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第22話 再認定試験

 勇者ギルバートの再認定試験が始まった朝、王都北訓練場には、普段より多くの騎士と冒険者ギルド職員が集まっていた。


 見物人ではない。


 全員が審査員か記録員、あるいは安全確保のために配置された者たちだ。


 以前のギルバートなら、その光景を見ただけで胸を張ったかもしれない。


 自分一人のために、これだけの人間が集まっている。


 勇者とはそれだけ特別なのだ、と。


 今は違った。


「……胃が痛い」


「朝から縁起でもないこと言わないでよ」


 隣で杖の状態を確認していたセシリアが呆れたように言う。


「お前、緊張してないのか?」


「してるわよ。でも、緊張してる人間が三人揃って暗い顔してたら余計に悪くなるでしょう」


「俺は腹減ったな」


 バルガスが言った。


「お前は緊張してないのか?」


「昨日から食事量を減らしてる。動く前に食いすぎると身体が重いからな」


 ギルバートは思わず彼を見る。


「お前が食事を減らした?」


「何だその顔」


「いや、昔なら朝から肉を三皿食ってただろ」


「昔はな」


 バルガスは自分の盾の縁を指で叩いた。


「レクスの疲労軽減も、身体強化補助もねえんだ。今までと同じ感覚で動いたら、後半で息が上がる」


 その言葉に、ギルバートは黙った。


 ベルンでレクスから、三年間受け続けていた補助の内容を聞いた。


 聞けば聞くほど、自分たちが「普通」だと思っていた状態が普通ではなかったことが分かった。


 装備。


 疲労。


 毒。


 魔力循環。


 敵の能力。


 あまりにも多くのものが、レクスによって整えられていた。


 だから三人は王都へ戻ってから、最初にやることを決めた。


 強くなることではない。


 自分たちの素の状態を知ることだった。


「セシリア、魔力は?」


「満タン。でも、今日は大きい魔法を最初から使わない。前みたいに『早く終わらせた方が楽だから』って高出力を連発すると、後で私が止まる」


「連射は何発までいけそうだ?」


「中級なら六から八。上級なら二。無理すれば三発目も撃てるけど、その後は戦力外と思って」


「分かった」


「あなたは?」


「肩は治った」


「傷の話じゃないわよ」


「分かってる」


 ギルバートは聖剣の柄へ手を置く。


「《聖断》は二発まで。三発目は、相手を確実に仕留められる時だけ」


 以前なら、そんな制限を口にすること自体が恥ずかしかった。


 勇者の必殺技なら、何度でも撃てて当然だと思われたかった。


 自分自身も、そう思っていた。


 だが紅蓮竜との戦いで分かった。


 全力を何度も出せるわけではない。


 一度の大技で終わらなければ、その後も戦いは続く。


 当たり前のことだった。


「俺は正面から受けるのは一発までだ」


 バルガスも続ける。


「何が出るか分からねえ以上、二発目からは流す。盾は受け止めるだけじゃなく、角度をつけて逸らす」


「一発は受けるんだな」


「相手の威力を知るためにな。もちろん、見た瞬間に無理だと思えば受けねえ」


「昔のお前なら絶対そんなこと言わなかったわね」


 セシリアが笑う。


「昔の俺なら『任せろ、全部止めてやる』だったな」


「格好はいいけど、死んだら終わりよ」


「今なら分かる」


 ベルンへ行く前の三人なら、こんな会話はしなかった。


 誰が何発撃てるか。


 どこまで耐えられるか。


 何をされたら退くか。


 それを話すこと自体が、弱さを認める行為だと思っていたからだ。


 今は逆だった。


 知らない方が怖い。


「撤退条件、最後にもう一度確認するぞ」


 ギルバートが言う。


 セシリアとバルガスが頷いた。


「セシリアの魔力が三割以下。バルガスの盾が破損。俺が《聖断》を二発使っても主対象が健在。あとは――」


「想定外の上位個体が出た時」


 セシリアが続ける。


「複数の敵に挟まれて隊形が維持できなくなった時」


 バルガスが言う。


「一般人か試験官に危険が及ぶ時も、討伐より安全確保優先だ」


「それでいい」


 三人で確認を終えたところで、訓練場の反対側から審査官が歩いてきた。


 中央冒険者ギルドの幹部と、王国騎士団の中隊長。


 その後ろには宮廷魔術院の記録官までいる。


「勇者ギルバート」


「はい」


 ギルバートは姿勢を正した。


「これより再認定試験、第一課題を開始する」


 中央ギルドの審査官が書類を開く。


「今回評価するのは、単純な討伐能力ではない」


 ギルバートは黙って聞く。


「状況判断、仲間との連携、消耗管理、撤退判断。そして、自身の現在戦力を正確に把握できているか。その全てを見る」


「分かりました」


「課題内容を伝える。王都北西の旧採石場周辺に、Bランク魔獣が複数出現している」


「種類は?」


「現時点で確認されているのは鋼牙狼六頭、岩背猪三頭」


 セシリアがわずかに眉を動かす。


 どちらも単独ならBランク下位。


 しかし群れになると厄介だ。


 鋼牙狼は連携する。


 岩背猪は防御力が高く、突進力もある。


 混ざれば、前衛を猪が崩し、その隙を狼が狙う。


「ただし」


 審査官が続ける。


「現地情報は昨夜のものだ。個体数、種類、位置が変わっている可能性はある」


 ギルバートはそこを聞き逃さなかった。


「つまり、書類通りとは限らない?」


「その通り」


「討伐必須ですか?」


 審査官が少し目を細めた。


「それも含めて現地で判断しろ」


 以前のギルバートなら、ここで笑っていた。


 簡単だ。


 全部倒せばいい。


 そう言っていただろう。


 今は違う。


「目的は?」


「周辺街道の安全確保だ」


「採石場そのものは?」


「現在は使われていない」


「住民は?」


「近隣村落は避難済み。ただし街道の封鎖を長く続けることはできない」


 ギルバートは頷いた。


 討伐そのものではなく、安全確保。


 なら、全滅させる必要がない場合もある。


「了解しました」


「質問は?」


「ありません」


「では出発しろ」


     ◇


 旧採石場までは馬で二時間ほどだった。


 三人の後方を、一定の距離を空けて審査官と記録員がついてくる。


 戦闘へは原則介入しない。


 致命的な状況になった場合だけ救援する。


 紅蓮竜の時と同じような条件だった。


 しかし今回は、ギルバートの感覚がまるで違った。


「嫌な感じだな」


 採石場へ続く森へ入ったところで、バルガスが言った。


「何が?」


「静かすぎる」


 ギルバートも気づいていた。


 鳥の声が少ない。


 風が枝を揺らす音はするのに、獣の気配が薄い。


 セシリアが馬を止める。


「少し待って」


 杖を地面へ向け、小さな探知魔法を流した。


 淡い魔力が地面を走り、周囲へ広がる。


「どうだ?」


「……反応が多い」


「どのくらい?」


「近くに四。少し離れて七か八。もっと奥にもいる」


「報告より多いな」


 ギルバートは馬から降りた。


「馬はここへ繋ぐ。ここから徒歩だ」


「賛成」


 以前なら、そのまま勢いで突っ込んだかもしれない。


 今はわざわざ自分たちの位置を知らせる必要はない。


 三人は森の中をゆっくり進んだ。


 やがて開けた場所へ出る直前、ギルバートが手を上げた。


「いる」


 木々の隙間。


 岩背猪が二頭。


 その奥に鋼牙狼が三頭。


 まだこちらには気づいていない。


「どうする?」


 バルガスが聞く。


「猪と狼を同時に相手したくない」


 ギルバートは周囲を見る。


「セシリア、狼だけ引けるか?」


「音を使えばたぶん」


「猪まで反応しない?」


「距離が近い。保証はできない」


「なら俺が右へ回る」


 バルガスが提案する。


「狼は動くものに反応しやすい。俺が盾を見せて少しだけ引く。猪がついてきたら中止」


 ギルバートは考えた。


「危なくなったら?」


「森の中へ逃げる。猪は木が多い場所じゃ突進しづらい」


「よし」


 以前なら「勇者の俺が先に行く」と言っていた。


 だが役割だけ考えれば、敵を引くのは盾役のバルガスの方が向いている。


「頼む」


「任せろ」


 バルガスが森から姿を見せた。


 盾の表面を剣の柄で軽く叩く。


 甲高い音が響いた。


 三頭の鋼牙狼が一斉に顔を上げる。


「来いよ。犬っころ」


 挑発に言葉の意味は必要ない。


 バルガスが後退すると、狼たちは素早く追ってきた。


 一頭。


 二頭。


 三頭。


 岩背猪は動かない。


「今!」


 ギルバートが飛び出した。


 一頭目の側面へ回り込み、聖剣を振るう。


 首は落ちない。


 刃は鋼のような毛皮へ食い込み、途中で止まった。


 以前なら。


 一瞬だけそう思った。


 レクスがいれば、この毛皮はもっと柔らかくなっていた。


 剣は簡単に通っただろう。


「ギルバート!」


 セシリアの声で思考を切る。


 二頭目が横から飛びかかってくる。


 剣を抜くより、避ける。


 ギルバートは身体を沈め、狼の下を潜るように転がった。


「《風縛》!」


 セシリアの風が狼の後脚へ絡みつき、着地を崩す。


「バルガス!」


「分かってる!」


 盾の角が狼の顎へ入った。


 頭が上がったところへ、ギルバートが聖剣を突き込む。


 今度は喉。


 硬い毛皮を避けて狙った。


 一頭が倒れる。


「一!」


 バルガスが叫ぶ。


「数えるの?」


「見失わねえためだ!」


 三頭目がセシリアへ向かう。


 以前ならギルバートが無理に割って入った。


 だがセシリアも冒険者だ。


 守られるだけの魔術師ではない。


「《火壁》!」


 炎の壁が狼の進路を塞ぐ。


 鋼牙狼は急に止まれず、横へ逸れた。


「こっちだ!」


 バルガスが盾で地面を叩く。


 標的が変わる。


「いい!」


 セシリアが続けて小さな火球を撃つ。


 狼の横腹へ当たる。


 一発では死なない。


 だが毛が燃え、動きが鈍る。


「ギルバート!」


「ああ!」


 今度は無理に硬い場所を斬らない。


 前脚の付け根。


 関節。


 聖剣が深く入った。


 二頭目。


 残った一頭は仲間の死体を見て、唸りながら後退した。


 ギルバートは追わなかった。


「行かせるの?」


 セシリアが聞く。


「街道と逆へ逃げるならいい」


 狼は数秒こちらを睨んだ後、森の奥へ消えた。


 バルガスが息を整える。


「昔のお前なら追ったな」


「ああ」


「成長したじゃねえか」


「いちいち言うな」


 少し嬉しかった。


 だが、まだ終わっていない。


「猪が来る」


 セシリアが言う。


 先ほど動かなかった二頭が、血の匂いに反応したのかこちらへ向かっていた。


「広い場所へ出るな」


 ギルバートが即座に指示する。


「木を使う。バルガス、正面で止めようとするなよ」


「言われなくても分かってる」


 二頭の岩背猪が走り出した。


 地面が揺れる。


 一頭だけでも、人間なら簡単に跳ね飛ばせる質量だ。


 以前のバルガスなら真正面に立った。


 今日は違う。


「こっちだ!」


 盾を構えながらも、最後の瞬間に身体をずらす。


 猪の角が盾の表面を滑り、斜めに逸れた。


「ぐっ!」


 それでも衝撃は強い。


 バルガスが二歩、三歩と下がる。


「どうだ!」


 ギルバートが叫ぶ。


「重い! でもいける!」


「二発目は受けるな!」


「最初からそのつもりだ!」


 もう一頭が来る。


 今度はセシリアが地面へ杖を向けた。


「《泥濘化》!」


 猪の前脚がぬかるみに沈む。


 完全には止まらない。


 それでも突進の速度が落ちた。


「十分!」


 ギルバートが横から聖剣を振るう。


 首は硬い。


 狙うのは脚。


 一撃で斬り落とせなくてもいい。


 腱を切る。


 猪が崩れる。


「セシリア、離れろ!」


 倒れながら猪が角を振り回す。


 セシリアはすでに下がっていた。


「言われなくても見えてる!」


 バルガスがもう一頭の進路を木へ誘導する。


 突進。


 直前で避ける。


 猪は止まり切れず、太い幹へ激突した。


「今だ!」


 三人で集中攻撃を入れる。


 一分もかからず、二頭目も倒れた。


「……ふう」


 ギルバートは聖剣を下ろした。


 心臓は速い。


 汗も出ている。


 だが、まだ余力はある。


「セシリア」


「魔力八割」


「バルガス」


「盾は平気。ただ、今の突進をあと三回も逸らしたら腕が死ぬ」


「俺もまだ《聖断》は使ってない」


 以前なら。


 五体倒した時点で「余裕だ」と言って奥へ進んだだろう。


 今は情報を整理する。


「奥にまだ七か八って言ったな」


「探知に入った分だけで、ね」


「これ以上いる可能性もある」


「あるわ」


 ギルバートは森の奥を見る。


 何かがおかしい。


 報告では合計九体。


 今確認しただけでも、それに近い数がまだいる。


「審査官は、現地情報は変わってるかもしれないと言った」


「まさか、これも試験?」


 バルガスが言う。


「わざと数を少なく伝えた?」


「それはないと思う」


 セシリアが首を振った。


「試験でも、野生魔獣の数まで都合よく調整できないでしょう」


「なら、本当に増えた」


 ギルバートは少し考えた。


「奥へ行く。ただし採石場の入口まで。そこで状況を見る」


「討伐続行じゃないの?」


「まだ決めない」


 口にすると、自分でも変わったと思う。


 以前なら、決めてから見に行っていた。


 全部倒す、と。


 今は見てから決める。


     ◇


 採石場へ近づくにつれ、魔物の痕跡が増えた。


 足跡。


 木にこすりつけられた毛。


 掘り返された土。


「これ、狼だけじゃない」


 セシリアがしゃがみ込んだ。


「何の跡だ?」


「分からない。でも大きい」


 バルガスも地面を見る。


「猪よりでかいな」


 ギルバートの背中を、嫌な感覚が走った。


「止まれ」


 三人とも動きを止める。


 遠くから音がした。


 石が転がる。


 一度。


 二度。


 次に、低い唸り。


 採石場の奥から、巨大な影が姿を現した。


「……おい」


 バルガスが盾を持ち直す。


 現れたのは鋼牙狼だった。


 だが。


 大きさがおかしい。


 通常個体なら大型犬より一回り大きい程度。


 目の前のものは、馬ほどある。


 背中の毛は銀灰色。


 牙だけで人間の腕ほどもある。


「上位個体」


 セシリアが低く言った。


「銀王鋼牙狼……Aランクよ」


 その後ろ。


 さらに鋼牙狼が五頭。


 別方向からは岩背猪が四頭。


 そして採石場上部にも、影が動いている。


「数が報告と全然違うぞ」


 バルガスが言う。


「囲まれる」


 セシリアも杖を構えた。


 ギルバートは敵を数えた。


 前方に六。


 右に四。


 上に少なくとも三。


 後ろは今来た道。


 今ならまだ戻れる。


「ギルバート」


 バルガスが言う。


「どうする」


 一瞬。


 迷った。


 ここは試験だ。


 逃げれば評価を落とすかもしれない。


 目の前にAランク上位個体がいる。


 これを倒せば、勇者として力を示せる。


 以前の自分なら間違いなくそう考えた。


 ベルンで聞いたレクスの声が蘇る。


『勝てないなら逃げる』


 あまりにも簡単に言っていた。


 けれど。


 今なら、その言葉がどれほど難しいか分かる。


「下がるぞ」


 ギルバートは言った。


 セシリアがこちらを見る。


「討伐は?」


「今の状況でやらない」


「でも試験は――」


「目的は街道の安全確保だ。俺たちがここで全滅して何になる」


 言いながら、自分自身にも言い聞かせる。


「後ろの道を使う。さっき倒した場所まで戻れば地形が狭い。追ってくる数を絞れる」


 バルガスが笑った。


「それでこそだ」


「セシリア、火は使いすぎるな。足止めだけ」


「分かった」


 銀王鋼牙狼が咆哮した。


 群れが動く。


「走れ!」


 三人は背を向けた。


 以前なら恥だと思った行為。


 今は違う。


 背中を見せることと、無謀に死ぬことは同じではない。


「左から来る!」


 セシリアが叫ぶ。


「俺が止める!」


 バルガスが盾を地面へ突き立てる。


 鋼牙狼が飛びかかる。


「止めるな! 逸らせ!」


「分かってる!」


 盾を傾ける。


 狼の身体が横へ流れる。


 ギルバートは追撃しない。


「そのまま行く!」


 逃げる。


 生きるために。


 そして、勝てる形を作るために。


     ◇


 最初に戦った森まで戻る頃には、追ってきた魔物は三頭まで減っていた。


 銀王鋼牙狼はまだ後ろにいる。


 だが、群れ全部ではない。


「ここなら!」


 ギルバートが足を止める。


 左右を木に挟まれた細い地形。


 同時に一頭か二頭しか入ってこられない。


「今度は戦うぞ!」


「了解!」


 バルガスが前へ。


 セシリアが後ろ。


 ギルバートが側面。


 銀王鋼牙狼が飛び込んできた。


「速い!」


 レクスに弱体化された敵とは比べ物にならない。


 だが。


 見えない速度ではない。


 バルガスが爪を盾で受け流す。


「重っ……!」


「無理するな!」


「まだいける!」


 セシリアの風が狼の足元を乱す。


 ギルバートが聖剣を振るう。


 肩へ入る。


 浅い。


「硬いな!」


「Aランクなんだから当然でしょう!」


「そうだった!」


 以前なら、「こんなに硬かったか」と疑問に思った。


 今は違う。


 これが普通なのだ。


「もう一回来る!」


 銀王鋼牙狼の動きは速い。


 その後ろから通常個体も入ってくる。


「バルガス、右!」


「任せろ!」


「セシリア、通常個体を止めろ!」


「《氷鎖》!」


 氷の鎖が足へ絡む。


 通常個体が転倒。


「今度こそ!」


 ギルバートは銀王の脇腹へ踏み込む。


「《聖断》!」


 ここで初めて必殺技を使った。


 白い光が走る。


 刃は肩口から深く入り、前脚の根元を大きく切り裂いた。


 だが一撃では死なない。


「まだ生きてる!」


 当たり前だ。


 レクスはいない。


 再生を止める者も。


 防御を百分の一にする者も。


 なら。


 自分たちで続ける。


「二発目は使うな!」


 セシリアが叫ぶ。


「分かってる!」


 聖剣を通常のまま構える。


 バルガスが狼の噛みつきを受け流す。


 セシリアが傷口へ炎を撃つ。


「ギルバート!」


「ここだ!」


 既に傷ついた場所へ。


 同じところを狙う。


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 銀王鋼牙狼がついに崩れた。


 同時に、残る通常個体もセシリアの拘束とバルガスの盾で動きを止められている。


「そっちを先に!」


 ギルバートが走る。


 数十秒後。


 戦闘が終わった。


 三人はその場で息を整えた。


 誰も大喜びしなかった。


 まず確認する。


「セシリア」


「魔力四割」


「危ないな」


「あと大きいの一発で三割切る」


「バルガス」


「左腕が痺れてる。盾にも亀裂が一つ」


「俺は《聖断》一発」


 全員が互いを見る。


 まだ戦える。


 でも。


 採石場にはまだ魔物が残っている。


「戻るぞ」


 ギルバートが言った。


「いいの?」


 セシリアが確認する。


「ああ。これ以上は撤退条件に近すぎる」


 バルガスが頷く。


「同感だ」


「試験は失敗になるかもしれないわよ」


 その言葉だけは少し痛かった。


 それでも。


「構わない」


 ギルバートは答えた。


「ここで無理して誰か死ぬよりましだ」


     ◇


 森を出ると、審査官たちが待っていた。


 戦闘の一部始終は記録魔石で確認されている。


 ギルバートは聖剣を鞘へ収めた。


「課題を完遂できませんでした」


 最初から自分で言った。


「採石場には報告より多数の魔物がいます。Aランクの銀王鋼牙狼も確認。上位個体一頭と追跡してきた二頭は討伐しましたが、残りは未処理です」


 審査官は何も言わない。


「三人だけで続行するのは危険と判断し、撤退しました」


「街道の安全は?」


「一時的には確保できていません。ですが、魔物が採石場を縄張りにしているなら、街道封鎖を維持した上で、追加戦力を組んで改めて討伐すべきです」


「追加戦力として、どの程度必要だと考える?」


 ギルバートは少し考える。


 見栄で大きく言わない。


「Aランクパーティ二組。もしくは騎士団一個小隊と、索敵ができる冒険者。俺たちも参加できます」


「勇者パーティだけでは?」


「危険です」


 はっきり言った。


「勝てる可能性はある。でも、安全に勝てるとは言えません」


 セシリアとバルガスも黙っている。


 審査官はしばらく書類へ何かを書いていた。


 やがて顔を上げる。


「第一課題、合格とする」


「……え?」


 ギルバートの口から間の抜けた声が出た。


「討伐、終わってませんけど」


「最初に言ったはずだ。目的は街道の安全確保であり、評価するのは討伐数だけではない」


「でも安全はまだ――」


「だからこそ増援を求めたのだろう」


 騎士団の審査官が口を開く。


「最も重要なのは、昨夜の情報と現地状況が違うと理解した時にどう動くかだった」


 ギルバートは言葉を失う。


「もし君が報告された九体を倒すことだけに固執し、採石場へ突入していれば、この試験は即時不合格にしていた」


「即時……?」


「勇者に求められるのは、何でも一人で倒す力ではない」


 その言葉は、以前のギルバートなら納得できなかったかもしれない。


「必要な戦力を判断し、無駄な犠牲を出さず、勝てる方法を選ぶことだ」


 ギルバートは自分の手を見る。


「逃げたのに?」


「戦術的撤退だ」


 どこかで聞いた言葉だった。


 ゴブリンから逃げ帰った時。


 自分が体面を守るために使った言葉。


 あの時は、本当はただの敗走だった。


 今日とは違う。


 ギルバートは思わず苦笑した。


「何か?」


「いえ。前に、都合のいい言い訳として同じ言葉を使ったことがあって」


 審査官が少しだけ笑った。


「なら今日は、初めて正しい意味で使えたな」


「……はい」


 胸の奥に、妙な温かさがあった。


 紅蓮竜を倒した時のような高揚ではない。


 ガルガディアの首を落として歓声を浴びた時とも違う。


 自分たちの今の力で判断し。


 危険を見て。


 生きて戻った。


 それだけだった。


 でも、今のギルバートにはその方が誇らしかった。


「第二課題は三日後だ」


 審査官が言う。


「今日は休め。それと、採石場の魔物については正式な討伐隊を組む」


「俺たちも参加させてください」


「試験外だぞ」


「分かってます」


「理由は?」


「途中までやったからです」


 一瞬、昔の自分と似た言葉に聞こえた。


 だから付け足した。


「ただし、人数が揃ってから。俺たちだけでは行きません」


 審査官が頷いた。


「許可する」


     ◇


 王都へ戻る馬車の中。


 バルガスは座席へ身体を預けていた。


「疲れた……」


「昔のお前なら『まだ一戦いける』って言ってたわね」


「昔の俺にはレクスの疲労軽減があった」


「そればっかり言うなよ」


 ギルバートが笑う。


「事実だろ」


「まあな」


 セシリアも杖を膝へ置いた。


「私も魔力半分以下まで使うと、こんなに頭重くなるんだって久しぶりに思った」


「昔は?」


「レクスの循環補助で、同じくらい撃ってももっと楽だった」


 三人とも黙る。


 それでも以前ほど落ち込まなかった。


「なあ」


 ギルバートが言う。


「今日、レクスがいたらどうなってたと思う?」


「銀王も九割以上落とされてたんじゃねえか?」


 バルガスが答える。


「普通の狼なんて、もっと酷いでしょうね」


 セシリアも言う。


「たぶん俺たち、採石場までそのまま突っ込めたよな」


「かもな」


「でも」


 ギルバートは窓の外を見る。


「今日は、いなくてよかったのかもしれない」


 二人がこちらを見る。


「どういう意味?」


「レクスがいたら勝てた。でも、俺たちがどこで止まるべきなのか分からなかった」


「ああ」


 バルガスが納得したように頷く。


「そういう意味か」


「俺たち自身の限界を知る試験だからな」


 ギルバートは自分の手を見る。


 まだ少し震えている。


 戦闘の疲労だ。


 以前なら、それを隠した。


 今は隠す必要がない。


「次も、これでいい」


「これって?」


「勝てる時は戦う。無理なら退く。分からないなら確認する」


 セシリアが笑う。


「随分地味な勇者になったわね」


「悪いか?」


「いいんじゃない?」


 バルガスも笑った。


「生き残る勇者の方が役に立つ」


「それ褒めてる?」


「たぶんな」


 今度は三人で笑った。


 勇者パーティは、以前より弱くなった。


 少なくとも、レクスの支援がなくなった今、敵を一瞬で倒すことも、常識外れの攻撃を正面から受けることもできない。


 けれど。


 自分たちがどこまで戦えるのかを知り始めた。


 それは、失った強さとは違う種類の力だった。


 そして三日後。


 再認定試験の第二課題では、今回とはまるで違うものが試されることになる。


 敵を倒す力ではなく。


 誰かを守るために、何を捨てられるかを。

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