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第39話 九十九パーセント

 抵抗七十八。


 吸収七十一。


 飢餓七十三。


 数字だけを見れば、昨日とは別の相手を見ているようだった。


 けれど、深層王が放つ圧力は弱くなっていない。


 むしろ強い。


 眠りから覚める速度が、レクスたちの弱体化を追い越そうとしている。


「右、来る!」


 クラウディアの声と同時に、深層王の巨大な肢が石床を薙いだ。


 ギルバートが反対方向へ走りながら叫ぶ。


「術式班から離せ!」


「言われなくても!」


 二人が左右へ分かれ、深層王の視線を引く。


 昨日までは、ただ動くだけに見えた無数の瞳が、今は明らかに獲物を選んでいた。


 一つがギルバート。


 二つがクラウディア。


 そして残りの多くが。


 レクス。


「……嫌われてるな」


 レクスが呟く。


 隣でアデルが測定器を覗き込みながら返す。


「そりゃ、自分の能力を七割も削ってくる相手を好きにはならないでしょう!」


「俺だって好かれたいわけじゃない」


「なら問題ないですね!」


「何で少し嬉しそうなんだ?」


「数値が上がってるからです!」


 研究者としては楽しいらしい。


 命の危険と知的興奮が同時に存在できるところが、アデルという人間の面倒なところだった。


 だが今、その面倒さが頼もしい。


「レクス!」


 セシリアが第四節点付近から叫ぶ。


「再生補助、まだ切ったまま維持できてる! でも地脈側が押し返してきてる!」


「どのくらい持つ?」


「聞かないで!」


「分からない?」


「分からないけど、今すぐは落ちない!」


「それで十分!」


「そう言われると余計怖いんだけど!」


 彼女は杖を握り直した。


 攻撃魔法なら、もっと分かりやすかったはずだ。


 撃つ。


 当てる。


 壊す。


 今やっているのは逆だった。


 壊してはいけない術式を、壊れないぎりぎりで別方向へ流し続ける。


 昔のセシリアなら、こんな役目を喜びはしなかっただろう。


 今も喜んではいない。


 それでも。


「エルドさん、左の地脈線が浮いてる!」


「見えておる!」


「私、一人じゃ戻せない!」


「なら三呼吸だけ支えろ!」


「三って結構長いのよ!」


「二では足りん!」


「もう!」


 文句を言いながら、やる。


 そのやり取りを聞きながら。


 レクスは深層王だけを見た。


 自分の仕事は一つ。


 皆が作った状態を。


 数字へ変える。


「呪詛抵抗――」


 《深淵呪詛》。


 深く。


 今までより。


 さらに。


 深層王の外皮ではない。


 魔力ではない。


 術式に守られた、その内側へ。


「八十一」


 アデルがすぐ叫ぶ。


「上がりました!」


「まだ」


「八十三!」


 レクス自身にも。


 感触が変わったのが分かる。


 昨日までは、巨大な城壁へ爪を立てているようだった。


 今は。


 壁の間に。


 細い亀裂がある。


「八十五」


 深層王の頭の中の声が響く。


『やめよ』


「嫌だ」


『我は満ちる』


「それも止める」


『貴様は何を欲する』


「帰ったら釣りしたい」


 一瞬。


 深層王の声が途切れた。


 ギルバートまで振り返る。


「今それ言う!?」


「聞かれたから!」


「もっと何かあるだろ!」


「平和に暮らしたい、とか!」


「それもある!」


 クラウディアが剣を抜かずに石柱を蹴り、深層王の視線を引きつける。


「会話する余裕があるなら数字!」


「八十七!」


「なら続けて!」


「分かってる!」


 深層王の肢が振り下ろされた。


 ドーガンとバルガスが真正面には立たない。


「左へ流す!」


「おう!」


 二枚の盾が。


 受け止めるのではなく。


 軌道へ触れる。


 押す。


 滑らせる。


 深層王の一撃が、術式班から十数メートル外れた。


 それでも衝撃だけで石片が雨のように降る。


「こんだけ落として、まだこれかよ!」


 バルガスが叫ぶ。


「筋力はまだ三割台しか落としてない!」


 レクスが返す。


「先に言え!」


「昨日から言ってる!」


「聞いてたけど実感が違うんだよ!」


 バルガスの声に、恐怖はある。


 でも。


 足は止まっていない。


 深層王の次の動きを見ながら、盾を構え直す。


「筋力も頼む!」


「抵抗が先!」


「分かってる! ただ願望を言っただけだ!」


 それでいい。


 言える。


 今は。


 全員が。


     ◇


「八十九!」


 アデルが叫ぶ。


 呪詛抵抗。


 あと少し。


 でも。


 深層王の覚醒も。


 さらに進む。


 残っていた黒い鎖の一本が。


 嫌な音を立てた。


 ぴしり。


「鎖、限界!」


 公国側の呪術師が叫ぶ。


「どれ?」


「南側! 二本目!」


「補強できる?」


「一時的なら!」


「やって!」


 レクスが言うより早く。


 アデルが指示していた。


 それでいい。


 レクスは。


 見ない。


 見なくていい。


 皆がいる。


「九十」


 深層王が。


 大きく身じろぎした。


 頭部らしき部分が。


 完全に持ち上がる。


 複数の目。


 すべて。


 開く。


 その瞬間。


 世界が。


 冷えた。


「何?」


 フィンの声。


 吐息が白い。


 いや。


 空気の温度だけではない。


 魔力が。


 一斉に引かれる。


「吸収量、急上昇!」


 アデルが叫ぶ。


「覚醒段階が変わった!」


「どのくらい!」


「前の倍!」


「吸収七十一落としてるのに?」


「だからこの程度です!」


「この程度!?」


 フィンが悲鳴じみた声を出した。


「これで!?」


「元が上がってる!」


 レクスはすぐ吸収へ術を移す。


 深層王の呪詛抵抗。


 九十まで落ちた。


 昨日とは。


 もう違う。


「生命吸収――」


 七十一から。


「七十六!」


 押す。


「八十!」


 胸の重さが。


 少しだけ。


 軽くなる。


「八十三!」


 アデルが叫ぶ。


「漏出量、下がってます!」


「まだ?」


「まだ多い!」


 深層王の声。


『足りぬ』


「こっちは十分だ!」


 レクスはさらに重ねる。


「八十七!」


 周囲。


 変化。


 セシリアが杖を支えながら息を吐く。


「戻ってきた……」


「何が?」


「魔力。ほんの少しだけど、自然回復が戻った!」


「吸収が追いつかなくなってる!」


 アデルが叫ぶ。


「レクスさん、そのまま!」


「言われなくても!」


「九十!」


 深層王の身体から。


 黒い霧のように漏れていたものが。


 薄くなる。


「吸収九十!」


 初めて。


 二桁の壁を越えた。


 だが。


 誰も喜ばなかった。


 まだ。


 残り十パーセント。


 それだけでも。


 十分すぎる。


「飢餓!」


 次。


 根。


 深層王が。


 何かを喰らおうとする。


 その欲求自体。


「七十三から――七十八!」


『やめよ』


「嫌だ」


「八十二!」


『飢えは我である』


「それでも落とす」


『我を殺すか』


「人を食わなくなるなら、それでいい」


『ならば貴様も消える』


「何で?」


『飢えぬものは、進まぬ』


 レクスは少しだけ眉を寄せた。


「哲学みたいなこと言うな」


 フィンが遠くから叫ぶ。


「深層王と議論しないでください!」


「向こうが話しかけてくる!」


「無視してください!」


「難しい!」


「八十五!」


 飢餓衝動。


 弱まる。


 深層王の周囲にあった。


 貪るような圧力が。


 減る。


「八十八!」


 レクスの頭の中。


 声が。


 少し遠くなる。


「九十!」


 深層王が。


 初めて。


 明確に苦しむような動きを見せた。


 外皮が揺れる。


 複数の肢が。


 石床を掻く。


 クラウディアが叫ぶ。


「来る! 動き変わった!」


「暴れるぞ!」


 ギルバートが前へ出る。


 深層王の攻撃。


 今度は一発ではない。


 肢が。


 二本。


 三本。


 違う方向へ。


「全員、距離!」


 クラウディア。


「ドーガン、右!」


「分かっている!」


「バルガス、左!」


「おう!」


「ギルバート、中央は?」


「取る!」


「攻撃しない!」


「何度言えば分かる!」


 聖剣は。


 まだ背中。


 抜かない。


 ギルバートは。


 自分の身体だけで。


 深層王の視線を取る。


「こっちだ!」


 一つの目が。


 彼を見る。


「そうだ!」


 もう一つ。


「多いな!」


 巨大な肢。


 横。


 ギルバートは。


 跳ぶ。


 ぎりぎり。


 風圧が。


 身体を持っていく。


「うわっ!」


 石床を転がる。


「ギルバート!」


 セシリアが叫ぶ。


「生きてる!」


「状態!」


「右足、少し痛い! でも動く!」


「次は?」


「まだ行ける!」


「分かった!」


 短い。


 でも。


 十分。


 昔なら。


 平気だ。


 それだけだった。


 今は。


 右足が痛い。


 でも動く。


 情報として。


 使える。


「クラウディア!」


 レクスが叫ぶ。


「ギルバートの右側、少し補助!」


「分かった!」


「聞こえてるぞ!」


「だからだよ!」


「ありがたいけど少し恥ずかしいな!」


     ◇


 深層王の飢餓。


 九十。


 吸収。


 九十。


 呪詛抵抗。


 九十。


 まだ。


 九十九ではない。


 レクスが次に狙ったのは。


 再生。


「再生能力低下」


 昨日。


 五十八。


 補助節点は切れている。


「六十八!」


 深層王の外皮に。


 古い傷が浮いた。


「傷?」


 フィンが言う。


「四百年前の?」


 アデルが測定器を見る。


「再生で消えていた損傷が、戻ってる!」


「七十四!」


 もっと。


 古い。


 焦げ。


 切断。


 穿たれた跡。


 千人を超えるかもしれない人間たちが。


 四百年前。


 つけた傷。


 深層王は。


 ずっと。


 治し続けていた。


「七十九!」


 ひび。


 外皮。


 増える。


 ただし。


「攻撃するな!」


 レクスが念を押す。


「分かってる!」


 クラウディアが答える。


「昔の傷が戻ってるだけね!」


「ああ!」


「じゃあ見てる!」


 ギルバートが少し苦そうに言う。


「今なら斬りたくなるけどな!」


「我慢!」


「してる!」


 再生。


「八十四!」


 深層王の身体から。


 青黒い光が。


 さらに弱くなる。


 アデルが声を上げた。


「再生速度、急減!」


「八十八!」


「さらに!」


「九十!」


 これで。


 三つ。


 九割。


 深層王の圧力が。


 明らかに落ち始めた。


 それでも。


「まだ強い」


 クラウディアが言う。


 彼女の頬には擦り傷。


 肩で息。


「これで九割?」


「ああ」


「……笑えないわね」


「岩脈竜より元が大きい」


「分かってたけど」


「実際見ると違う?」


「かなり」


 レクスも同じだった。


 九割。


 普通なら。


 勝負はほとんど終わっている。


 深層王は。


 違う。


 まだ。


 Sランク複数が。


 全力で逃げなければ危ない。


「筋力」


 レクスが言う。


「ようやく?」


 バルガスが遠くで叫ぶ。


「ああ!」


「頼む!」


「筋力低下!」


 抵抗。


 しかし。


 以前とは違う。


 三十台で止まった力が。


 一気に。


「五十二!」


 深層王の肢が。


 沈む。


「六十四!」


 動き。


 目に見えて。


 遅くなる。


「七十一!」


「来る!」


 ドーガン。


 盾を出す。


 肢。


 当たる。


「ぐっ!」


 それでも。


 立っている。


「……違う!」


「何が!」


 レクスが聞く。


「さっきまでと全然違う!」


「七十五!」


「まだ下がるか!」


「下げる!」


 八十。


 深層王の一撃。


 石床を砕く。


 でも。


 空洞全部は揺れない。


「八十四!」


 バルガスが叫んだ。


「今なら流せる!」


「正面は?」


「無理!」


「了解!」


「そこは変わらねえ!」


「いい!」


 八十八。


「九十!」


 筋力。


 九割低下。


 深層王が。


 大きく。


 姿勢を崩した。


     ◇


「速度!」


 次。


「敏捷低下!」


 巨大な相手でも。


 動作速度。


 反応。


 筋収縮。


 全部ある。


「六十二!」


 クラウディアがすぐ分かる。


「遅くなった!」


「七十!」


 ギルバートも。


 深層王の肢を。


 余裕を持って避ける。


「見える!」


「油断するな!」


「分かってる!」


「八十一!」


 フィンが。


 深層王の視界を閃光矢で誘導する。


「今なら撃ちやすい!」


「目は傷つけるな!」


「光だけです!」


 八十六。


 九十。


 速度も。


 落ちる。


 深層王の動きが。


 重くなる。


 しかし。


 同時に。


 問題が起きた。


「レクス!」


 セシリアの声。


「何!」


「地脈補助、戻りかけてる!」


 見る。


 第二節点。


 切ったはずの術式が。


 赤黒く。


 再接続。


「何で!」


 アデルが走る。


「深層王自身が修復してる!」


「再生九十落ちてるのに!」


「術式の再生は別系統です!」


「別物かよ!」


 レクスが思わず言う。


「今さら増やすな!」


「私に言わないでください!」


 アデルとエルドが。


 第二節点へ。


 セシリアも。


「私も行く!」


「魔力!」


「四割!」


「足りる?」


「たぶん!」


「たぶんじゃなく!」


「じゃあ、やる!」


「分かった!」


 レクスは。


 手を出さない。


 信じる。


 深層王。


 こちらへ。


 目。


「防御!」


 次。


 外皮。


「防御力低下!」


 六十。


「七十一!」


 硬質皮膜が。


 僅かに。


 ひび割れる。


 攻撃していない。


 自分の重さだけで。


「七十九!」


 古い傷の周囲。


 剥離。


「八十四!」


 アデルの声。


「地脈補助、再接続阻止!」


「そのまま!」


「言われなくても!」


「八十八!」


 深層王が。


 吠える。


『貴様ら』


 今度は。


 レクス一人へではない。


『群れるか』


 ギルバートが笑った。


「悪いか!」


『弱きものほど群れる』


「そうだよ!」


 聖剣を抜かず。


 叫ぶ。


「一人で勝てないなら、皆でやる!」


 深層王の瞳。


 ギルバート。


 レクス。


 クラウディア。


 全員。


『愚かな』


「そうかもな!」


 ギルバートが答える。


「でもお前、一人なのに今押されてるぞ!」


「煽るな!」


 レクスが叫ぶ。


「すまん!」


「でもちょっと効いたかも!」


 フィンが言う。


「精神的に?」


「知らない!」


 それでも。


 深層王が。


 怒ったのは分かった。


 肢が。


 ギルバートへ。


 今。


 遅い。


「避けろ!」


「分かってる!」


 ギルバート。


 走る。


 完全に。


 回避。


 攻撃は。


 石床へ。


「今のは余裕あった!」


「本当に?」


「ああ!」


「じゃあ続ける!」


     ◇


 防御。


 九十。


 速度。


 九十。


 筋力。


 九十。


 吸収。


 九十。


 飢餓。


 九十。


 再生。


 九十。


 呪詛抵抗。


 九十。


 多くの主要能力が。


 九割。


 それでも。


 深層王は。


 立っている。


「ここからがきつい」


 レクスが言った。


「何で?」


 クラウディアが聞く。


「九十から先、抵抗がまた上がってる」


「残った力が?」


「自分を守ろうとしてる」


 深層王の魔力。


 残り。


 一割。


 でも。


 その一割が。


 全力で。


 核心を守る。


「九十一……」


 呪詛抵抗。


「九十二」


 重い。


 頭痛。


 レクスの額に。


 汗。


「レクス?」


 ギルバートが気づく。


「大丈夫」


「状態!」


 昔なら。


 大丈夫で終わった。


 今は。


 言う。


「魔力五割くらい」


「まだ?」


「使える。でも頭が痛い」


「視界?」


「問題ない」


「呪詛返し?」


「少し」


 ガレンが反応する。


「どの程度じゃ!」


「手が痺れるくらい」


「右か左か!」


「右!」


 ガレンが呪札を飛ばす。


 レクスの腕へ。


 貼りつく。


 痺れ。


 少し。


 軽くなる。


「ありがとう」


「最初から言え!」


「今言った!」


「もっと早く言え!」


「分かった!」


 その間にも。


「九十三!」


 抵抗。


 下がる。


 深層王が。


 さらに。


 怒る。


『我を』


 声。


『削るな』


「それが俺の仕事だ」


『我は王』


「知らない」


『我は世界の下に在りしもの』


「長い」


『我は――』


「名前があるなら後で聞く!」


 フィンが叫ぶ。


「本当に会話雑だなこの人!」


 レクスは。


 今。


 名前などどうでもよかった。


「九十四!」


 抵抗。


 その先。


 急に。


 壁。


「止まった!」


 アデルが測定器を見る。


「何が?」


「抵抗低下、九十四で固定!」


「また補助?」


「違う!」


 アデルが周囲を見る。


「これは本体!」


 ガレンが目を細める。


「核心抵抗じゃ!」


「何?」


「生き物が最後まで守る部分。魂、核、根源。呼び方は何でもよい!」


「そこを落とさないと?」


「九十九へ行かん!」


 レクスは。


 深層王を見る。


 もっと。


 深く。


 飢餓へ触れた時。


 一度。


 内側へ入った。


 また。


 やる。


「レクス」


 クラウディア。


「何?」


「また反応なくなる?」


「たぶん」


「どのくらい?」


「分からない」


「その間は?」


「頼む」


「分かった」


 ギルバートも。


 聞いている。


「どのくらい持たせればいい?」


「できるだけ」


「珍しく雑だな」


「本当に分からない」


「なら」


 ギルバートが笑った。


「帰ってくるまで持たせる」


「無茶するな」


「それはお前も」


「……分かった」


 レクスは。


 目を閉じた。


「行く」


     ◇


 深い。


 前より。


 もっと。


 深層王の内側。


 黒。


 冷たい。


 でも。


 底に。


 光。


 巨大な。


 核。


 そこに。


 深層王という存在が。


 凝縮している。


『また来たか』


「来た」


『小さきもの』


「それはもう聞いた」


『我を減らす』


「ああ」


『なぜ』


「それも聞いた」


『なら問う』


 深層王の声は。


 外より。


 静かだった。


『我を削り切った後、何を得る』


「別に」


『力を望まぬか』


「いらない」


『名を望まぬか』


「勝手につく」


『王となることを』


「興味ない」


 沈黙。


 深層王には。


 理解できないらしい。


『ではなぜ抗う』


「困るから」


『何が』


「人が死ぬ」


『知らぬものだ』


「俺は知ってる」


 トルメ村。


 兵士。


 老人。


 子供。


 王国砦の六十三人。


 顔を。


 全部覚えているわけではない。


 それでも。


 知っている。


「それに」


『何だ』


「釣り場が壊れそうだ」


 また。


 沈黙。


「結構大事なんだぞ」


『理解できぬ』


「俺もお前の考えは分からない」


 それでいい。


 理解できなくても。


 止める理由はある。


「核心抵抗」


 レクスは。


 対象を見つける。


 深層王が。


 最後まで。


 自分を守る。


 核。


「落とす」


『ならば』


 深層王の意識が。


 迫る。


『耐えてみよ』


 衝撃。


 精神。


 押し潰す。


 レクスの意識が。


 揺れる。


 外では。


 身体が。


 たぶん。


 立ったまま。


「九十五」


 押す。


『止まれ』


「九十六」


『止まれ』


「嫌だ」


 痛い。


 頭。


 胸。


 呼吸。


 それでも。


「九十七」


 深層王の声が。


 初めて。


 揺らぐ。


『小さき――』


「九十八」


 あと。


 一つ。


 そこだけ。


 重い。


 今までの全部より。


 重い。


 レクスの術。


 押す。


 押し返す。


 動かない。


「……っ」


 指。


 感覚。


 消える。


 でも。


 外。


 誰かの声。


「レクス!」


 聞こえる。


 クラウディア。


「戻ってこい!」


 ギルバート。


「まだ終わってないわよ!」


 セシリア。


「小僧!」


 ガレン。


「あと一つです!」


 アデル。


 誰も。


 代わりにはできない。


 でも。


 一人でもない。


「九十九」


 落ちた。


     ◇


 レクスの視界が戻った。


 最初に見えたのは。


 ギルバートの背中だった。


「……近い」


「戻ったか!」


「何で前にいる」


「お前、三十秒くらい無反応だったんだよ!」


「そんなに?」


「長えよ!」


 クラウディアも。


 片膝。


 剣は抜いていない。


 ただし。


 肩。


 血。


「怪我?」


「石片。浅い」


「本当に?」


「浅い!」


 セシリア。


 息。


 荒い。


 バルガス。


 盾。


 縁がまた曲がっている。


 ドーガンも。


 フィンの矢筒は。


 半分以上。


 空。


 全部。


 閃光と音響用。


 攻撃はしていない。


「数値!」


 アデルが叫んだ。


「抵抗!」


 レクスは。


 深層王を見る。


「九十九」


 アデルが。


 言葉を失った。


「もう一回!」


「呪詛抵抗九十九パーセント低下!」


「本当に?」


「本当!」


 空洞全体。


 一瞬。


 音が。


 消えた。


 深層王が。


 こちらを見る。


 怒り。


 恐怖。


 初めて。


 そこに。


 別の感情が見えた気がした。


「今なら」


 レクスが言う。


「全部、深く入る」


「じゃあ!」


 ギルバートが。


 聖剣へ手を伸ばす。


「まだ!」


 止める。


 手。


 止まる。


「まだなのか!」


「主要能力全部九十九まで落とす!」


「了解!」


 昔なら。


 待てなかったかもしれない。


 今は。


 待つ。


「生命吸収!」


 抵抗が。


 ない。


 九十から。


「九十五!」


 一気。


「九十八!」


 最後。


「九十九!」


 黒い渦。


 消える。


「吸収、ほぼ停止!」


 アデル。


「飢餓!」


 九十。


「九十六!」


 深層王の声。


 弱い。


『……やめ……』


「九十九!」


 圧力。


 消える。


 胸。


 軽い。


「再生!」


 九十。


「九十九!」


 古い傷。


 完全に。


 戻る。


 皮膜。


 崩れる。


「地脈接続!」


 抵抗。


 もう。


 ほとんどない。


「九十九!」


 地下。


 青黒い光。


 途切れる。


「筋力!」


 九十。


「九十九!」


 深層王の肢。


 支えきれず。


 石床へ。


 落ちる。


「速度!」


「九十九!」


「防御!」


「九十九!」


「魔力!」


 深層王の内部。


 膨大。


 それでも。


「九十九!」


 光。


 消える。


「知覚!」


 最後。


「九十九!」


 複数の目。


 焦点。


 鈍る。


 深層王が。


 地面へ。


 沈んだ。


     ◇


 誰も。


 すぐには動かなかった。


 これまで。


 レクスが九十九パーセントまで落とせば。


 ほぼ勝った。


 そう思ってきた。


 でも。


 もう。


 知っている。


 元が大きすぎれば。


 一パーセントは。


 一パーセントではない。


「アデル」


 レクスが呼ぶ。


「測って」


「はい!」


 測定器。


 震える手。


 アデルが。


 深層王を測る。


「……嘘でしょう」


「何?」


 クラウディアが聞く。


「主要能力、平均低下率……九十九パーセント前後」


「それは分かってる」


「残存出力が」


 アデルが。


 顔を上げる。


「災害指定級を超えています」


 フィンが口を開けた。


「一パーセントで?」


「はい」


「じゃあ元は何なんですか!」


「だから四百年前に倒せなかったんでしょう!」


 深層王が。


 ゆっくり。


 動く。


 九十九パーセント。


 落ちている。


 それでも。


 腕のような肢が。


 石床へ。


 持ち上がる。


「来る!」


 クラウディア。


 全員。


 構える。


 今度の一撃。


 遅い。


 弱い。


 でも。


 普通の人間なら。


 死ぬ。


「ドーガン!」


「任せろ!」


 盾。


 斜め。


 当たる。


「ぐっ!」


 重い。


 しかし。


 流せる。


「バルガス!」


「押すぞ!」


 二人で。


 軌道を。


 外す。


 肢が。


 石床へ。


 大穴。


 フィンの顔が引きつる。


「一パーセントであれ?」


「ああ」


 レクスが答える。


「だから」


 クラウディアが二本の剣を。


 今度こそ。


 抜いた。


「ここからが私たちの仕事ね」


 レクスは彼女を見る。


「吸収は九十九落とした」


「再生も?」


「九十九」


「地脈?」


「九十九」


「戻る可能性は?」


「俺が維持する」


「なら」


 クラウディアが笑う。


「ようやく斬れる」


 ギルバートも。


 聖剣を背中から外した。


 でも。


 すぐには振らない。


 レクスを見る。


「いいか?」


「ああ」


 レクスは頷いた。


「ただし」


「何だ?」


「まだ災害指定級以上ある」


「分かってる」


「一撃で倒そうとするな」


「分かってる」


「聖断を連発するな」


「分かってる!」


「確認」


「はいはい」


 ギルバートは。


 聖剣を構えた。


 以前なら。


 九十九パーセント弱くなった敵を見て。


 こう言ったかもしれない。


 これなら俺が倒せる。


 レクスのおかげではない。


 最後に斬った自分の勝利だ、と。


 今は。


 違った。


「レクス」


「何?」


「ここまで落としたんだな」


「ああ」


「なら」


 深層王へ向き直る。


「ここから俺たちの仕事だ」


 クラウディアが横へ並ぶ。


「私たち、ね」


「ああ。言い直さなくていいだろ」


「念のため」


「お前ら本当に似てるな!」


「何が?」


「そこ!」


 フィンが後方で笑った。


「こんな時に揉めないでください!」


「揉めてない!」


「じゃあ早く!」


 バルガスとドーガンが。


 左右。


 セシリア。


 杖。


 攻撃魔法へ。


 ようやく。


 切り替える。


「撃っていいのね?」


「吸収は俺が維持する!」


「再生は?」


「それも!」


「じゃあ遠慮しないわよ!」


 エルドも。


 攻撃術式へ。


「儂の魔力は三割じゃ。派手なのは一発程度」


「十分!」


「フィン!」


 クラウディアが叫ぶ。


「目!」


「今度は撃っていい?」


「レクス!」


「低威力で感覚器官狙いなら!」


「やっと普通の矢が撃てる!」


「嬉しそうだな!」


「弓使いなんですよ!」


 ギルバート。


 クラウディア。


 同時に。


 前へ。


 今度は。


 攻撃するために。


 レクスは。


 その背中を見る。


 昔。


 何度も見た。


 でも。


 今とは。


 全然違う。


 レクスが敵を弱くする。


 誰かが倒す。


 その構図だけなら。


 同じ。


 違うのは。


 全員が。


 何をしているか。


 分かっていること。


 そして。


 誰も。


 一人の勝利にしようとしていないことだった。


「《聖断》!」


 ギルバートの光刃。


 深層王の。


 古い傷。


 そこへ。


 入る。


 皮膜。


 割れる。


 初めて。


 深層王の身体から。


 黒い体液が。


 流れた。


『――ッ!』


 咆哮。


 でも。


 吸収しない。


「再生!」


 アデルが叫ぶ。


「ほとんど動いてません!」


「効いてる!」


 クラウディアが。


 同じ傷へ。


 二本の剣。


 深く。


「なら!」


 深層王の肢。


 動く。


「来る!」


 ドーガンとバルガス。


 流す。


 ギルバートは。


 もう二発目の聖断を撃たない。


 通常斬撃。


 クラウディア。


 連撃。


 フィン。


 瞳。


 矢。


 セシリア。


「《炎穿》!」


 広範囲ではない。


 細い。


 集束火炎。


 古傷へ。


「魔力!」


 レクスが叫ぶ。


「残り二割強!」


「次は?」


「大魔法は無理! 小規模なら数発!」


「十分!」


 全員が。


 言う。


 聞く。


 変える。


 合わせる。


 深層王が。


 倒れない。


 一パーセント。


 それでも。


 化け物。


 だから。


 誰も。


 油断しない。


     ◇


「レクス!」


 アデルの声。


「何!」


「弱体化が戻り始めてます!」


「どれ!」


「魔力! 九十九から九十七!」


「速いな!」


「深層王自身の抵抗が戻ろうとしてる!」


「分かった!」


 レクスは。


 攻撃には参加しない。


 ただ。


 維持する。


「魔力――九十九へ戻す!」


 重ねる。


「再生九十八!」


「九十九!」


「吸収九十九維持!」


 深層王が。


 必死に。


 戻ろうとしている。


 レクスが。


 それを。


 削る。


「お前ら!」


 レクスが叫ぶ。


「長引かせるな!」


「分かってる!」


 ギルバート。


 呼吸。


 荒い。


「聖断、あと何回!」


「確実なのは一回!」


「温存!」


「分かった!」


「クラウディア!」


「右脚の付け根に古傷!」


「そこ!」


「見えてる!」


 フィン。


「視界、左二つ潰します!」


「傷は?」


「浅く!」


「やって!」


 バルガス。


「左腕、痺れてきた!」


「交代!」


「ドーガン!」


「入る!」


 自然に。


 入れ替わる。


 誰も。


 無理を。


 隠さない。


 深層王。


 大きく。


 身体を起こそうとする。


 でも。


 筋力九十九低下。


 自分の身体を。


 支えられない。


「今!」


 クラウディアが叫ぶ。


 深層王の胸部。


 皮膜が。


 ずれる。


 その奥。


 青黒い。


 光。


 アデルが息を呑む。


「核!」


「見えた?」


「たぶん! 魔力集中点!」


 ギルバートが。


 聖剣を握る。


「レクス!」


「待て!」


 止める。


「まだ?」


「核に吸収が残ってるか見る!」


「了解!」


 レクス。


 集中。


 本体。


 中心。


 そこ。


 別の。


 吸収機構。


「……隠してた」


「何?」


 クラウディアが聞く。


「本体全体とは別。核だけに吸収が残ってる!」


「どのくらい?」


「三割くらい!」


「攻撃したら?」


「吸われる!」


 ギルバートが。


 聖剣を下げる。


「じゃあ待つ!」


 以前なら。


 今。


 絶好の機会。


 そう思った。


 目の前の核。


 勇者の聖剣。


 最後の一撃。


 誰より。


 欲しかったはずだ。


 今は。


 待つ。


「核吸収!」


 レクスが。


 狙う。


「抵抗――」


 深層王本体は。


 もう九十九。


 だから。


「七十!」


 一気。


「八十!」


 深層王の声。


『やめよ』


「八十八!」


『我は』


「九十三!」


『まだ』


「九十七!」


 核の光。


 弱まる。


「九十九!」


 止まった。


「今!」


 レクスが叫ぶ。


 ギルバートが。


 聖剣を上げる。


 クラウディアも。


 同時に。


 前へ。


 でも。


 その瞬間。


 深層王の核。


 さらに奥で。


 別の光が。


 灯った。


「待って!」


 アデルの絶叫。


「何!」


「深層王の核、その下にまだ何かある!」


 ギルバートが足を止める。


 クラウディアも。


 剣を止める。


 青黒い光の奥。


 赤い。


 細い。


 術式。


 人工的な。


「これは……」


 アデルの顔色が変わる。


「深層王自身のものじゃない」


「黒い連中?」


 レクスが聞く。


「たぶん!」


「何をしてる?」


「核に直接――」


 測定器。


 警告音。


「覚醒を押し上げる術式です!」


 誰かが。


 深層王の。


 最深部へ。


 まだ。


 干渉している。


「外せる?」


 レクスが聞く。


「今すぐは!」


 深層王が。


 再び。


 動く。


 九十九パーセント。


 弱体化されている。


 それでも。


 核の奥から。


 何かが。


 無理やり。


 力を押し上げる。


「レクス!」


 ギルバートが叫ぶ。


「どうする!」


 レクスは。


 深層王を見る。


 九十九。


 ここまで来た。


 でも。


 終わっていない。


「まず」


 レクスは右手を上げた。


「その術式も弱くする」


「できる?」


 クラウディアが聞く。


「やる」


「一人で?」


 その問いに。


 レクスは。


 ほんの一瞬だけ。


 昔の癖で。


 「ああ」と言いかけた。


 やめた。


「アデル」


「はい!」


「術式の構造を読んで」


「読みます!」


「ガレン」


「補助する」


「セシリアとエルド」


「魔力経路を見るわ」


「任せい」


「前衛」


 ギルバート。


 クラウディア。


 バルガス。


 ドーガン。


「もう少しだけ時間をくれ」


 ギルバートは。


 聖剣を構え直した。


「何分?」


「分からない」


「じゃあ」


 少し笑う。


「終わるまでだな」


 クラウディアが横から言う。


「無茶はしない」


「分かってる」


「本当に?」


「今度はちゃんと、無理なら言う」


「ならいい」


 深層王が。


 低く。


 咆哮する。


 九十九パーセント。


 削った。


 それでも。


 まだ。


 戦いは。


 終わらない。


 レクスは。


 深層王の核。


 その奥へ食い込む。


 赤い人工術式を。


 見つめた。


「次は」


 静かに言う。


「お前じゃなくて、これを削る」

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