の一つです」
「では今も分裂している?」
「形式上は一つです」
「形式上は、か」
「思想まで一つとは言っていません」
それなら、ノアの記憶とも合う。
封印を残せと言う者。
開けろと言う者。
同じ黒紋の下にいながら、別々の命令を出していた。
「黒円三条の印は、組織共通?」
レクスが聞く。
「古い系統を示す印です。現在も使いますが、意味は以前より複雑になっています」
「俺たちが見たら全部同じに見える」
「それは当然でしょう」
「じゃあ、そのせいで別派閥の罪までお前たちに被る」
「構いません」
「構うだろ」
「外から見れば同じ組織です。内部事情を理由に責任を切り分けるのは、私たちの都合ですから」
レクスは少し黙った。
その答えは予想していなかった。
◇
「ノアのことも?」
「ええ」
女の声からわずかな柔らかさが消えた。
「彼に自壊機構を入れたのは、私の属する考え方とは異なる者たちです」
「でも組織の責任」
「そうです」
「お前自身は反対だった?」
「過剰な自壊処分には反対です」
「過剰な?」
レクスの声が少し低くなる。
「必要なら使うって意味?」
「そこは誤魔化しません」
女は右手の黒紋を見た。
「危険な情報や古代術式を扱う以上、外部流出を防ぐ拘束が必要だと考える者は、私の側にもいます」
「人を殺す仕組みまで?」
「私は不要だと考えています」
「じゃあ何で自分の手にも黒紋がある」
「これは監視と契約のためのものです。私のものには自壊機構はありません」
ガレンが目を細める。
「確かめてもよいか」
「遠隔からなら」
「触らん。見せろ」
女が右手を差し出す。
ガレンは杖を使わず、目と魔力感知だけで慎重に調べた。
「……確かに、儂が見える範囲では即死系の層はない。じゃが、監視も拘束も入っとる」
「あります」
「自分も縛られている?」
クラウディアが聞いた。
「そういう言い方もできます」
「嫌じゃないの?」
「嫌ですよ」
思いのほか普通の返事だった。
「でも所属してる」
「それでも必要だと思っているものがあるからです」
◇
「古代災厄?」
レクス。
「それだけではありません」
「何」
「古代文明の失敗を、現代がもう一度繰り返さないこと」
「抽象的」
「では具体的に」
女は少し身を乗り出した。
「現代の国家は、古代封印についてほとんど何も知りません。封印が残っているから安全だと思い込み、補修のたびに強くし、内部対象の性質すら調べない。ラグナスがまさにそうだった」
ローディスの眉が動く。
「一国の失敗を、全国家へ広げるな」
「では旧バルハは?」
「……」
「深層王の封印は壊れかけていた。灰殖獣は増殖機構そのものが封印劣化と相性が悪かった。あなた方は、問題が表面化するまで存在すら正確に知らなかった」
「だから、お前たちが勝手に開ける?」
「それを正当化するつもりはありません」
「でも続ける」
「続けます」
まただ。
自分たちの罪を否定しないのに、行動をやめるとも言わない。
レクスはこの女のそういうところが一番苦手だった。
「嫌いだな」
「私を?」
「考え方の一部」
「一部で済みましたか」
「今のところ」
クラウディアが横で小さく笑った。
「そこ、少し仲良くならないで」
「なってない」
「私もそう思います」
「二人とも息が合ってるのが腹立つのよ」
◇
短い緩みのあと、黒髪の女は本題へ戻った。
「あなたの能力が必要な理由は、分かるでしょう」
「強すぎるものを扱えるところまで弱くする」
「そうです。ですが、それだけなら」
彼女は机の上へ一枚の紙を置いた。
古代封印対象らしい複数の記号と、簡単な分類だけが書かれている。場所や名称は伏せられていた。
「あなたの《深淵呪詛》を再現できる術式を研究すればいい」
「できるの?」
「現時点では無理です」
「じゃあ俺必要じゃん」
「力だけなら、そうです」
「でも違う?」
「ええ」
女は三つの記号へ指を置いた。
「仮に、ここに三つの古代存在があるとします。一つは人を食う。二つ目は周辺の地脈を安定させる。三つ目は触れた魔術を記録し、再現する」
「灰殖獣に近いの混ぜた?」
「例です」
「で?」
「すべて九十九パーセント弱くできたとして、その後どうします?」
「情報ないと決められない」
「それです」
女の答えはすぐ返ってきた。
「その返答が、私たちに必要です」
◇
レクスは意味が分からず眉を寄せた。
「普通じゃない?」
「普通ではありません」
「何で」
「力を持った人間は、使いたがる。組織は成果を欲しがる。国家は戦力にしたがる。研究者は調べたがる。宗教は封じたがる。そして被害を受けた者は、殺したがる」
「全部人間だろ」
「だからです」
女の声は静かだった。
「古代災厄を安全なところまで弱める技術だけあっても、その後の判断を誤れば意味がない」
「じゃあ組織で多数決すれば?」
「してきました」
「駄目だった?」
「何度も」
百年以上の記録。
守る者。
開く者。
使う者。
争う者。
それが少しだけ別の形に見えた。
「派閥争いで決まらないから、外の俺に決めさせたい?」
「そこまで単純ではありません」
「じゃあ?」
「あなたは、私たちの誰にも属していない」
「属す気ない」
「知っています」
「国家には?」
「国家の命令だけでも動かない。ギルドにも特殊協力契約を残し、依頼を断る権利を確保している」
「そこまで調べた?」
「公表情報です」
「気持ち悪さはあんまり変わらない」
「すみません」
◇
「それに」
女は続けた。
「あなたは、選択を変えることができる」
「何それ」
「灰の谷で、最初は『今なら眠らせる』と言った」
「うん」
「その後、情報が増えるたび方針を変えた。討伐も、利用も、単純な再封印も選ばず、増殖と学習を止めてから複合封印した」
「状況変わったから」
「それができない者は多い」
クラウディアがそこで口を挟んだ。
「最初に決めた答えへしがみつくから?」
「ええ。自分が正しかったと思いたいからです」
「耳が痛い人、多そうね」
「あなたも?」
「もちろん」
クラウディアはあっさり認めた。
「Sランクだからって、判断を間違えないわけじゃないもの」
女はレクスへ戻る。
「ラグナスでも同じでした。『封印は強いほど安全』という三百年続いた答えを、そのまま信じなかった。一方で、『本来必要な存在だった』と分かっても、完全開放もしなかった」
「危ないから」
「その危ないという感覚と、役立つという事実を同時に持てる人間が必要です」
「俺じゃなくてもいるだろ」
「います」
即答された。
「いるんだ」
「当然です。あなたを唯一の救世主だと思っているわけではありません」
「それは助かる」
クラウディアが横を向いて笑いを隠した。
◇
「じゃあ、何で俺」
レクスが聞く。
「力と判断の両方が揃っているからです」
「判断って、そんな大層じゃない」
「それも含めてです」
「何が?」
「自分を正しいと思いすぎていない」
レクスは少し言葉に詰まった。
「褒めてる?」
「かなり」
「分かりにくい」
「あなたは、自分が間違える前提で撤退条件を決める。仲間へ止める役目を渡す。自分一人で維持できないものを、管理可能とは呼ばない」
ガレンが面白くなさそうに髭を撫でる。
「儂らが教えた部分も多いぞ」
「もちろんです」
「そこ認めるのか」
「事実ですから」
「妙に素直じゃな」
「あなた方の協力がなければ、彼は灰殖獣で別の判断をしていた可能性があります」
「俺もそう思う」
レクスが言った。
「そこ即答するのね」
クラウディア。
「一人じゃ無理だったから」
◇
「だから」
黒髪の女は言った。
「私たちが欲しいのは、あなたの呪いだけではない」
「俺に組織入れって?」
「現時点では勧誘しません」
「現時点では?」
「将来は分かりません」
「先に断っとく」
「そう言うと思いました」
「なら言うなよ」
「可能性の話です」
ローディスが冷静に問う。
「では何を求める」
「必要な時に、見て、弱め、そして判断してほしい」
「お前たちが選んだ対象を?」
「それもあります」
「それ、結局使ってるだろ」
レクス。
「そうです」
「堂々と言うな」
「隠しても意味がないので」
「俺が嫌だって言ったら?」
「別の方法を探します」
「黒紋で縛る?」
空気が一瞬変わった。
女はレクスから目を逸らさない。
「私は反対します」
「他の派閥は?」
「やるでしょう」
「俺にも?」
「可能なら」
クラウディアの指が剣の柄へ触れた。
ローディスの視線も鋭くなる。
しかし、黒髪の女は慌てなかった。
「だから今日、話しています」
◇
「どういう意味?」
「あなたを力づくで従わせようとする者が出る前に、あなた自身に知ってほしい」
「何を」
「組織が一つではないこと。そして、私たちの中にもあなたを道具としてしか見ない者がいること」
「お前は違う?」
「完全には違いません」
レクスは少し驚いた。
「使いたいの?」
「あなたの力は使いたい」
「正直すぎる」
「ただし、あなたの判断ごと使いたい」
「もっと悪く聞こえる」
クラウディアが思わず口元を押さえた。
「ごめん。でも今のはレクスが正しいわ」
黒髪の女もわずかに困ったような顔をした。
「言い方を変えます」
「頼む」
「あなたが自分で判断し、拒否する権利を残したまま協力してほしい」
「それならまだ分かる」
「ええ」
「でも信用はしない」
「それで構いません」
◇
会談開始から一時間を越えたところで、最初の休憩を入れた。
外部支援班との通信は正常。
人数にも変化なし。
ガレンは相手四人の周囲へ新しい術式が張られていないことを確認し、ローディスは出口と窓の位置をもう一度見直した。
レクスは礼拝堂の外へは出ず、崩れた柱の近くでクラウディアから水筒を受け取った。
「どう思う?」
彼女が小声で尋ねる。
「半分くらい分かる」
「残り半分は?」
「腹立つ」
「感想じゃなくて」
「でも大事だろ」
「まあね」
クラウディアも黒髪の女たちの方を見た。
「嘘を全部ついているようには見えない。でも、全部話しているとも思わない」
「俺も」
「特に、自分の立場」
「選別と安全化を優先って言ってたけど、それ以上は隠してる」
「そうね」
「あと、今の正式名称」
「第70話くらいまで教えてくれなさそうね」
レクスは首を傾げた。
「何それ」
「何でもないわ」
◇
会談を再開してから、レクスは最後に一つだけ戻った。
「ノアの自壊紋」
「ええ」
「お前の派閥が反対なら、外せる?」
女はそこで初めて、明確に苦い顔をした。
「完全解除には、鍵が必要です」
「誰が持ってる」
「施術系統の管理者」
「どの派閥?」
「強制利用を支持する側です」
「場所は?」
「今は把握していません」
「嘘?」
「いいえ。彼らは最近、私たちにも行動先を伏せています」
ガレンが目を細める。
「内部対立が激しくなっとるのか」
「以前より」
「ノアが逃げたせい?」
「それだけではありません」
「じゃあ何」
女は少しだけ迷った。
「あなたが現れたからです」
「俺?」
「《減らせる者》が実在すると確認された。それで、長く均衡していた考え方が動き始めた」
「俺がいるなら、封印を開けても安全にできるって?」
「そう考える者が増えた」
「迷惑だな」
「ええ」
「お前が言う?」
「私にとっても、想定より早すぎました」
◇
「じゃあ」
レクスは机へ指を置いた。
「俺のせいで次の封印を無理に開ける奴がいる?」
「可能性があります」
「どこ」
「それはまだ特定できていません」
「特定したら教える?」
「条件があります」
「また?」
「こちらも無条件に情報を渡す立場ではありません」
「人が死ぬ可能性あっても?」
「その場合は別です」
ローディスがすぐ反応した。
「その線引きは誰がする」
「私が得た情報については、私が」
「それが信用できんと言っている」
「承知しています」
堂々巡りに見えて、少しずつ違う。
以前なら、レクスは黒紋組織を一つの敵としてしか見ていなかった。
今は。
その中でも、誰が何をしたいか。
誰がどこまで危険か。
そこを分けて考えなければならない。
面倒だ。
かなり。
◇
会談が終わりに近づいた時、黒髪の女は最後に言った。
「一つだけ、誤解しないでください」
「何」
「私たちはあなたを善人だから選んでいるわけではありません」
「別に善人だと思ってない」
「英雄だからでもない」
「勇者はギルバート」
「強いからだけでもない」
「さっき聞いた」
女はほんの少しだけ笑った。
「あなたは、力を使わない判断をすることがある」
「必要なら」
「私たちに欠けているのは、そこです」
レクスは黙った。
「封じる者は、何でも封じたがる。使う者は、何でも使いたがる。壊す者は、何でも壊したがる。長く同じ思想の中にいれば、自分の答えを疑わなくなる」
「お前は?」
「私も同じです」
「じゃあ俺に何してほしい」
「違う答えを出してほしい」
「頼まれて出すものじゃないだろ」
「だから、命令ではありません」
黒髪の女は右手の黒紋を伏せるように手を重ねた。
「私たちが必要としているのは、《深淵呪詛》ではない」
一拍置く。
「それを使った後に、何をしないと決められるか。その判断です」
◇
会談は、約束した時間内に終わった。
相手は人数を増やさなかった。
黒紋による干渉もなかった。
通信も最後まで切れなかった。
だからこそ、余計に簡単ではない。
敵が明確に約束を破ってくれれば、話はずっと楽だった。
旧修道院を出たあと、クラウディアが隣を歩きながら聞いた。
「敵だった?」
「今も敵」
「即答ね」
「ノアのことも、トルメも消えないから」
「じゃあ、話した意味は?」
レクスは少し考えた。
霧はほとんど晴れ、山の向こうまで見えている。
「敵にも種類があるって分かった」
「それだけ?」
「あと」
「あと?」
「向こうの中にも、俺を黒紋で縛りたい奴がいる」
「そっちは笑えないわね」
「うん」
後方を歩くガレンが聞こえるように鼻を鳴らした。
「なら次は、組織の中身を割って見る必要があるの」
「弱くする?」
クラウディアが冗談めかして言う。
レクスは少し考えてから首を振った。
「まだ何を弱くすればいいか分からない」
今度の相手は、魔獣でも封印でもない。
一つの名前の下に集まりながら、互いに違う答えを持つ人間たちだ。
そして、その中の誰かは。
レクスの力だけではなく。
レクス自身の判断まで、自分たちの計画へ組み込もうとしている。
それが分かっただけでも。
今日、敵と話した意味はあった。




