第51話 次は、お前が選べ
灰の谷へ向かうかどうかを決める会議は、ベルン冒険者ギルドでは収まらなかった。
王国騎士団、中央冒険者ギルド、宮廷魔術師団、エルディナ公国。それぞれが関わる以上、簡単に「行く」「行かない」で済む話ではない。
その日の午後には王都とベルンを結ぶ長距離通信術式が用意され、会議室の中央には灰の谷周辺を描いた大きな地図が広げられた。
レクスはその地図を見ながら、最初から一つだけ決めていた。
「今すぐは行かない」
通信石の向こうで、何人かが同時に何かを言いかけた。
最初に声を出したのはアデルだった。
『理由を聞いても?』
「相手が来いって言ってるから」
『それだけですか?』
「それだけでも十分だけど、他にもある」
レクスは灰の谷へ印を付けられた地点を見る。監視塔は無人。戦闘痕なし。死体なし。地下封印は壊れていない。そして入口に刻まれていたのが、《減らす者へ 次は、お前が選べ》。
「中に何がいるか分からない。黒紋組織がどこまで準備してるかも分からない。監視塔の人間がどこへ行ったかも分からない。それで向こうから『来い』って言われて、その日のうちに出発する方がおかしいと思う」
ギルバートが壁際で腕を組みながら頷いた。
「俺も今回は同意する」
クラウディアが横を見る。
「今回は?」
「昔なら、たぶん先に行こうって言ってた」
「自覚があるなら結構ね」
「最近そこばっかり言われるな」
「事実だからでしょう」
通信石の向こうでガレンが鼻を鳴らした。
『小僧の判断でよい。罠かどうか以前に、封印対象の性質すら分からん状態で地下へ入るのは阿呆じゃ』
「ガレンが一番賛成してる」
『当たり前じゃ。儂は長生きしたい』
「そこは俺も同じ」
『なら少しは老人の知恵を尊重せい』
「今してる」
『珍しいのう』
「皆、今日ちょっと失礼じゃない?」
張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
けれど、誰も本気で笑ってはいなかった。
灰の谷で何かが始まっている。
それだけは間違いない。
◇
「まず確認すべきことを整理します」
ローディスが卓上へ資料を並べた。
「第一、監視塔の人員の行方。第二、地下封印の状態。第三、黒紋組織が灰の谷へ入った時期。第四、封印対象の性質。第五、あの文言がレクス殿へ何を選ばせようとしているのか」
「最後が一番分からない」
レクスが言う。
「分からないから調べるんでしょう」
クラウディアが返した。
「候補は?」
ギルバートが聞く。
アデルが通信越しに答える。
『現時点では三つくらい考えています。封印対象を倒すか、残すか、あるいは使うか』
「使う?」
ギルバートの顔が露骨に嫌そうになる。
『深層王の件を思い出してください。黒紋組織は、ただ古代存在を目覚めさせたいだけではありません。性質を確認し、利用価値を見ている可能性が高い』
「だから俺に選ばせる?」
『あなたが実際に対象を弱体化できるか。弱体化した状態なら利用できるか。その判断をさせたい可能性があります』
「何で俺に」
『分かりません』
「そこが一番大事なのに」
『分からないものは分かりません』
「最近皆それ言うな」
「あなたが広めたんじゃない?」
クラウディアが言う。
「便利だからな」
「認めるのね」
◇
その時。
会議室の扉が開いた。
「レクスさん」
ミリア。
その後ろ。
ノア。
「起きてていいの?」
「本人が来たいと」
ノアは昨日より顔色がいい。
ただし。
右手。
黒紋。
まだ。
布。
巻かれている。
「座って」
レクスが言う。
「大丈夫です」
「じゃあ座って」
「……はい」
反論するより早く。
ノアは素直に椅子へ座った。
少し。
変わった。
「灰の谷」
ノアが言う。
「思い出せそう?」
「少し」
「無理しない」
「はい」
その返事にも。
前のような焦りがない。
「昨夜、寝る前に」
ノアは机上の地図を見る。
「前に見た地図を思い出してました」
「記憶遮断は?」
「少しだけ弱めてもらったままです」
レクスが確認する。
「誰に?」
「術式師の人に」
「自壊は?」
「抑えたまま」
「なら」
レクスは。
ノアを見る。
「話せる範囲で」
「はい」
◇
「灰の谷の印には」
ノアがゆっくり言う。
「深層王の時みたいに、性質が書いてありました」
「覚えてる?」
「全部じゃないです」
「一つでもいい」
「増える」
「増える?」
ギルバートが聞き返す。
「そう書いてあったと思います」
「増殖?」
アデルの声が鋭くなる。
『他は?』
「複製……似たものを作る……」
ノアの眉間に皺が寄る。
「無理に引っ張らなくていい」
レクスが言う。
「でも、もう少し」
「自分で決めて」
ノアは一度目を閉じ、深く息を吐いた。
「……受けたものを覚える」
会議室が静かになった。
「受けたもの?」
クラウディアが聞く。
「攻撃かもしれない」
「どういう意味?」
「分かりません。でも、地図の横にそういう言葉があった気がします」
アデルが通信石の向こうで何かを書き留める音がする。
『増殖。複製。受けたものを記録。少なくとも、深層王とは全く違う性質ですね』
「攻撃したら増えるとか?」
ギルバートが言う。
「まだ決めつけない」
レクスが止める。
「でも可能性はある」
クラウディアが続ける。
「もしそうなら、深層王みたいにとりあえず殴って様子を見るのは危ないわね」
「誰がそんなことするんだよ」
ギルバートが不満そうに言う。
三人。
ギルバートを見る。
「……昔の俺を見るな」
◇
「他にも」
ノアが言った。
「灰の谷には、三つの選択が書かれていた気がします」
「三つ?」
「はい」
「覚えてる?」
「一つ目は、消す」
「討伐?」
「たぶん」
「二つ目」
「眠らせる」
「再封印」
「三つ目は」
ノアが止まる。
「何?」
「使う」
通信石越しに誰かが小さく息を呑んだ。
「やっぱり」
クラウディアが言う。
「選べ、ってそういう意味?」
「可能性は上がった」
レクスは地図を見る。
「俺に、どれか選ばせたい」
「でも」
ギルバートが首を傾げる。
「何でわざわざ選ばせる?」
「黒髪の女たちが自分で決めればいいだろ」
「その通りね」
クラウディアも同じ疑問らしい。
「討伐したければ自分たちで壊す。封印したければ放置する。利用したければ術式を組む。わざわざレクスを呼ぶ理由が足りない」
「俺にしかできない部分がある?」
レクス。
「弱くすること?」
ノア。
その言葉に反応。
「……それ」
「何?」
「思い出したかもしれません」
「ゆっくりでいい」
「『選択できる状態にする』って」
ノアは。
右手。
見る。
「誰かが言ってました」
「何を?」
「古いものは、強すぎて選べない」
室内。
静か。
「倒すしかない」
ノア。
続ける。
「封じるしかない。逃げるしかない。だから」
視線。
レクスへ。
「弱くできる人がいれば」
喉。
動く。
「初めて、選べる」
◇
「……なるほど」
アデルの声が変わった。
『彼らは、レクスさんの能力を兵器としてだけ見ているわけではないのかもしれません』
「じゃあ何?」
『選択肢を作る能力』
「大げさだな」
『深層王を考えてください。四百年前の人々は討伐できず、封印しかなかった。現代でも、レクスさんがいなければ再封印か大規模被害覚悟の討伐しかなかったかもしれない』
「でも俺一人じゃ無理だった」
『それは承知しています』
「なら」
『それでも、九十九パーセントまで落とせることで選べる手段が増えた』
レクスは。
少し。
嫌な感じ。
する。
「黒髪の女も、そう考えてる?」
『可能性があります』
「だから『選べ』?」
『はい』
クラウディア。
椅子へ。
深く。
座る。
「厄介ね」
「何が?」
「ただの悪人なら、倒すだけで話が早い」
「今さら?」
「今さらよ」
「でも人を実験に使ってる」
「そこは変わらない」
クラウディアの声が冷える。
「選択肢を増やしたいという目的があったとしても、そのためにトルメの人たちを吸わせていい理由にはならない」
「うん」
「ノアに自壊術式を入れていい理由にも」
「うん」
「だから」
レクスが言う。
「信用しない」
ノアが。
少し。
顔を上げる。
「でも話は聞く」
ギルバートが聞く。
「何で?」
「目的が分からないと止め方も分からない」
「殴るだけじゃ駄目?」
「お前、最近成長したんじゃなかった?」
「冗談だよ!」
◇
「ただし」
ローディスが地図へ指を置く。
「相手の目的が多少見えたとしても、灰の谷へすぐ入る理由にはならない」
「そこは変わらない」
レクス。
「監視塔の人間、まだ見つかってない」
「実は」
ミリアが。
紙。
出す。
「その件、つい先ほど報告が来ました」
「見つかった?」
「はい」
全員。
ミリアを見る。
「灰の谷から南へ半日の位置にある廃採石場で、監視塔勤務者十一名が発見されました」
「生きてる?」
「全員」
室内。
僅かに。
緩む。
「怪我は?」
「軽い脱水と疲労。目立つ外傷なし」
「何でそこに?」
「分かりません」
「本人たちは?」
「監視塔を出た記憶がないそうです」
ノアの右手。
レクス。
見る。
「記憶遮断?」
「可能性があります」
「黒紋は?」
「ありません」
「じゃあ別の術式?」
「王都術師団が確認中です」
「誰かに連れ出された?」
「それも不明」
ただ。
一つ。
重要。
「監視塔を空にした。でも殺さなかった」
クラウディアが言う。
「旧バルハの時より明確に、こちらを誘導してるわね」
「死体があった方が怒って来ると思わなかった?」
ギルバート。
「目的が討伐隊を感情的に突入させることならね」
レクス。
「でも違う?」
「たぶん」
クラウディア。
「レクスに考えさせたい」
その言葉。
気に入らない。
「勝手だな」
「かなりね」
◇
会議は。
午後いっぱい。
続いた。
灰の谷へ即時突入しない。
これは全員。
ほぼ一致。
代わりに。
現地封鎖。
監視塔人員の保護。
封印術式の外部測定。
周辺魔物の変化。
地脈。
魔力流。
全部。
先。
見る。
「レクスさん」
アデル。
『一つ確認です』
「何?」
『もし灰の谷の対象が、ノアさんの記憶通り「増殖」「複製」「受けたものを覚える」性質を持っていた場合』
「うん」
『弱体化をどう使います?』
「まだ見てないから分からない」
『仮に』
「仮に?」
『攻撃されると増える』
レクス。
少し。
考える。
「増える条件を下げる」
『増える条件?』
「発動率とか、複製速度とか」
『なるほど』
「本体の攻撃力とかは後」
『なぜ?』
「攻撃しなければいいなら、先に増えないようにする方が大事」
アデル。
少し。
黙る。
『やっぱり行く気はあるんですね』
「必要なら」
『今すぐではなく?』
「今すぐじゃない」
『分かりました』
その答え。
前なら。
違ったかもしれない。
◇
会議。
終わり。
ノアが。
まだ。
席に残っている。
「疲れた?」
レクス。
聞く。
「少し」
「じゃあ戻ろう」
「一つだけ」
「何?」
「俺」
ノア。
右手。
見る。
「灰の谷へ行った方がいいですか」
レクス。
すぐには。
答えない。
「行きたい?」
「分かりません」
「じゃあ今決めなくていい」
「でも俺なら、あの人たちのこと思い出せるかもしれない」
「そうだな」
「役に」
言いかけ。
止まる。
レクスは。
待つ。
「……役に立つかもしれない」
「それだけ?」
ノア。
少し。
困る。
「怖いです」
「うん」
「でも、逃げたままなのも嫌です」
「それも本当?」
「はい」
「なら、その二つで考えればいい」
「役に立つかじゃなく?」
「それも判断材料にはなる。でも」
レクス。
椅子。
引く。
「行くかどうかは、お前が壊れない方を選べばいい」
「そんな決め方でいいんですか」
「俺は結構それで決めてる」
「釣りに行くかも?」
「それは行く」
「そこは迷わないんですね」
「大事だから」
ノア。
少し。
笑う。
◇
翌朝。
現地から。
追加報告。
届く。
灰の谷。
外部封印。
異常なし。
魔力流。
安定。
内部反応。
低い。
つまり。
「まだ寝てる」
レクスが言う。
ミリア。
頷く。
「現地術師団も同じ判断です」
「急がなくていい?」
「少なくとも今日明日で完全覚醒する兆候はないそうです」
「じゃあ準備できる」
「はい」
それだけで。
大きい。
深層王の時は。
追われた。
起きる。
吸う。
時間。
なかった。
今回は。
相手。
待っている。
それ自体。
気味悪い。
でも。
時間。
あるなら。
使う。
「何する?」
ギルバートが。
ギルドへ来ていた。
「何でいる」
「報告聞きに」
「毎日来るね」
「お前もだろ」
「俺は呼ばれた」
「俺も」
「誰に?」
「自分に」
「それ呼ばれたって言わない」
クラウディアも。
少し遅れて入る。
「結局、行く方向?」
「準備してから」
レクス。
「今度は」
地図。
指。
「先に相手の性質を調べる」
「情報不足で入らない」
クラウディア。
「人数も決める」
ギルバート。
「大軍は?」
「増殖相手なら邪魔になるかも」
「それも調べてから」
「正解」
クラウディアが頷く。
「Sランク審査、これも見られてるんじゃない?」
「やめて」
「何で」
「試験考えながら動きたくない」
「それは正しい」
「じゃあ言わないで」
◇
同じ頃。
灰の谷。
監視塔から。
さらに地下。
誰も。
入っていないはずの。
封印前室。
古い石扉。
その向こう。
灰色の肉塊のようなものが。
ゆっくり。
呼吸していた。
一つの身体。
ではない。
重なっている。
何層も。
眠る。
そして。
石扉の外。
新しい。
黒い紋章。
その横。
文字。
増える。
『討つか』
『眠らせるか』
『使うか』
最後に。
もう一行。
『選べるなら、選んでみなさい』
文字を書いた者の姿は。
そこには。
もういなかった。




