第64話 その過失は、単独では成立しません
【次回照合対象】
【監理官室 白浜事故再判定】
【事故後評価:再査定結果】
【当事者単独過失:成立確認】
【教育訓練支援室:合同照合参加】
【監理官室承認:確認待ち】
当事者単独過失。
その言葉は、便利だ。
事故を閉じる。
責任の線を一本にする。
設計も、運用も、説明も、通信も、帰還石も、退避経路も、すべてを横に置いて、最後に残った行動だけを見る。
本人が遅れた。
本人が残った。
本人が使わなかった。
本人が無謀だった。
そう書ければ、事故は短くなる。
短い事故は、扱いやすい。
だが、扱いやすい事故ほど、都合の悪い事実を綺麗に畳み込んでいる。
事故査定課の端末には、監理官室の再判定画面が開かれていた。
【監理官室 白浜事故再判定】
【対象:白浜臨時訓練場事故】
【現在評価:当事者単独過失】
【再査定理由:事故査定課照合所見追加】
【合同照合参加:教育訓練支援室】
【再判定状態:審査中】
画面の右上に、接続者が並んでいる。
【事故査定課:黒木司】
【事故査定課:真鍋課長】
【医療照合:御園】
【技術照合:相沢】
【教育訓練支援室:鷹宮怜司】
【監理官室:久我】
久我の名前が表示された瞬間、真鍋課長が胃薬の瓶を指先で押した。
飲まない。
ただ、位置を確認しただけだ。
「久我まで出ると、画面だけで胃に悪いな」
『監理官室審査です』
相沢が言った。
「分かってる。分かってるから悪い」
御園さんは黙っていた。
彼女の視線は、現在評価の行に向いている。
【現在評価:当事者単独過失】
そこに、これまでのすべてが押し込まれていた。
通信が沈んだことも。
帰還石が揺れたことも。
退避経路が最短ではなかったことも。
事前説明が一般的な同意に留まっていたことも。
助かろうとした行動が、過失に変わったことも。
教育効果という言葉で包まれかけたことも。
最後は、この一行だった。
監理官室側の画面が開いた。
【監理官室】
【久我:接続中】
久我は、以前と同じように落ち着いていた。
穏やかではない。
冷たいのでもない。
温度を使わない顔だった。
『白浜事故再判定に関する事故査定課照合所見を確認しました』
「ありがとうございます」
『まず確認します』
久我は、画面の資料一覧を一度だけ見た。
『事故査定課は、白浜事故の原因が訓練設計にあると主張しますか』
真鍋課長の手が止まった。
御園さんの表情も動く。
鷹宮は、画面の向こうでこちらを見ていた。
ここで頷けば、話は簡単になる。
訓練設計が悪い。
参加者は悪くない。
そう言えれば、読者にも分かりやすい。
だが、それは査定ではない。
「主張しません」
俺は答えた。
久我の視線が、わずかに止まる。
『では、参加者の過失を否定しますか』
「否定しません」
御園さんは、こちらを見た。
真鍋課長は黙っている。
鷹宮の表情は変わらない。
久我は、さらに問う。
『では、事故査定課は何を求めていますか』
「現在評価の取消ではありません」
俺は画面を見た。
「当事者単独過失としての成立確認です」
相沢が、再判定項目を表示した。
【再判定争点】
【事故原因:訓練設計起因と断定するか】
【回答:断定しない】
【参加者過失:なしと断定するか】
【回答:断定しない】
【当事者単独過失:成立するか】
【回答:再確認】
久我は、その表示を見ていた。
『過失なし、ではなく』
「はい」
『単独過失として成立するか』
「はい」
『随分、狭いところを突きますね』
「狭いところしか、今は突けません」
久我の口元が、わずかに動いた。
笑みではない。
確認のための反応だった。
『正確です』
その一言で、会議室の空気が少しだけ変わった。
久我は敵ではない。
味方でもない。
正確であることだけを、受ける。
だから厄介だ。
相沢が、当事者単独過失の成立条件を表示した。
【当事者単独過失 成立確認項目】
【一、事故後行動評価が当事者行動のみで説明可能であること】
【二、外部環境要因が過失評価に反映済みであること】
【三、訓練設計上の負荷が事故後評価に反映済みであること】
【四、補助評価語の生成根拠が成立していること】
【五、参加者の認識可能性が評価に反映されていること】
真鍋課長が、画面を見た。
「ずいぶん増えたな」
『これまでの照合結果に基づく整理です』
相沢が答えた。
「胃に悪い整理だ」
『正確です』
「正確なら許されると思うな」
久我が、画面の項目を見た。
『成立条件としては妥当です。ただし、五項目のうち一部が未確認でも、当事者過失が直ちに消えるわけではありません』
「分かっています」
『では、確認してください』
「はい」
俺は、一つ目を開いた。
【成立確認項目 一】
【事故後行動評価が当事者行動のみで説明可能であること】
【照合結果:不可】
【理由:通信回復地点探索、帰還石再同期試行、指示到達未確認下の待機を含む】
【評価:当事者行動のみでの説明不可】
御園さんが、小さく息を吸った。
前話で、無謀という言葉が消えた。
その続きが、ここにある。
当事者は動いていた。
ただ残ったのではない。
通信を探した。
帰還石を試した。
指示を待った。
それらは、行動だ。
しかし、その行動は、当事者の内側だけでは説明できない。
通信が届かなかった可能性。
帰還石が成立しなかった可能性。
指示が到達していなかった可能性。
外側の条件が、行動の意味を変える。
久我が言った。
『不可、という評価は強いですね』
「修正しますか」
『当事者行動のみでの説明不可、なら妥当です』
「その表現です」
相沢が、行を確定する。
【評価:当事者行動のみでの説明不可】
次に、二つ目。
【成立確認項目 二】
【外部環境要因が過失評価に反映済みであること】
【照合結果:未反映】
【確認済み外部要因:通信死角、現場形状補正未記載、壁面乱流帯、通信減衰地点】
【事故後評価反映:確認できず】
【評価:外部環境要因の反映不足】
真鍋課長が、低く言った。
「通信良好じゃなかったところだな」
『はい』
相沢が答えた。
『設計時点より通信不良地点あり、区画平均により通信良好出力です』
「もう胃が覚えた」
『学習済みです』
「俺の胃を学習対象にするな」
久我は、画面を見ている。
『外部環境要因の反映不足。これは、当事者単独過失の成立に重大な影響を与えます』
「はい」
『ただし、外部環境要因があっても、当事者判断責任は消えません』
「消えません」
鷹宮が、そこで初めて口を開いた。
『訓練環境には、意図的な負荷も含まれます』
「はい」
『通信減衰や経路不明瞭は、実戦型訓練において想定される条件です』
「確認しています」
俺は、三つ目を開いた。
【成立確認項目 三】
【訓練設計上の負荷が事故後評価に反映済みであること】
【照合結果:未反映】
【確認済み設計負荷:通信負荷区域、指示途絶時自主判断観察、帰還石再同期試行観察、南側連絡路誘導】
【参加者側表示:退避経路】
【事故後評価反映:確認できず】
【評価:設計負荷の事故後評価接続なし】
鷹宮は、黙った。
久我が、鷹宮を見る。
『教育訓練支援室は、この照合結果を否認しますか』
鷹宮は、すぐに答えなかった。
否認できるなら、する男だ。
だが、ここまでのログは彼自身も受けている。
『否認しません』
短い返答だった。
『ただし、設計負荷は訓練上必要な条件です』
「そこは争点にしていません」
俺は言った。
鷹宮の目が、わずかにこちらへ動く。
「問題は、必要な条件だったかどうかではありません」
前話の言葉を、もう一度短くする。
「事故後評価から消えていたことです」
久我が、静かに頷いた。
『争点整理は一致しています』
その一言で、設計負荷の欄は進んだ。
四つ目。
【成立確認項目 四】
【補助評価語の生成根拠が成立していること】
【照合結果:不成立】
【対象評価語:無謀行動あり】
【再判定結果:生成根拠不成立】
【理由:各生成条件に代替説明あり】
【評価:単独過失根拠として使用不可】
御園さんの視線が、その行に止まった。
無謀行動あり。
その言葉が、ようやく根拠として使えなくなった。
消えたわけではない。
完全に否定されたわけでもない。
だが、単独過失の柱にはできない。
久我が言った。
『生成根拠不成立。監理官室としても、補助評価語を当事者単独過失の主根拠に用いることは困難です』
真鍋課長が、胃薬の瓶から手を離した。
「言ったな」
『記録しました』
相沢が答えた。
「お前じゃなくて久我がだ」
『両方記録しました』
「頼もしいが胃に悪い」
最後に、五つ目。
【成立確認項目 五】
【参加者の認識可能性が評価に反映されていること】
【照合結果:未確認】
【一般参加同意:成立】
【通信途絶負荷への認識:未確認】
【代替経路非提示への認識:未確認】
【帰還石再同期観察への認識:未確認】
【事故後評価:事前説明内容参照なし】
【評価:認識可能性の反映未確認】
御園さんが、画面を見た。
「知らされていなかった可能性」
「はい」
「それでも、評価には反映されていない」
「はい」
久我は、しばらく黙っていた。
沈黙のあと、静かに言う。
『一般参加同意は成立しています』
「はい」
『その範囲で、一定の訓練リスクを受け入れているとも読めます』
「読めます」
『ただし』
久我は、事前説明欄に視線を落とした。
『通信途絶負荷、代替経路非提示、帰還石再同期観察への認識が未確認である以上、事故後過失評価において認識可能性を参照しないことは、単独過失の成立を弱めます』
鷹宮は黙っている。
御園さんも黙っている。
真鍋課長だけが、小さく言った。
「久我まで言ったな」
「はい」
「胃に悪いが、効く」
相沢が、五項目の結果を統合した。
【当事者単独過失 成立確認結果】
【一、当事者行動のみで説明可能:不可】
【二、外部環境要因反映:不足】
【三、訓練設計負荷反映:なし】
【四、補助評価語生成根拠:不成立】
【五、認識可能性反映:未確認】
【総合判定:成立要件不足】
総合判定。
成立要件不足。
その言葉が出ても、俺はすぐに確定しなかった。
久我が、画面を見た。
『黒木査定官』
「はい」
『この結果をもって、当事者過失なし、としますか』
「しません」
『教育訓練支援室の設計過失を認定しますか』
「しません」
『事故原因を訓練設計に確定しますか』
「しません」
『では、何を確定しますか』
「当事者単独過失としては成立しない、ということです」
部屋が静かになった。
前から決めていた言葉だった。
だが、ここまで積まなければ言えない言葉だった。
相沢が、判定候補を表示する。
【判定候補】
【当事者過失なし】
【不採用:根拠不足】
【訓練設計過失確定】
【不採用:根拠不足】
【事故原因確定】
【不採用:根拠不足】
【当事者単独過失:成立不可】
【採用候補】
真鍋課長が、深く息を吐いた。
「狭いな」
「はい」
「でも、そこしか通れない」
「はい」
「通れ」
久我が、まだ画面を見ている。
『監理官室として確認します』
彼は、ひとつずつ読み上げた。
『当事者過失の可能性は残る』
「はい」
『訓練設計起因の可能性も残る』
「はい」
『事故原因は未確定』
「はい」
『ただし、現在評価である当事者単独過失は、成立条件を満たしていない』
「はい」
久我の声は、変わらない。
だが、部屋の空気は変わっていた。
『監理官室は、当該整理を受理します』
久我が、画面の向こうで手元の端末に視線を落とした。
数秒後、再判定欄の右上に、小さな承認印が表示される。
【監理官室承認:仮承認】
派手な音はなかった。
だが、その無音の一行で、白浜事故の閉じ方が変わった。
相沢が、すぐに記録する。
【監理官室コメント】
【当事者過失可能性:残存】
【訓練設計起因可能性:残存】
【事故原因:未確定】
【現在評価「当事者単独過失」:成立条件不足】
【整理:受理】
御園さんが、画面を見たまま言った。
「過失がなかった、ではないんですね」
「はい」
「でも、ひとりのせいでは閉じられなくなった」
「はい」
彼女は、少しだけ目を閉じた。
「それでも、違います」
「はい」
「全然、違います」
その通りだった。
過失なし、ではない。
完全救済でもない。
誰かが謝罪したわけでもない。
事故が戻るわけでもない。
それでも。
ひとりの無謀として閉じられることは、もうない。
その違いは、大きい。
俺は、最終入力欄にカーソルを置いた。
【白浜臨時訓練場事故 再判定入力】
【現在評価:当事者単独過失】
↓
まだ、空欄だった。
真鍋課長が言った。
「入れろ」
相沢が、入力補助を出した。
【候補一:過失なし】
【警告:根拠不足】
【候補二:訓練設計過失】
【警告:根拠不足】
【候補三:事故原因未確定】
【警告:既存評価との差分不足】
【候補四:当事者単独過失成立不可】
【推奨:照合結果一致】
久我は、何も言わない。
鷹宮も言わない。
御園さんは、画面を見ている。
真鍋課長は、胃薬の瓶を握っている。
俺は、候補四を選んだ。
【白浜臨時訓練場事故 再判定】
【現在評価:当事者単独過失】
↓
【再判定:当事者単独過失成立不可】
【事故原因:未確定】
【過失評価:再査定継続】
【教育訓練支援室:設計過程照合対象】
【監理官室承認:確認待ち】
画面の中で、当事者単独過失という言葉が外れた。
消えたのではない。
成立不可として、記録に残った。
この違いが必要だった。
なかったことにしない。
だが、通さない。
それが査定だった。
相沢が、確定前警告を表示する。
【警告:現在評価を変更します】
【変更前:当事者単独過失】
【変更後:当事者単独過失成立不可】
【関連部署通知:監理官室、教育訓練支援室、本庁事故管理部】
【実行しますか】
真鍋課長が、胃薬の瓶を机に置いた。
飲まなかった。
「通せ」
俺は、確定キーを押した。
【再判定:確定】
【監理官室承認:仮承認】
【事故査定課所見:採用】
御園さんが、小さく息を吐いた。
それは、安堵ではなかった。
悔しさでもなかった。
長く止めていた呼吸が、ようやく少しだけ戻ったような息だった。
鷹宮が、画面越しに言った。
『教育訓練支援室として、設計過程照合に応じます』
短い。
硬い。
だが、逃げではなかった。
久我が続けた。
『監理官室として、白浜事故の再査定を継続監督します』
「ありがとうございます」
『礼を言う段階ではありません』
「はい」
『まだ、事故原因は未確定です』
「承知しています」
『次に確定するのは、責任ではありません』
久我は、そこで少しだけ間を置いた。
『責任を確定するための、照合範囲です』
相沢が、その言葉を記録する。
【監理官室指示】
【責任確定:未実施】
【照合範囲確定:次回対象】
【対象:通信設計、退避経路設計、事前説明、行動評価変換、教育効果評価】
真鍋課長が、低く言った。
「まだ終わらないな」
「はい」
「でも、閉じ方は決まった」
「はい」
御園さんが、画面の再判定を見ていた。
【再判定:当事者単独過失成立不可】
「この一行で」
彼女は言った。
「少なくとも、あの人たちは無謀だっただけではなくなったんですね」
「はい」
「それだけでも」
御園さんは、言葉を止めた。
それだけでも、何なのか。
救いなのか。
遅すぎるのか。
足りないのか。
その全部かもしれない。
俺は答えなかった。
答えることではない。
記録することだった。
相沢が、次回照合対象を表示する。
【次回照合対象】
【第一部最終整理】
【白浜臨時訓練場事故 再査定まとめ】
【事故原因:訓練設計起因疑い】
【教育訓練支援室:設計過程照合対象】
【支払済み処理:成立確認継続】
【本庁報告書:作成】
真鍋課長が、胃薬の瓶を引き寄せた。
一粒出す。
見た。
戻した。
「今日は飲まないんですか」
御園さんが尋ねた。
「今日は、飲むと軽くなる」
課長は、画面を見た。
「軽くしていい一行じゃない」
誰も笑わなかった。
相沢も何も言わなかった。
画面の中では、再判定結果が静かに保存されていく。
【保存完了】
【白浜臨時訓練場事故】
【再判定:当事者単独過失成立不可】
当事者単独過失。
白浜事故を閉じていた最後の留め具は、外れた。
次にするのは、完全勝利の宣言ではない。
誰かを断罪することでもない。
この事故が、何によって起きた可能性があるのか。
どこまでが設計で、どこからが判断で、どこからが事故だったのか。
それを、第一部の最後の報告書に残す。
白浜事故は、参加者の無謀で閉じられる案件ではなくなった。
それだけで、今は十分だった。
あとは、この歪んだ記録を、本庁へ提出できる形に整えるだけだ。
最後の照合が、始まる。




