表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第六章 その訓練設計、事故を前提にしていませんか

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

67/68

第64話 その過失は、単独では成立しません

【次回照合対象】


【監理官室 白浜事故再判定】


【事故後評価:再査定結果】


【当事者単独過失:成立確認】


【教育訓練支援室:合同照合参加】


【監理官室承認:確認待ち】


 当事者単独過失。


 その言葉は、便利だ。


 事故を閉じる。


 責任の線を一本にする。


 設計も、運用も、説明も、通信も、帰還石も、退避経路も、すべてを横に置いて、最後に残った行動だけを見る。


 本人が遅れた。


 本人が残った。


 本人が使わなかった。


 本人が無謀だった。


 そう書ければ、事故は短くなる。


 短い事故は、扱いやすい。


 だが、扱いやすい事故ほど、都合の悪い事実を綺麗に畳み込んでいる。


 事故査定課の端末には、監理官室の再判定画面が開かれていた。


【監理官室 白浜事故再判定】


【対象:白浜臨時訓練場事故】


【現在評価:当事者単独過失】


【再査定理由:事故査定課照合所見追加】


【合同照合参加:教育訓練支援室】


【再判定状態:審査中】


 画面の右上に、接続者が並んでいる。


【事故査定課:黒木司】


【事故査定課:真鍋課長】


【医療照合:御園】


【技術照合:相沢】


【教育訓練支援室:鷹宮怜司】


【監理官室:久我】


 久我の名前が表示された瞬間、真鍋課長が胃薬の瓶を指先で押した。


 飲まない。


 ただ、位置を確認しただけだ。


「久我まで出ると、画面だけで胃に悪いな」


『監理官室審査です』


 相沢が言った。


「分かってる。分かってるから悪い」


 御園さんは黙っていた。


 彼女の視線は、現在評価の行に向いている。


【現在評価:当事者単独過失】


 そこに、これまでのすべてが押し込まれていた。


 通信が沈んだことも。


 帰還石が揺れたことも。


 退避経路が最短ではなかったことも。


 事前説明が一般的な同意に留まっていたことも。


 助かろうとした行動が、過失に変わったことも。


 教育効果という言葉で包まれかけたことも。


 最後は、この一行だった。


 監理官室側の画面が開いた。


【監理官室】


【久我:接続中】


 久我は、以前と同じように落ち着いていた。


 穏やかではない。


 冷たいのでもない。


 温度を使わない顔だった。


『白浜事故再判定に関する事故査定課照合所見を確認しました』


「ありがとうございます」


『まず確認します』


 久我は、画面の資料一覧を一度だけ見た。


『事故査定課は、白浜事故の原因が訓練設計にあると主張しますか』


 真鍋課長の手が止まった。


 御園さんの表情も動く。


 鷹宮は、画面の向こうでこちらを見ていた。


 ここで頷けば、話は簡単になる。


 訓練設計が悪い。


 参加者は悪くない。


 そう言えれば、読者にも分かりやすい。


 だが、それは査定ではない。


「主張しません」


 俺は答えた。


 久我の視線が、わずかに止まる。


『では、参加者の過失を否定しますか』


「否定しません」


 御園さんは、こちらを見た。


 真鍋課長は黙っている。


 鷹宮の表情は変わらない。


 久我は、さらに問う。


『では、事故査定課は何を求めていますか』


「現在評価の取消ではありません」


 俺は画面を見た。


「当事者単独過失としての成立確認です」


 相沢が、再判定項目を表示した。


【再判定争点】


【事故原因:訓練設計起因と断定するか】


【回答:断定しない】


【参加者過失:なしと断定するか】


【回答:断定しない】


【当事者単独過失:成立するか】


【回答:再確認】


 久我は、その表示を見ていた。


『過失なし、ではなく』


「はい」


『単独過失として成立するか』


「はい」


『随分、狭いところを突きますね』


「狭いところしか、今は突けません」


 久我の口元が、わずかに動いた。


 笑みではない。


 確認のための反応だった。


『正確です』


 その一言で、会議室の空気が少しだけ変わった。


 久我は敵ではない。


 味方でもない。


 正確であることだけを、受ける。


 だから厄介だ。


 相沢が、当事者単独過失の成立条件を表示した。


【当事者単独過失 成立確認項目】


【一、事故後行動評価が当事者行動のみで説明可能であること】


【二、外部環境要因が過失評価に反映済みであること】


【三、訓練設計上の負荷が事故後評価に反映済みであること】


【四、補助評価語の生成根拠が成立していること】


【五、参加者の認識可能性が評価に反映されていること】


 真鍋課長が、画面を見た。


「ずいぶん増えたな」


『これまでの照合結果に基づく整理です』


 相沢が答えた。


「胃に悪い整理だ」


『正確です』


「正確なら許されると思うな」


 久我が、画面の項目を見た。


『成立条件としては妥当です。ただし、五項目のうち一部が未確認でも、当事者過失が直ちに消えるわけではありません』


「分かっています」


『では、確認してください』


「はい」


 俺は、一つ目を開いた。


【成立確認項目 一】


【事故後行動評価が当事者行動のみで説明可能であること】


【照合結果:不可】


【理由:通信回復地点探索、帰還石再同期試行、指示到達未確認下の待機を含む】


【評価:当事者行動のみでの説明不可】


 御園さんが、小さく息を吸った。


 前話で、無謀という言葉が消えた。


 その続きが、ここにある。


 当事者は動いていた。


 ただ残ったのではない。


 通信を探した。


 帰還石を試した。


 指示を待った。


 それらは、行動だ。


 しかし、その行動は、当事者の内側だけでは説明できない。


 通信が届かなかった可能性。


 帰還石が成立しなかった可能性。


 指示が到達していなかった可能性。


 外側の条件が、行動の意味を変える。


 久我が言った。


『不可、という評価は強いですね』


「修正しますか」


『当事者行動のみでの説明不可、なら妥当です』


「その表現です」


 相沢が、行を確定する。


【評価:当事者行動のみでの説明不可】


 次に、二つ目。


【成立確認項目 二】


【外部環境要因が過失評価に反映済みであること】


【照合結果:未反映】


【確認済み外部要因:通信死角、現場形状補正未記載、壁面乱流帯、通信減衰地点】


【事故後評価反映:確認できず】


【評価:外部環境要因の反映不足】


 真鍋課長が、低く言った。


「通信良好じゃなかったところだな」


『はい』


 相沢が答えた。


『設計時点より通信不良地点あり、区画平均により通信良好出力です』


「もう胃が覚えた」


『学習済みです』


「俺の胃を学習対象にするな」


 久我は、画面を見ている。


『外部環境要因の反映不足。これは、当事者単独過失の成立に重大な影響を与えます』


「はい」


『ただし、外部環境要因があっても、当事者判断責任は消えません』


「消えません」


 鷹宮が、そこで初めて口を開いた。


『訓練環境には、意図的な負荷も含まれます』


「はい」


『通信減衰や経路不明瞭は、実戦型訓練において想定される条件です』


「確認しています」


 俺は、三つ目を開いた。


【成立確認項目 三】


【訓練設計上の負荷が事故後評価に反映済みであること】


【照合結果:未反映】


【確認済み設計負荷:通信負荷区域、指示途絶時自主判断観察、帰還石再同期試行観察、南側連絡路誘導】


【参加者側表示:退避経路】


【事故後評価反映:確認できず】


【評価:設計負荷の事故後評価接続なし】


 鷹宮は、黙った。


 久我が、鷹宮を見る。


『教育訓練支援室は、この照合結果を否認しますか』


 鷹宮は、すぐに答えなかった。


 否認できるなら、する男だ。


 だが、ここまでのログは彼自身も受けている。


『否認しません』


 短い返答だった。


『ただし、設計負荷は訓練上必要な条件です』


「そこは争点にしていません」


 俺は言った。


 鷹宮の目が、わずかにこちらへ動く。


「問題は、必要な条件だったかどうかではありません」


 前話の言葉を、もう一度短くする。


「事故後評価から消えていたことです」


 久我が、静かに頷いた。


『争点整理は一致しています』


 その一言で、設計負荷の欄は進んだ。


 四つ目。


【成立確認項目 四】


【補助評価語の生成根拠が成立していること】


【照合結果:不成立】


【対象評価語:無謀行動あり】


【再判定結果:生成根拠不成立】


【理由:各生成条件に代替説明あり】


【評価:単独過失根拠として使用不可】


 御園さんの視線が、その行に止まった。


 無謀行動あり。


 その言葉が、ようやく根拠として使えなくなった。


 消えたわけではない。


 完全に否定されたわけでもない。


 だが、単独過失の柱にはできない。


 久我が言った。


『生成根拠不成立。監理官室としても、補助評価語を当事者単独過失の主根拠に用いることは困難です』


 真鍋課長が、胃薬の瓶から手を離した。


「言ったな」


『記録しました』


 相沢が答えた。


「お前じゃなくて久我がだ」


『両方記録しました』


「頼もしいが胃に悪い」


 最後に、五つ目。


【成立確認項目 五】


【参加者の認識可能性が評価に反映されていること】


【照合結果:未確認】


【一般参加同意:成立】


【通信途絶負荷への認識:未確認】


【代替経路非提示への認識:未確認】


【帰還石再同期観察への認識:未確認】


【事故後評価:事前説明内容参照なし】


【評価:認識可能性の反映未確認】


 御園さんが、画面を見た。


「知らされていなかった可能性」


「はい」


「それでも、評価には反映されていない」


「はい」


 久我は、しばらく黙っていた。


 沈黙のあと、静かに言う。


『一般参加同意は成立しています』


「はい」


『その範囲で、一定の訓練リスクを受け入れているとも読めます』


「読めます」


『ただし』


 久我は、事前説明欄に視線を落とした。


『通信途絶負荷、代替経路非提示、帰還石再同期観察への認識が未確認である以上、事故後過失評価において認識可能性を参照しないことは、単独過失の成立を弱めます』


 鷹宮は黙っている。


 御園さんも黙っている。


 真鍋課長だけが、小さく言った。


「久我まで言ったな」


「はい」


「胃に悪いが、効く」


 相沢が、五項目の結果を統合した。


【当事者単独過失 成立確認結果】


【一、当事者行動のみで説明可能:不可】


【二、外部環境要因反映:不足】


【三、訓練設計負荷反映:なし】


【四、補助評価語生成根拠:不成立】


【五、認識可能性反映:未確認】


【総合判定:成立要件不足】


 総合判定。


 成立要件不足。


 その言葉が出ても、俺はすぐに確定しなかった。


 久我が、画面を見た。


『黒木査定官』


「はい」


『この結果をもって、当事者過失なし、としますか』


「しません」


『教育訓練支援室の設計過失を認定しますか』


「しません」


『事故原因を訓練設計に確定しますか』


「しません」


『では、何を確定しますか』


「当事者単独過失としては成立しない、ということです」


 部屋が静かになった。


 前から決めていた言葉だった。


 だが、ここまで積まなければ言えない言葉だった。


 相沢が、判定候補を表示する。


【判定候補】


【当事者過失なし】


【不採用:根拠不足】


【訓練設計過失確定】


【不採用:根拠不足】


【事故原因確定】


【不採用:根拠不足】


【当事者単独過失:成立不可】


【採用候補】


 真鍋課長が、深く息を吐いた。


「狭いな」


「はい」


「でも、そこしか通れない」


「はい」


「通れ」


 久我が、まだ画面を見ている。


『監理官室として確認します』


 彼は、ひとつずつ読み上げた。


『当事者過失の可能性は残る』


「はい」


『訓練設計起因の可能性も残る』


「はい」


『事故原因は未確定』


「はい」


『ただし、現在評価である当事者単独過失は、成立条件を満たしていない』


「はい」


 久我の声は、変わらない。


 だが、部屋の空気は変わっていた。


『監理官室は、当該整理を受理します』


 久我が、画面の向こうで手元の端末に視線を落とした。


 数秒後、再判定欄の右上に、小さな承認印が表示される。


【監理官室承認:仮承認】


 派手な音はなかった。


 だが、その無音の一行で、白浜事故の閉じ方が変わった。


 相沢が、すぐに記録する。


【監理官室コメント】


【当事者過失可能性:残存】


【訓練設計起因可能性:残存】


【事故原因:未確定】


【現在評価「当事者単独過失」:成立条件不足】


【整理:受理】


 御園さんが、画面を見たまま言った。


「過失がなかった、ではないんですね」


「はい」


「でも、ひとりのせいでは閉じられなくなった」


「はい」


 彼女は、少しだけ目を閉じた。


「それでも、違います」


「はい」


「全然、違います」


 その通りだった。


 過失なし、ではない。


 完全救済でもない。


 誰かが謝罪したわけでもない。


 事故が戻るわけでもない。


 それでも。


 ひとりの無謀として閉じられることは、もうない。


 その違いは、大きい。


 俺は、最終入力欄にカーソルを置いた。


【白浜臨時訓練場事故 再判定入力】


【現在評価:当事者単独過失】


   ↓


 まだ、空欄だった。


 真鍋課長が言った。


「入れろ」


 相沢が、入力補助を出した。


【候補一:過失なし】


【警告:根拠不足】


【候補二:訓練設計過失】


【警告:根拠不足】


【候補三:事故原因未確定】


【警告:既存評価との差分不足】


【候補四:当事者単独過失成立不可】


【推奨:照合結果一致】


 久我は、何も言わない。


 鷹宮も言わない。


 御園さんは、画面を見ている。


 真鍋課長は、胃薬の瓶を握っている。


 俺は、候補四を選んだ。


【白浜臨時訓練場事故 再判定】


【現在評価:当事者単独過失】


   ↓


【再判定:当事者単独過失成立不可】


【事故原因:未確定】


【過失評価:再査定継続】


【教育訓練支援室:設計過程照合対象】


【監理官室承認:確認待ち】


 画面の中で、当事者単独過失という言葉が外れた。


 消えたのではない。


 成立不可として、記録に残った。


 この違いが必要だった。


 なかったことにしない。


 だが、通さない。


 それが査定だった。


 相沢が、確定前警告を表示する。


【警告:現在評価を変更します】


【変更前:当事者単独過失】


【変更後:当事者単独過失成立不可】


【関連部署通知:監理官室、教育訓練支援室、本庁事故管理部】


【実行しますか】


 真鍋課長が、胃薬の瓶を机に置いた。


 飲まなかった。


「通せ」


 俺は、確定キーを押した。


【再判定:確定】


【監理官室承認:仮承認】


【事故査定課所見:採用】


 御園さんが、小さく息を吐いた。


 それは、安堵ではなかった。


 悔しさでもなかった。


 長く止めていた呼吸が、ようやく少しだけ戻ったような息だった。


 鷹宮が、画面越しに言った。


『教育訓練支援室として、設計過程照合に応じます』


 短い。


 硬い。


 だが、逃げではなかった。


 久我が続けた。


『監理官室として、白浜事故の再査定を継続監督します』


「ありがとうございます」


『礼を言う段階ではありません』


「はい」


『まだ、事故原因は未確定です』


「承知しています」


『次に確定するのは、責任ではありません』


 久我は、そこで少しだけ間を置いた。


『責任を確定するための、照合範囲です』


 相沢が、その言葉を記録する。


【監理官室指示】


【責任確定:未実施】


【照合範囲確定:次回対象】


【対象:通信設計、退避経路設計、事前説明、行動評価変換、教育効果評価】


 真鍋課長が、低く言った。


「まだ終わらないな」


「はい」


「でも、閉じ方は決まった」


「はい」


 御園さんが、画面の再判定を見ていた。


【再判定:当事者単独過失成立不可】


「この一行で」


 彼女は言った。


「少なくとも、あの人たちは無謀だっただけではなくなったんですね」


「はい」


「それだけでも」


 御園さんは、言葉を止めた。


 それだけでも、何なのか。


 救いなのか。


 遅すぎるのか。


 足りないのか。


 その全部かもしれない。


 俺は答えなかった。


 答えることではない。


 記録することだった。


 相沢が、次回照合対象を表示する。


【次回照合対象】


【第一部最終整理】


【白浜臨時訓練場事故 再査定まとめ】


【事故原因:訓練設計起因疑い】


【教育訓練支援室:設計過程照合対象】


【支払済み処理:成立確認継続】


【本庁報告書:作成】


 真鍋課長が、胃薬の瓶を引き寄せた。


 一粒出す。


 見た。


 戻した。


「今日は飲まないんですか」


 御園さんが尋ねた。


「今日は、飲むと軽くなる」


 課長は、画面を見た。


「軽くしていい一行じゃない」


 誰も笑わなかった。


 相沢も何も言わなかった。


 画面の中では、再判定結果が静かに保存されていく。


【保存完了】


【白浜臨時訓練場事故】


【再判定:当事者単独過失成立不可】


 当事者単独過失。


 白浜事故を閉じていた最後の留め具は、外れた。


 次にするのは、完全勝利の宣言ではない。


 誰かを断罪することでもない。


 この事故が、何によって起きた可能性があるのか。


 どこまでが設計で、どこからが判断で、どこからが事故だったのか。


 それを、第一部の最後の報告書に残す。


 白浜事故は、参加者の無謀で閉じられる案件ではなくなった。


 それだけで、今は十分だった。


 あとは、この歪んだ記録を、本庁へ提出できる形に整えるだけだ。


 最後の照合が、始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ