第7話 書類は、整えすぎると逆に目立ちます
書類は、よく喋る。
口はない。
表情もない。
だが、作った人間の癖が出る。
日付の入れ方。
余白の取り方。
承認印の角度。
フォントの揺れ。
数字の丸め方。
そして何より、都合の悪い部分だけが、妙に綺麗に整っている時。
そういう書類は、だいたい何かを隠している。
ミカドギア株式会社。
探索者向け装備メーカーとして急成長している企業。
その主力商品の一つである、新人探索者向け防護ベスト《ガーディアン・ライトⅢ》。
軽い。
安い。
浅層なら十分。
そう売り出された装備を着ていた新人探索者三名が、同じ箇所を貫かれて重傷を負った。
メーカーの説明は、装着不備。
だが、ログ上、装着不備は確認されていない。
現物の防護繊維は、事故箇所だけ密度が薄い。
試験体番号は、GL3-17S。
事故品番号は、GL3-17A。
そして匿名の内部告発資料には、こう書かれていた。
『第二量産ライン、また縫合部の密度落ちてます』
『試験体はSラインから出せ。Aラインは納期優先』
『浅層用なら問題にならない。クレームが来たら装着不備で処理』
『法務には共有済み』
最後の一文。
『これ以上、子供たちが刺されるのを見ていられません』
俺、黒木司は、その文章を三度読み返した。
怒りではない。
同情でもない。
必要なのは、証拠として扱える状態にすることだ。
感情だけでは、企業は動かない。
企業は、感情を「お気持ち」と呼んで処理する。
だから、こちらはログと現物と書類で詰める。
丁寧な嘘には、丁寧な証拠をぶつけるしかない。
翌朝。
ダンジョン庁事故査定課の会議室には、いつもより人数が多かった。
俺と御園ミミ。
事故査定課の真鍋課長。
検査室の担当官。
法務担当。
そして、ミカドギア社からは三名。
法務渉外部の高宮慎一。
技術管理部の主任、榎本。
そして、顧問弁護士を名乗る女性、桐谷。
高宮は、今日も完璧な笑顔をしていた。
昨日より、さらに丁寧だ。
丁寧さが増している時は、だいたい守りが固くなっている。
「本日は、弊社製品に関する誤解を解く機会をいただき、ありがとうございます」
高宮が頭を下げる。
「まず、弊社としては、負傷された探索者の皆様に、改めて心よりお見舞い申し上げます」
心より。
便利な言葉だ。
口に出すだけなら費用はかからない。
「黒木です。事故査定課です」
「承知しております。昨日ご指摘いただいた資料について、本日、可能な範囲で持参しました」
「可能な範囲」
「はい。製造機密に該当する部分もございますので」
「人の脇腹を貫いた装備の安全性より優先される機密でなければ結構です」
高宮の笑顔が一瞬だけ止まった。
桐谷弁護士が口を開く。
「黒木様。あらかじめ申し上げますが、弊社は本件について法的責任を認めておりません」
「認めるかどうかは、査定とは別です」
「弊社製品は公的な安全基準に適合しています」
「その試験体について確認します」
俺は端末を操作し、会議室のモニターへ資料を映した。
【試験体番号:GL3-17S】
【事故品番号:GL3-17A】
【試験体:Sライン製造】
【事故品:第二量産ライン製造】
【主な差異:縫合部魔力繊維密度】
高宮は微笑んだままだ。
「Sは試験体管理記号であり、製品仕様の差異を示すものではありません」
「では、Sラインとは何ですか」
「社内の便宜上の呼称です」
「便宜上」
「はい」
俺は次の資料を映す。
匿名で送られた社内チャット。
『試験体はSラインから出せ。Aラインは納期優先』
高宮の笑顔が薄くなる。
桐谷弁護士が即座に言った。
「その資料の真正性は確認されていません。出所不明のスクリーンショットを根拠に弊社を追及するのは不適切です」
「真正性は確認中です」
「であれば、この場で扱うべきではありません」
「扱います」
「なぜですか」
「事故品の現物検査結果と一致しているからです」
俺は検査結果を表示した。
【魔力繊維密度測定】
【対象:事故品GL3-17A】
【右脇腹縫合部:基準値比七二%】
【背面接合部:基準値比七四%】
【胸部中央:基準値比一〇三%】
【判定:部位間密度差あり】
続けて、試験体データ。
【メーカー提出試験体GL3-17S】
【右脇腹縫合部:基準値比一一二%】
【背面接合部:基準値比一一〇%】
【胸部中央:基準値比一〇八%】
【判定:全項目基準適合】
「事故品は縫合部が薄い。試験体は縫合部が厚い。内部資料には、試験体はSラインから出せ、Aラインは納期優先とある」
俺は高宮を見る。
「偶然にしては、書類が揃いすぎています」
高宮は静かに息を吐いた。
「黒木様。製造ラインによる微差は、どのメーカーにもあります」
「安全基準を下回る差を、微差とは呼びません」
「事故品がたまたま不良個体だった可能性もあります」
「三件連続で、同一ロット、同一箇所、同一破損です」
「使用環境が似ていたからでしょう」
「使用者三名の装着ログは適正でした」
「戦闘中の動作までは完全に再現できないはずです」
「完全ではありません」
俺はログを表示する。
【三件共通項目】
【事故前装着確認:適正】
【被害箇所:右脇腹縫合部から背面接合部】
【破損形状:縫合部に沿った防護繊維剥離】
【モンスター種:浅層甲殻鼠変異個体】
【攻撃強度:防護基準想定範囲内】
「ですが、三件とも同じ場所が先に負けています」
ミミが小さく手を挙げた。
「補足してもいいですか?」
俺は頷く。
「お願いします」
ミミは少し緊張した顔で立ち上がった。
高宮と弁護士が彼女を見る。
ミミは一瞬だけ肩を強張らせたが、逃げなかった。
「私は回復職です。負傷した三人の治療記録を確認しました」
モニターに、被害者三名の傷の位置が匿名加工された図で表示される。
「三人とも、傷の入口は少しずつ違います。体格も、動き方も、攻撃を受けた角度も違います。でも、深く裂けている場所は同じです」
ミミは破損ベストの写真を重ねる。
「ベストの縫合部です」
画面に、傷の線とベストの縫い目が重なる。
「攻撃された場所が同じなのではありません。守れなかった場所が同じなんです」
会議室が静かになった。
高宮が口を開く。
「御園様のご意見は、医療補助職としての印象であり――」
「印象ではありません」
ミミの声は震えていた。
だが、言葉は止まらなかった。
「治療記録と、装備破損位置と、魔力膜の残留位置を重ねた結果です。回復職は、傷だけを見るわけではありません。何が守って、何が守れなかったのかも見ます」
俺は少しだけ、ミミを見た。
昨日までなら、途中で言葉を飲み込んでいたかもしれない。
だが今の彼女は、被害者の傷を見ている。
配信用の聖女ではない。
事故現場の回復役だ。
俺はモニターに表示を追加した。
【回復職所見】
【三名の傷部位:破損縫合部と高一致】
【防護魔力膜:縫合部で途切れ】
【判定:被害箇所と構造的弱点の関連性あり】
桐谷弁護士が眉をひそめる。
「その『回復職所見』は、正式な検査結果ではありませんね」
「補助資料です」
「であれば、法的評価には慎重であるべきです」
「慎重に扱います」
俺は次の資料を映した。
「では、正式な書類を見ましょう」
ミカドギア社提出の検査報告書。
貫通耐性試験。
魔力繊維密度試験。
縫合部耐久試験。
三枚の報告書を並べる。
「高宮氏。こちらの報告書は、紙で承認されたものですか」
「はい。社内承認を経た正式書類です」
「押印も紙ですか」
「当然です」
「分かりました」
俺は印影を拡大した。
承認印。
三枚とも、角度が完全に同じ。
輪郭のにじみも同じ。
インクの濃淡も同じ。
紙に押した印鑑なら、普通は微妙にズレる。
だが、これはズレていない。
【書類解析】
【承認印角度:三件一致】
【印影濃度:一致】
【輪郭にじみ:なし】
【判定:印影画像貼付の疑い】
高宮の手元で、高級そうな万年筆が、かつ、と机を叩いた。
ほんの小さな音だった。
だが、これまで一度も姿勢を崩さなかった男の指先が、初めて乱れた。
完璧に整えられていたネクタイの結び目が、心なしか苦しそうに見える。
笑顔は戻っている。
だが、戻すまでに一拍かかった。
桐谷弁護士が身を乗り出す。
「それは、電子承認後に印影を反映した形式かもしれません」
「高宮氏は、紙の押印と説明しました」
「高宮の説明に誤りがあった可能性があります」
「では、正式な承認フローを提出してください」
「社内手続きが必要です」
「全面的に協力いただけると聞きました」
会議室が静かになる。
ミミが小声で言う。
「黒木さん」
「何ですか」
「高宮さんの血圧、かなり上がっていると思います」
「今回は対象外です」
「前も聞きました」
「定型回答です」
高宮が小さく息を吸った。
「黒木様。弊社の書類運用に一部誤解があったとしても、それが製品不備を意味するものではありません」
「はい」
「報告書の形式と、事故原因は別問題です」
「別問題です」
「であれば――」
「ただし、製品不備が疑われる事故で、試験体と一般販売品に差があり、内部告発資料と現物検査が一致し、提出報告書の承認過程に不自然点がある」
俺は端末を操作する。
モニターの左側に、試験体GL3-17S。
右側に、事故品GL3-17A。
同じ製品名。
同じロット番号。
だが、表示された数値はまるで別物だった。
【右脇腹縫合部】
【試験体S:基準値比一一二%】
【事故品A:基準値比七二%】
【背面接合部】
【試験体S:基準値比一一〇%】
【事故品A:基準値比七四%】
【胸部中央】
【試験体S:基準値比一〇八%】
【事故品A:基準値比一〇三%】
会議室の空気が、わずかに沈んだ。
数字は叫ばない。
だが、時に怒鳴り声よりも残酷だった。
「別問題が、同じ方向を向きすぎています」
高宮は、初めて沈黙した。
休憩を挟んだ後、ミカドギア側は姿勢を変えてきた。
高宮ではなく、弁護士の桐谷が前に出る。
「黒木様。弊社としては、これ以上の資料提出については、正式な照会文書をいただいた上で検討いたします」
「分かりました」
「また、内部告発と称する出所不明資料については、弊社内で不正アクセスの可能性も含めて調査します」
「告発者探しをするという意味ですか」
「弊社の機密情報が流出した可能性がありますので」
「その調査によって、事故原因の確認が遅れる場合は、査定妨害として記録します」
「妨害とは心外です」
「内部告発者への圧力が確認された場合も同様です」
桐谷の目が細くなる。
「ずいぶん踏み込みますね」
「人が刺されていますので」
俺は言った。
「それも、三人」
桐谷は口を閉じた。
高宮が静かに言う。
「黒木様。弊社は、探索者の安全を軽視しているわけではありません」
「はい」
「ただ、企業にも守るべきものがあります。雇用、技術、取引先、業界全体の信用」
「ありますね」
「一つの事故を大きく扱えば、装備業界全体が萎縮します。価格も上がる。新人探索者が安全装備を買えなくなる」
またそれか。
業界。
発展。
未来。
安価な装備。
責任を薄める時、人はよく大きな言葉を使う。
「高宮氏」
「はい」
「安くするために安全基準を下げたなら、それは安価な装備ではありません」
俺は破損ベストの写真を表示した。
「安価に見える危険物です」
高宮の顔が強張る。
「言い過ぎではありませんか」
「三人の傷を見る限り、控えめです」
ミミが、佐伯たちの治療記録を見つめている。
俺は続けた。
「業界の信用を守りたいなら、まず安全基準を守ってください」
「弊社は守っています」
「安全基準を満たしていたのは、試験体だけかもしれません」
高宮の口が閉じた。
その沈黙は、昨日までの丁寧な笑顔よりずっと雄弁だった。
会議後。
ミカドギア側は、正式な照会文書への回答を待つとして帰った。
ただし、逃げ切れたわけではない。
事故品の検査結果。
装着ログ。
内部告発資料。
印影の不自然さ。
試験体と一般販売品の差。
十分ではない。
だが、追うには足りる。
俺は査定システムに入力した。
【暫定査定】
【被害者側装着不備:現時点で確認されず】
【製品構造上の弱点:疑いあり】
【試験体と一般販売品の仕様差:疑いあり】
【メーカー提出資料:不自然点あり】
【被害者三名:救済基金による仮払い継続】
【求償候補:ミカドギア株式会社】
ミミが横で画面を見ていた。
「求償候補……」
「まだ候補です」
「でも、宛先が変わるかもしれないんですね」
「はい」
「探索者じゃなくて、企業へ」
「支払うべき相手を間違えないためです」
ミミは少し黙った後、言った。
「佐伯さんのお母さん、安心していました」
「仮払いのことですか」
「はい。自分たちが悪いのかもしれないって、ずっと思っていたみたいです」
「企業に言われたからでしょう」
「言葉って、怖いですね」
「はい」
「装着ミスかもしれません、って言われ続けたら、本当に自分が悪かった気がしてしまう」
俺はミミを見た。
彼女自身にも、覚えがあるのだろう。
レオンに言われ続けた言葉。
回復しかできない。
黙って回復してろ。
聖女ミミとして売ってやった。
言葉は、人の責任感をねじ曲げる。
企業の丁寧な言葉も、それと本質は変わらないことがある。
「だから、ログが必要です」
俺は言った。
「言葉で押し返された責任を、証拠で元の場所へ戻すために」
ミミは頷いた。
「はい」
その時、俺の端末が鳴った。
発信者は、真鍋課長。
通話に出る。
『黒木。今すぐ課長室へ来い』
「ミカドギアの件ですか」
『分かっているなら早い』
「何かありましたか」
真鍋課長は、少しだけ間を置いた。
『上から連絡が来た』
「上」
『ダンジョン庁本庁だ』
俺は黙った。
ミミがこちらを見る。
真鍋課長の声は、いつもより低かった。
『ミカドギアの件、これ以上深掘りするな、だそうだ』
「理由は」
『業界への影響を考慮しろ、とのことだ』
俺は、机の上の破損ベストの写真を見る。
右脇腹の裂け目。
佐伯の治療記録。
内部告発者の一文。
これ以上、子供たちが刺されるのを見ていられません。
「黒木?」
通話の向こうで、真鍋課長が呼ぶ。
「聞いているか」
「聞いています」
『余計なことはするなよ』
「課長」
『何だ』
「余計かどうかは、査定してから判断します」
真鍋課長が深くため息をついた。
『……お前、本当に胃に悪い部下だな』
「俺も胃が痛いです」
『知ってる』
通話が切れた。
ミミが不安そうに聞く。
「黒木さん……」
「はい」
「止められるんですか?」
「止めろと言われました」
「じゃあ……」
「事故査定は止めません」
俺は端末に新しい項目を追加した。
【外部・内部干渉記録】
【対象案件:ミカドギア社製防護ベスト貫通事故】
【干渉内容:深掘り停止要請】
【発信元:ダンジョン庁本庁】
【理由:業界への影響】
【査定公平性への影響:あり】
【証拠物件として保全】
圧力は、従うためだけにあるものではない。
記録すれば、圧力そのものが証拠になる。
外部からの不当な干渉は、査定の公平性を損なう。
ならば、それもまた、事故に関係する資料だ。
ミミが、小さく息を呑んだ。
「それも、記録するんですか」
「はい」
「上からの連絡も?」
「事故に影響するなら、記録します」
ミミは一瞬だけ黙り、それから小さく笑った。
「黒木さんらしいです」
「褒めていますか」
「たぶん」
「曖昧ですね」
「私もまだ査定中です」
その返しは、少し上手くなっている。
俺は胃薬の瓶を開けた。
個人の嘘は、声が大きい。
企業の嘘は、書類が綺麗だ。
そして、組織の嘘は、上から降ってくる。
ならば、上から降ってきたものも記録する。
圧力は、従えば命令になる。
残せば証拠になる。
俺は照会文書の宛先に、もう一行追加した。
『ダンジョン庁本庁 装備産業調整室』
企業だけではない。
今度の請求書は、庁内にも向くかもしれない。
俺は破損ベストの写真を閉じ、照会文書を作成し始めた。
安全基準を満たしていたのは、本当に製品なのか。
それとも、試験体だけだったのか。
支払うべき相手を間違えるな。
たとえその相手が、企業でも。
たとえ止めろと言ってきたのが、上でも。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第7話は、ミカドギア社の書類と試験体の違いに踏み込む回でした。
企業の嘘は、怒鳴らず、綺麗な報告書でやってきます。
次回は、ミカドギア社への正式照会と、ダンジョン庁内からの圧力が本格化します。
企業を守りたい者たちと、怪我をした探索者たち。
黒木がどちらへ請求書を向けるのか。
面白かった、続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると嬉しいです。




