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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第六章 その訓練設計、事故を前提にしていませんか

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第63話 教育効果という言葉で、事故を包むな

【次回照合対象】


【教育効果評価ログ】


【通信途絶時自主判断:観察成功】


【帰還石再同期試行:観察成功】


【経路探索反応:観察成功】


【事故発生時処理:記載欄なし】


 成功。


 その言葉は、明るい。


 目的を達した。


 予定通りに終わった。


 得るべきものを得た。


 記録の上では、そう見える。


 だが、事故の記録に成功という言葉が並ぶと、画面の温度は一気に下がる。


 通信が途絶した。


 帰還石が揺れた。


 退避経路が沈んだ。


 参加者は助かろうとした。


 事故は起きた。


 それでも、教育効果評価ログには成功が並んでいる。


 事故査定課の端末に、白浜臨時訓練場の教育効果評価ログが表示されていた。


【白浜臨時訓練場】


【教育効果評価ログ】


【対象:第三層実地退避訓練】


【評価区分:実戦型判断訓練】


【総合評価:有効】


【観察データ取得:成功】


 真鍋課長が、画面を見たまま黙った。


 今日は胃薬に手を伸ばさない。


 伸ばしたら負ける、とでも思っているのかもしれない。


 あるいは、もう胃薬で済む話ではないと分かっているのかもしれない。


「成功、か」


 課長が言った。


『観察データ取得上の成功です』


 相沢が補足した。


「事故が成功って意味じゃない、ということか」


『はい』


「分かってる」


 真鍋課長は、苦い顔をした。


「分かってるが、胃には悪い」


 御園さんは、画面の「成功」という文字を見ていた。


 その目は、怒りだけではなかった。


 困惑でもない。


 何かをどう扱えばいいのか、まだ言葉にしている途中の顔だった。


「成功というのは」


 御園さんが言った。


「誰にとっての成功なんですか」


 誰も、すぐには答えなかった。


 画面の向こうには、鷹宮怜司が接続している。


 前話の最後から、教育訓練支援室の回線は切れていない。


 鷹宮は、こちらの画面を見ていた。


 冷たい目。


 だが、逃げる目ではない。


 俺は、教育効果評価ログの詳細を開いた。


【教育効果評価 詳細】


【観察項目一:通信途絶時自主判断】


【結果:観察成功】


【参加者反応:待機、通信回復地点探索、帰還石再同期試行】


【教育評価:有効な実戦反応データ】


【観察項目二:退避経路不明瞭時の経路探索】


【結果:観察成功】


【参加者反応:南側連絡路周辺移動】


【教育評価:有効な経路探索反応】


【観察項目三:帰還石不安定時の再同期判断】


【結果:観察成功】


【参加者反応:再同期試行二回】


【教育評価:有効な退避手段選択反応】


【事故発生時処理:記載欄なし】


 記載欄なし。


 そこだけが、空白だった。


 通信途絶時自主判断。


 観察成功。


 退避経路不明瞭時の経路探索。


 観察成功。


 帰還石不安定時の再同期判断。


 観察成功。


 参加者の行動は、教育効果としては価値を持っていた。


 だが、事故が発生したとき、その価値がどう扱われたのか。


 その欄はなかった。


 御園さんが、画面を見つめたまま言った。


「助かろうとした行動が、前話では過失に変わっていました」


「はい」


「今度は、教育効果になっている」


「はい」


 彼女は、ゆっくり息を吐いた。


「同じ行動ですよね」


「同じ行動ログです」


 通信を探した。


 帰還石を試した。


 指示を待った。


 経路を探した。


 同じ行動が、画面によって名前を変える。


 事故後評価では、遅延、滞留、使用なし、無謀行動。


 教育効果評価では、自主判断、経路探索、再同期判断、観察成功。


 どちらかだけが嘘だとは、まだ言えない。


 だが、両方を都合よく使うことはできない。


 鷹宮が、静かに言った。


『教育効果評価ログは、事故責任を評価する資料ではありません』


「確認しています」


『参加者の行動を、教育設計上の観察項目として記録したものです』


「はい」


『事故が起きたことを成功と評価しているわけではありません』


「その点は理解しています」


『では、何を問題にしていますか』


 いつもの問いだった。


 鷹宮は、必ずそこへ戻す。


 何を問題にしているのか。


 どこまでが査定対象なのか。


 どこからが訓練設計の自由度なのか。


 その線を問う。


 俺は、画面の表示を切り替えた。


【同一行動ログの二面性】


【通信回復地点探索】


【事故後評価:第三層滞留】


【教育効果評価:経路探索反応/観察成功】


【帰還石再同期試行】


【事故後評価:帰還石使用なし】


【教育効果評価:退避手段選択反応/観察成功】


【指示途絶時待機】


【事故後評価:退避判断遅延】


【教育効果評価:通信途絶時自主判断/観察成功】


【通信負荷区域内移動】


【事故後評価:無謀行動生成条件】


【教育効果評価:実戦反応データ/観察成功】


 真鍋課長が、低く言った。


「同じ人間が、画面ごとに別人みたいだな」


『同じ行動ログです』


 相沢が答えた。


「分かってる。だから胃に悪い」


 御園さんが、静かに言った。


「事故後には責められて、訓練側では成功になる」


 その言葉は、重かった。


 鷹宮の視線が、わずかに御園さんへ動いた。


『成功、という表現は限定が必要です』


「では、何ですか」


 御園さんが聞いた。


 声は静かだった。


 だが、逃がさない静けさだった。


 鷹宮は答えた。


『次の訓練設計に反映可能なデータです』


 御園さんは、しばらく黙った。


「次のためですか」


『はい』


「その人たちの事故は、次のためのデータですか」


 真鍋課長の手が、胃薬の瓶に近づいた。


 だが、触れなかった。


 鷹宮の正しさに呑まれかけた手が、黒木の画面を見て止まった。


 鷹宮は、まっすぐに答えた。


『事故を二度と起こさないためには、現場で起きた判断を記録し、次の設計に反映する必要があります』


 正しい。


 また、正しい。


 事故から学ばない訓練設計は、ただの怠慢だ。


 現場で起きた反応を記録し、次に活かす。


 それは必要だ。


 だから、鷹宮は強い。


 彼は、事故を笑っていない。


 参加者を軽んじているわけでもない。


 危険を甘く見ているわけでもない。


 むしろ、危険を正面から見ている。


 だが、そこにある正しさだけでは、足りない。


「鷹宮設計官」


「はい」


「教育効果評価として、参加者の行動を記録することは必要です」


『はい』


「事故から次の訓練を改善することも必要です」


『はい』


「通信途絶時の自主判断、帰還石再同期試行、経路探索反応。いずれも教育評価対象として成立し得ます」


『その通りです』


「ですが」


 俺は、事故後評価側の画面を指した。


「同じ行動が事故後評価では過失側に接続されています」


 相沢が、二面性の表示を残したまま、接続線を強調する。


【同一行動ログ】


【教育評価側:観察成功】


【事故後評価側:過失評価接続】


【接続整理:未実施】


 俺は続けた。


「教育効果として使うなら、事故後評価にもその条件を残してください」


 鷹宮の目が、わずかに細くなった。


「教育効果として価値がある行動を、事故後には無謀や遅延として扱うなら、記録の接続が壊れています」


『教育効果と事故責任は別です』


「別です」


『別だからこそ、教育効果評価ログで事故責任は扱っていません』


「そこが問題です」


 鷹宮は黙った。


 真鍋課長が、こちらを見た。


 御園さんも、画面を見る。


「教育効果評価ログには、事故発生時処理の欄がありません」


 相沢が、その行を中央に出す。


【事故発生時処理:記載欄なし】


「つまり、教育効果として観察した行動が事故になったとき、その行動を事故後評価へどう接続するかが記録されていません」


 鷹宮は、まだ黙っている。


「だから、事故後の画面では、設計側の負荷が消えました」


 俺は、ひとつずつ並べた。


【通信途絶時自主判断】


   ↓


【事故後評価:退避判断遅延】


【経路探索反応】


   ↓


【事故後評価:第三層滞留】


【帰還石再同期試行】


   ↓


【事故後評価:帰還石使用なし】


「教育効果評価では成功」


【教育効果評価:観察成功】


「事故後評価では過失」


【事故後評価:過失評価接続】


「その間の接続記録がありません」


【接続記録:なし】


 御園さんが、小さく息を吸った。


 真鍋課長が、低く言った。


「包んだな」


「はい」


「教育効果って言葉で」


「はい」


 鷹宮が、静かに口を開いた。


『教育効果という言葉で、事故を包んだわけではありません』


「では、何と表現しますか」


『事故を含めて、訓練の改善材料にした』


「その表現なら、記録が必要です」


 俺は、鷹宮を見た。


「改善材料にしたなら、事故処理との接続を残してください」


 鷹宮は、表情を変えなかった。


 だが、画面の向こうで一度だけ、息を止めたように見えた。


「危険な訓練を裁いているのではありません」


 俺は言った。


 部屋の音が消えた。


 相沢も、真鍋課長も、御園さんも、何も言わない。


 この言葉は、ここで言うためにあった。


「危険を設計した側が、事故後に消えたことを査定しています」


 鷹宮怜司は、黙った。


 久我の沈黙とは違う。


 逃げの沈黙ではない。


 自分の領域に踏み込まれた者の沈黙でもない。


 言葉の重さを、測っている沈黙だった。


 御園さんは、画面を見ていた。


 真鍋課長の手は、胃薬の瓶の手前で止まっている。


 課長は飲まなかった。


 相沢が、静かに表示を更新した。


【争点整理】


【危険な訓練の是非:査定対象外】


【訓練設計上の危険設定:確認済】


【事故後評価における設計条件の消失:査定対象】


【教育効果評価と事故後過失評価の接続:未整理】


 鷹宮が、低く言った。


『……その整理なら、教育訓練支援室は拒否できません』


 真鍋課長の手が止まった。


 御園さんが、顔を上げる。


 相沢が、記録する。


【教育訓練支援室コメント】


【危険な訓練の是非ではなく、事故後評価への設計条件接続を争点とする整理について、合同照合対象として受理】


 受理。


 鷹宮怜司が、受けた。


 勝ったわけではない。


 訓練の正しさを認めたまま、事故後の消失を争点にした。


 それだけだ。


 だが、それで十分だった。


 これで、教育効果という言葉だけでは閉じられない。


 俺は、照合所見欄を開いた。


【事故査定課 教育効果評価ログ照合所見】


【対象:白浜臨時訓練場第三層実地退避訓練】


【確認事項一:教育効果評価ログにおいて、通信途絶時自主判断、帰還石再同期試行、経路探索反応はいずれも観察成功と記録】


【確認事項二:同一行動ログが、事故後評価では退避判断遅延、帰還石使用なし、第三層滞留、無謀行動の生成条件として扱われた可能性あり】


【確認事項三:教育効果評価ログに事故発生時処理欄なし】


【確認事項四:教育評価上の観察成功と事故後過失評価の接続整理なし】


【確認事項五:教育訓練支援室は、事故後評価への設計条件接続を合同照合対象として受理】


【所見:教育効果評価ログ単独による事故後評価の補完不可】


 真鍋課長が、画面を見た。


「補完不可」


「はい」


「教育効果があったから事故後評価はそのままでいい、とは言えない」


「はい」


 相沢の入力が止まった。


 確認警告が一つ、画面の端に出る。


【警告:教育効果評価ログへの事故後評価接続注記を追加します】


『確認します』


 相沢が言った。


「通せ」


 真鍋課長が言った。


 俺は、確定欄へ進んだ。


【白浜臨時訓練場事故:教育効果評価照合】


【教育効果評価:観察成功】


   ↓


【教育効果評価:事故後過失評価を補完せず】


【事故発生時処理:接続記録なし】


【設計条件消失:合同照合対象】


【教育訓練支援室:合同照合参加】


 画面の中で、成功という言葉の下に、新しい線が引かれた。


 成功は消えない。


 観察データは残る。


 教育効果も残る。


 だが、その言葉で事故を包むことはできなくなった。


 俺は、確定キーを押した。


【事故査定課 照合所見:確定】


 御園さんが、静かに言った。


「危険な訓練は、必要かもしれません」


「はい」


「事故から学ぶことも、必要です」


「はい」


「でも」


 彼女は、教育効果評価ログを見た。


「学ぶために記録したなら、責任からも消さないでください」


 誰も、すぐには言わなかった。


 鷹宮も言わなかった。


 ただ、画面の向こうで一度だけ目を伏せた。


『……その点は、合同照合で確認します』


 短い返答だった。


 だが、逃げではなかった。


 御園さんは、小さく頷いた。


「お願いします」


 相沢が、白浜事故の現時点整理を表示した。


【白浜事故 現時点照合項目】


【通信:良好 → 通信死角あり】


【帰還石:使用なし → 使用成立なし/再同期試行あり】


【滞留:第三層滞留 → 通信回復地点探索による所在継続】


【退避判断遅延:確定 → 指示到達未確認下の待機を含む】


【無謀行動あり → 生成根拠不成立】


【教育効果評価:事故後過失評価を補完せず】


【設計条件消失:合同照合対象】


 その一覧を見て、真鍋課長が言った。


「これで、白浜の過失判定はもう持たないな」


「まだ、持たないとは言えません」


 俺は答えた。


「ただ、当事者単独過失として閉じる根拠は、崩れています」


 課長の目が、少しだけ細くなった。


「そこへ行くか」


「はい」


 相沢が、次回照合対象を表示する。


【次回照合対象】


【監理官室 白浜事故再判定】


【事故後評価:再査定結果】


【当事者単独過失:成立確認】


【教育訓練支援室:合同照合参加】


【監理官室承認:確認待ち】


 真鍋課長が、とうとう胃薬の瓶を開けた。


 一粒出す。


 今度は、飲んだ。


 水なしだった。


 御園さんが、少しだけ目を丸くした。


「飲むんですね」


「今のは、飲む場面だ」


「なぜですか」


「監理官室が出る」


 課長は、空になった指先を見た。


「胃薬にも、限界がある」


 相沢が、淡々と言った。


『補充申請を作成しますか』


「するな」


『承知しました』


 俺は、次回照合対象を見た。


 通信。


 帰還石。


 退避経路。


 事前説明。


 行動評価。


 教育効果。


 すべての線が、ひとつの言葉へ集まり始めている。


 当事者単独過失。


 白浜事故を閉じていた最後の留め具。


 次に外すのは、その言葉だ。


 過失がない、と言うためではない。


 単独では成立しない、と記録するために。

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