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第25話 勇者は、逃げることを覚えた

 再認定試験の第二課題を告げられた時、ギルバートは思わず聞き返した。


「……護衛ですか?」


「ああ」


 王都中央冒険者ギルドの審査官は、机の上へ一枚の地図を広げた。


 第一課題から三日。


 ギルバート、セシリア、バルガスの三人は、今度は王都南西部にある小さな宿場町まで呼び出されていた。


 今回も審査官と騎士団の記録員が同行している。


 しかし、前回のような「指定地域の魔物を調査せよ」という内容ではなかった。


「この宿場町から南へ半日ほど行ったところに、ラグナ村という農村がある。昨日から近隣で魔物の目撃数が増えたため、村人の一部をこちらへ移すことになった」


「討伐じゃなく、避難民の護衛?」


「そうだ」


 ギルバートは地図を見る。


 ラグナ村から宿場町まで一本道。


 途中には小さな森と、岩場の多い丘陵地帯がある。


「人数は?」


「二十八名。うち子供が七名、老人が五名。自力で長距離を歩けない者のために荷馬車を二台用意している」


 バルガスが腕を組む。


「魔物の種類は?」


「現在確認されているのはCランク以下が中心だ。角兎、灰牙狼、牙猪。それほど大きな脅威ではない」


「なら普通の護衛依頼じゃない」


 セシリアが言う。


「試験にするくらいなら、何かあるんでしょう?」


 審査官は表情を変えなかった。


「現地で判断しろ」


「またそれか」


 ギルバートが苦笑する。


「不満か?」


「いや。前回で慣れました」


「なら結構」


 審査官は資料を閉じた。


「今回の目的はただ一つ。村人二十八名を全員、生きて宿場町まで連れて帰れ」


 ギルバートは即座に頷いた。


「分かりました」


「討伐数は評価しない」


「はい」


「高位魔物を倒したとしても、それ自体は加点対象にならない」


「……わざわざ言います?」


「念のためだ」


 ギルバートは何とも言えない顔になる。


 少し前までの自分なら、「つまり大物を倒せば、それだけでも勇者として評価されるだろう」と考えた可能性が高い。


 そのことを審査官も知っているのだろう。


「目的は村人の護衛。それだけ覚えておけ」


「分かってます」


 今度は少し強めに答えた。


     ◇


 ラグナ村へ着いたのは昼前だった。


 小さな農村だった。


 麦畑と牧草地に囲まれ、石造りの家が二十軒ほど並んでいる。


 村そのものが襲われたわけではない。


 それでも、周辺で魔物が増えているという報告を受け、女子供と老人を中心に一時避難させることになったらしい。


「勇者様!」


 村へ入った途端、少年が駆け寄ってきた。


 十歳くらいだろう。


 ギルバートは反射的に胸を張りそうになり、途中でやめた。


「危ないから走るな」


「本当に勇者様?」


「ああ。一応な」


「一応?」


 少年が首を傾げる。


 後ろから母親らしい女性が慌てて来た。


「申し訳ありません。この子、王都から勇者様が来ると聞いて朝からずっと落ち着かなくて」


「気にしないでください」


 ギルバートは少年を見る。


「今日は俺たちが宿場町まで送るから、ちゃんと大人の言うことを聞けよ」


「魔物が来たら勇者様が全部倒してくれる?」


 一瞬。


 昔なら即答していた。


 もちろんだ。


 俺が全部倒す。


 そう言って、子供を喜ばせただろう。


 ギルバートは少し考えてから答えた。


「倒せる奴なら倒す」


「倒せない奴もいるの?」


「いる」


 少年が驚いた。


 母親も少しだけ目を見開く。


「その時は逃げる」


「勇者様なのに?」


「ああ」


 自分で口にしても、もう恥ずかしくなかった。


「お前たちを連れて逃げる。今日の俺の仕事は、魔物に勝つことじゃなくて、みんなをちゃんと宿場町まで連れていくことだからな」


 少年はしばらく考えた。


 やがて、少し不満そうにしながらも頷いた。


「分かった」


「よし」


 セシリアが後ろで小さく笑った。


「何だよ」


「別に」


「笑ってただろ」


「前なら絶対、『この勇者ギルバートに任せろ!』って言ってたと思って」


「……言ってたな」


「自覚あるならいいわ」


     ◇


 避難する二十八人は、二台の荷馬車と徒歩の組に分かれた。


 ギルバートたちは最初に村人たちへ説明した。


「誰か一人でも勝手に列を離れたら、全員を止めます。荷物を落としても勝手に戻らないでください」


 年配の男性が手を挙げる。


「家財道具も積んでるんだが、魔物が来たらどうする?」


「重い荷物から捨ててもらうことがあります」


 ざわめきが起きた。


「待ってくれ。あれには冬を越すための――」


「命とどっちが大事です?」


 ギルバートは強く言い切った。


 男性が黙る。


「全部捨てろと言ってるわけじゃありません。でも、馬車が動かなくなった時は荷物を降ろします。後で取りに戻れるなら戻ればいい。でも、命は取りに戻せない」


 以前なら、そんな現実的な話を事前にしただろうか。


 たぶんしなかった。


 自分が全部守れると思っていたからだ。


「隊列は、俺が先頭。荷馬車一台目、その後ろに徒歩組、二台目。バルガスが最後尾。セシリアは中央」


「了解」


「狼が来たら?」


 バルガスが確認する。


「少数なら俺かお前で追い払う。セシリアは基本温存」


「大物なら?」


「村人優先」


「討伐は?」


「後だ」


 バルガスが口元を緩めた。


「よし」


 出発した。


 最初の一時間は順調だった。


 森へ入る前に灰牙狼が二頭姿を見せたが、ギルバートとバルガスが威嚇すると近づいてこなかった。


 追わない。


 倒さない。


 それだけでも昔のギルバートなら考えられなかった。


「倒さなくていいの?」


 さっきの少年が荷馬車の横から尋ねる。


「襲ってこないならな」


「勇者様なのに?」


「勇者は見つけた魔物を全部殺す仕事じゃないぞ」


「そうなの?」


「俺も最近知った」


「最近?」


「そこは気にするな」


 セシリアが顔を背けて笑っていた。


     ◇


 森の中ほどへ入った頃。


 空気が変わった。


 最初に気づいたのはセシリアだった。


「止まって」


 ギルバートがすぐに片手を上げる。


 隊列が止まった。


「何?」


「風がおかしい」


 セシリアが杖を持ち上げる。


 葉が揺れている。


 だが、地上ではほとんど風を感じない。


「上だけ強い?」


「そう」


 次の瞬間。


 森の鳥たちが一斉に飛び立った。


 ギルバートの背中に緊張が走る。


「全員、馬車から離れるな!」


 叫んだ直後。


 上空から巨大な影が落ちた。


 轟音とともに、街道脇の大木が折れる。


 悲鳴が上がった。


「何だ!?」


 バルガスが盾を構える。


 土煙の向こう。


 四本の脚。


 鷲に似た頭。


 広げれば荷馬車二台分はありそうな巨大な翼。


 獅子の胴体には黒灰色の羽毛が混じっている。


 セシリアの顔色が変わった。


「嵐翼獅鷲……!」


「ランクは?」


「普通の成体でもAランク!」


「普通じゃない?」


「見て!」


 セシリアが翼を指す。


 右翼の先端近く。


 羽の一部が銀白色に変色している。


「銀羽個体。上位種よ」


 バルガスが低く唸る。


「どのくらいだ?」


「Aランク最上位。記録によっては災害指定扱い」


 ギルバートは相手を見る。


 嵐翼獅鷲が喉を鳴らした。


 周囲の空気が震える。


「まずい!」


 セシリアが叫ぶ。


「風!」


 翼が振るわれた。


「伏せろ!」


 暴風が街道を叩く。


 荷馬車が軋む。


 村人たちが悲鳴を上げた。


「バルガス!」


「任せろ!」


 盾を地面へ突き立てる。


 ただし一人で全部を受けない。


 荷馬車の側面へ入り、風を直接受ける面積を減らす。


「馬を押さえろ!」


 御者たちが必死に手綱を引く。


 馬が暴れる。


 ギルバートは嵐翼獅鷲から目を離さなかった。


 戦えるか。


 考える。


 自分。


 セシリア。


 バルガス。


 三人。


 相手はAランク最上位、あるいは災害指定。


 第一課題で戦った銀王鋼牙狼より、明らかに上だ。


 勝てる可能性はある。


 《聖断》を使う。


 セシリアの上級魔法を撃ち込む。


 バルガスが耐える。


 上手くいけば倒せる。


 だが。


 後ろには二十八人いる。


「ギルバート!」


 バルガスの声。


「どうする!」


 嵐翼獅鷲が一歩近づいた。


 距離があるのに、圧迫感が凄まじい。


 ギルバートは聖剣を抜いた。


 その瞬間。


 昔の自分が胸の中で囁いた。


 倒せ。


 これを倒せば証明できる。


 上位個体。


 しかも再認定試験の最中。


 こいつを倒せば、誰も自分を弱いとは言えない。


 勇者の称号にも文句は出ない。


「……違う」


「何?」


 セシリアが聞く。


「何でもない」


 今日は何をしに来た。


 二十八人を生きて送り届けるためだ。


「戦わない」


 ギルバートは言った。


 バルガスが即座に頷く。


「なら逃がすぞ」


「待って」


 セシリアが地形を見る。


「こいつ飛ぶわよ。街道を走るだけじゃ追いつかれる」


「森の中は?」


「翼が邪魔になる。飛びにくい」


「荷馬車は通れる?」


「道を外れたら無理」


 ギルバートは街道と森を見る。


 荷馬車。


 老人。


 子供。


 このままでは速く動けない。


「荷物を捨てる」


 村人たちがざわついた。


「馬車は残す。食料と水だけ。それ以外は降ろせ!」


「勇者様!」


 年配の男が叫ぶ。


「あの荷箱には家の――」


「捨ててください!」


「だが!」


「俺が責任を持ちます!」


 ギルバートは男を見る。


「後で回収できる状況なら必ず手配する。でも今は時間がない!」


 嵐翼獅鷲が再び翼を広げる。


「セシリア!」


「《風障壁》!」


 暴風と魔法がぶつかる。


 セシリアの身体がよろめく。


「長くは無理!」


「バルガス、荷物を降ろせ!」


「おう!」


 バルガスが馬車へ走る。


 大箱を一つ抱え、そのまま地面へ下ろした。


「すまん! 後で取りに来る!」


「俺もやります!」


 村の若者たちが加わる。


 穀物。


 鍋。


 衣類。


 農具。


 大切な物ばかりだ。


 それでも命よりは軽い。


「ギルバート!」


 セシリアが叫ぶ。


「来る!」


 嵐翼獅鷲が地面を蹴った。


「俺が引く!」


 ギルバートは聖剣を掲げて街道の反対側へ走った。


「こっちだ!」


 光を放つ。


 嵐翼獅鷲の目が勇者を捉えた。


 巨大な翼が動く。


 狙いが変わった。


「ギルバート!」


「村人を先に行かせろ!」


「一人でやる気!?」


「倒す気はない!」


 ギルバートは走る。


 後ろから突風。


 身体を投げ出す。


 地面を転がる。


 すぐ立つ。


 以前なら反撃した。


 今はしない。


「《聖閃》!」


 低威力の光だけを放つ。


 相手を傷つけるためではない。


 注意を引くため。


 嵐翼獅鷲が怒り、こちらを追う。


「そうだ、俺を見ろ!」


 怖い。


 普通に怖かった。


 紅蓮竜と戦った時より、今の方が自分の危険を正確に理解している。


 だから余計に怖い。


「ギルバート、右!」


 セシリアの声が飛ぶ。


 反射的に右へ跳ぶ。


 爪がさっきまでいた場所を抉った。


「何で戻ってきた!」


「あなた一人に囮をやらせるわけないでしょう!」


「村人は!?」


「バルガスが連れてる!」


「ならいい!」


 二人で距離を取る。


 嵐翼獅鷲の目的が分からない。


 縄張りに入ったから襲っているのか。


 獲物として見ているのか。


 どちらでもいい。


「村人と反対側へ引く!」


「分かった!」


 セシリアは攻撃魔法を撃たない。


 風で足元を乱す。


 木の枝を揺らす。


 視界を邪魔する。


「倒すより面倒ね!」


「でも魔力は持つだろ!」


「そういう問題じゃ――まあ、その通りだけど!」


 ギルバートは自分でも笑いそうになった。


 戦っているのに。


 敵を倒そうとしていない。


 こんな戦い方もある。


 嵐翼獅鷲が大きく翼を広げる。


 飛ぶ。


「まずい!」


 上空へ出られれば、森の障害がなくなる。


「セシリア!」


「《風縛》!」


 風の帯が右翼へ絡む。


 一瞬だけ。


 それで十分。


「《聖断》!」


 ギルバートは聖剣を振った。


 狙うのは首ではない。


 右翼の外側。


 羽根。


 光刃が銀色の羽を数枚切り落とした。


 嵐翼獅鷲が叫ぶ。


 致命傷ではない。


 飛べなくするほどでもない。


 だが姿勢を崩し、上昇を中断した。


「一発使った!」


 セシリアが言う。


「ああ!」


「二発目は?」


「使わない!」


「よし!」


 その返事に自分で驚いた。


 以前なら「次で倒す」と言った。


 今はもう決めている。


 ここで倒さない。


 倒す必要がない。


     ◇


 森を抜ける直前。


 バルガスが待っていた。


「何してる!」


 ギルバートが怒鳴る。


「村人は!?」


「先へ行かせた!」


「お前も行けよ!」


「二人が戻らなきゃ意味ねえだろ!」


 バルガスは盾を構えた。


「あとどのくらい離せばいい?」


「宿場町までまだ二時間!」


「いや、あいつをだ!」


 嵐翼獅鷲が追ってくる。


 ギルバートは周囲を見る。


 道の左側に急な岩斜面。


 右は森。


「岩場へ誘導する」


 セシリアが顔をしかめた。


「何する気?」


「羽を怪我してる。狭い場所なら飛びにくい」


「倒すの?」


「違う」


 ギルバートは地図を思い出す。


 この先。


 北側に深い谷がある。


「村人の進路から外す」


 バルガスが理解した。


「谷側へ追いやるのか」


「ああ」


「上手くいけば、か」


「失敗したら?」


 セシリアが聞く。


「逃げる」


「簡単に言うようになったわね」


「最近覚えた」


 三人で動く。


 バルガスが盾を木へ叩きつける。


 ギルバートが光を放つ。


 セシリアが左側の木々へ火花だけを散らし、嵐翼獅鷲が嫌がる方向を作る。


「こっちだ!」


 少しずつ。


 少しずつ。


 街道から離す。


 危険な作業だった。


 爪を一度でもまともに受ければ致命傷になる。


 風圧だけでも身体が飛ばされる。


 それでも討伐しようと戦うより、消耗は少ない。


「谷!」


 バルガスが叫ぶ。


 見えた。


 斜面の先。


 深い谷。


「最後!」


 ギルバートが大きく光を放つ。


 嵐翼獅鷲が怒り、突っ込む。


「散れ!」


 三人が左右へ飛ぶ。


 嵐翼獅鷲は寸前で止まり切れず、谷側へ大きく踏み込んだ。


 崖から落ちたわけではない。


 だが翼を広げ、反対側の岩棚へ飛び移った。


「今だ!」


 三人は走った。


 追わない。


 振り返らない。


 相手が向こう岸で咆哮している。


 飛んで追ってくる可能性もある。


 それでも、負傷した右翼では森の中を追跡しづらいはずだ。


「走れ!」


 ギルバートは叫んだ。


 勇者が。


 敵に背を向けて。


 仲間と一緒に全力で逃げた。


     ◇


 村人たちへ追いついたのは、それから二十分ほど後だった。


「勇者様!」


 少年が荷馬車から身を乗り出す。


「戻ってきた!」


「だから言っただろ」


 ギルバートは肩で息をしながら笑った。


「お前らを宿場町まで連れてくって」


「魔物は倒した?」


「倒してない」


「逃げたの?」


「ああ」


 少年は少し考える。


「負けた?」


 ギルバートは答えようとして。


 一瞬迷った。


 そして首を振った。


「今日は違う」


「違う?」


「みんながここにいるだろ」


 少年は周囲を見た。


 母親。


 老人たち。


 村人たち。


 二十八人。


 一人も欠けていない。


「だから、今日はこれでいい」


「ふうん」


 少年にはまだ難しいらしい。


 それでも。


「じゃあ勇者様、勝ったの?」


 ギルバートは苦笑する。


「それも、ちょっと違うかな」


 横でセシリアが笑った。


「難しいわね」


「何て言えばいいんだよ」


「ちゃんと仕事した、でいいんじゃない?」


 バルガスが言う。


「それだな」


 ギルバートは頷いた。


     ◇


 宿場町へ全員が到着した時には、夕暮れが近かった。


 二十八人。


 負傷者なし。


 荷物はかなり減った。


 それでも全員、生きている。


 審査官は宿場町の入口で待っていた。


「報告を」


 ギルバートは包み隠さず説明した。


「森の中ほどで、銀羽の嵐翼獅鷲と遭遇しました」


「確認している」


「……見てたんですか?」


「記録員が遠方からな」


 ギルバートは少し嫌な顔をする。


「だったら助けてくれても」


「致命的な状況なら介入した」


「つまり、あれくらいなら自分で何とかしろって?」


「試験だからな」


「容赦ないな……」


「続けろ」


「討伐はしてません。《聖断》で右翼の羽根を一部損傷させ、村人から引き離した後、谷の反対側へ誘導して撤退しました」


「なぜ討伐しなかった?」


 来た。


 ギルバートは少しだけ緊張した。


「勝てる確信がなかったからです」


「可能性は?」


「ありました」


「なら、なぜ挑まない?」


 以前なら。


 ここで格好をつけたかもしれない。


「村人二十八人がいたからです」


 ギルバートは答える。


「俺たちだけなら、戦ったかもしれない。でも今日は護衛でした」


「上位個体の討伐実績を得る機会だったぞ」


「要りません」


 自分でも驚くほど、すぐに言えた。


「今日の依頼に必要ないなら」


 審査官は表情を変えない。


「再認定試験であることも忘れたか?」


「忘れてません」


「討伐すれば、戦闘能力を示せた」


「それで村人が死んだら、何を認定するんです?」


 言った後で、少し強かったかと思う。


 しかし引っ込めなかった。


「勇者が強いことを証明するために、護衛対象を危険へ置くなら意味がないと思います」


 審査官は黙っていた。


 長い数秒。


 やがて。


「第二課題、合格だ」


 ギルバートは瞬きをした。


「……また?」


「不満か?」


「いや。でも俺、今回ほとんど魔物倒してませんよ」


「だから何だ」


 審査官が言う。


「最初に伝えた。今回の目的は二十八名を全員、生きて帰すことだ」


 ギルバートは村人たちを見る。


「達成している」


「はい」


「そして、銀羽嵐翼獅鷲との遭遇は予定外だった」


「試験で用意したんじゃない?」


 セシリアが聞く。


「そんなものを試験のためだけに放てるか」


「それもそうね」


「我々も出現を確認した時点で救援準備をした。しかし君たちは、護衛対象を切り離し、魔物を別方向へ誘導し、自力で撤退した」


 審査官はギルバートを見る。


「以前の君ならどうした?」


 ギルバートは考えるまでもなかった。


「倒そうとしたと思います」


「なぜ?」


「勇者だから」


「今は?」


「勇者だから、逃げました」


 言ってから。


 自分で少し笑った。


 妙な言葉だ。


 それでも今は、それが一番正しい気がした。


「俺一人なら、勝手に無茶をするのも自分の責任です。でも、今日は二十八人の命を預かってた」


 少年が遠くから母親と一緒にこちらを見ている。


「俺が格好つけるために危険へ巻き込むわけにはいかない」


 審査官がゆっくり頷く。


「その判断を忘れるな」


「はい」


「勇者に必要なのは、最後まで立ち続けることだけではない。退くべき時に退き、守るべきものを連れて帰る判断も同じくらい重要だ」


 ギルバートは紅蓮竜から逃げた日を思い出した。


 あの日も逃げた。


 けれど、あれは違う。


 死ぬのが怖くなり、勝てないと分かって初めて逃げた。


 監視員に助けられ、何とか生きて帰った。


 今日は。


 まだ戦えるうちに退いた。


 勝てる可能性が残っているうちに、それでも戦わないと決めた。


 勇気とは、怖くても前へ出ることだけではない。


 自分が勝てるかもしれない戦いを捨ててでも、守るべきものを優先すること。


 それも勇気なのだと。


 ようやく少し分かった。


     ◇


 審査が終わった後。


 村の年配の男が、ギルバートのところへ来た。


「勇者様」


「はい」


「さっきは荷物のことで食い下がって悪かった」


「気にしないでください」


「家族で長く使った物が多くてな。捨てると言われると、つい」


「分かります」


 ギルバートは少し申し訳なくなる。


「回収できるか、ギルドへ頼んでみます。あの嵐翼獅鷲が移動したのを確認して、安全になってからですが」


「いいんだ」


 男は首を振った。


「全部じゃなくてもいい。家族が無事だった」


 少し照れたように笑う。


「こっちの方が大事だって、今は分かる」


「……はい」


「ありがとう」


 勇者として何度も礼を言われてきた。


 魔物を倒した時。


 町を救った時。


 魔王軍の将軍を倒した時。


 今日の「ありがとう」は、それらとは少し違って聞こえた。


 倒していない。


 華々しい勝利もない。


 それでも。


 役に立てた。


 ギルバートは、その事実が思った以上に嬉しかった。


     ◇


 夜。


 三人は宿場町の食堂で遅い夕食を取っていた。


 バルガスが肉の煮込みを口へ運びながら言う。


「今日、ちょっと怖かったな」


「何が?」


 ギルバートが聞く。


「お前が途中で『俺があいつを倒す。村人を頼む』とか言い出すんじゃねえかって」


「俺も少し思った」


 セシリアが認める。


「信用ないな、お前ら」


「今までの実績があるからな」


「それ言われると何も返せない」


 ギルバートはパンをちぎった。


「でも、俺も一瞬思ったよ」


「倒すって?」


「ああ」


 隠さなかった。


「あいつを倒したら、再認定に有利なんじゃないかって。勇者として格好いいんじゃないかって」


「まだそういう気持ちはあるのね」


「そりゃ、いきなり全部消えるわけじゃないだろ」


 強く見られたい。


 認められたい。


 英雄でいたい。


 そういう気持ちは今もある。


「でも、やらなかった」


 バルガスが言う。


「ああ」


「ならいいんじゃねえか」


「そういうもんか?」


「人間なんて考えるだけなら好き勝手だろ。実際に何するかが大事だ」


 セシリアが笑った。


「珍しくいいこと言うわね」


「珍しくは余計だ」


 ギルバートも笑った。


 その後。


 ふと思い出す。


「レクスなら、今日どうしたと思う?」


「またそれ?」


 セシリアが少し呆れる。


「いや、気になっただけだ」


 バルガスが考える。


「嵐翼獅鷲を九十九パーセント下げて終わりじゃねえの?」


「普通ならそうかも」


 ギルバートは苦笑した。


「でも最近、あいつも九十九パーセントなら絶対安全ってわけじゃないって言ってたな」


「そうなの?」


「ベルンで別れる前、強い相手ほど残った一パーセントが危ないこともあるって話をしてた」


「じゃあ」


 セシリアがスプーンを置く。


「たぶんレクスも、村人がいたら逃がしたんじゃない?」


「やっぱり?」


「勝つ必要がない戦いはしないでしょう、あの人」


 ギルバートは少し笑った。


「そうだな」


 以前。


 自分はレクスを臆病だと思ったことがある。


 危険な敵を見れば、先に能力を調べる。


 耐性を落とす。


 味方が戦える状態まで整える。


 無理なら撤退を提案する。


 それを勇者らしくないと内心で笑っていた。


 今になって。


 ようやく理解した。


 あれは臆病だったのではない。


 仲間を生かして帰すことを、最初から仕事の一部として考えていただけだ。


「次の試験は?」


 バルガスが聞く。


「まだ聞いてない」


「三つくらいあると思う?」


「分からん」


「称号、残せそう?」


 セシリアの質問に。


 ギルバートは少し考えた。


「残したい」


 以前なら、「当然残る」と言った。


「でも、残らなかったとしても」


 二人がこちらを見る。


「今日やったことが間違いだったとは思わない」


 セシリアはしばらく彼を見た後、少し微笑んだ。


「なら、本当に変わったのかもね」


「何だよ、その言い方」


「褒めてるのよ」


「もう少し分かりやすく褒めろよ」


「調子に乗るから嫌」


「そこまで信用ない?」


「その部分はまだない」


 バルガスが大声で笑った。


 ギルバートも最後には笑った。


 勇者は。


 ようやく逃げることを覚えた。


 ただし、それは戦うことを恐れたからではない。


 何のために戦うのかを、少しずつ知り始めたからだった。

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