第42話 勇者より目立つ黒魔導士
王都へ着いた翌朝、レクスは宿の窓から外を見て、すでに帰りたくなっていた。
通りには早朝から馬車が行き交い、王城へ続く大路では衛兵がいつもより多い。深層王討伐の公式報告会は、王国だけでなくエルディナ公国との合同開催になったため、役人も騎士も朝から慌ただしく動いていた。
「まだ何も始まってないぞ」
同室ではないのに、なぜか朝食前から入り浸っているギルバートが呆れたように言った。
「始まるから嫌なんだ」
「昨日、自分から行くって決めたんだろ」
「行くのと好きなのは別」
「俺も同じだから安心しろ」
「安心材料にならない」
ギルバートは王都用の正装に近い装備を着ていた。聖剣も持っているが、戦場の装備とは違い、磨かれた鞘へ納められている。いかにも勇者らしい姿だった。
一方のレクスは、普段の黒い外套に少しだけ上等なシャツを着ただけだ。
「それで行くのか?」
「駄目?」
「いや、駄目とは言わないけど」
「動きやすい」
「今日は戦わないぞ」
「何があるか分からない」
「王城で何と戦う気だよ」
「人混み」
「物理攻撃じゃないだろ、それ」
そこへクラウディアが入ってくる。
「準備できた?」
「できてる」
「ギルバートは?」
「俺も」
「レクス、その外套で行くの?」
「ギルバートにも同じこと言われた」
「じゃあ二票ね」
「着替えた方がいい?」
「別に。ただ、王国側があなたを英雄っぽく飾りたいらしいから、その格好の方が逆に困るでしょうね」
「じゃあこれで行く」
「意地悪ね」
「面倒を減らしたいだけ」
「たぶん逆に増えるわよ」
嫌な予感しかしなかった。
◇
報告会の会場は、王城の大広間だった。
レクスが入った瞬間、一番先に目へ入ったのは人の多さだった。
貴族。
騎士。
冒険者ギルド関係者。
宮廷魔術師。
聖堂関係者。
さらにエルディナ公国から来た代表団。
マリアナもいる。
ディアスも。
そして中央付近には、深層王討伐に参加した者たちのための席が用意されていた。
「多いな」
レクスが呟く。
「思ったより多い」
フィンも顔を引きつらせる。
「俺、ここにいていい人間です?」
「深層王の目潰してただろ」
「言い方」
「事実」
「もっと格好よく言ってくださいよ」
「射撃支援」
「それです」
ドーガンは平然としていたが、エルドは少し面倒そうだった。
「老体を朝から立たせる会ではないのう」
「座れますよ」
アデルが隣から言う。
「ならまだよい」
ガレンは、式典用に多少ましな外套を着せられたらしい。
「窮屈じゃ」
「先生、せめて今日くらい我慢してください」
「誰が先生じゃ」
「王都では先生でしょう」
「儂は儂じゃ」
いつもの調子で安心する。
緊張していないわけではない。
ただ。
知らない人間ばかりの場所で。
知っている声が聞こえるだけで、少し楽だった。
◇
報告会は、最初の十分でレクスの嫌な予感を当てた。
「――旧バルハ廃都地下災害において、神話級危険存在を大幅に弱体化し、討伐を可能とした最大功労者」
壇上の文官が。
レクスを見る。
「黒魔導士、レクス・アルヴァーン」
大広間の視線が。
一斉に集まる。
レクスは。
逃げたくなった。
「最大功労者、だって」
隣のクラウディアが小声で言う。
「嫌な言葉」
「普通は喜ぶところよ」
「一人でやったみたいになる」
「そこね」
壇上では続く。
「対象の攻撃、防御、魔力、速度、再生、吸収、知覚、その他複数能力を最大九十九パーセント低下させ――」
ざわめき。
すでに知っていたはずなのに。
実際に数字を聞くと。
場内の空気が変わる。
「九十九……」
「神話級を?」
「本当に?」
「それで討伐を?」
レクスは。
ますます嫌になった。
「これ」
「何?」
クラウディアが聞く。
「かなり誤解されてる」
「まだ説明前だから」
「今の時点で『レクスが九十九削って、勇者が斬った』くらいになってそう」
「たぶん半分くらいはそう思ってるわね」
「嫌だな」
「だから今日来たんでしょう?」
「そうだった」
壇上の文官が。
さらに続ける。
「その功績を鑑み、王国として――」
「少し待ってください」
レクスが立った。
文官が止まる。
場内も。
静かになる。
「……レクス殿?」
「その説明」
「何か誤りが?」
「間違いではないです」
「では?」
「足りません」
視線。
集まる。
人前で話すのは苦手だ。
好きでもない。
でも。
言わなければ。
また同じことになる。
「俺一人では、深層王へ九十九パーセントまで通せませんでした」
場内が。
少しざわつく。
「最初は一桁です」
さらに。
ざわめき。
「呪詛抵抗は二パーセントくらいしか落ちなかった。吸収も三とか五とか、その程度です」
文官の顔が。
少し困る。
「しかし、最終的には」
「はい。最終的には九十九まで落としました」
「それなら」
「でも」
レクスは。
後ろを見る。
アデル。
ガレン。
セシリア。
エルド。
「周囲の抵抗補助術式を切ったのは、俺じゃない」
アデルが。
少し驚いた顔をする。
「地脈供給を止めたのも俺じゃない」
セシリア。
エルド。
「再生補助を切ったのも」
術師たち。
「深層王を俺から逸らし続けたのも」
クラウディア。
ギルバート。
バルガス。
ドーガン。
フィン。
「全部、別の人です」
静かになる。
「俺は弱くした」
それは。
事実。
「でも、俺が弱くできる状態を作ったのは皆です」
ギルバートが。
少しだけ。
笑った。
「一人だったら?」
誰かが。
場内から聞いた。
レクスは。
そちらを見る。
「逃げてました」
空気が。
変わる。
「逃げた?」
「はい」
「世界最強と呼ばれるほどの黒魔導士が?」
「世界最強でも、無理なものは無理です」
ざわめき。
でも。
今度のざわめきは。
さっきとは違う。
「深層王は、俺一人じゃ削れなかった」
レクスは。
はっきり言った。
「皆がいたから、九十九まで落とせた」
◇
そこで。
ギルバートも立った。
「俺からも一つ」
今度は。
勇者。
大広間の視線が。
自然に。
集まる。
ギルバートは。
以前なら。
この場を。
嫌いではなかったはずだ。
注目。
勇者。
称賛。
それが。
自分の価値だと思っていた。
今は。
少し。
居心地悪そうに。
首の後ろを掻いた。
「最後に深層王の核へ《聖断》を入れたのは俺です」
ざわめき。
「でも」
すぐ続ける。
「だから俺が倒した、って記録にするのはやめてください」
今度は。
大広間が。
本当に静かになった。
「……勇者殿?」
文官が戸惑う。
「俺が斬れたのは、深層王の吸収も再生も防御も、ほとんど落ちてたからです」
ギルバートは。
レクスを見る。
「昔の俺なら、最後に斬った奴が一番偉いと思ったかもしれない」
セシリアが。
少し。
眉を上げる。
「そこまで言うの?」
「言う」
ギルバートは。
続けた。
「俺はそれで、一度失敗してる」
紅蓮竜。
勇者パーティ崩壊。
再認定。
全部。
その話を詳しくする必要はない。
でも。
本人が言うから。
重い。
「前に立つ奴だけ見てたら、後ろで何してるか分からない」
ギルバートは。
聖剣の鞘へ手を置く。
「今回だって、俺とクラウディアが前で動けたのは、盾役が攻撃を流してくれたからだ」
「俺の名前は?」
バルガスが小声で言う。
「今から言う」
「ならいい」
「フィンが視界を潰した。セシリアやエルドたちが術式を支えた。アデルとガレンが構造を読んだ。公国側の術師もいた。騎士団が外で退路を守った」
ギルバートは。
一度。
息を吸う。
「だから」
昔の自分へ。
言い聞かせるように。
「最後に斬った人間だけを、英雄にするのはやめてください」
その言葉。
大広間の隅まで。
届いた。
◇
「珍しくいいこと言うわね」
クラウディアが小声で言った。
「珍しくは余計だ」
「聞こえてた?」
「聞こえる距離だろ」
「では私からも」
クラウディアも。
立った。
「え、まだ続くの?」
フィンが小声。
「流れ的に行くでしょう」
「俺も何か言うんですか?」
「言いたければ」
「やめときます」
クラウディアは。
壇上ではなく。
王国側の役人たちを見る。
「《銀翼》としても、功績評価は分けてください」
「具体的には?」
「討伐班だけではありません」
クラウディアは。
指で数える。
「祭壇停止班。負傷者治療班。外周封鎖。通信。避難対応。公国側との調整」
マリアナの方を見る。
「トルメ村で最初に情報を出さなかったら、そもそも私たちはここまで来ていない」
マリアナが。
少しだけ。
頭を下げる。
「ディアス隊長も、最初は私たちを止めたけど」
ディアスが。
嫌そうな顔をする。
「そこ言うか?」
「でも、その後は中央軍との橋渡しをした」
「最後まで言うならいい」
少し。
笑い。
大広間の空気が。
柔らかくなる。
「誰か一人の英雄譚にするより」
クラウディアが言う。
「この方が、次に同じことが起きた時に役立つでしょう?」
その言葉で。
場内の空気が。
変わった。
称賛。
だけではない。
記録。
実務。
再現。
どう勝ったか。
そこに。
意味がある。
◇
最終的に。
報告会は予定より。
大幅に長引いた。
なぜなら。
「誰が何をしたか」。
それを。
一から整理し直すことになったからだ。
「第一段階」
アデルが壇上の大型術式図を使う。
「祭壇網停止」
王国。
公国。
複数班。
「第二段階」
ガレン。
「旧封印術式解析」
「第三」
セシリア。
「抵抗補助・地脈供給・再生補助の切断」
「第四」
クラウディア。
「前衛による時間確保」
「第五」
ギルバート。
「レクスの弱体化」
「第六」
レクス。
「攻撃」
そこで。
フィンが。
小声で言う。
「俺、矢撃った」
「第四に入ってる」
「個別に欲しい」
「欲張るな」
「せっかく王都まで来たのに」
フィンの近くにいた騎士が。
笑いを堪えている。
「俺も言う?」
ドーガン。
「盾で流した」
「第四」
「そうか」
「皆そこ」
「雑じゃない?」
レクスは。
少し考え。
「じゃあ第四を細かくする」
「本当に?」
「必要なら」
「いや、いい」
「何で」
「急に恥ずかしくなった」
◇
功績の整理が終わる頃には。
正午を回っていた。
王国側は。
当初予定していた。
レクス単独への大規模褒賞を。
修正した。
もちろん。
レクスの功績は大きい。
それ自体は。
誰も否定しない。
深層王を九十九パーセントまで落とせる存在は。
今のところ。
他に確認されていない。
ただ。
褒賞は。
討伐隊だけでなく。
祭壇停止。
医療。
封鎖。
情報提供。
各班へ。
分配されることになった。
「減った?」
ギルバートが聞く。
「何が?」
「お前の報奨金」
「たぶん」
「嫌じゃない?」
「別に」
「本当に金に執着ないな」
「生活できればいい」
「釣り竿買うだろ」
「そんな高くない」
クラウディアが横から言う。
「高級品買えばいいじゃない。英雄なんだから」
「魚が釣れればいい」
「夢がない」
「魚に夢いる?」
「そう言われると困るわね」
◇
午後。
正式な褒賞授与。
これが。
レクスにとって。
一番つらかった。
人前。
呼ばれる。
立つ。
拍手。
王国代表から。
勲章。
冒険者ギルドから。
特別功績金。
エルディナ公国から。
感謝状。
全部。
ありがたい。
それは分かる。
でも。
「顔硬いぞ」
ギルバートが横で小声で言う。
「笑った方がいい?」
「少し」
「どうやって」
「普通に」
「難しい」
「深層王より?」
「今は」
「重症だな」
レクスは。
仕方なく。
少し口元を上げた。
それを見た前列の貴族が。
さらに拍手する。
「逆効果だった」
「何が?」
「目立った」
「諦めろ」
◇
そして。
最後。
王国側の高官が。
レクスへ。
一枚の文書を渡した。
「レクス・アルヴァーン殿」
「はい」
「今回の功績、過去の災害級討伐支援、国境案件、騎士団協力記録を含め、冒険者としての階級および権限について、中央ギルドより再審査の申し出があります」
「再審査?」
「詳細は後日」
レクスは。
嫌な予感。
「今のAランクじゃ駄目なんですか?」
「駄目という意味ではありません」
「じゃあ」
「制度上、現状と階級が合っていないという意味です」
後ろから。
クラウディアの声。
「来たわね」
「何が?」
「面倒な話」
「何で嬉しそうなの」
「私はSランクだから」
「じゃあ代わって」
「無理」
「残念」
◇
報告会が終わった後。
王城の外へ出ると。
今度は。
別の問題が待っていた。
「レクス・アルヴァーン!」
声。
大きい。
門前。
人。
多い。
「……何?」
ギルバートが見る。
「民衆」
「何で?」
「噂聞いたんじゃない?」
深層王討伐。
神話級。
九十九パーセント。
そういう話は。
公式記録より。
先に。
街へ広がる。
「黒魔導士様!」
「九十九パーセントの人だ!」
「本当に若い!」
「勇者より強いの?」
最後の声。
ギルバートが。
ぴくりと反応する。
レクスは。
横を見る。
「怒る?」
「昔なら」
「今は?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとは怒るんだ」
「人間だからな」
「便利な言い方覚えたな」
「お前から」
別の声。
「レクス様!」
「握手してください!」
「うちの息子の剣術を弱く――いや強くして!」
「逆です!」
「何でもできるんでしょう!」
レクスの顔が。
固まる。
「ほら」
クラウディアが言う。
「何?」
「公式説明したのに、もう誤解されてる」
「早いな」
「人は分かりやすい話の方が好きだから」
「困る」
「そうね」
王城警備兵が。
人を下がらせる。
でも。
悪意はない。
憧れ。
好奇心。
感謝。
全部。
だからこそ。
レクスには。
対応が難しい。
「どうする?」
ギルバートが聞く。
「逃げる」
「即答?」
「人混みは苦手」
「世界最強が?」
「関係ない」
「じゃあ俺が前行く」
「何で?」
「こういうのは慣れてる」
「さっき慣れてないって」
「嫌なのと、できないのは別だ」
ギルバートが。
一歩前へ出る。
「道を空けてくれ!」
勇者の声。
通る。
「本人疲れてるから!」
少し。
ざわめきが収まる。
「質問はギルド通してくれ!」
「勇者様!」
今度は。
ギルバートへ。
声。
「深層王を倒したのは勇者様ですか?」
ギルバートは。
少しだけ。
黙った。
「違う」
はっきり言う。
「皆で倒した」
「でも最後に聖剣で?」
「最後は俺と《銀翼》のクラウディアが核を斬った。でも」
ギルバートは。
レクスを指す。
「こいつが弱くしなきゃ近づけなかった」
次。
術師たち。
「こいつらが術式を止めなきゃ、レクスの呪いも通らなかった」
さらに。
騎士。
公国代表。
「外で支えてた奴らがいなきゃ、帰ってこられなかった」
少し。
笑う。
「だから、誰が一番かって聞かれても困る」
その答え。
人々は。
少し。
静かに聞いた。
◇
ようやく宿へ戻れた頃には。
レクスは。
深層王と戦った日とは別の意味で疲れていた。
「もう帰っていい?」
ベッドへ座りながら言う。
クラウディアが窓際で手紙を整理していた。
「明日、中央ギルドで追加確認」
「まだある?」
「ある」
「帰りたい」
「一週間休むんでしょう?」
「ベルンで」
「それは分かる」
ギルバートも。
椅子へ座る。
「俺も帰りたい」
「お前は王都に慣れてるだろ」
「慣れてても疲れる」
「勇者なのに」
「関係ない」
「便利だな、それ」
「お前も使ってる」
少し。
静かになる。
その時。
扉が。
叩かれた。
「誰?」
クラウディアが尋ねる。
「王国外交局です」
三人。
嫌な顔。
「今日まだ何かある?」
レクスが言う。
「入ってもらうしかないでしょう」
扉を開ける。
入ってきたのは。
王国官吏。
手に。
一通の封書。
「レクス・アルヴァーン殿、勇者ギルバート殿、《銀翼》代表クラウディア殿」
「はい」
「北東諸国の一つから、緊急ではありませんが、重要情報の提供申し出が届いています」
レクスの疲れが。
少し。
引いた。
「何について?」
官吏が。
封書を差し出す。
「旧バルハ廃都で確認された」
少し。
間。
「右手に黒い紋章を持つ集団についてです」
レクス。
クラウディア。
ギルバート。
三人の表情が。
変わった。
「どこまで分かってる?」
レクスが聞く。
「詳細は明日の正式共有になります」
「今は?」
「一つだけ」
官吏は答えた。
「黒髪の女と特徴の一致する人物が、ここ数年、複数の古代遺跡で目撃されています」
深層王は。
終わった。
でも。
あの女が。
深層王だけを見ていたわけではない。
それだけは。
はっきりしてきた。




