第29話 勇者、再認定
再認定試験の最終課題を告げられた時、ギルバートはしばらく返事をしなかった。
聞き取れなかったわけではない。
むしろ内容が予想していたものと違いすぎて、頭の中で意味を組み直していた。
「もう一度、確認していいですか」
「構わん」
王都中央冒険者ギルドの会議室。
これまでの二回と同じく、中央ギルドの審査官と王国騎士団の代表が机の向こうに座っている。
ただし今日は、宮廷魔術院の記録官だけではなく、王宮から派遣された文官も同席していた。
つまり。
今日で決まる。
勇者ギルバートという称号を、王国が今後も認めるのか。
「討伐対象は、いないんですよね?」
「現時点ではな」
「目的は?」
「山間部にあるカルダ村から、住民四十二名を安全な場所まで避難させることだ」
「原因は土砂崩れ」
「正確には、昨夜の豪雨で山腹が崩れた。村へ至る南側街道は封鎖。北側の林道も一部が崩れている。さらに上流の天然堰が決壊する可能性がある」
ギルバートは地図へ視線を落とした。
王都から北西。
谷あいにある小さな村。
東西を山に挟まれ、南へ流れる川沿いに家屋が並んでいる。
「魔物の目撃情報は?」
セシリアが尋ねる。
「周辺にCランク以下の魔物が生息している。ただし今回、それを討伐する必要はない」
まただ。
討伐する必要はない。
以前なら少し物足りなく感じただろう。
最終試験なら、もっと強大な魔物を用意してほしい。
それを倒してこそ勇者だ、と。
今は違う。
「四十二人全員を避難させればいい?」
「可能ならな」
ギルバートが顔を上げた。
「可能なら?」
「現地へ着けば分かる」
審査官の答えは、それ以上ではなかった。
バルガスが腕を組む。
「また現場判断か」
「嫌か?」
「いや。もう慣れた」
審査官がほんの少し笑う。
「それなら成長したな」
「俺じゃなくて、こいつの試験なんだけどな」
「パーティ運用能力も評価対象だ。お前たち二人も無関係ではない」
セシリアが地図を覗き込む。
「避難経路は北側だけ?」
「地図上ではそうだ」
「地図上では、ね」
「現地状況は昨夜から変わっている可能性がある」
「本当に性格の悪い試験ね」
「現場はもっと性格が悪いぞ」
それは否定できなかった。
ギルバートは地図を畳んだ。
「出発します」
「一つだけ」
王宮の文官が口を開いた。
「今回の評価結果によって、勇者称号の扱いを決定する」
分かっていた。
それでも、改めて言葉にされると胃の奥が重くなる。
「基準を満たせなかった場合は、称号停止ですか?」
「その可能性がある」
ギルバートは一度だけ目を閉じた。
怖くないと言えば嘘になる。
勇者という呼び名で生きてきた。
誇りでもあった。
自分の価値そのものだと思っていた時期さえある。
けれど。
「分かりました」
以前より、声は落ち着いていた。
「行ってきます」
◇
カルダ村が見えた時、ギルバートは試験官の言った「現地へ着けば分かる」という言葉の意味を理解した。
「……ひどいな」
バルガスが呟く。
村の南側を通る街道は、山から流れ落ちた土砂で完全に埋まっていた。
家屋の何軒かも被害を受けている。
川は茶色く濁り、普段より明らかに水量が多い。
何より。
「橋がない」
セシリアが言う。
地図にはあった。
村の北側から林道へ抜けるための木橋。
その中央部分が流されている。
「昨日の夜に落ちたんだろうな」
ギルバートは馬を降りた。
村人たちが集まってくる。
「勇者様!」
「王都から来てくれたのか!」
「助けてくれ!」
その声に、以前ならすぐ「任せろ」と答えたかもしれない。
今は先に周囲を見る。
「村長は?」
「私です」
白髪の老人が前へ出る。
「怪我人は?」
「重傷が二人。軽傷は七人ほど」
「動けない人は?」
「重傷者と、足の悪い老人が三人。幼い子供が六人います」
「全員で四十二人?」
「はい」
ギルバートはセシリアを見る。
「川の状態は?」
「待って」
彼女は杖を持ち上げ、流れへ探知魔法を走らせる。
川幅は普段なら十メートル程度。
今はその倍近くまで広がっていた。
「流れが強すぎる。泳いで渡るのは無理」
「魔法で橋を作れる?」
「短時間なら。でも四十二人全員が渡れる強度を保つには、魔力をかなり使う」
「どのくらい?」
「その後まともに戦えないくらい」
「戦う予定はない」
「予定は、ね」
セシリアの言葉に、三人とも一瞬黙った。
試験である以上、何が起こるか分からない。
とはいえ、だからといって魔力を温存して避難が遅れれば本末転倒だ。
「天然堰は?」
ギルバートが村長へ尋ねる。
「上流です。昨日の土砂崩れで川を塞いでいるらしくて……」
「誰か見に行った?」
「若い者が二人。まだ戻りません」
それが一番まずかった。
ギルバートは地図を開く。
上流まで徒歩なら二十分ほど。
「バルガス」
「おう」
「村に残って避難準備。動ける人から荷物を最小限にさせろ」
「分かった」
「セシリアは橋を作れるか確認。ただし、まだ魔力は使うな」
「じゃああなたは?」
「上流を見る」
「一人で?」
「様子を見るだけだ」
セシリアの眉が上がる。
「その言い方、前のあなたなら信用できなかったんだけど」
「今は?」
「少しだけ信用してる」
「少しなのかよ」
「戻ってきたら増えるかも」
「分かった。必ず戻る」
◇
上流へ続く山道は、所々でぬかるんでいた。
雨は止んでいる。
だが山全体から水が染み出しているようで、小さな沢まで濁流になっている。
途中で一人目の若者を見つけた。
倒木の脇に座り込み、足を押さえている。
「大丈夫か!」
「勇者様……?」
「立てる?」
「足を捻って……もう一人が先へ行きました」
「戻れと言われなかったか?」
「堰の様子だけでも見ないと、村が危ないって」
責任感がある。
だからこそ困る。
「ここで待て。帰りに連れていく」
「でも――」
「村へ戻る方が先だ」
ギルバートは言い切り、さらに上へ進んだ。
やがて。
音が変わった。
川の音だけではない。
何か巨大なものが軋んでいる。
山道を抜けた先。
「……まずい」
谷の一部が完全に崩れ、大量の土砂と倒木が川を塞いでいた。
その向こう。
茶色い水が巨大な湖のように溜まっている。
そして。
堰の中央には、すでに太い亀裂が走っていた。
「勇者様!」
叫び声。
もう一人の若者が、対岸の岩場に取り残されている。
「動くな!」
「戻れません! さっき足場が崩れて!」
ギルバートは周囲を見る。
飛び越えられる距離ではない。
しかも。
ばきり、と。
天然堰の一部が崩れた。
少量の水が噴き出す。
時間がない。
若者を助ける。
村へ戻る。
避難させる。
すべてやらなければならない。
以前なら。
聖剣で土砂を斬ろうとしたかもしれない。
障害を力で破壊すれば道が開く。
だが。
「……駄目だ」
それをやれば、溜まった水が一気に村へ流れる。
力があるから使う。
そんな単純な話ではない。
「そこから動くな! 迎えに来る!」
ギルバートは踵を返した。
「えっ!?」
「先に村を避難させる! 必ず戻る!」
「俺は――」
「残る方が一人なら助けられる! 四十二人を巻き込む方がまずい!」
若者は何か言おうとした。
それでも最後には頷いた。
「……分かりました!」
ギルバートは走った。
助けを求めている人間をその場に残す。
胸が痛まないわけではない。
今すぐ助けたい。
勇者なら助けるべきだ、とも思う。
だが。
優先順位を間違えるわけにはいかない。
◇
「堰が崩れる!」
村へ戻るなり叫んだ。
空気が一変した。
「どのくらい?」
セシリアがすぐ聞く。
「正確には分からない。でも亀裂が入ってる。長くは持たない」
「橋を作る」
「頼む」
セシリアは迷わなかった。
「《氷梁》!」
杖の先から冷気が走る。
増水した川へ氷が伸びる。
普段の攻撃魔法とは違う。
広く。
厚く。
人が渡れる幅を作る。
「一気に冷やすと割れる! 時間かかるわよ!」
「どのくらい?」
「五分!」
「バルガス!」
「避難準備できてる!」
村人たちはすでに最小限の荷物だけを持って集まっていた。
重傷者は戸板へ載せられ、老人たちには若者が付き添っている。
「順番を決めるぞ!」
ギルバートが叫ぶ。
「子供、怪我人、老人から! 走るな! 橋の上で止まるな!」
一人の男が手を上げる。
「家畜は?」
牛。
羊。
鶏。
村の大切な財産だ。
ギルバートは一瞬迷った。
「連れていける分だけ」
「全部は?」
「無理だ」
「でも!」
「人が先だ!」
強く言った。
「時間が余ったら戻る! 今は命を優先してくれ!」
男は歯を食いしばった。
それでも頷いた。
「……分かった」
昔のギルバートなら。
全部守る、と言ったかもしれない。
村人も。
家畜も。
荷物も。
家も。
全部。
できもしない約束を。
今は言わない。
守れるものから守る。
「できた!」
セシリアが叫ぶ。
氷の橋が対岸まで繋がった。
「渡れ!」
村人たちが動き出す。
一人。
二人。
三人。
バルガスが橋の入口で人数を数える。
「十!」
「間隔空けろ!」
「十五!」
氷が軋む。
セシリアの顔から汗が流れる。
「魔力は?」
「六割!」
「持つ?」
「このままなら!」
二十。
二十五。
その時だった。
森の奥から咆哮が聞こえた。
「まさか」
ギルバートが振り向く。
現れたのは三頭の牙猪。
普段ならCランク程度。
だが避難中の村人に突っ込まれれば、それだけで死人が出る。
「俺が行く!」
ギルバートが聖剣を抜く。
バルガスが止めた。
「待て! お前は橋側にいろ!」
「でも!」
「俺が行く!」
「一人で三頭は――」
「倒す必要ねえんだろ!」
その一言で止まった。
バルガスは盾を叩く。
「こっちだ、豚野郎ども!」
三頭が標的を変える。
バルガスは森側へ走る。
討伐しない。
誘導するだけだ。
「バルガス!」
「橋を見ろ!」
ギルバートは歯を食いしばり、村人へ向き直った。
「三十!」
残り十二人。
堰が遠くで鳴った。
低い。
嫌な音。
「急いで! でも走るな!」
「どっちだよ!」
村人の一人が半泣きで叫び、周囲に笑いとも悲鳴ともつかない声が起きる。
「転ばない程度に急げ!」
「最初からそう言ってください!」
「悪い!」
三十五。
三十七。
残り五人。
「ギルバート!」
セシリアの声が震える。
「橋が持たない!」
「あと何人!」
「五!」
「行かせろ!」
「魔力じゃない! 水圧が上がってる!」
見る。
上流から水量が増えている。
堰の一部がさらに崩れたのだ。
「四十!」
残り二人。
最後は。
村長と、足の悪い老婆だった。
「先に行け!」
村長が老婆を押す。
「あなたも!」
「年寄り二人じゃ早く歩けん!」
ギルバートは走った。
「二人とも行く!」
老婆を背負う。
村長の腕を掴む。
「勇者様、わしは――」
「俺に選ばせるな!」
声が強くなった。
「四十二人全員って言われてるんだ!」
村長が目を見開く。
「試験だからか?」
「違う!」
即座に返した。
「四十二人いるって知ったからだ!」
橋へ踏み出す。
氷が軋む。
「ゆっくり!」
セシリアが叫ぶ。
「でも早く!」
「お前までどっちだよ!」
「今は両方よ!」
中ほど。
足元へ亀裂。
「まずい!」
ギルバートは老婆を背負ったまま村長を押す。
「先へ!」
「勇者様!」
「行け!」
村長が対岸へ走る。
残り五メートル。
氷が割れる。
「ギルバート!」
セシリアの魔力が一気に流れ込む。
割れた場所を再凍結。
「今!」
ギルバートは飛んだ。
対岸へ転がる。
老婆を守るように身体を捻り、自分の肩から地面へ落ちた。
「痛っ……」
「勇者様!」
「大丈夫」
立ち上がる。
四十二。
全員いる。
「橋を切れ!」
ギルバートが叫んだ。
セシリアが驚く。
「切る?」
「堰が来たら氷まで流される!」
「分かった!」
魔法を解除。
氷橋が崩れ、濁流へ消える。
その直後。
山の向こうから。
轟音が響いた。
◇
「来る!」
上流から、水の壁が見えた。
天然堰が決壊した。
濁流。
土砂。
倒木。
すべてを巻き込みながら村へ向かってくる。
「全員、高台へ!」
村人たちをさらに林道の上へ移動させる。
数分後。
さっきまでいた村を濁流が襲った。
家屋が何軒か押し流される。
柵が消える。
畑が泥に埋まる。
村人たちの中から泣き声が上がった。
自分たちが暮らしてきた場所だ。
助かったからといって、何も失っていないわけではない。
ギルバートは何も言えなかった。
「また作ればいい」などと簡単に言えるものではない。
だから。
ただ一緒に見た。
「ギルバート!」
遠くからバルガスの声がした。
「無事か!」
森の斜面から走ってくる。
牙猪はもういない。
「そっちは?」
「谷側へ誘導した! 追ってこねえ!」
「怪我は?」
「泥だらけになっただけだ!」
バルガスは村人たちを見渡す。
「全員?」
「ああ」
「四十二?」
「いる」
バルガスは大きく息を吐いた。
「よし」
セシリアが地面へ座り込んだ。
「私、もう大魔法一発も撃てないからね」
「分かってる」
「魔力、ほとんど使った」
「よく持たせたな」
「もっと褒めてもいいわよ」
「助かった。本当に」
素直に言うと、セシリアの方が困った顔になった。
「……そう真面目に言われると調子狂うんだけど」
「どっちなんだよ」
◇
避難は成功した。
けれど。
まだ一人いる。
「上流の若者」
ギルバートが言う。
バルガスの顔が変わる。
「取り残されてる奴か」
「ああ」
「堰はもう崩れた」
「だから流れが落ち着けば戻れる」
「今すぐ?」
セシリアが聞く。
「いや」
以前のギルバートなら。
今すぐ行った。
助けを求めているなら行く。
それが勇者だ、と。
「川が落ち着くまで待つ」
「どのくらい?」
「分からない」
「本人は待ってるわよ」
「分かってる」
胸が痛む。
必ず戻ると言った。
「でも今行って、俺まで流されたら助けられない」
セシリアが黙る。
「一時間待つ。水量を見る。それから判断する」
バルガスが頷いた。
「俺も行く」
「セシリアは?」
「残る」
「珍しいな」
「魔力ほぼ空なのに行っても足手まといよ」
少し悔しそうだった。
それでも、自分から言った。
「その代わり絶対二人で戻ってきて」
「分かった」
「前みたいに格好つけて無茶したら、再認定どうこうより先に私が殴るから」
「魔術師なのに?」
「杖で」
「それは痛そうだ」
◇
水量が下がり始めたのは、四十分ほど後だった。
ギルバートとバルガスは上流へ向かった。
途中、足を捻った若者も回収する。
「もう一人は?」
「迎えに行く」
「俺も――」
「お前は歩けないだろ」
「でも」
「戻ったら村のみんなに、俺たちが行ったって伝えてくれ」
バルガスが若者を背負う。
「ほら。こいつは俺が下へ連れてく」
「一人で大丈夫か?」
ギルバートが聞く。
「俺を誰だと思ってる」
「最近、無茶をしない重戦士」
「それ褒めてんのか?」
「かなり」
「ならいい」
ここからギルバートは一人で進んだ。
天然堰のあった場所は、地形そのものが変わっていた。
岩。
倒木。
泥。
それでも。
「おーい!」
声を上げる。
「勇者様!」
返ってきた。
岩場の上。
取り残されていた若者が立っている。
「本当に戻ってきた!」
「戻るって言っただろ!」
「でも村が!」
「全員避難した!」
若者の顔が崩れた。
「本当に?」
「ああ!」
「妹も?」
「誰が妹か知らないけど、四十二人全員だ!」
若者はその場へ座り込んだ。
安心したらしい。
「じゃあ次はお前だ!」
川幅は少し狭くなっている。
ただしまだ渡るのは危険だ。
ギルバートは周囲を見る。
倒木。
ロープ。
自分一人。
聖剣。
「……斬るなら、こういう時だな」
上流に倒れた大木。
根元側が岩へ引っかかっている。
角度を変えれば、向こう岸へ届く。
ギルバートは聖剣を抜いた。
何でも斬ればいいわけではない。
でも。
斬るべきものなら。
「《聖断》!」
光刃が木の一部を切る。
完全に断ち切るのではなく、倒れる方向を変える。
大木がゆっくり傾いた。
対岸へ。
橋になる。
「渡れるか!」
「やってみます!」
「落ちたら俺が笑うぞ!」
「助けてくださいよ!」
「もちろん助ける!」
若者は慎重に渡った。
中ほどで一度滑り。
「うわっ!」
「言ったそばから!」
ギルバートが手を伸ばす。
腕を掴む。
「落ちるな!」
「こっちだって好きで落ちてません!」
「それもそうだ!」
二人で笑った。
危険の中なのに。
笑える余裕が少しだけあった。
◇
全員が安全な宿場まで移されたのは、日が沈む少し前だった。
試験官たちは先に到着していた。
「報告を」
ギルバートは一日の出来事をすべて説明した。
橋。
決壊。
魔物。
村人。
取り残された二人。
最後まで聞いた審査官が尋ねる。
「なぜ最初に上流の若者を助けなかった?」
「村全体の避難が先だったからです」
「見捨てる可能性もあったぞ」
「ありました」
認める。
「それでも?」
「はい」
「なぜ?」
ギルバートは少し考えた。
「一人を助けるために四十二人を危険へ置く方が間違っていると思ったからです」
「勇者なら全員を同時に救うべきだとは?」
「できるならそうしたいです」
「できなければ?」
「順番を決めます」
「誰を切り捨てる?」
厳しい質問だった。
セシリアが少し顔をしかめる。
バルガスも黙る。
ギルバートは逃げなかった。
「切り捨てると決めるんじゃありません」
「違いは?」
「今、助けられる人数を最大にする。その後で残った人を助けに行く」
「それでも間に合わない場合は?」
答えたくない。
けれど。
「……その時は、間に合わない人が出るかもしれません」
口にするだけで苦かった。
「でも、全員助けられるふりをして全員死なせるよりはましです」
審査官は何も言わない。
王宮文官が続けて尋ねる。
「村の家屋や家畜、財産の多くが失われた」
「はい」
「勇者として、それを守れなかったことをどう考える?」
「悔しいです」
「失敗か?」
「……いいえ」
ギルバートは村人たちを見る。
疲れている。
泥だらけだ。
泣いている人もいる。
それでも。
生きている。
「今日は命を守る依頼でした」
「なら成功?」
「成功です」
以前なら。
もっと大きな言葉を使っただろう。
完全勝利。
大成功。
勇者の功績。
今は。
「でも、損失はありました」
そこも隠さない。
「だから、これで全部よかったとは言えません。村を立て直す仕事も残ってるし、流されたものを回収できるかもしれない。今日できなかったことは、次にやるべきだと思います」
王宮文官がゆっくり書類へ視線を落とす。
「分かった」
◇
王都へ戻った翌日。
再認定審査の結果は、中央冒険者ギルドの第三会議室で告げられた。
ギルバートは、最初に呼び出された時と同じ椅子へ座っていた。
隣にはセシリアとバルガス。
向かいには五人の審査員。
最年長のギルド幹部が書類を開いた。
「勇者ギルバート」
「はい」
「再認定試験三課題、および過去の戦闘記録、直近の行動記録を含めて審査した」
ギルバートは膝の上で手を組んだ。
緊張している。
情けないくらいに。
それでも、以前のように結果だけで自分の価値が決まるとは思っていなかった。
「結論を告げる」
幹部が顔を上げる。
「王国認定勇者資格を、継続する」
しばらく。
言葉の意味が入ってこなかった。
「……本当に?」
「審査結果に文句があるか?」
「ないです!」
思わず声が大きくなった。
セシリアが横で吹き出す。
「そこは昔と変わらないのね」
「うるさい」
バルガスがギルバートの背中を強く叩いた。
「いてっ!」
「おめでとう、勇者様」
「だから様はやめろって」
「今日くらいいいだろ」
嬉しかった。
素直に。
勇者の称号を失いたくないと思っていた。
だから。
胸の奥から息を吐いた。
しかし話は終わっていなかった。
「ただし」
幹部が続ける。
三人が静かになる。
「停止していた特別権限を、すべて即時に戻すことはしない」
ギルバートは頷いた。
「高難度依頼の受注制限免除は、条件付きで復帰。災害指定以上への単独討伐権限は引き続き停止。王国部隊への臨時指揮権についても、一定期間は上級指揮官の承認を必要とする」
「分かりました」
「不満は?」
「ありません」
「即答か」
「紅蓮竜へ一人で行った奴に、またすぐ単独討伐権を返す方が怖いでしょう」
審査官の一人が咳払いで笑いを隠した。
「自分で言うか」
「今なら」
ギルバートも苦笑する。
「必要なら、そのうち取り戻します」
「焦るな」
「はい」
少し前まで。
権限を削られることは、自分を侮辱されることだと思っていた。
今は違う。
任せられる力を示せばいい。
その時に戻るなら戻る。
「もう一つ」
王宮文官が一枚の紙を出した。
「過去の勇者パーティ戦績について、功績配分の再整理が完了した」
空気が少し変わる。
「ギルバート、セシリア、バルガスの功績を取り消すことはしない。同時に、レクス・アルヴァーンの支援貢献を正式に各討伐記録へ追記する」
ギルバートは黙って聞いた。
「魔王軍上級将軍ガルガディアを含む、主要討伐記録すべてだ」
「はい」
「異論は?」
「ありません」
今度も迷わなかった。
「むしろ、そうしてください」
「いいのか?」
「よくなかったから、今こうなったんでしょう」
自分だけの功績だと思いたかった。
そのためにレクスの役割を小さく扱った。
もう同じことをするつもりはなかった。
「戦ったのは俺たちです。でも、レクスも戦ってた」
剣を振るうだけが戦いではない。
ようやく理解した。
「なら、四人分で記録してください」
「そうする」
文官が書類へ署名した。
それで。
長かった再認定審査は終わった。
◇
中央ギルドを出る。
王都の昼は騒がしかった。
荷車。
露店。
冒険者。
騎士。
少し前までは、この通りを歩けば何人も「勇者様」と声を掛けてきた。
今日は。
「あ、ギルバートだ」
どこかの冒険者が言った。
「再認定どうなったんだ?」
「さあ」
まだ結果は広まっていない。
「なあ」
バルガスが聞く。
「自分で発表する?」
「何を?」
「『勇者の称号、守りました!』って広場で」
「やるか!」
「昔ならやってたかも」
セシリアが言う。
「俺を何だと思ってるんだ」
二人が黙る。
「そこで黙るなよ」
「冗談よ」
「間が長い」
三人で歩く。
しばらくして、ギルバートが立ち止まった。
「手紙出そうかな」
「誰に?」
聞きながら、セシリアはもう分かっている顔をしていた。
「レクス」
「報告?」
「ああ」
バルガスがにやりとする。
「『勇者の称号、守りました!』って?」
「その書き方はしねえよ」
「じゃあ何て?」
ギルバートは少し考えた。
「再認定された。今度はちゃんと、自分たちの力で」
それで十分な気がした。
「あと」
「まだあるの?」
「ベルンへ行った時に、受かったら報告くらい聞いてくれって言ったから」
セシリアが笑う。
「覚えてたのね」
「向こうも覚えてるか分からんけど」
「レクスなら覚えてるんじゃない?」
「そうかな」
「たぶん」
ギルバートは空を見た。
勇者という名前は残った。
でも。
以前と同じ勇者ではない。
何でも倒せるふりをする勇者でも。
仲間の力まで自分の功績だと思う勇者でもない。
勝てない敵はいる。
逃げることもある。
守れないものもある。
それでも。
何を守るかを考え、誰と戦うかを考え、間違えたらやり直す。
今は。
そんな勇者でいいと思えた。
「行くぞ」
ギルバートが歩き出す。
「どこへ?」
「訓練場」
バルガスが嫌そうな顔をした。
「今日くらい休もうぜ」
「再認定されたから終わりじゃないだろ」
「お前、真面目になりすぎじゃねえ?」
「じゃあ酒場でもいい」
「そっち!」
バルガスの表情が一瞬で明るくなる。
セシリアが呆れた。
「変わったと思ったら、そこは変わらないのね」
「全部変わる必要はないだろ」
ギルバートは笑った。
その日の夕方。
ベルンへ向けて、一通の手紙が王都を出た。
差出人は、勇者ギルバート。
内容は短い。
『再認定された。
まだ昔みたいに何でもできるわけじゃないし、たぶんその方がいいんだと思う。
約束したから報告する。
次に会った時は、少しくらい胸を張ってお前と話せそうだ。
あと、釣りはまだそんなに面白いのか?』
最後の一文を入れるかどうか、ギルバートは十分ほど悩んだ。
結局、残した。
勇者としての報告だけでは。
なんとなく、今のレクスには堅苦しすぎる気がしたからだった。




