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第43話 消えた黒髪の女

 北東の小国から届いた資料には、黒髪の女の名前がなかった。


 正確には、名前を名乗った記録が一つもない。


 代わりに残っていたのは、目撃証言と、妙に似通った行動記録だった。


「三年前、ルーディア山岳国の封印洞窟」


 翌朝。


 王都外交局の会議室で、担当官が資料を読み上げる。


「二年前、ヴァルナ公国西部の地下礼拝堂。一年半前、旧セレス修道院跡。その後、北方の石棺遺跡と、今回の旧バルハ廃都」


 卓上の地図へ。


 赤い印が。


 一つずつ。


 増えていく。


 レクスは。


 その位置を見た。


「全部、古い遺跡?」


「はい」


「ただの遺跡ではありません」


 アデルが横から口を挟む。


「少なくとも、確認できている四地点には封印術式、隔離術式、あるいは封鎖された地下区画があります」


「全部、深層王みたいな何かがいる?」


「そこまでは分かりません」


 担当官が首を振る。


「現在も封印対象が存在する場所もあれば、数百年前に機能を失った遺跡もあります」


 ギルバートが腕を組んだ。


「じゃあ、あの女は災厄を片っ端から起こしてるわけじゃない?」


「少なくとも、その証拠はありません」


「旧バルハではやった」


「ええ」


「他では?」


「起きていない?」


 クラウディアが聞く。


 担当官は資料をめくった。


「確認されていません。むしろ不自然なくらい何も起きていない場所があります」


「入っただけ?」


「それも分かりません」


 レクスは。


 少しだけ。


 眉を寄せた。


「何をしてたか見た人は?」


「ほとんどいません。ただ、一件だけ」


 担当官が。


 別の記録を出す。


「旧セレス修道院跡で、現地の遺跡管理人が黒髪の女と会話しています」


「内容は?」


「短いものです」


 紙。


 読む。


「『ここにはもういない』」


 それだけ。


「誰が?」


 フィンが聞く。


「分かりません」


「それで終わり?」


「その後、女は何も盗まず、封印も壊さず、立ち去ったそうです」


「……何しに行ったんだ」


 バルガスが言う。


 誰も。


 すぐ答えられなかった。


     ◇


「見つけたものを起こす」


 セシリアが言う。


「それなら分かりやすいけど」


「違いそうね」


 クラウディアが地図を見る。


「起こす価値があるか調べてる?」


「価値?」


 ギルバートが聞く。


「危険度。能力。利用できるかどうか」


「利用?」


 レクスは。


 旧バルハ地下を思い出す。


 深層王。


 自然に。


 生命を吸う。


 傷つけば。


 さらに吸う。


 再生する。


 強くなる。


 そして。


 その核。


 最後に見つかった。


 赤い人工術式。


「深層王は」


 レクスが言った。


「起こされただけじゃなかった」


 アデルが。


 すぐ反応する。


「そうです」


「どういうこと?」


 外交局の担当官が尋ねる。


 アデルは。


 昨日の報告書とは別に。


 持参した術式図を広げた。


「これが深層王本体」


 中央。


 巨大な円。


「こちらが四百年前の封印」


 その周囲。


「そして」


 赤い線。


 内側へ。


「これが後付けされた覚醒術式です」


「単に起こす術式ではない?」


「私は、そう考えています」


 アデルは。


 紙の一部を指差した。


「ここ」


「何?」


「刺激量の調整ではありません」


「じゃあ?」


「性質の固定」


 部屋が。


 静かになる。


「固定?」


 セシリアが聞く。


「深層王が持っていた『飢餓』、吸収、再生、外部魔力依存。それらのうち、特に飢餓と吸収を強調する方向へ術式が働いていました」


「つまり?」


 ギルバートが言う。


「元から人を食う化け物だったんじゃないのか?」


「そうです」


「じゃあ何を固定した?」


「その部分だけを」


 アデルが答える。


「深層王は、確かに元々周囲の生命力や魔力を吸収する性質を持っていました。しかし、それしかない存在だったかは分からない」


「……あ」


 レクスが声を出す。


 最後。


 核を砕く前。


 深層王は。


 話した。


『我でなくなる』


 覚醒術式を外そうとした時。


 そう言った。


「思い出した?」


 クラウディアが聞く。


「ああ」


「何を?」


「赤い術式を外した時」


 レクスは。


 できるだけ正確に話す。


「深層王が『我でなくなる』って言った」


「それ」


 アデルの顔が変わる。


「報告にはありましたけど、やっぱり重要です」


「どういう意味?」


 バルガスが聞く。


「もし赤い術式が、ただ目覚めさせるだけなら」


 アデルは。


 深層王の核。


 そこへ引かれた。


 赤い線を見る。


「外されて『自分でなくなる』とは言わないでしょう」


「じゃあ」


 セシリアが考える。


「術式込みで、自分だと思わされてた?」


「可能性があります」


「誰かに?」


「はい」


「黒髪の女たちに?」


「それも」


 レクスは。


 首を振る。


「まだ分からない」


 その場の全員が。


 レクスを見る。


「何?」


「今、お前が一番慎重だなと思った」


 ギルバートが言う。


「分からないことを決めつけても仕方ないだろ」


「そうなんだけど」


「何?」


「昔なら『たぶんそうだ』で動いてた気がする」


「最近の俺、そこまで信用なかった?」


「自分で聞く?」


 クラウディアが笑う。


 レクスは。


 少しだけ。


 不満だった。


     ◇


「整理しましょう」


 王国側の担当官が言った。


「黒髪の女たちの組織は、少なくとも複数の古代遺跡を調査している」


「はい」


「すべてを破壊しているわけではない」


「確認されている限りでは」


「すべての封印を解いているわけでもない」


「はい」


「旧バルハだけは、深層王の覚醒を進めた」


「そうです」


 担当官は。


 一度。


 黙る。


「なら」


 ディアスが言った。


「深層王だからやった理由がある」


「能力?」


 マリアナが聞く。


「あるいは性質」


 アデルが答える。


「吸収能力が欲しかった?」


 フィンが。


 少し嫌そうに言う。


「何に使うんです?」


「分からない」


「またですか」


「分からないものは分からないです」


「最近それ聞き慣れました」


「いいことですよ」


「そうです?」


「適当に答えられるよりは」


 レクスが。


 赤い術式図を見る。


「深層王を操ろうとしてた?」


「完全制御ではないと思います」


 アデル。


「なぜ?」


「暴走したからです」


 そうだった。


 黒髪の女自身。


 予定より早い。


 そう言っていた。


 完全覚醒を。


 望んでいたわけでもない。


 少なくとも。


 あの時点では。


「じゃあ試してた?」


 クラウディアが言う。


「何を?」


 ギルバート。


「深層王に、自分たちの術式をどこまで入れられるか」


「……実験」


 セシリアが嫌な顔をする。


「人が百九十三人巻き込まれた実験?」


「それなら」


 マリアナの声が冷える。


「なおさら許せません」


 その感情は。


 当然だった。


 トルメ村で。


 実際に。


 人が衰弱した。


 眠れない。


 胸が苦しい。


 命を吸われた。


「利用されてたからって」


 レクスが言う。


「深層王が何したかは消えない」


 マリアナが。


 こちらを見る。


「でも、深層王だけが悪かったわけでもない」


「……ええ」


「黒い奴らが何をしたかも別」


「そうですね」


 レクスは。


 そこを。


 混ぜたくなかった。


 利用された。


 だから。


 すべて無罪。


 そんな話ではない。


 深層王は。


 人を喰った。


 四百年前にも。


 現代にも。


 でも。


 誰かが。


 その性質を利用し。


 さらに。


 固定し。


 増幅していた。


 なら。


 そちらにも。


 責任がある。


     ◇


 北東小国からの資料には。


 もう一つ。


 奇妙な共通点があった。


「全部」


 アデルが地図を見て言った。


「同じ順番で回ってるわけじゃない」


「何が?」


「遺跡」


 赤い印。


 点々。


「距離順でもない。国境順でもない。時系列に並べても、移動効率が悪すぎる」


「何でそんなことする?」


「探しているものが場所じゃないからでは?」


 エルドが言う。


「どういう意味?」


「遺跡そのものではなく、中身じゃ」


「中身」


「封じられているもの。残された術式。古代の遺物。何でもよい」


 エルドは。


 地図を。


 指でなぞる。


「目的の条件に合うものだけを探しておる」


「じゃあ」


 ギルバートが言う。


「『ここにはもういない』っていうのも」


「探していた対象がすでに消えていた」


「可能性はある」


 担当官が頷いた。


「なら、黒髪の女が出入りした場所を調べれば」


「次が分かる?」


 クラウディア。


「全部分かるとは限りません」


 担当官。


「ただし、共通条件は絞れるかもしれません」


「調べるのは?」


 レクスが聞く。


 担当官が。


 一瞬。


 嫌な予感のする顔をした。


「合同調査班を編成する予定です」


「俺は?」


「現時点では参加要請していません」


「本当に?」


「はい」


 レクスは。


 少し。


 安心した。


「よかった」


 ギルバートが笑う。


「顔に出るなあ」


「休みたいから」


「分かる」


「ただし」


 担当官が続ける。


 レクスの顔が。


 すぐ戻る。


「ただし?」


「調査の結果、レクス殿の能力が必要と判断された場合には、相談を」


「依頼?」


「はい」


「断れる?」


「特別協力冒険者としては」


「なら大丈夫」


「お前、そこ本当に大事にするようになったな」


 ギルバートが言う。


「大事だろ」


「大事だけど」


「休みなくなるから」


「世界を救った後に一週間休むっていう目標、そこまで難しいか?」


「今のところ難しい」


「気の毒になってきた」


「他人事みたいに言うな」


     ◇


 会議が。


 一度。


 休憩へ入る。


 王城内。


 窓のある小部屋。


 レクスは。


 水を飲んでいた。


 クラウディアが。


 隣の椅子へ座る。


「どう思う?」


「何が?」


「あの女」


「黒髪の?」


「そう」


 レクスは。


 少し考える。


「嫌い」


「即答」


「人から命取った」


「そこは分かる」


「でも」


「でも?」


「全部分からない」


「何が?」


「目的」


 旧バルハ地下。


 黒髪の女。


 レクスたちを。


 止めなかった。


 むしろ。


 来ることを。


 待っていた。


 深層王を。


 弱くできるか。


 見たかった。


「俺を殺したいなら」


「機会はあった?」


「あったと思う」


「それでも殺さなかった」


「むしろ地下まで通した」


「試された?」


「たぶん」


 クラウディアは。


 少し。


 窓の外を見る。


「気に入られてるわね」


「嫌だな」


「そう?」


「何で嬉しそうなんだ」


「面倒そうだから」


「人の面倒を楽しむな」


「少しだけよ」


「少しならいいと思ってる?」


「かなり」


「正直だな」


     ◇


 廊下側から。


 ギルバートが入ってきた。


「いた」


「何?」


「探してた」


「また?」


「今回は釣りじゃない」


「何で分かる」


「王城だぞ」


「そうだった」


 ギルバートは。


 レクスの向かいへ座る。


「一個聞きたい」


「何?」


「深層王」


「うん」


「最後、会話してたよな」


「ああ」


「お前は」


 少し。


 言い方を探す。


「可哀想だと思った?」


 クラウディアが。


 ギルバートを見る。


 少し。


 意外そうだった。


 レクスも。


 すぐには答えなかった。


「少し」


 正直に言う。


「でも」


「うん」


「倒さない方がよかったとは思わない」


「そうか」


「放っておけば人を喰った」


「ああ」


「それに」


 レクスは。


 手の中の水を見る。


「利用されてたからって、やったこと全部なくならない」


「うん」


「でも、利用した奴が悪くないことにもならない」


「……そうだな」


 ギルバートが。


 少し。


 息を吐く。


「何で聞いた?」


「俺」


「うん」


「昔なら、たぶん考えなかった」


「何を?」


「魔物が悪い。倒した。終わり」


 レクスは。


 黙って聞く。


「でも深層王と話してるお前見て」


 ギルバートは。


 少し苦笑する。


「変な感じした」


「何が?」


「敵なのに、完全に『敵』だけじゃないっていうか」


「難しく考えすぎじゃない?」


「お前が言う?」


「俺、そんな考えてない」


「嘘つけ」


「本当」


「じゃあ何で最後に話聞いてた」


「向こうが喋ったから」


「それだけ?」


「それだけ」


 クラウディアが。


 吹き出した。


「何?」


「二人とも、面倒くさいところが違うのね」


「褒めてないだろ」


 ギルバートが言う。


「全然」


     ◇


 午後。


 北東小国からの使者本人が到着した。


 年齢は四十前後。


 痩せた男。


 地味な茶色の外套。


 外交官らしい華美さが少ない。


「ヘルムート・レヴァンと申します」


 男は。


 王国側。


 公国側。


 両方へ。


 同じ深さで頭を下げた。


「今回、情報提供に応じた理由は?」


 王国担当官が尋ねる。


「こちらも困っているからです」


 返答は。


 早い。


「黒髪の女?」


「女だけではありません」


「集団?」


「ええ」


 ヘルムートは。


 新しい紙を出した。


「我が国では、彼女たちを便宜上『黒紋の旅人』と呼んでいます」


「正式名称?」


「違います。右手に同じ系統の紋章を持つ者が複数確認されたため、役所内でそう呼んでいるだけです」


「組織名は?」


「不明」


「誰も名乗らない?」


「正確には」


 ヘルムートが言う。


「聞いても答えない」


「捕まえたことは?」


「ありません」


「逃げる?」


「それもあります」


 男は。


 少し。


 顔をしかめた。


「ですが、こちらから敵対行為をしない限り、向こうも攻撃してこない例が多い」


「旧バルハと違うな」


 ギルバート。


「ええ」


「なら余計に」


 クラウディアが言う。


「何を基準に動いてるのか分からない」


「我々もそう考えています」


 ヘルムートは。


 一枚。


 古い報告書を出す。


「二年前。我が国の封鎖遺跡に黒髪の女が侵入した際、警備兵二名が遭遇しました」


「戦闘?」


「いいえ」


「何をした?」


「女は遺跡中央の石棺を見て」


 ヘルムートが。


 文章を読む。


「『これは違う』」


 短い。


 また。


 それだけ。


「違う?」


 アデルが食いつく。


「何と比べて?」


「不明です」


「石棺の中身は?」


「空です」


「元から?」


「少なくとも百年以上前には」


「……また『いない』」


 レクスが言う。


「探してるんだ」


「何を?」


 ギルバート。


「分からない」


「そこまで来てまだ分からないのか」


「分からないだろ」


「まあ、そうだけど」


     ◇


「もう一つあります」


 ヘルムートが言った。


「こちらは」


 少し。


 躊躇。


「公式記録ではありません」


「どういう意味?」


「警備兵個人の証言です」


「信用性は?」


「完全には保証できません。ただ、二名が別々に同じことを言っています」


 紙。


 読む。


「黒髪の女は、石棺を確認した後」


 一拍。


「『これでは彼の役に立たない』と言った」


 部屋。


 静かになる。


「彼?」


 セシリア。


「誰」


「不明です」


「深層王より前の話?」


 レクスが聞く。


「二年前です」


「俺と会う前」


「少なくとも、あなたが旧バルハの一件へ関わるより前です」


 クラウディアが。


 レクスを見る。


「あなたじゃない?」


「たぶん」


「でも」


 アデルが言う。


「組織がもっと前から『誰か』を探していた可能性はある」


「誰かに使うため?」


「何かを」


 ヘルムートが補足する。


「それも断定できません」


 レクスは。


 黒髪の女の。


 あの言葉を思い出す。


『本当に彼ができるなら、それはそれで価値がある』


 深層王を。


 弱くできる。


 そう分かった時。


 彼女は。


 それを。


 喜んでいた。


 討伐される危険すら。


 許容して。


「……俺じゃないかもしれないけど」


 レクスが言う。


「今は俺も、その『彼』に入ってるかもしれない」


「嫌な入り方ね」


 クラウディア。


「抜けたい」


「向こうが勝手に入れてるなら難しいでしょう」


「迷惑だな」


     ◇


 夕方。


 合同会議は。


 ひとまず。


 結論を出した。


 黒髪の女たち。


 正式名称不明。


 目的不明。


 敵対組織と断定はしない。


 ただし。


 旧バルハにおける多数の生命力搾取。


 封印改変。


 深層王覚醒。


 それらの事実から。


 重大危険対象。


 遭遇時。


 独断追跡禁止。


 接触した場合。


 情報確保を優先。


 可能なら捕縛。


 ただし。


 無理に戦闘へ持ち込まない。


「妥当ね」


 クラウディアが言う。


「殺害命令じゃないんだな」


 ギルバート。


「情報が足りない」


 ローディスが答える。


「それに」


 レクス。


「逃げる術式持ってる」


「そうだな」


「追ったら罠かもしれない」


「それもある」


 ギルバートが。


 少し。


 笑った。


「俺より慎重だな」


「今はな」


「そこ認めるんだ」


「事実だから」


     ◇


 会議が終わった後。


 レクスは。


 王城の廊下を歩いていた。


 長い一日。


 また。


 疲れた。


「明日帰れる?」


 クラウディアへ聞く。


「中央ギルドの確認が終われば」


「終わる?」


「たぶん」


「たぶんか」


「そこは我慢して」


 ギルバートも。


 後ろから来る。


「帰ったら釣りだろ?」


「ああ」


「俺も行く」


「何で」


「昨日釣れたから」


「一回釣れただけで?」


「次も行ける気がする」


「そういう時ほど」


「釣れないんだろ?」


「覚えたな」


「成長した」


「自分で言う?」


 そんな。


 くだらない話をしながら。


 廊下の角を曲がった時。


 向こうから。


 アデルが走ってきた。


「レクスさん!」


「何?」


「ちょっと来てください!」


「緊急?」


「緊急ではないです!」


「じゃあ明日」


「駄目です!」


「最近これ多いな」


「いいから!」


 アデルが。


 抱えている紙。


 赤い術式。


 深層王の核。


 あの解析記録。


「何か分かった?」


 レクスが聞く。


「分かったというより」


 アデルは。


 息を整える。


「変なんです」


「何が?」


「覚醒術式の構造」


「今さら?」


「今さらだから変なんです!」


「意味分からない」


「深層王を起こすだけなら」


 アデルが。


 紙を広げる。


「こんな術式いらないんです」


 レクス。


 クラウディア。


 ギルバート。


 三人。


 足を止める。


「どういうこと?」


「もっと簡単にできます」


「人から吸って」


「はい」


「供給して」


「はい」


「封印壊して」


「それだけでも?」


「目覚めます」


「じゃあ赤い術式は?」


 アデルの指。


 核。


 その中心。


「深層王に」


 一度。


 言葉を選ぶ。


「何かを覚えさせるための構造に見える」


「覚えさせる?」


「正確には」


 アデルの顔から。


 研究者の楽しそうな色が。


 消える。


「特定の状態を『自分自身だ』と認識させる」


 レクスは。


 声を出さなかった。


 深層王の言葉。


『我でなくなる』


 もう一度。


 頭の中で。


 響いた。


     ◇


 その夜。


 追加解析。


 アデル。


 ガレン。


 エルド。


 宮廷魔術師数名。


 レクスたちは。


 付き合うことになった。


「帰りたい」


「もう諦めろ」


 ギルバートが言う。


「お前もいるじゃん」


「俺も帰りたい」


「じゃあ帰ろう」


「今は気になる」


「それも分かる」


 術式図。


 何枚。


 重なる。


「ここ」


 アデルが言う。


「覚醒出力」


「うん」


「ここが飢餓増幅」


「うん」


「ここが吸収固定」


「うん」


「そして」


 中央。


 複雑。


 環状。


「これ」


「何?」


「自己認識固定」


「そんな術式ある?」


 セシリア。


「普通はありません」


「普通は?」


「精神操作術の応用ではあります。ただ、相手は深層王ですよ」


「何が問題?」


「精神構造が人間と違う」


「じゃあ」


「この術式を作った人間は」


 アデルが。


 紙を見る。


「深層王の精神構造を、ある程度理解していた」


 ガレンが。


 嫌そうな顔をする。


「あるいは」


「何?」


「長い時間をかけて調べた」


 レクスは。


 少し。


 寒くなった。


 深層王。


 四百年前。


 封印。


 その後。


 誰かが。


 何年。


 何十年。


 あるいは。


 もっと長く。


 地下のあれを。


 見ていた?


「黒髪の女が?」


「年齢が合いません」


 アデル。


「見た目通りなら」


「組織として」


 クラウディア。


「それなら可能性はある」


「でも」


 ギルバートが言う。


「何のために?」


 また。


 そこへ戻る。


 目的。


 分からない。


「深層王を」


 レクスが言った。


「もっと深層王らしくした?」


 全員。


 こちらを見る。


「変な言い方だけど」


「いや」


 アデルが。


 ゆっくり頷く。


「かなり近いです」


「元からあった飢えを」


「固定する」


「吸収も」


「増幅する」


「それを」


 レクス。


 続ける。


「自分の性質だと思わせる」


「はい」


「じゃあ」


 セシリアが。


 嫌そうに言う。


「もし術式がなかったら」


「深層王は?」


「もっと違う存在だった可能性がある」


 部屋。


 静か。


「穏やかだった?」


 フィンが聞く。


「そこまでは」


 アデル。


「分かりません」


「人を食わなかった?」


「それも分かりません」


「じゃあ」


「元から危険だった可能性は高いです」


「でも」


「人為的に」


 アデルは。


 赤い線を指す。


「より『そういう存在』へ寄せられていた」


 それが。


 今。


 分かる範囲の。


 答えだった。


     ◇


「気分悪いな」


 ギルバートが言った。


「何が?」


 レクス。


「敵を強くするとかじゃない」


「うん」


「敵自身に『お前はこういう奴だ』って押しつける」


「うん」


「それを本人が自分だと思う」


「うん」


「嫌だな」


 レクスも。


 同じだった。


 理由は。


 少し。


 違うかもしれない。


 レクスは。


 ずっと。


 無能と呼ばれていた。


 攻撃魔法が使えない。


 敵を弱くするだけ。


 見えない。


 役に立たない。


 そう。


 決められていた。


 自分でも。


 ある程度。


 そう思っていた。


 違った。


 でも。


 違うと分かるまで。


 時間がかかった。


 もし。


 誰かが。


 魔法で。


 それを。


 自分自身だと思わせていたら。


「嫌だな」


 レクスも言った。


 ギルバートが見る。


「珍しく気が合う」


「珍しくは余計」


     ◇


「これ」


 アデルが。


 もう一枚。


 紙を出す。


「まだ仮説です」


「何?」


「黒髪の女たちが探しているもの」


 全員。


 見る。


「封印された存在そのものではなく」


「何?」


「特定の性質」


「性質?」


「吸収。再生。精神干渉。地脈制御。そういう」


「能力を集めてる?」


 セシリア。


「集めているかは分かりません」


「でも」


「調べている可能性はある」


 レクスは。


 北東の地図。


 複数の遺跡。


 それを見る。


「使えるものだけ?」


「そうかもしれません」


「使えないなら」


「『違う』」


 クラウディアが。


 旧セレスの記録を思い出すように言う。


「空なら」


「『ここにはもういない』」


 ギルバート。


「条件に合わなければ」


 レクス。


「次へ」


 アデルが。


 小さく。


 頷く。


「そんな感じに見えます」


「じゃあ」


 フィンが。


 嫌そうな顔をする。


「深層王は『当たり』だった?」


「少なくとも」


 アデル。


「何かを試す価値があると判断された」


「その結果があれ?」


「はい」


「最悪ですね」


「同感です」


     ◇


 翌朝。


 レクスたちは。


 ようやく。


 王都を出る準備をしていた。


 中央ギルドから。


 まだ確認事項はある。


 でも。


 書面で済むものは。


 全部。


 書面へ回した。


「本当に帰れる?」


 レクスが聞く。


「今度こそ」


 クラウディア。


「途中で伝令来ない?」


「知らない」


「嫌なこと言うな」


「でも来ても」


 ギルバートが言う。


「緊急じゃなければ断ればいいだろ」


「ああ」


「お前、最近そこ覚えたじゃん」


「便利だな」


「便利じゃなくて普通なんだよ」


「そうなの?」


「たぶん」


「お前も自信ないじゃん」


 馬車。


 出発。


 王都。


 遠ざかる。


 レクスは。


 少しだけ。


 安心した。


 黒髪の女。


 組織。


 古代遺跡。


 深層王へ刻まれた。


 自己認識固定術式。


 問題は。


 何も。


 解決していない。


 それでも。


 今すぐ。


 全部追う必要はない。


 国が。


 ギルドが。


 調査班が。


 動く。


 自分だけが。


 行く必要はない。


「帰ったら何する?」


 ギルバート。


「一週間休む」


「今度こそ?」


「ああ」


「釣り?」


「ああ」


「俺も」


「毎日来る気?」


「駄目?」


「三日に一回」


「少なくない?」


「休みたい」


「俺がいると休めない?」


「少し」


「ひどくない?」


「少しだけ」


 クラウディアが。


 前の席から笑った。


「そこは譲らないのね」


「休みだから」


 レクスは。


 窓の外を見る。


 遠く。


 王都の塔。


 その先。


 もっと。


 北東。


 黒髪の女が。


 今どこにいるか。


 分からない。


 次に。


 何を探しているかも。


 分からない。


 ただ。


 一つだけ。


 前より。


 分かったことがある。


 彼女たちは。


 災厄を起こしたいだけではない。


 災厄の中にある。


 何かを。


 見ている。


 選んでいる。


 そして。


 深層王へ。


 自分ではない何かを。


 「自分だ」と思わせる術式まで。


 作っていた。


「気味悪いな」


 レクスが。


 小さく言う。


 ギルバートが。


 聞いた。


「何が?」


「黒髪の女たち」


「今さら?」


「今の方が」


「何で?」


「何したいか分からない奴の方が」


 レクスは。


 少し考え。


「強い魔物より嫌だ」


「それは分かる」


 ギルバートも。


 窓の外を見る。


「魔物なら、だいたい倒せば終わるからな」


「人間は?」


「終わらないこと多い」


「面倒だな」


「お前最近、人間の方が苦手なんじゃない?」


「昔からかも」


 馬車は。


 ベルンへ向かって。


 ゆっくり進んでいった。

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