第15話 新しい仲間
赤晶大蠍の尾が、岩を砕きながら振り下ろされた。
人間の胴ほどもある毒針が地面へ突き刺さり、乾いた岩場に亀裂が走る。
まともに受ければ、鎧ごと身体を貫かれる。
少なくとも、本来ならそうなるはずだった。
「ハルト、今!」
「分かってる!」
《暁鷹》の剣士ハルトが横から踏み込み、長剣を赤い甲殻へ叩きつけた。
硬質な音はしなかった。
刃は、熟した果実へ包丁を入れたようにするりと食い込み、そのまま甲殻の一枚を大きく切り裂いた。
「……うわ」
斬った本人が、妙な声を出した。
「ハルト! 驚くのは後!」
リーナの矢が傷口へ突き刺さる。
赤晶大蠍は身体を捻り、巨大な鋏を振り回したが、その動きはあまりにも遅い。
レクスが《深淵呪詛》で、甲殻強度だけでなく筋力、敏捷、毒性までまとめて落としていたからだ。
「メイ、そっちは?」
「毒の飛沫を少し浴びましたけど、これなら治療も必要ないくらいです!」
治癒術師のメイは自分の腕を確認しながら答えた。
袖には赤晶大蠍の毒液がわずかに付着している。
本来なら皮膚へ触れただけでも激痛を起こす猛毒だが、今は少し痒い程度らしい。
「じゃあ、そのまま押すわよ!」
リーナが次の矢をつがえた。
《暁鷹》の三人は、さすがAランク冒険者だった。
一度「攻撃が通る」と理解してからの判断が早い。
ハルトが前へ出て注意を引き、リーナが関節を正確に射抜く。メイも単に後ろで待つのではなく、必要な時だけ身体強化を重ね、二人の動きを支えていた。
レクスは少し離れた場所から、それを眺めていた。
もう追加で術を使う必要はない。
赤晶大蠍は十分に弱っている。
あとは三人に任せればいい。
「こういうのでいいんだよな」
思わず呟く。
自分ができることをやる。
相手も自分ができることをやる。
誰が偉いという話でもない。
妙に気楽だった。
やがてハルトの剣が赤晶大蠍の頭部と胴体の継ぎ目へ深く入った。
「これで、終わりだ!」
全体重を乗せて振り抜く。
巨大な蠍の身体が大きく痙攣し、そのまま岩場へ沈んだ。
しばらく三人は動かなかった。
念のため完全に死んだことを確認してから、リーナが弓を下ろす。
「……終わった」
「早かったな」
レクスが言うと、三人が同時にこちらを見た。
「早かったな、じゃないですよ!」
最初に声を上げたのはハルトだった。
「俺たち、前回こいつ相手に四十分粘って、甲殻一枚割れなかったんですよ!? 今日は何分です?」
リーナが腰の小時計を見る。
「接敵から……七分くらいね」
「七分」
ハルトが笑う。
あまりにも現実感がないせいか、喜ぶというより呆れているようだった。
「しかも俺、最後まで一度も本気で防御してないぞ。向こうの動きが遅すぎて、普通に見てから避けられた」
「毒もほとんど無害になってました」
メイも自分の袖を見せる。
「前回、盾越しに飛沫を浴びた人が三日寝込んだんですよ。それが今日はこれです」
「毒性を九十七パーセントくらい落としたからな」
「その三パーセントで、ちょっと痒いだけなんですね……」
メイが何とも言えない顔をする。
レクスとしては、計算通りだった。
「完全にゼロへすると、術への抵抗が強くなる場合がある。だから少し残した」
「残す側の判断が豪快すぎません?」
「安全なら問題ないだろ」
「そういう問題なんでしょうか……」
メイは考え込んだ。
一方のリーナは、赤晶大蠍の死骸へ近づき、甲殻を指先で軽く叩いた。
本来なら金属のような硬い音がするはずなのに、今は乾いた木の板程度の感触しかない。
「レクスさん」
「何だ?」
「前回、私たちが撤退した判断って間違ってなかったですよね?」
妙な確認だった。
「間違ってないと思う」
「ですよね」
リーナはほっとしたように笑った。
「今日あまりにも簡単に倒せたから、前回の私たちが情けなかっただけなんじゃないかって、一瞬不安になりました」
「そんなわけないだろ。本来のこいつはかなり強い」
レクスは赤晶大蠍を見る。
「甲殻も硬いし、尾も速い。毒をまともに受ければ危ない。俺が弱くしたから戦いやすくなっただけだ」
「そこをちゃんと言ってくれるんですね」
「事実だからな」
リーナは少しだけ黙った。
それから、穏やかな声で言う。
「じゃあ、私も事実を言います。今日勝てた一番大きな理由は、レクスさんです」
「でも、とどめを刺したのはハルトだぞ」
「それも事実です。でも、レクスさんがいなければ、私たちは今日も撤退していました」
「だから半分払うって話に戻すのはやめてくれ」
「分かりました」
リーナは素直に引いた。
「では約束通りの協力報酬だけにします。ただし、次に何かあった時も声をかけていいですか?」
「予定が空いていれば」
「釣りがない日に?」
「釣りも予定だ」
「そこは譲らないんですね」
三人が笑った。
レクスも少し笑った。
◇
ベルンへ戻ったのは、夕方になる少し前だった。
赤晶大蠍の討伐証明と魔石を持ち込むと、冒険者ギルドはまた少し騒ぎになった。
「今度は赤晶大蠍!?」
「《暁鷹》が前に撤退した奴だろ!」
「何分だった?」
「七分です」
リーナが正直に答えると、周囲からどよめきが起こる。
「七分!?」
「いやいや、さすがに盛ってるだろ」
「今回は記録魔石がありますよ」
メイが笑いながら取り出したため、疑う声はすぐに消えた。
ミリアは受付の中で額を押さえている。
「レクスさん」
「何だ?」
「お願いですから、一日に一つ以上、支部長の胃が痛くなるような報告を増やさないでください」
「今日は一つだけだぞ」
「昨日までの分が残っています」
「それは俺のせいなのか?」
「半分くらいは」
理不尽な気がする。
レクスが受付で報告手続きをしていると、背後から聞き慣れた声がした。
「また面倒なことしてるわね」
振り返る。
そこにいたのは《銀翼》のクラウディアだった。
銀灰色の髪を後ろで束ね、いつもの白銀の胸当てを着けている。
「人聞きが悪いな」
「あなたの場合、普通に依頼へ行っただけで面倒な報告が増えるのよ」
「赤晶大蠍を倒しただけだ」
「ほら、もう感覚がおかしい」
クラウディアは《暁鷹》の三人へ軽く手を上げた。
「どうだった?」
「聞いてた以上でした」
リーナが即答する。
「正直、依頼する前は半信半疑でした。でも……」
「分かるわ。私も最初そうだったもの」
「本当に敵が別物になるんですね」
「そうなのよ」
なぜか二人が意気投合している。
「俺を挟んで変な情報共有をするな」
「本人が自分の異常さを理解しないからでしょう」
クラウディアに返され、レクスは黙った。
この話題になると勝てない気がしてきた。
リーナたちは素材の手続きを終えると、改めて礼を言って帰っていった。
その後もクラウディアは残った。
「何か用があったのか?」
「ええ。少し話したくて」
「依頼?」
「半分そう。半分は違う」
珍しく歯切れが悪い。
レクスは受付脇の席へ移動した。
クラウディアも向かいへ座る。
「まず依頼の方から話すわね」
「ああ」
「北方で、魔物の動きが変わってる」
「黒鎧のガルムの件と関係があるのか?」
「まだ分からない。ただ、ガルムが縄張りを急に南へ広げたでしょう? その前後から、他の高位魔獣も妙に移動しているの。何かから逃げているみたいに」
レクスは少し考えた。
「国境砦の呪詛と繋がってる可能性は?」
「あると思う?」
「分からない。ただ、旧監視塔の祭壇も北東へ魔力を送っていた」
クラウディアの顔つきが変わる。
「その話、詳しく聞いていい?」
レクスは国境砦で見たものを簡潔に説明した。
寄生呪詛。
魔力と生命力の吸収。
そして国境の外へ伸びていた転送線。
クラウディアは途中から腕を組み、黙って聞いていた。
「……それ、ギルドは知ってる?」
「騎士団から報告が行ってると思う」
「なら近いうちに、正式な調査依頼が出るでしょうね」
「そうかもしれない」
「嫌そうね」
「嫌ではない。ただ、大きな仕事が増えると休みが減る」
「相変わらずね」
クラウディアは笑った。
「それで、もう半分の話」
「何だ?」
彼女は少しだけ姿勢を正した。
「レクス、《銀翼》に入らない?」
予想していなかった言葉だった。
「俺が?」
「ええ」
「Sランクパーティだろ」
「そうね」
「俺は攻撃魔法を使えないぞ」
「今さら何を言ってるの?」
クラウディアは本気で呆れた顔になった。
「黒鎧のガルムをあそこまで弱くしておいて、『攻撃魔法を使えません』で遠慮されても困るわよ」
「いや、そういう意味じゃなくてだな」
「分かってる。でも私たちが欲しいのは攻撃役じゃない。あなたよ」
その言い方は、妙に真っすぐだった。
レクスは返事をせず待つ。
「《銀翼》は今まで四人でやってきた。私たちは自分たちが強いと思ってるし、実際かなり強い。でも黒鎧のガルムで、できないことがあるのも分かった」
クラウディアは自分の手を見る。
「あの日、あなたの術が入った途端に、私の剣が通った。私は自分が急に強くなったわけじゃないって分かってる。あれはあなたが作った勝機だった」
「それでも倒したのはクラウディアたちだ」
「そう。だから相性がいいと思ったのよ」
彼女は笑う。
「あなたが敵を弱らせる。私たちが倒す。誰が上とか下じゃなくて、それぞれ得意なことをやる。それでいいでしょう?」
理屈は分かった。
むしろ、かなり魅力的な話だった。
《銀翼》の四人は優秀だ。
戦闘判断も早く、誰か一人に負担を押しつけるようなこともない。
この人たちとなら、勇者パーティ時代のような働き方にはならないだろう。
それでも。
「悪い」
レクスは答えた。
「今は入れない」
クラウディアは意外そうにはしなかった。
「理由を聞いても?」
「しばらく一人でいたい」
正直な気持ちだった。
「三年間ずっと、次の依頼や仲間の予定に合わせて生活してきた。今は朝起きて、その日に何をするか自分で決められるのが結構気に入ってる」
「釣りとか?」
「釣りとか」
「やっぱりそこなのね」
「それだけじゃない」
レクスは少し考え、言葉を続けた。
「誰かと組むのが嫌になったわけじゃないんだ。今日も《暁鷹》と戦って楽しかったし、《銀翼》と戦った時も気楽だった。ただ、今すぐまた正式なパーティに入ると、せっかく自由になったのにもったいない気がする」
「なるほど」
クラウディアは頷いた。
「それなら納得したわ」
「怒らないのか?」
「どうして?」
「Sランクパーティから誘われて断る奴は少ないだろ」
「少ないけど、あなたが入りたくないなら仕方ないでしょう」
あっさりしている。
その反応が、レクスにはありがたかった。
「ただし」
クラウディアが人差し指を立てる。
「正式加入を断っただけだから、臨時で組むのはありよね?」
「予定が合えば」
「じゃあ、それでいいわ」
「そんなに簡単でいいのか?」
「一度断られたくらいで相手を敵扱いするほど、私は面倒な性格じゃないつもりよ」
言いながら笑う。
「それに、あなたはそのうち嫌でも忙しくなるわ」
「何でだ」
「自覚ないの?」
「ない」
「でしょうね」
クラウディアは妙に楽しそうだった。
その時、受付の方が急に騒がしくなった。
王都方面から来たらしい馬便の職員が、封書を何通も抱えて入ってきたのだ。
「ベルン支部長宛て、王都中央支部から至急です!」
ミリアが受け取り、封を確認する。
レクスは特に気に留めなかった。
ところが数分後。
「レクスさん」
ミリアの声がした。
いつもより少し硬い。
「何だ?」
「王都中央支部から、あなたについて正式な照会が来ています」
「俺について?」
「はい。過去三年間、勇者ギルバート様のパーティが達成した高難度依頼について、あなたが各戦闘でどの程度の弱体術を使用したのか、記録を提出してほしいと」
レクスは少し考えた。
「記録なんて残してないぞ」
「覚えている範囲で構わないそうです」
「かなり多い」
「でしょうね……」
ミリアも困った顔をする。
クラウディアが横から口を挟んだ。
「どうして急にそんな調査を?」
「それが……」
ミリアは封書の末尾を確認した。
「勇者ギルバート様が紅蓮竜討伐に失敗したそうです」
レクスの動きが止まった。
「紅蓮竜?」
「はい。単独で挑戦し、重傷を負って撤退。同行した監視員によれば、対象は通常の成体だったとのことです」
レクスはしばらく黙った。
以前、同じ魔物を四人で倒したことがある。
いや。
正確には。
「……一人で行ったのか?」
「そのようです」
「馬鹿だな」
悪意ではなく、純粋な感想だった。
クラウディアが苦笑する。
「ずいぶん率直ね」
「紅蓮竜を弱体化なしで一人は無茶だ。あいつの剣技は強いけど、鱗を正面から抜けるほどじゃない」
ミリアが書類へ目を落とす。
「王都支部も、そこを確認したいようです。以前の討伐時には、どの程度まで弱らせていたのかと」
「確か……」
レクスは記憶を探る。
「筋力が九十八。敏捷が九十九。鱗の強度は九十六か九十七。炎熱出力は九十三くらい落としたと思う。再生は完全に止めた」
ミリアの顔が固まった。
クラウディアも黙った。
「何だ?」
「いや……」
クラウディアがゆっくり息を吐く。
「それ、勇者が戦ってたの、ほとんど別の生き物じゃない?」
「紅蓮竜には違いないぞ」
「そういう話じゃないわ」
「最近そればかり言われるな」
ミリアは頭を抱えた。
「とりあえず、明日でいいので書面にしていただけますか?」
「分かった」
「それと、もう一通あります」
「まだあるのか?」
「こちらは個人宛てです」
封筒を受け取る。
差出人の名前を見た。
セシリア。
レクスの手がわずかに止まった。
ギルバートではない。
バルガスでもない。
セシリアからだった。
「開けないの?」
クラウディアが尋ねる。
「あとで読む」
「怖い?」
「いや」
レクスは封筒を外套の内側へしまった。
「ただ、ここで読むものでもない気がする」
過去の仲間から届いた、最初の手紙だった。
追放されてからレクスは一度も、彼らへ連絡を取ろうと思わなかった。
怒っていたわけではない。
戻りたかったわけでもない。
もう終わった関係だと思っていたからだ。
けれど相手は、どうやらそうではなかったらしい。
◇
その夜。
宿の部屋へ戻ったレクスは、机の上へ封筒を置いた。
しばらく眺めた後、封を切る。
中には一枚の便箋が入っていた。
文章は思ったより短かった。
『レクスへ。
まず謝りたいことがあります。
あなたの弱体術も、装備へ掛けてくれていた補助も、私はずっと軽く考えていました。自分の魔法が強いから勝てているのだと思い込み、あなたの仕事を馬鹿にする言葉まで口にしました。
今さら謝られても困るかもしれません。それでも、何も言わないままではいたくありませんでした。
ギルバートが紅蓮竜に挑んで負傷しました。命に別状はありません。バルガスも元気です。
私たちは、自分たちが本当はどの程度戦えるのか、一から考え直しています。
戻ってきてほしいと頼むための手紙ではありません。
ただ、いつか会えたなら、その時は直接謝らせてください。
セシリア』
読み終えたレクスは、すぐには便箋を畳まなかった。
三年間。
それなりに色々あった。
腹が立ったこともある。
理不尽だと思ったことも、もちろんあった。
ただ、それらをいちいち数えていたら仕事にならなかったので、途中から気にしないようにしていただけだ。
「……そうか」
口から出たのは、それだけだった。
許したとか、許さないとか。
まだそこまで考える必要はない気がした。
少なくとも。
セシリアは自分が間違えたと思い、それを言葉にした。
なら、そのこと自体は受け取ればいい。
レクスは便箋を丁寧に折り直し、机の引き出しへ入れた。
明日には王都へ返す記録を書かなければならない。
明後日は《暁鷹》との報告会がある。
その後は、ようやく空いている。
「釣りだな」
予定を確認すると、少し安心した。
新しい仲間と戦うのも悪くない。
一人で過ごすのも悪くない。
過去の仲間と、いつかもう一度話をする日が来るのかもしれない。
けれど今のレクスには、どれか一つを急いで選ぶ必要はなかった。
勇者パーティを追放されて初めて手に入れた自由は、誰と一緒にいるかを自分で選べる自由でもあった。




