第63話 Sランク最初の依頼
Sランクへ昇格してから最初の正式依頼は、魔王討伐でも、古代竜退治でもなかった。
届いた依頼書を三度ほど読み返したあと、レクスは受付のミリアへ顔を上げた。
「これ、間違ってない?」
「何がですか」
「封印が強すぎるから、何とかしてほしいって書いてある」
「その通りです」
「普通、逆じゃない?」
「私も最初はそう思いました」
依頼書の送り主は、王国の東に国境を接するリュネール王国。かつて何度か交易商人とすれ違った程度で、レクス自身は入国したことがない。
その北西部にあるラグナス地方で、約三百年前から維持されている古代封印施設に異常が起きているらしい。
封印が壊れかけているのではない。
むしろ、強くなっている。
「十年くらい前から周辺の井戸が枯れ始めて、最近は畑まで駄目になってきた」
ミリアが補足する。
「現地術師の調査では、地下地脈から上がってくる魔力が封印術式に吸われすぎているそうです」
「吸われすぎ?」
「正確には遮断です。封印が周辺一帯の地脈まで巻き込み、本来なら地表へ流れる魔力を止めている可能性が高いと」
レクスはもう一度書類へ目を落とした。
村の井戸が浅くなる。
作物の育ちが悪い。
治癒魔法の効きが落ちる。
家畜が衰弱する。
魔力を使う植物だけでなく、普通の草木にも影響が出始めている。
「これ、俺じゃなくてもよくない?」
「現地の術師たちは七年間調整を続けています」
「七年?」
「封印を弱めようとすると、内部反応が上がる。戻すと地脈がまた止まる。その繰り返しだそうです」
「じゃあ俺が弱くしても同じじゃない?」
「そこを調べてほしい、という依頼です」
「便利に使われ始めたな、Sランク」
「便利な肩書きだと言ったのはレクスさんです」
「言った」
言ったので文句を続けにくい。
◇
依頼そのものは緊急ではなかった。
明日にも封印が破れるわけでも、村人が今夜死ぬわけでもない。
だからミリアは、レクスが依頼書を読んでいる間も急かさなかった。
「断ってもいい?」
「もちろんです」
「俺じゃないと無理?」
「現時点では不明です。ただし、封印そのものの機能だけを部分的に弱められる人物は、少なくともリュネール側にはいないとのことです」
「部分的に」
「そこを期待されています」
灰殖獣では増殖命令や形質共有だけを弱めた。
深層王では吸収、再生、地脈接続といった機能を分けて削った。
今回も同じように、封印全体を弱くするのではなく、地脈を塞いでいる部分だけを狙えるかもしれない。
ただし。
「間違えたら、封印の中身が出る?」
「可能性があります」
「嫌だな」
「断ります?」
レクスはすぐには答えなかった。
依頼書の後ろには、現地で起きている被害が村ごとにまとめられている。
去年までは水量低下だけだった集落で、今年は三割の畑が収穫不能。
小さな診療所では治癒術の効率が半分以下。
まだ死者は出ていない。
だからこそ、今なら急がずに調べられる。
「行く」
「理由は?」
「今なら待ちながらできるから」
ミリアが僅かに眉を上げた。
「緊急になってから行くより?」
「その方が面倒」
「レクスさんらしいですね」
「褒めてる?」
「今回はかなり」
◇
同行者を決める段階で、最初に候補から外れたのはギルバートだった。
「何で!?」
その日の午後、話を聞きつけてやって来た本人が、ギルド二階で声を上げた。
「別の仕事あるだろ」
「あるけど!」
「いつ出る?」
「明後日」
「俺も明後日」
「だったら同じ方向まで」
「逆方向」
「……そうだった」
ギルバートは地図を確認し、少し悔しそうに黙った。
勇者パーティには、南部で発生している魔獣被害の調査依頼が入っている。災害級ではないが、三人で正式に受けた仕事だ。
「こっち断って付いてくる?」
レクスが聞く。
「行かない」
返事は早かった。
「受けたからには終わらせる」
「じゃあ問題ない」
「でも気になるんだよ」
「報告する」
「全部?」
「必要なところだけ」
「冷たいな」
「仕事中だから」
セシリアが隣で苦笑した。
「あなたも少しは、自分の仕事だけに集中する練習をした方がいいわ」
「分かってるって。でも、レクスのSランク初依頼だぞ?」
「だから何だよ」
「記念じゃん」
「仕事に記念いらないだろ」
「いる!」
そこだけは妙に譲らないらしい。
◇
代わりに同行することになったのは、クラウディアだった。
「私、ちょうどリュネール方面から戻る予定だったのよ」
彼女は自分の依頼書を見せた。
「国境付近の護衛案件。明日で終了予定だから、合流できる」
「《銀翼》全員?」
「いいえ。今回は私だけ」
「Sランク二人必要?」
「戦うためじゃないわ。国外での交渉があるでしょう?」
「それ、クラウディア得意?」
「あなたよりは」
「それはそう」
「即答すると少し腹立つわね」
中央ギルドから派遣される術式監査官も一名同行するが、現場の判断権そのものはレクスへ渡されるらしい。
その説明を聞いた時、レクスは露骨に嫌な顔をした。
「俺が指揮?」
「必要な範囲で」
ミリアが答える。
「嫌なんだけど」
「Sランクですから」
「便利じゃないところもあるな」
「今さらです」
◇
今回の依頼で、レクスが初めて実感したのは、Sランクの肩書きが戦闘以外でも面倒なくらい強いことだった。
国外活動許可。
封印施設への立入権限。
現地術師への調査協力要請。
国境騎士団の護衛を辞退する権利。
緊急時には、その地域の冒険者へ退避協力を求める権限まである。
以前なら、王国側から使者が出て、相手国の許可を取り、その返答を待ち、さらに現地ギルドと調整していた。
今回は中央ギルドが発行したSランク認定証を一枚添えるだけで、多くが事前承認された。
「……すごいな」
レクスが書類を見て呟く。
「ようやく称号に感動した?」
ギルバートが聞く。
「手続きが減った」
「またそこかよ!」
「大事だろ」
「もういい、分かった」
◇
出発前日の夕方、ノアが見送りに来た。
「今回も古代封印ですか」
「そう。でも黒紋組織が関係してる証拠はない」
「じゃあ違うかもしれない?」
「ああ」
ノアは少し安心したようでもあり、逆に居心地が悪そうでもあった。
「俺、何か思い出したら」
「急がなくていい」
「でも、レクスさんがいない時に大事なことだったら」
「ミリアに言えば届く」
「それだけで?」
「十分」
ノアは一度頷いた後、右手の布を見た。
「最近、自分が役に立たなくても、すぐ捨てられるとは思わなくなりました」
「いいことだな」
「でも」
「何?」
「役に立ちたい気持ちは、まだあります」
「それも別に悪くないだろ」
「いいんですか?」
「自分からやりたいなら」
レクスは少し考えて続けた。
「『役に立たないと駄目』と、『役に立てたら嬉しい』は違う」
ノアはしばらく黙っていた。
「……それ、覚えておきます」
◇
二日後。
レクスはリュネール王国へ向けてベルンを出た。
国境までの道は比較的穏やかだった。
途中でクラウディアと合流した頃には、王国側の景色も少しずつ変わっている。森林が減り、低い丘陵と広い牧草地が増えた。
「久しぶりの国外?」
馬を並べたクラウディアが聞く。
「仕事では初めてに近い」
「緊張してる?」
「少し」
「珍しい」
「言葉通じる?」
「通じるわよ」
「じゃあ大丈夫」
「そこなの?」
「一番困るだろ」
「まあ、そうだけど」
リュネールでも共通交易語が広く使われている。書類の一部だけ表記が違う程度で、会話に問題はないらしい。
「現地の指揮官、少し面倒よ」
クラウディアが言った。
「知ってる?」
「以前一度だけ一緒に仕事した。真面目で、国への責任感が強い。でも」
「でも?」
「外から来た冒険者に、自国の封印を触らせるのが嫌いそう」
「それ普通じゃない?」
「そう思えるなら大丈夫」
◇
国境で、その言葉の意味をすぐ理解した。
リュネール側の騎士団長代理、ディート・ハルヴェインは四十代半ばの大柄な男だった。灰色の軍服を着込み、必要以上の礼儀も敵意もない。
ただし、レクスの認定証を確認した後、最初にこう言った。
「Sランクであることは承知しています。しかし、我が国の封印設備を自由に操作してよいという意味ではありません」
「分かってます」
レクスが答える。
ディートは一瞬だけ拍子抜けしたような顔をした。
「……異論はないのですか」
「勝手に触るつもりないです」
「中央ギルドからは、あなたへ現場判断権を認めるよう通達が来ています」
「それでも現地の情報持ってるのはそっちだから」
「そうですか」
「何か変?」
「いえ」
クラウディアが横で僅かに笑っている。
「何?」
「あとで」
ディートは咳払いし、話を戻した。
「我々が最も懸念しているのは、封印を弱めることそのものです。地脈被害は確かに深刻ですが、その中にあるものが解放されれば、被害は比べものにならない可能性がある」
「中身は何?」
「正確には分かっていません」
「魔獣?」
「古記録では、《地底の心臓》とだけ」
「心臓」
「比喩か、実物かも不明です」
レクスは少し嫌な予感がした。
古代の人間は、危ないものへ妙に分かりにくい名前を付ける。
◇
国境での協議は、一時間ほど続いた。
先に封印を弱めない。
最初の二日は観測だけ。
現地術師の説明を受け、地脈と封印の相関を確認する。
操作する場合も、一度に一〇パーセントを超える変化は与えない。
内部反応が規定値を越えた時点で即座に元へ戻す。
レクスがその条件を自分から提案すると、ディートは最後にようやく肩の力を抜いた。
「あなたは、もっと強引な方だと思っていました」
「何で?」
「深層王を九十九パーセント弱体化した人物と聞けば、普通はそう想像します」
「最初から九十九にはしない」
「灰殖獣でも?」
「最後はした。でも先にかなり見た」
「記録を読みました」
「じゃあ分かるだろ」
「記録と本人は、必ずしも一致しませんので」
「それはそう」
クラウディアが後で教えてくれたところによると、そこで即座に腹を立てなかったのが一番効いたらしい。
レクスにはよく分からなかった。
◇
ラグナス地方へ入ったのは、翌日の午後だった。
最初に気づいたのは、土地の色だった。
荒野ではない。
草も生えている。
畑もある。
ただ、すべてが少し薄い。
麦の穂は小さく、果樹の葉は季節より早く黄ばんでいる。道端の野花まで背が低く、根元の土は乾いていないのに妙に力がない。
「水だけの問題じゃないな」
レクスが馬を止めた。
クラウディアも周囲を見る。
「魔力不足?」
「たぶん」
現地案内役の術師が振り返った。
「この地域の植物は、微量ですが地脈魔力を利用しています。以前は特に意識する必要もない程度でした」
「それが無くなった?」
「完全ではありません。ただ、十年前の推定値と比べて六割以下です」
「封印施設から遠いところも?」
「半径二十数キロまで」
「広いな」
戦う相手の姿はどこにもない。
悲鳴も、火事も、壊れた家もない。
それでも確かに、地域全体が少しずつ弱っていた。
こういう危険は、深層王より分かりにくい。
分かりにくいからこそ、長い間放置される。
◇
封印施設があるのは、地方北部の低い山の地下だった。
到着した頃には日が沈み始めていたため、その日は入口までしか行かない。
山腹に造られた石門の前へ立った瞬間、レクスは眉を寄せた。
「強い」
ディートが隣で聞く。
「何がです?」
「封印」
「中へ入らなくても?」
「分かる」
地脈から流れてくる魔力が、そこだけ不自然に引き寄せられている。
旧バルハの黒い祭壇とは逆だ。
あちらは外から中へ力を集めていた。
ここは。
流れてくるものを、片端から止めている。
「封印っていうより」
レクスは石門へ触れず、少し離れたところから流れを追った。
「壁だな」
「壁?」
クラウディア。
「中のものを出さないだけじゃない。外の流れまで全部止めてる」
「地脈も?」
「かなり」
現地術師が頷いた。
「我々も同じ結論です。しかし、この封印を弱めると、内部反応も比例して上昇する」
「どのくらい?」
「封印出力を五パーセント落とした時点で、内部魔力が約三倍になりました」
「戻した?」
「即座に」
「正解」
ディートがレクスを見る。
「あなたなら、そこだけを切り分けられますか」
レクスはすぐ答えなかった。
封印を弱くする。
言葉にすれば、自分の得意分野に聞こえる。
だが、封印は敵ではない。
むしろ今まで人々を守ってきたものだ。
ただ、その守り方が強すぎて、周囲まで締めつけている。
「明日、見る」
「今日は?」
「触らない」
「Sランクでも?」
「Sランクだからじゃない?」
ディートは一瞬だけ黙った後、深く頷いた。
「承知しました」
◇
その夜、封印施設近くの監視所で、レクスは古い図面を見ていた。
クラウディアは向かいで夕食を取り、現地術師たちは隣室で過去の測定値をまとめている。
「どう?」
彼女が聞いた。
「面倒」
「いつもそれ言うわね」
「今回は別の面倒」
「何が違う?」
「今まで弱くしてたの、危ないものだった」
「今回は守るもの」
「そう」
封印を弱くしすぎれば、中にある何かが起きるかもしれない。
弱くしなければ、土地が死んでいく。
「強い方が安全、じゃないんだな」
レクスは図面の上に指を置いた。
「何でも?」
「たぶん」
「それ、あなたが言うと変な説得力あるわね」
「俺、弱くするしかできないから」
「もう『しか』ではないでしょう」
レクスは少し考えた。
敵を弱くする。
敵が強い理由を弱くする。
危険な仕組みを弱くする。
そして今度は。
守りすぎている仕組みを、必要なところだけ弱くする。
「明日」
クラウディアが聞いた。
「何パーセントから?」
「一〇は怖い」
「じゃあ?」
「まず一」
「一パーセント?」
「ああ」
「ずいぶん慎重ね」
「弱くしすぎたら、何が出るか分からないから」
石壁の向こう、さらに地下深くから、ごく低い魔力の脈動が伝わってくる。
眠っている。
たぶん。
ただし、その脈動は魔獣の息遣いとは少し違った。
もっと規則的で。
大地そのものが、遠い場所で鼓動しているようだった。
レクスは図面を閉じた。
Sランクになって最初の依頼で、弱くする相手は怪物ではない。
人間を三百年守ってきた封印だった。
そして、今回だけは。
弱くすることが、本当に正しいのか。
そこから確かめる必要があった。




