第36話 廃都の門
旧バルハ廃都へ一歩入った瞬間、レクスが最初に感じたのは、魔力ではなかった。
匂いだ。
湿った石と、長く閉ざされた建物に染みついた黴、それからどこかで燃えている油の匂い。
最後の一つだけが、この廃都には似合わない。
六十年以上、人が住んでいないはずの町で。
「止まって」
レクスが言うと、先頭を歩いていたクラウディアがすぐ足を止めた。
後ろの者たちも、互いにぶつからない程度の間隔を保ったまま静止する。
「何?」
「油の匂いがする」
クラウディアは鼻を利かせた。
「……確かに」
ギルバートも周囲を見る。
「誰かいる?」
「少なくとも最近まで火を使った奴がいる」
崩れた城門の向こうには、かつて一本の大通りだったらしい石畳が伸びていた。
左右には屋根の落ちた商店や、壁だけになった民家が並ぶ。
風が吹くたび、どこかの木戸が軋んだ。
魔物の気配はない。
それがかえって不自然だった。
普通なら、六十年も放置された町には小型魔獣の巣くらいあっていい。鼠や鳥さえいないというのは、生き物が近づきたくない理由があるということだ。
「足跡」
フィンがしゃがみ込む。
石畳の埃へ、いくつかの跡が残っていた。
「新しい?」
クラウディアが尋ねる。
「昨日か、一昨日。雨の後についた跡です。人数は……六、いや、もっといますね」
「靴底は?」
「軍靴じゃない。ばらばらです」
ローディスが後ろの騎士へ手を上げた。
「外周隊へ伝えろ。廃都内部に人の活動痕跡あり。予定通り、こちらから合図があるまで進入させるな」
「了解」
一人の騎士が門の外へ戻る。
レクスは足跡を見る。
真っ直ぐ中央神殿へ向かっていない。
路地へ入り。
また出る。
まるで。
「見張り?」
セシリアが言った。
「たぶん」
ギルバートが聖剣の柄へ手を置く。
「人間なら、どうする?」
「昨日話した通り」
レクスは答えた。
「いきなり斬らない」
「分かってる。確認しただけ」
「剣を抜くのも?」
「相手次第」
クラウディアが口を挟む。
「先に武器を向けられたら抜く。でも、斬る必要はないなら斬らない」
「了解」
ギルバートは柄から手を離した。
その動きを。
誰かが見ていた。
◇
廃都へ入って十五分ほど。
一行は大通りから外れた。
中央神殿へそのまま向かう道は広い。
だからこそ、罠を置くなら使いやすい。
先行偵察の結果、東側の細い通りを抜ければ、神殿裏手まで比較的遮蔽物を使って進めることが分かっていた。
「四百年前は、ここにも人がいたのよね」
セシリアが崩れた家々を見る。
「六十年前までは、だな」
ギルバートが答える。
「深層王が封印されたのはもっと前だけど、町自体は残った」
「封印の上に住んでたって、知ってたのかしら」
「最後の頃は知らなかった可能性が高い」
アデルが答えた。
「記録が断絶しています。少なくとも廃都になる百年以上前には、深層王そのものの記録は公文書から消えています」
「何で?」
「意図的に隠したのか。単純に忘れられたのか。そこまでは」
「どっちでも怖いな」
バルガスが言う。
「自分の家の地下に、四百年前の災厄が眠ってるなんて知らずに暮らしてたかもしれねえんだろ?」
「考えたくないですね」
フィンが小さく肩を竦めた。
レクスは会話を聞きながら、前方の角へ目を向けた。
気配。
今度ははっきりしている。
「いる」
全員の動きが止まった。
「何人?」
クラウディアが聞く。
「三。たぶん」
「魔力は?」
「ある。一人はかなり強い」
「人間?」
「そう思う」
ギルバートが低く尋ねる。
「こっちに気づいてる?」
「気づいてる」
「どうして分かる?」
「息を殺してるから」
「それで?」
「隠れるつもりなら、さっきまで普通に呼吸してた奴が急に止めるのは分かる」
フィンが苦笑する。
「それ、聞かれてる側は嫌ですね」
「仕方ないだろ」
レクスは曲がり角の向こうへ声を掛けた。
「そこにいるの、分かってる」
返事はない。
「話ができるなら出てきてほしい。こっちから攻撃するつもりはない」
数秒。
風だけが吹いた。
崩れた瓦が石畳を転がる。
そして。
「王国の黒魔導士」
女の声がした。
姿はまだ見えない。
「随分、礼儀正しいのね」
「戦わなくていいなら、その方がいい」
「人を九十九パーセント弱くできる男が?」
「必要ない相手にはやらない」
「必要だと思えば?」
「やる」
クラウディアが小さく息を吐いた。
「その答え方、もう少し柔らかくできない?」
「嘘は言ってない」
「それが問題なのよ」
角の向こうで、誰かが笑った。
「噂より面白い人ね」
三人が姿を現す。
黒い外套。
顔の半分を覆う布。
男二人。
女一人。
全員の右手に、見覚えのない黒い紋章が刻まれていた。
レクスは目を細める。
地下で暗躍している者たちと、同じ組織。
そう考えるのが自然だった。
「祭壇を作ったのはお前たち?」
レクスが尋ねる。
「さて」
中央の女が答える。
「質問に答える義務はないわ」
「じゃあ何で出てきた?」
「忠告」
「何を?」
「帰りなさい」
「嫌だ」
即答した。
女が一瞬黙る。
「少しは考えないの?」
「ここまで来た理由がなくなる」
「死ぬかもしれない」
「それは知ってる」
「あなたたちだけじゃない。外にいる兵士も。この国境地帯にいる住民も」
レクスの表情から、少しだけ温度が消えた。
「脅してる?」
「事実を言っているだけよ」
「深層王が起きたら、そうなる?」
女は返事をしなかった。
それが答えに見えた。
「なら、なおさら帰れない」
「どうして?」
「お前たちが起こそうとしてるから」
黒い外套の男が一歩前へ出る。
「口を慎め」
「違うなら否定すればいい」
「貴様――」
男の手が腰の短剣へ伸びる。
その瞬間。
ギルバートも動いた。
しかし聖剣は抜かない。
一歩だけ前へ出て、レクスと男の間へ入った。
「剣を抜くなら止めるぞ」
「勇者ギルバート」
男が吐き捨てる。
「黒魔導士に頼らなければまともに戦えぬ勇者が、随分偉そうだな」
以前なら。
その一言だけで。
ギルバートは剣を抜いたかもしれない。
レクスは横顔を見る。
顎が僅かに強張った。
腹は立っている。
当然だ。
けれど。
「そう思うなら勝手に思ってろ」
ギルバートは聖剣へ触れなかった。
「今はお前と俺の評判を決める場所じゃない」
男の方が少し驚いたようだった。
「……腑抜けたか」
「前なら、それでも釣れたかもな」
「釣り?」
男が怪訝な顔をする。
レクスも聞く。
「何で釣り?」
「お前の手紙読んだ後だから出てきた」
「使い方がおかしいだろ」
「分かってるよ」
クラウディアが思わず笑った。
「緊張感を壊す才能あるわね、勇者様」
「様やめろ」
黒外套の女は、そのやり取りを静かに見ていた。
「ずいぶん変わったのね、勇者」
「会ったことある?」
「いいえ。昔の記録を見ただけ」
ギルバートの目が細くなる。
「俺たちを調べてた?」
「あなたたちだけではないわ」
女の視線がレクスへ移る。
「特に彼を」
空気が変わる。
「レクス・アルヴァーン」
「何だ?」
「本当に自分の力を理解している?」
「前よりは」
「世界最強と呼ばれて」
「勝手に呼ばれてる」
「九十九パーセント弱くできる」
「できない相手もいる」
「随分慎重になったのね」
「岩脈竜に飛ばされた奴がいたから」
「俺を見るな」
ドーガンがぼそりと抗議する。
女は少し笑った。
「ますます興味深いわ」
「俺はお前に興味ない」
「残念」
「でも」
レクスは女の右手を見る。
「その紋章には興味ある」
女の笑みが消えた。
ほんの一瞬だった。
「祭壇の術式と同じ系統だな」
アデルが後ろから言う。
「完全一致ではありません。でも構造が似ています。特に外部接続式が」
「喋りすぎよ」
女の声が変わった。
次の瞬間。
男二人が同時に動いた。
「来る!」
クラウディアが剣を抜く。
ギルバートも聖剣を抜いた。
ただし。
「殺すな!」
レクスが叫ぶ。
「分かってる!」
黒外套の男が投げた短剣を、ギルバートが聖剣の腹で弾く。
もう一人が左手を振る。
黒い針状の魔力が数十本。
クラウディアが前へ出る。
「ドーガン!」
「任せろ!」
盾。
すべて受けない。
角度をつけ、魔力針を石壁側へ流す。
炸裂。
崩れた壁がさらに砕ける。
「レクス!」
ギルバートが呼ぶ。
「ああ!」
人間相手。
全能力を落とす必要はない。
まず。
「武器保持力、六十パーセント低下」
短剣を構えていた男の指から、武器が滑った。
「なっ……!」
「脚力、五十」
踏み込もうとした足がもつれる。
倒れはしない。
でも。
突撃は止まった。
「何だ、これは!」
「弱体化」
「聞いていたものと――」
「九十九までは落としてない」
「そんな問題か!」
ギルバートが男へ間合いを詰める。
聖剣を振るう。
刃ではない。
柄頭で手首を打つ。
残った短剣が飛ぶ。
「一人!」
「こっちも!」
クラウディアが二人目の男の腕を捻り上げる。
地面へ押し倒す。
剣は喉元ではなく、手の届かない位置へ蹴り飛ばした。
「お前ら、殺す気は?」
「ない!」
ギルバートが答える。
「だから大人しくしろ!」
「舐めるな!」
男が左手を地面へ叩きつける。
黒い術式が広がる。
「離れろ!」
ガレンの声。
全員が散る。
石畳から黒い縄のようなものが伸び上がった。
人間を縛る術ではない。
周囲の魔力を吸う。
「小型の吸収式!」
アデルが叫ぶ。
「祭壇と同系統です!」
「じゃあ」
レクスは黒い術式そのものへ手を向ける。
「そっちを落とす」
《深淵呪詛》。
吸収効率。
術式維持。
魔力伝導。
七十。
八十。
九十。
黒い縄が途中で萎む。
「嘘だろ……」
術を使った男が呆然とする。
「人間を弱くするより、こっちの方が早い」
レクスが言う。
その横で。
黒外套の女だけは動いていなかった。
「二人とも下がりなさい」
「しかし!」
「勝てないわ」
「まだ――」
「彼はあなたたちを殺さないように加減しながら、術式まで潰している」
女は冷静だった。
「ここで続ける意味はない」
男二人の顔に悔しさが滲む。
「逃がす?」
ギルバートが尋ねる。
「待て」
レクスは女を見る。
「帰るなら、一つ答えてくれ」
「何?」
「深層王を起こして、何がしたい」
女はしばらく黙った。
「それを知って、どうするの?」
「止める」
「目的に関係なく?」
「人から命を吸ってる時点で止める理由はある」
「では、その結果もっと多くの人間が死んでも?」
「どういう意味?」
「四百年前の封印が、本当に人間を守るためだけのものだと思っている?」
アデルが顔を上げる。
「何を知っているんです?」
「知りたいなら」
女は中央神殿の方を見る。
「下へ来ればいい」
「罠か?」
ギルバートが聞く。
「そう思うなら来なければ?」
「それで帰ると思う?」
「思わないわ」
女は初めて。
少し楽しそうに笑った。
「だから、ここまで案内したの」
「案内?」
レクスが眉を寄せる。
「最初から?」
「あなたたちが気づけるよう、必要な痕跡は残した」
ローディスが険しい顔になる。
「祭壇も?」
「それは違う」
「じゃあ何を――」
問いが終わる前に。
女が右手を上げた。
黒い紋章が光る。
「動く!」
クラウディアが飛び出した。
しかし。
女の周囲に薄い膜が生まれる。
「転移式!」
アデルが叫ぶ。
「レクスさん!」
「落とす!」
術式へ《深淵呪詛》。
抵抗。
思ったより強い。
「六十……七十……」
転移光が揺らぐ。
女が初めて驚いた顔をした。
「本当に術式そのものを……」
「八十一!」
止めきれない。
「クラウディア!」
「分かってる!」
彼女が手を伸ばす。
指先が外套へ触れる寸前。
光。
三人の姿が消えた。
残ったのは。
石畳へ落ちた一枚の黒い札だけだった。
「逃げられた」
クラウディアが舌打ちする。
「怪我は?」
「ない」
「皆は?」
全員が確認する。
軽い擦り傷程度。
大きな負傷者はいない。
捕縛もできなかった。
ただ。
「加減したせいで逃げられた?」
ギルバートが聞く。
自分を責めるような響きではない。
確認だった。
「たぶん違う」
レクスは黒い札を見る。
「人間本体をもっと落としても、転移術式は別だから」
「じゃあ最初から転移の準備があった?」
セシリアが言う。
「そう思う」
「逃げる前提で待ってた?」
「ああ」
クラウディアが落ちた札を剣先で裏返す。
「本当に、私たちを地下へ誘ってる?」
「少なくとも」
レクスは中央神殿を見る。
「来ること自体は止めたいように見えなかった」
それが一番気持ち悪かった。
◇
黒い札を調べると。
祭壇の術式と同じ材料が使われていた。
ただし、用途は違う。
「位置固定ですね」
アデルが言う。
「転移先を指定するための目印です」
「どこへ?」
「この札だけでは分かりません」
「女たちは地下?」
「可能性は高いです」
ギルバートが中央神殿を見た。
「罠でも行く?」
レクスはすぐ答えなかった。
以前なら。
行く。
罠なら弱くする。
それで終わったかもしれない。
今は。
「まず入口まで見る」
「中には?」
「状況を見て決める」
「了解」
ギルバートが即答した。
クラウディアも頷く。
「偵察優先ね」
「ああ」
ローディスは廃都内の地図を確認する。
「神殿までは直線で約六百メートル。途中に広場が二つ」
「狙撃に向いてそう」
フィンが嫌そうに言う。
「屋根もほとんどない」
「だから左右の路地を使う」
レクスたちは再び動き出した。
◇
神殿へ近づくほど。
空気が冷たくなった。
季節の寒さではない。
地下から。
冷えたものが染み出してくるような感覚。
青黒い光も濃くなる。
そして。
魔力だけではない。
胸の奥へ。
重いものが乗る。
「止まって」
セシリアが息を整える。
「どうした?」
ギルバートが振り返る。
「少し……苦しい」
レクスの表情が変わる。
「胸?」
「うん」
「俺も」
フィンが言う。
「さっきから、息が浅い気がする」
「吸収圏?」
クラウディアが聞く。
「まだ分からない」
レクスは全員を確認する。
「魔力、減ってる?」
セシリアが自分の状態を探る。
「……ほんの少し」
エルドも頷く。
「自然消耗にしては早い」
「神殿までまだ二百メートル以上ある」
アデルが測定器を見る。
「微弱ですが、生命力と魔力が北東――いえ、地下へ引かれています!」
ギルバートの顔が険しくなる。
「戦ってないのに?」
「深層王が完全覚醒していないから弱いだけで、もう始まっているのかもしれません!」
「レクス」
クラウディアが見る。
「ああ」
レクスは自分たちではなく。
地面の下へ意識を伸ばした。
吸われている。
細い。
まだ弱い。
けれど。
確かに。
こちら側から何かを引っ張っている。
「吸収機構の一部が動いてる」
「弱くできる?」
「距離が遠い」
「届かない?」
「本体にはまだ無理。でも」
地面。
周囲の術式。
そこを狙う。
「経路なら」
《深淵呪詛》。
地脈吸収。
局所接続。
五十。
六十。
抵抗が強い。
「七十二……」
胸の圧迫感が少し軽くなる。
セシリアが深く息を吸った。
「効いた」
「全部じゃない」
「どのくらい?」
「この辺だけ七割くらい落とした」
「本体は?」
「触れてない」
アデルが測定器を見る。
「局所的な吸収量が大きく低下しました!」
フィンが顔をしかめる。
「本体に触れてないのに、地面の方を弱らせて止めるんですか」
「吸ってる道があるなら、そこを落とせる」
「便利すぎません?」
「でも」
レクスは神殿を見る。
「奥へ行くほど経路が増える」
「全部落として進む?」
クラウディアが尋ねる。
「できるけど、時間がかかる」
「どうする?」
レクスは少し考えた。
「交代で進む」
「何を?」
「吸収への耐性が低い奴を中央。耐えられる奴を外側。俺は経路を落としながら進む」
「俺たちも?」
ギルバートが聞く。
「魔力を使わない前衛は、少し有利かもしれない。でも生命力も吸われるなら関係ない」
「じゃあ皆同じ?」
「完全には違わない」
「分かった」
また。
誰も「全部止めろ」とは言わなかった。
レクスも。
全部を自分で背負おうとはしなかった。
◇
中央神殿は、廃都の中で最も原形を残していた。
正面の列柱は半分崩れている。
屋根も落ちている。
それでも。
地下へ続く巨大な石扉だけは。
残っていた。
「これが入口?」
ギルバートが見上げる。
「記録上は」
アデルが答える。
本来なら。
四百年前の封印を守るため。
何重もの術式と。
物理的な封鎖が施されていたはずだった。
しかし。
「……半分開いてる」
セシリアが呟く。
石扉の片側。
幅一メートル以上。
隙間がある。
扉の表面には。
巨大な亀裂。
それだけではない。
「壊された?」
ドーガンが触れずに確認する。
「内側からじゃない」
レクスが言う。
「何で分かる?」
「割れ方が外から内へ向いてる」
アデルも調べる。
「封印術式の一部が、意図的に切断されています」
「黒い連中が?」
「おそらく」
「完全には開けなかった?」
クラウディアが尋ねる。
「いえ」
アデルの顔が強張った。
「違います」
「何が?」
「開けなかったんじゃない」
測定器を扉へ向ける。
「途中で止めています」
「止めた?」
「この石扉、今ならもっと開けられる」
全員が黙る。
「じゃあ」
ギルバートが低く言う。
「俺たちが通れるだけ、わざと開けてある?」
返事は。
誰もしたくなかった。
けれど。
そう考えるのが一番自然だった。
「歓迎されてるな」
バルガスが嫌そうに言う。
「嬉しくない歓迎ね」
クラウディアが返す。
扉の隙間から。
冷たい風が吹いてくる。
地下の空気。
湿っている。
土と石の匂い。
それから。
青白い炎の光。
どこか遠くで。
どくん。
脈動。
さっきより近い。
「レクス」
ギルバートが呼ぶ。
「何だ?」
「怖い」
予告していた通り。
本当に言った。
レクスは少し驚いた。
「俺も」
ギルバートがこちらを見る。
「お前も?」
「ああ」
「世界最強なのに?」
「それ関係ある?」
「……ないな」
「でも行く?」
レクスが聞く。
「ああ」
ギルバートは頷いた。
「怖いのと、行くのは別だ」
クラウディアも剣の位置を直す。
「ここまで来たものね」
フィンが乾いた笑いを漏らす。
「俺、今ならまだ『体調不良です』で帰れません?」
「本当に悪いなら帰れ」
「そこ真面目に返さないでください。迷うから」
「なら行くぞ」
「はい……」
アデルとガレンが扉の術式をもう一度確認する。
「触れても反撃なし」
「ただし完全に安全とは言えん」
「開ける必要は?」
「ないです。この隙間で全員通れます」
ローディスが最後に外側へ通信を送る。
「選抜組、地下へ進入する。以後、通信が切れた場合でも外周隊は独断で入るな。吸収圏拡大時は即撤退」
返答。
『了解』
ギルバート。
クラウディア。
バルガス。
ドーガン。
フィン。
セシリア。
エルド。
アデル。
ガレン。
公国と王国の術師たち。
そして。
レクス。
順番を決める。
最初に入るのは。
クラウディアとギルバート。
少し前なら。
そこで二人が揉めたかもしれない。
「右を見る」
クラウディアが言う。
「じゃあ俺は左」
ギルバートが答える。
それだけだった。
「行くぞ」
レクスが言う。
二人が石扉の隙間へ入る。
続いて。
一人ずつ。
地下へ。
全員が通り終える。
最後にレクスが扉を越えた瞬間。
背後で。
ぎい、と。
石が擦れる音がした。
「止まれ!」
ギルバートが振り返る。
扉が。
ゆっくり動いている。
「閉まる!」
フィンが叫ぶ。
「戻る?」
クラウディアが尋ねる。
レクスは扉の術式を見る。
「いや」
「どうして?」
「完全には閉まらない」
石扉は。
先ほどまでの隙間を。
半分ほど狭めたところで。
止まった。
「閉じ込める気じゃない?」
「たぶん」
「じゃあ何?」
レクスは前を見る。
地下通路。
壁沿いに。
青白い炎が一つずつ。
奥へ向かって。
順番に灯っていく。
一つ。
また一つ。
さらに奥。
「……道案内」
レクスが言った。
ギルバートの顔が引きつる。
「ここまで露骨だと、逆に行きたくなくなるな」
「分かる」
最奥の闇から。
誰かの声が。
ほんの僅かに聞こえた。
「待っているわ」
女の声。
さっきの黒外套の女ではない。
もっと落ち着いた。
若い女の声だった。
レクスたちはまだ知らない。
廃都地下の中心で。
黒髪の女が。
ずっと彼らを待っていたことを。




