第53話 灰の谷に眠るもの
灰の谷へ向かう一行がベルンを出たのは、先遣隊から「封印内部に急激な覚醒兆候なし」という三度目の確認が届いた翌朝だった。
急がないと決めた以上、急がないための準備は徹底した。
地下へ入る人数は絞る。一方で、谷の外には騎士団の支援部隊を置き、避難路、負傷者搬送、通信中継、封鎖線を準備する。もし灰殖獣が予想以上に増殖した場合、地下で無理に食い止めるのではなく、入口を閉鎖して外側から対処する方針も最初から共有された。
同行するのは、レクス、クラウディア、ドーガン、フィン、ギルバート、セシリア、バルガス。技術班としてアデル、ガレン、ローディス、それに古代封印術式へ詳しいエルドも加わった。
全員が深層王戦に関わった者ばかりだが、だからといって前回と同じやり方をするつもりはなかった。
「人数、少なく感じるな」
北東へ向かう馬車の中で、ギルバートが言った。
「深層王の時が多すぎたんだろ」
レクスは窓の外へ目を向けたまま答える。街道脇には収穫の終わった畑が続き、乾いた風が麦藁の匂いを運んでいた。
「でも、相手が増えるんだろ?」
「だから少なくした」
「人数が多い方が安全じゃないのか?」
「人が多いと、誰かが反射で攻撃する可能性も増える」
「それは……」
ギルバートは否定しかけ、途中でやめた。
「分かる」
「自分も含めて?」
「昔ならな。今は待つ」
「本当に?」
「最近の俺、そこそこ信用回復してない?」
向かいで地図を見ていたクラウディアが顔を上げた。
「そこそこね」
「そこそこかよ」
「最初が低かったもの」
「お前ら、移動中くらい優しくできない?」
「眠る?」
レクスが聞く。
「そういう優しさじゃない」
それでもギルバートは笑っていた。
以前なら、こういう会話の最後にはどこか引っかかるものが残ったかもしれない。今は、昔の失敗を毎回傷口として扱う必要もない。
笑えるところまで来た。
ただし、灰の谷そのものは笑える場所ではなかった。
◇
王都方面から合流したアデルたちは、道中の宿でもほとんど休まなかった。
食事の席にまで古代記録の写しを広げ、灰殖獣について分かっている内容を何度も整理していた。
「四百二十年前の記録では、正式名称が失われています。ただ、同一対象と思われる記述が三つあります」
アデルが紙を並べる。
「一つ目。《灰から肉を生むもの》。二つ目、《傷を子とする獣》。三つ目が、《受けた理を次の殻へ写すもの》」
「最後だけ急に分かりにくいな」
ギルバートが匙を止めた。
「古語ですから」
「分かりやすくすると?」
「攻撃された方法を、次の個体が真似する可能性があります」
「火を受けたら火に強くなる」
「可能性があります」
「斬られたら?」
「斬撃へ適応する」
「殴ったら?」
「打撃へ」
ギルバートはパンを置いた。
「何もしたくなくなるな」
「今のところ、それが一番正しいです」
ガレンが鼻を鳴らした。
「ようやく勇者らしからぬ知恵がついたの」
「褒めてます?」
「半分じゃ」
エルドが隣で古い封印図を指先になぞる。
「重要なのは、適応が同一個体の変化ではない可能性じゃ。古い記録では、傷ついた本体が変質するのではなく、傷口から別個体が生まれ、その別個体が受けた攻撃へ耐性を持つと読める」
「つまり」
レクスが確認する。
「攻撃して生き残らせるのが一番まずい?」
「そう考えるべきじゃろうな」
「倒し切れば?」
セシリアが尋ねる。
「それも分からん」
ガレンは面倒そうに眉を寄せた。
「死骸が増殖源になる可能性まで否定できん。だから現地で確かめるまでは、勝手に斬るな、焼くな、潰すな」
バルガスが腕を組む。
「盾で受けるのは?」
「損傷を与えぬなら問題ない可能性が高い。ただし、お主の盾へ噛みついて牙が欠けた場合、その欠損が増殖条件になるかもしれん」
「面倒すぎるだろ」
「だから封じられたんでしょう」
クラウディアの言葉に、誰も反論しなかった。
深層王も強かった。
だが、強いから危険なのと、戦う行為そのものが危険なのは違う。
「俺が先に見る」
レクスが言う。
「封印外から届くなら、まず増殖に関係するところを探す」
「攻撃力や速度より?」
ギルバート。
「後」
「珍しいな」
「何が?」
「お前が敵の攻撃力を後回しにするの」
「攻撃しなければ寝てる相手だろ」
「そうか」
「起こす前に、起こした時の面倒を減らす」
アデルが勢いよく何かを書き込んだ。
「今のもう一回言ってください」
「何で?」
「記録します」
「適当にまとめて」
「そういうところですよ、レクスさんは」
「何が?」
「後世の術式研究者が一番困るところです」
「俺、後世に残る?」
「もう残っています」
レクスは少し嫌そうな顔をした。
「消せる?」
「無理です」
◇
ベルンを出て七日目。
風景が変わった。
草が減り、木が痩せ、土から色が消えていく。
八日目の昼を過ぎた頃には、馬車の車輪が灰色の粉を巻き上げるようになった。
「これ、火山灰?」
フィンが御者台の後ろから地面を見る。
「違います」
アデルが馬車を降り、手袋越しに粉を掬った。
「少量の魔力を含んでいますが、燃焼物の灰ではありません。古い地脈沈殿物ですね」
「吸って大丈夫?」
「大量でなければ。ただ、布は巻いておいた方がいいです」
谷へ近づくほど、音がなくなった。
鳥がいない。
虫も少ない。
風が谷壁へ当たり、白灰を細く持ち上げる音だけが耳に残る。
生き物が避けている。
そう感じさせる静けさだった。
レクスは馬車を降りた瞬間、自分の靴底が灰へ沈む感触に少し顔をしかめた。
「釣りできそうな場所、一個もないな」
ギルバートが隣で言う。
「最初にそれ?」
「お前が言うと思ったから先に言った」
「別に言わない」
「本当に?」
「川ないし」
「そこは見るんだな」
クラウディアが二人の背中を軽く押した。
「遠足じゃないわよ」
「分かってる」
二人同時に答え、またクラウディアに笑われた。
◇
灰の谷の入口には、王国騎士団の臨時陣地が作られていた。
天幕は谷から少し離れた岩場に張られ、周囲には魔力測定杭と警戒鐘、退避用の馬車まで用意されている。
先遣隊を指揮していた若い騎士がローディスを見ると、すぐ報告に入った。
「封印外周に大きな変化はありません。地下からの魔力放出も、昨日からほぼ一定です。ただし、例の肉片について追加があります」
「火耐性以外か?」
「はい。魔術師が直接刺激したわけではありませんが、保管容器の冷却術式へ反応しました」
アデルの表情が変わる。
「どういう反応です?」
「肉片の表面温度が下がりにくくなりました」
「冷気耐性?」
「その可能性があります」
「接触しただけで?」
「容器越しです」
ガレンが舌打ちした。
「厄介じゃの。攻撃として受けたかどうかではなく、外部から加えられた性質を記録する可能性がある」
「保管、どうしてる?」
レクスが聞く。
「今は魔力を使わず、石箱へ入れています」
「そのままで」
「承知しました」
「肉片は増えた?」
「いえ。今のところ変化なしです」
それは少しだけ安心できる。
ただ、同時に別の問題が出た。
「じゃあ火耐性を持ってたのは」
ギルバートが言う。
「誰かが本体へ火を使った証拠か?」
「可能性は高い」
アデルが答える。
「でも確定じゃない」
レクスが続けた。
「昔から持ってた可能性もある」
「慎重だな」
「違ったら面倒だから」
◇
監視塔は、谷の中腹にあった。
三階建ての石造りで、外壁には灰が薄く積もっている。扉は壊されておらず、中の机や棚もほとんど荒らされていない。
人だけが消えた。
十一人全員が、塔を離れた記憶を失ったまま南の廃採石場で発見された。
「争った形跡、本当にないな」
バルガスが室内を見回す。
「食事も途中だったそうです」
先遣騎士が卓上の器を示した。
「全員同時?」
「おそらく」
「眠らせた?」
セシリアが食器へ残った乾いた粥を見る。
「毒物は?」
「検出されていません」
「魔術?」
「微弱な精神干渉痕が壁面に残っています。ただし、個人へ直接かけた術式か、室内全体へ作用したものかは解析中です」
レクスは壁際へ近づいた。
「見ていい?」
「お願いします」
生き物ではない。
壁。
残留術式。
《深淵呪詛》をかけるのではなく、構造を探る。
深層王地下で見たものより軽い。
それでも。
「忘却」
「やっぱり?」
アデルが寄ってくる。
「たぶん。ただ、記憶を消すだけじゃない」
「他は?」
「抵抗を弱くする前処理がある」
「精神抵抗?」
「というより、疑う力」
言ってから、レクス自身も変な説明だと思った。
「何それ?」
ギルバートが聞く。
「指示を変だと思いにくくする感じ」
アデルが壁面へ手を触れ、魔力を流した。
「……確かに。判断抑制に近いですね」
「じゃあ監視員たちは」
クラウディア。
「誰かに『ここから出ろ』と言われて、それを不自然だと思わないまま出た?」
「可能性はあります」
「歩いて廃採石場まで?」
「半日かかるぞ」
ローディスが言う。
「その間、誰にも見られていないのも不自然だ」
「道を使ってない?」
レクス。
「谷の旧搬出路なら森側へ抜けられる」
先遣騎士が地図を示す。
「現在調査中です」
「黒紋組織は」
クラウディアが低く言う。
「殺そうと思えば殺せた。でも、わざわざ記憶を弄って退かした」
「レクスに選ばせたいから?」
ギルバート。
「余計な死者が出ると、討伐一択になるから」
誰もすぐには答えなかった。
それは、あまり考えたくないほど筋が通っていた。
「人を殺さなかったから善人、にはならないぞ」
レクスが言う。
「もちろん」
クラウディアの返事は早かった。
「人の頭を弄って退かすのも十分悪質よ。ただ、目的が見えるというだけ」
「選ばせるために、条件を整えた」
「そうかもしれない」
気分が悪い。
深層王の時もそうだった。
相手は、何かを起こしているだけではない。
こちらの反応まで、見ている。
◇
封印地下へ入る前に、外部測定を半日かけて行った。
地脈は安定。
生命吸収なし。
広域精神干渉なし。
増殖反応も確認されない。
何度確かめても、今の灰殖獣は眠っている。
「これなら今日は入口まで」
レクスが言った。
ギルバートが地下入口を見る。
「中まで行かない?」
「封印前室まで」
「本体は?」
「扉越しに見る」
「効く?」
「分からない」
「なら確認だけ?」
「ああ」
「了解」
あっさり引く。
クラウディアがそれを見ていた。
「何?」
ギルバートが聞く。
「本当に待てるようになったなと思って」
「またそれ?」
「今回は感心してる」
「だったら普通に褒めてくれ」
「偉い偉い」
「子供扱いするな!」
緊張前に笑えるのは悪くない。
ただし、石階段を降り始めると自然に会話は減った。
◇
灰の谷地下は、旧バルハとはまるで違っていた。
狭い。
低い。
壁面の古代文字も装飾ではなく、警告のために刻まれたものが多い。
ところどころに灰色の結晶が露出し、松明の光を鈍く返している。
「触るなよ」
ガレンが先に言う。
「誰に言ってる?」
フィンが聞く。
「全員じゃ。特に勇者」
「俺!?」
「若い男は古代遺跡で余計なものを触る」
「偏見だろ!」
「経験則じゃ」
「俺、今日は何も触ってない!」
「今日は、じゃな」
「ギルバート」
レクスが言う。
「触らないで」
「お前まで!?」
少しだけ声が反響する。
すぐ。
皆。
黙った。
「……静かにしよう」
ギルバート自身が言った。
「それはそう」
◇
封印前室の手前で、最初の異常が見つかった。
壁。
黒紋。
新しい。
そして。
床に。
灰色の欠片。
昨日見つかった肉片とは別。
「止まって」
レクスが言う。
全員。
止まる。
アデルが遠隔測定用の細い術式糸を伸ばした。
「生体反応あり。ただし微弱」
「本体から?」
「分かりません」
「触らない」
「もちろん」
フィンが少し後ろから覗く。
「これ、肉?」
「たぶん」
「動く?」
「今は」
その言葉の直後。
肉片が。
僅かに。
膨らんだ。
全員の身体が固くなる。
「攻撃するな」
レクス。
すぐ言う。
ギルバートの手は聖剣へ行っていたが、抜かない。
「してない」
「そのまま」
「分かってる」
肉片は、ゆっくり形を変える。
拳大。
そこから。
四肢に似た突起。
頭らしき部分。
目はない。
口もない。
それでも。
何か。
生き物の形へ近づいていく。
「増殖?」
セシリアが小声で言う。
「一個だけ」
アデル。
「損傷は?」
「見た限りない」
「じゃあ何で」
ガレンが床を見る。
「魔力を食ったか」
「どこから?」
「封印の漏出じゃ」
肉片は。
床を這う。
遅い。
こちらへ。
「止める?」
バルガスが盾を構える。
「待って」
レクスは。
対象。
見る。
小さい。
でも。
構造。
複雑。
「増殖……ある」
「何パーセント?」
クラウディア。
「まだ触ってない」
「効きそう?」
「分からない」
まず。
抵抗。
高くない。
深層王のような。
巨大な壁。
ない。
「複製開始条件」
《深淵呪詛》。
「十パーセント低下」
通る。
「入った?」
アデル。
「入る」
「もっと?」
「待って」
肉片。
動き。
少し。
遅い。
「今のは何を下げた?」
ギルバート。
「増殖し始める条件」
「分かりやすく」
「増えにくくした」
「最初からそう言ってくれ」
「今言った」
「最初から!」
レクスはさらに。
「複製速度、二十」
通る。
「形質記録」
そこ。
少し。
重い。
「……八」
「低い?」
アデル。
「抵抗が高いんじゃない」
「また別?」
「奥に繋がってる」
「本体?」
「たぶん」
肉片だけでは。
完結。
していない。
「共有してる」
レクスが言う。
「何を?」
クラウディア。
「情報」
「本体と?」
「あるいは他の個体とも」
アデルの顔に、研究者としての興奮と、嫌な予感が同時に浮かぶ。
「個体群で経験を共有する?」
「かもしれない」
「厄介ですね」
「かなり」
◇
「捕まえる?」
ローディスが聞く。
「壊さずに?」
「可能なら」
「バルガス」
レクス。
「押さえられる?」
「潰さず?」
「ああ」
「やってみる」
バルガスは大盾を床へ水平に近づけ、灰色の個体の進路だけを塞いだ。
肉片から生まれた小型個体は盾へぶつかる。
柔らかい。
潰れない。
方向を変える。
「賢い?」
フィン。
「反射かもしれない」
クラウディア。
ドーガンも反対側へ回り、二枚の盾で狭い空間へ追い込む。
「箱」
アデルが言う。
「魔力なしの石箱を」
ローディスが持たせていた採取容器。
開く。
盾。
誘導。
小型個体。
入る。
蓋。
閉める。
誰も攻撃していない。
誰も傷つけていない。
「捕まえた」
ギルバートが言う。
「珍しい戦闘だったな」
「戦闘してない」
「そうだけど」
レクスは石箱を見る。
中。
まだ。
動いている。
「これで何が分かる?」
クラウディア。
「まず」
レクス。
「俺の弱体化は通る」
「深層王よりずっと?」
「今の個体には」
「でも形質記録だけ低い」
「本体と繋がってるからかも」
「なら」
アデル。
「本体側の共有網を切れれば、個体ごとの学習を止められる可能性があります」
「まだ仮説」
「分かっています」
ガレンが。
封印前室。
見る。
「仮説を確かめるには、もう一つ見ねばならんものがある」
「本体?」
「そうじゃ」
◇
封印前室の最後。
石扉。
巨大。
黒紋組織が刻んだ新しい文字は、すでに先遣隊が写し取っている。
『討つか』
『眠らせるか』
『使うか』
そして。
『選べるなら、選んでみなさい』
ギルバートが文字を見る。
「腹立つな」
「何で?」
「試されてる感じ」
「実際そうかも」
「お前、腹立たない?」
「腹立つ」
「見えない」
「今怒っても扉開かないし」
「そういうところだぞ」
クラウディアが石扉へ手を触れず、数歩離れた位置で屈む。
「封印そのものは生きてる」
「はい」
エルド。
「四百年前の術式としては、驚くほどよく残っておる。外側から補修された痕もある」
「誰が?」
「最近ではない。監視塔の歴代術師じゃろう」
アデルが測定器を並べる。
「開けなくても内部反応を拾えます」
「じゃあ開けない」
レクス。
即答。
ギルバートも何も言わない。
「測るだけ」
「はい」
アデル。
術式。
起動。
石扉。
淡く。
光る。
しばらく。
数字。
出る。
「生命反応……一つではありません」
「何体?」
「分かりません」
「十?」
「もっと」
「百?」
アデル。
顔。
硬くなる。
「個体として数えるなら」
「何体」
「少なくとも百四十七」
フィンが声を失った。
「封印の中に?」
「ただし」
アデル。
「一つ一つが別生物とは限りません」
レクス。
感触。
探る。
巨大な一。
でも。
小さい。
無数。
「重なってる」
「何が?」
クラウディア。
「一個の本体の中に、増える前の個体がいっぱいある感じ」
「卵?」
「違う」
レクス自身。
説明。
難しい。
「傷になったら外へ出る部分」
ガレンが唸る。
「予備の肉か」
「近い」
傷つける。
欠ける。
そこから。
子が出る。
「本体を斬ったら」
ギルバートが言う。
「斬った数だけ増える?」
「最悪、それ以上」
レクス。
「しかも」
もう一つ。
見える。
形質記録。
共有。
深い。
「さっきの小さい奴と繋がってる」
「石箱の?」
アデル。
「まだ」
「封印越しに?」
「ああ」
「では、さっきの個体が受けた弱体化も?」
「本体へ戻ってるかもしれない」
アデルがすぐ石箱の測定を始める。
数秒後。
顔色。
変わる。
「レクスさん」
「何?」
「石箱の個体」
「うん」
「複製速度低下が、少し戻っています」
「何で?」
「本体側から補正されている可能性があります」
「弱体化を治してる?」
「治すというより」
エルドが低く言う。
「群れ全体で正常状態を共有しておるのかもしれん」
「じゃあ一体だけ弱くしても」
クラウディア。
「本体から戻される」
「可能性高い」
レクスは石扉の向こうを見る。
見えない。
でも。
いる。
眠っている。
百以上の増殖可能な肉を抱え。
攻撃を受ければ。
その攻撃を学び。
別の身体へ写す。
「深層王と逆だな」
ギルバート。
「何が?」
「一体が強すぎた」
「ああ」
「今度は」
石扉。
見る。
「増えるから強い」
「まだ強さ自体は分からない」
「でも面倒」
「かなり」
◇
「今日はここまで」
レクスが言った。
アデルが少しだけ名残惜しそうに扉を見る。
「開けません?」
「開けない」
「ほんの少し」
「開けない」
「測定だけ」
「外からできる」
「……はい」
ガレンが笑う。
「研究馬鹿の手綱まで取るようになったか」
「前から?」
「いや。前なら、お主も一緒に奥へ行っとった」
「そうかな」
「そうじゃ」
反論。
できない。
今は。
分かる。
知らないものを。
知りたい。
見たい。
でも。
見るために起こす。
それは。
違う。
「戻る」
レクス。
皆。
頷く。
ギルバートも。
聖剣。
一度も。
抜かなかった。
◇
地上へ戻った頃には、谷の空が赤く染まっていた。
白灰が夕日を受けると、雪のようにも見える。
ただし、踏むたびに乾いた粉が舞い、喉の奥へざらつきが残る。美しいとは言いにくい場所だった。
臨時陣地で夕食を取りながら、今日分かったことを全員で整理した。
「第一」
アデルが言う。
「灰殖獣の分離個体には、レクスさんの弱体化が比較的通る」
「ただし形質記録は通りにくい」
「本体との共有網が原因の可能性」
「第二」
エルド。
「封印内には多数の増殖前組織が存在する。攻撃により、それらが個体化する可能性あり」
「第三」
ガレン。
「分離個体への状態変化が、本体側から修正される可能性」
「第四」
クラウディア。
「誰かがすでに灰殖獣へ何かを試している」
「火」
ギルバート。
「冷却」
セシリア。
「冷却は俺たちの保管時」
レクス。
「火はその前」
誰が。
ほぼ。
分かっている。
でも。
証拠。
ない。
「黒髪の女たちが」
フィンが言いかける。
「可能性は高いけど」
レクス。
「決めない」
「はい」
フィン。
素直。
引く。
「第五」
ローディスが続ける。
「監視塔人員は意図的に殺害を避けて排除された可能性が高い」
「選択させるため」
クラウディア。
「その可能性ね」
◇
「それで」
ギルバートが食器を置いた。
「明日は?」
「外から共有網を見る」
レクス。
「開けない?」
「まだ」
「了解」
「文句ない?」
「あるけど、待つ」
「文句あるんだ」
「中身見たいだろ普通」
「それは分かる」
「でも開けない」
「うん」
「俺、かなり成長してない?」
「自分で言う?」
「誰も言ってくれないから」
クラウディアが笑う。
「偉い偉い」
「また子供扱い!」
少し離れた場所でバルガスまで笑った。
深層王との戦いでは、再会した頃にはまだ皆の間に固さがあった。
今は。
同じ陣地で。
普通に笑える。
パーティへ戻ったわけではない。
戻る必要もない。
それでも。
一緒に戦うことはできる。
◇
夜。
レクスは天幕の外へ出た。
眠れないほど緊張しているわけではない。
ただ。
谷。
静かすぎる。
風。
白灰。
遠く。
監視塔。
「やっぱり釣り無理だな」
「まだ言ってる?」
後ろから。
クラウディア。
「言ってない」
「今言った」
「独り言」
「聞こえたら会話よ」
クラウディアが隣へ立つ。
「どう思う?」
「灰殖獣?」
「ええ」
「強さはまだ分からない」
「そうじゃなくて」
「何?」
「黒髪の女の選択肢」
討つ。
眠らせる。
使う。
レクスは少し考えた。
「今なら眠らせる」
「即答?」
「起きてないから」
「使う、は?」
「なし」
「理由は?」
「分からなすぎる」
「討つ、は?」
「今倒す理由ない」
クラウディアは少し頷いた。
「まともね」
「失礼だな」
「でも」
彼女は谷の奥を見る。
「向こうは、もっと情報を見せてくると思う」
「何で?」
「本当に選ばせたいなら」
「……確かに」
「その時」
「変えるかもしれない」
「選択を?」
「ああ」
「それでいいと思う」
「いい?」
「最初に決めた答えへ意地でしがみつく方が危ない」
レクスは少し笑った。
「Sランクっぽい?」
「今のは少し」
「まだAだけど」
「候補でしょう」
◇
その時。
陣地の反対側から。
警戒鐘。
一回。
二回。
連続。
「何?」
クラウディアが剣へ手を伸ばす。
「地下?」
二人。
走る。
測定天幕。
アデル。
すでに。
起きている。
「何があった!」
ギルバートも飛び込む。
「封印は破れてません!」
「じゃあ何!」
「石箱!」
昼間捕獲した。
分離個体。
石箱。
震えている。
「攻撃するな!」
レクス。
近づく。
中。
灰色の小型個体。
身体。
変化。
している。
表面。
硬い。
さっきまで。
柔らかい肉。
だった。
「何これ」
フィンが遅れて入る。
「鎧?」
アデル。
測定。
「違います」
「じゃあ?」
「魔力反応」
セシリア。
見る。
「何属性?」
アデル。
数秒。
黙る。
「聖属性」
全員。
ギルバートを見る。
「俺、触ってないぞ!」
「分かってる」
レクス。
昼間。
ギルバート。
聖剣。
抜いてない。
魔法も。
使ってない。
「じゃあ何で」
クラウディア。
アデル。
顔。
青い。
「本体側です」
「何?」
「封印の向こうの本体が」
石箱。
個体。
測る。
「聖属性攻撃を受けています」
ギルバートの表情が変わる。
「今?」
「今です」
「誰か中にいる?」
ローディス。
「封印扉は!」
「開いてません!」
「別の入口?」
「不明です!」
レクス。
石箱。
個体。
見る。
本体。
共有網。
そこから。
新しい。
記録。
流れてくる。
聖。
属性。
「誰かが」
レクスが言う。
「封印の中で戦ってる」
深夜。
誰も開けていないはずの。
灰の谷地下。
眠っているはずの灰殖獣は。
いま。
誰かの攻撃を。
覚え始めていた。




