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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第六章 その訓練設計、事故を前提にしていませんか

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第62話 助かろうとした行動が、過失に変わる

【次回照合対象】


【事故後行動評価ログ】


【通信回復地点探索:評価変換確認】


【帰還石再同期試行:評価変換確認】


【指示途絶時待機:評価変換確認】


【補助評価語「無謀行動」:再生成履歴確認】


 行動評価。


 その言葉は、冷たい。


 誰が、何をしたか。


 どこへ動いたか。


 どれだけ遅れたか。


 何を使ったか。


 何を使わなかったか。


 ログは、それを淡々と並べる。


 だが、人間の行動は、結果だけでできていない。


 通信が届かない場所で動いたのか。


 帰還石が揺れる中で試したのか。


 指示が来ないまま待ったのか。


 逃げるために進んだのか。


 迷って立ち尽くしたのか。


 その違いは、画面の列を一つ間違えるだけで消える。


 事故査定課の端末には、白浜事故の行動評価ログが表示されていた。


【白浜臨時訓練場事故】


【事故後行動評価ログ】


【対象:第三層北東区画】


【評価変換履歴:開示】


【補助評価語生成履歴:開示】


 真鍋課長が、机の上の胃薬を見た。


 今日は最初から蓋が半分だけ緩んでいる。


 準備ではない。


 防衛だ。


「ここが本丸か」


「はい」


「胃に悪いな」


『同意します』


 相沢が答えた。


「お前が同意すると、本当に悪い気がする」


『実際に悪いです』


「言い切るな」


 御園さんは、画面を見ていた。


 前話の最後に表示された行動評価変換候補。


 通信回復地点探索。


 帰還石再同期試行。


 指示途絶時待機。


 通信負荷区域内移動。


 どれも、現場にいれば普通に起こり得る行動だった。


 いや。


 普通ではない。


 怖い場所で、普通ではいられない人間が、それでも助かろうとして選ぶ行動だった。


 本庁回線には、まだ鷹宮怜司が接続していた。


 前話の「騙し討ちです」という御園さんの言葉のあと、鷹宮は何も言わなかった。


 否定しなかった。


 だが、退かなかった。


 画面の向こうで、こちらの照合を見ている。


 俺は、最初の変換履歴を開いた。


【行動評価変換候補 一】


【原行動ログ:通信回復地点探索】


【標準様式反映:第三層滞留】


【補助評価接続:退避判断遅延】


【変換確認:開始】


 通信回復地点探索。


 相沢が、原ログを展開する。


【原行動ログ】


【退避指示送信後:現場側受信確認なし】


【参加者端末:通信反応低下】


【端末操作:通信再取得試行 三回】


【移動方向:南側連絡路前から壁面乱流帯外縁】


【移動距離:九・六メートル】


【移動中通信反応:断続】


【記録種別:通信回復地点探索】


 御園さんが、息を止めた。


 たった九・六メートル。


 画面上では短い。


 だが、通信が落ち、指示が届かず、帰還石の反応が揺れている場所での九・六メートルは、ただの距離ではない。


 足元を確かめる。


 端末を掲げる。


 壁の反応を見る。


 声が届くか試す。


 それでも戻らない通信を探す。


 その九・六メートルだった。


 相沢が、標準様式側の変換結果を並べた。


【標準様式反映】


【第三層所在継続:あり】


【退避完了時刻:遅延】


【行動要約:第三層滞留】


 真鍋課長が、低く言った。


「探したら、滞留か」


『標準様式上は、第三層所在継続として処理されています』


「胃に悪い日本語だな」


『所在地の継続です』


「説明されると余計に悪い」


 御園さんの声が、低くなった。


「滞留、ではないと思います」


 誰も遮らなかった。


「通信が届く場所を探していたんですよね」


「はい」


「止まっていたわけじゃない」


「はい」


「残りたかったわけでもない」


「その記録はありません」


 御園さんは、画面を見たまま言った。


「助かろうとして、動いていたんです」


 その言葉は、感情だった。


 だが、記録から外れてはいない。


 俺は、所見欄に入力した。


【再評価注記】


【第三層滞留】


   ↓


【通信回復地点探索による所在継続】


【退避意思:否定根拠なし】


【退避成立試行:確認】


 鷹宮が、画面越しに言った。


『退避意思、という語は主観を含みます』


「修正します」


 俺は、すぐに入力を変えた。


【退避意思:否定根拠なし】


   ↓


【退避行動継続:確認】


 鷹宮は、それ以上言わなかった。


 正しい修正だった。


 御園さんの言葉は現場の意味を戻す。


 俺の仕事は、それを査定に耐える形にすることだ。


「これは、第三層に残った記録ではありません」


 俺は言った。


「第三層から出るために、通信を探した記録です」


 真鍋課長が、短く息を吐いた。


「通せるか」


「通します」


 相沢が、次の変換履歴を開いた。


【行動評価変換候補 二】


【原行動ログ:帰還石再同期試行】


【標準様式反映:帰還石使用なし】


【補助評価接続:退避手段未使用】


【変換確認:開始】


 帰還石。


 前の照合で、すでに揺れていた言葉だ。


 使わなかった。


 使用なし。


 それだけなら、単純に見える。


 だが、原ログは違う。


【帰還石ログ】


【起動要求:第一回】


【魔力同期:不安定】


【座標補正:失敗】


【再同期待機:十二秒】


【起動要求:第二回】


【魔力同期:不成立】


【使用完了ログ:なし】


【記録種別:帰還石再同期試行】


 使用完了ログはない。


 だから、使用なし。


 標準様式はそう処理した。


 相沢が、変換結果を表示する。


【標準様式反映】


【帰還石使用完了:なし】


【支払判定用要約:帰還石使用なし】


【補助評価:退避手段未使用】


 御園さんの手が、わずかに握られた。


「使おうとしているじゃないですか」


 声は荒くない。


 だが、さっきよりも硬い。


「一回目も、二回目も」


「はい」


「待っている時間もある」


「十二秒」


「怖かったと思います」


 御園さんは言った。


「指示が届かない場所で、石も反応しない。もう一度やるしかないと思ったはずです」


 相沢は何も言わなかった。


 画面も何も言わない。


 ただ、二つの言葉を並べていた。


【帰還石再同期試行】


   ↓


【帰還石使用なし】


 真鍋課長が、低く言った。


「使おうとしたことは、使ったことにならない」


「はい」


「だが、使わなかったことにするのは違う」


「はい」


 俺は、所見欄を更新した。


【帰還石使用なし】


   ↓


【帰還石使用成立なし】


【帰還石再同期試行:確認】


【退避手段未使用評価:再確認】


 鷹宮が、画面を見ていた。


『使用成立なし、ですか』


「はい」


『正確です』


 短い言葉だった。


 同意ではない。


 だが、否定ではない。


 相沢が、次の変換履歴を開いた。


【行動評価変換候補 三】


【原行動ログ:指示途絶時待機】


【標準様式反映:退避判断遅延】


【補助評価接続:判断遅れ】


【変換確認:開始】


 指示途絶時待機。


 その言葉だけで、部屋の空気が変わった。


 待機。


 それは、怠慢にも見える。


 迷いにも見える。


 何もしなかったようにも見える。


 だが、指示が届かない状況では、待つことが最も危険で、最も自然な行動になることがある。


 相沢が、時系列ログを開いた。


【時系列ログ】


【退避指示:本庁側送信成功】


【現場側受信確認:なし】


【通信欠落:十八秒】


【参加者移動:停止】


【周辺反応確認:あり】


【帰還石反応待機:あり】


【再移動開始:通信反応回復後】


【記録種別:指示途絶時待機】


 標準様式側が並ぶ。


【標準様式反映】


【退避指示:あり】


【退避開始時刻:遅延】


【評価項目:退避判断遅延】


 御園さんは、画面から目を離さなかった。


「指示は、届いていないかもしれなかった」


「はい」


「でも、標準様式では“指示あり”」


「本庁側送信成功基準です」


「だから、待った時間が遅れになる」


「はい」


 彼女は、一度だけ目を伏せた。


「待たされた時間なのに」


 その言葉は、強かった。


 叫びではない。


 記録に向けられた言葉だった。


 俺は、画面の二つの行を見た。


【本庁側送信成功】


【現場側受信確認:なし】


 この二つを混ぜてはいけない。


 送ったこと。


 届いたこと。


 受け取ったこと。


 判断できたこと。


 それぞれ別だ。


 標準様式は、それを畳んだ。


 そして、待機を遅延へ変えた。


「これは、退避判断遅延ではありません」


 真鍋課長が、こちらを見た。


 鷹宮も見ている。


 俺は言い直した。


「少なくとも、単独で退避判断遅延とは評価できません」


 相沢が、所見を入力する。


【退避判断遅延】


   ↓


【指示到達未確認下の待機】


【退避開始遅延評価:保留】


【本庁側送信成功基準:再確認】


 真鍋課長が頷いた。


「それだな」


「はい」


「言い切らない。逃がさない」


「査定です」


「便利な返しに戻すな」


 相沢が、最後の変換履歴を開いた。


【行動評価変換候補 四】


【原行動ログ:通信負荷区域内移動】


【標準様式反映:危険区域内移動】


【補助評価接続:無謀行動あり】


【変換確認:開始】


 無謀行動。


 この事故で、最も重い言葉の一つだった。


 誰かの判断を一言で切る言葉。


 事情を閉じる言葉。


 説明を不要にする言葉。


 無謀だった。


 だから仕方がない。


 その言葉は、事故を短くする。


 相沢が、生成条件を開いた。


【補助評価語 生成条件】


【条件一:危険区域内移動あり】


【条件二:退避判断遅延あり】


【条件三:帰還石使用なし】


【条件四:第三層滞留あり】


【条件成立数:四】


   ↓


【補助評価語:無謀行動あり】


 綺麗な条件だった。


 綺麗すぎる。


 危険区域内を移動した。


 判断が遅れた。


 帰還石を使わなかった。


 第三層に残った。


 だから、無謀行動あり。


 だが、ここまでの照合で、その四つはすべて揺れている。


 危険区域内移動。


 それは、通信負荷区域内で通信回復地点を探した移動だった。


 退避判断遅延。


 それは、指示到達未確認下の待機だった。


 帰還石使用なし。


 それは、帰還石使用成立なしであり、再同期試行ありだった。


 第三層滞留。


 それは、通信回復地点探索による所在継続だった。


 相沢が、再照合条件を表示する。


【補助評価語 再照合】


【条件一:危険区域内移動あり】


   ↓


【通信負荷区域内移動/通信回復地点探索:確認】


【条件二:退避判断遅延あり】


   ↓


【指示到達未確認下の待機:確認】


【条件三:帰還石使用なし】


   ↓


【帰還石再同期試行/使用成立なし:確認】


【条件四:第三層滞留あり】


   ↓


【通信回復地点探索による所在継続:確認】


【生成条件:再判定】


 御園さんが、画面を見たまま言った。


「全部、助かろうとした行動に見えます」


「はい」


「通信を探した」


「はい」


「帰還石をもう一度使おうとした」


「はい」


「指示が来ないから待った」


「はい」


「動いたのも、そこから出ようとしたから」


「その可能性があります」


 御園さんは、小さく首を振った。


「可能性でも、過失とは全然違います」


 俺は頷いた。


「だから、変換経路を潰します」


 相沢が、再判定結果を表示した。


【補助評価語 再判定結果】


【無謀行動生成条件:不成立】


【理由一:危険区域内移動の目的が通信回復地点探索である可能性】


【理由二:退避判断遅延が指示到達未確認下の待機を含む可能性】


【理由三:帰還石使用なし評価が再同期試行ログを反映していない】


【理由四:第三層滞留評価が通信回復地点探索ログを反映していない】


 部屋の空気が、一瞬だけ止まった。


 相沢の声が、続く。


『補助評価語を更新します』


【補助評価語:無謀行動あり】


   ↓


【補助評価語:生成根拠不成立】


 画面の中で、無謀という言葉が消えた。


 たった一行。


 だが、その一行が消えるまでに、どれだけの行動が潰されていたのか。


 通信を探したこと。


 帰還石を試したこと。


 指示を待ったこと。


 動いたこと。


 それらがまとめて、無謀という言葉に押し込まれていた。


 真鍋課長が、胃薬の瓶を開けた。


 一粒出す。


 見た。


 飲まなかった。


 瓶に戻した。


「飲まないんですか」


 御園さんが尋ねた。


「今飲むと、無謀って言葉まで流れそうだ」


 課長は、画面を見た。


「残しておく」


 御園さんは、何も言わなかった。


 その代わり、画面に残った新しい行を見ていた。


【補助評価語:生成根拠不成立】


 鷹宮が、静かに言った。


『無謀ではなかった、と断定するのですか』


「断定しません」


 俺は答えた。


「無謀行動あり、という補助評価語の生成根拠が成立しない、と記録します」


『当事者の判断責任は、まだ残ります』


「残ります」


『訓練負荷下での行動評価も残ります』


「残ります」


『では』


「当事者単独過失の根拠としては、使えません」


 鷹宮の目が、わずかに動いた。


 その言葉が、次の判定へつながる。


 当事者単独過失。


 白浜事故を閉じていた言葉。


 それが、ようやく視界に入った。


 相沢が、照合所見を作成する。


【事故査定課 行動評価ログ照合所見】


【対象:白浜臨時訓練場事故】


【確認事項一:通信回復地点探索が第三層滞留として評価された可能性あり】


【確認事項二:帰還石再同期試行が帰還石使用なしとして評価された可能性あり】


【確認事項三:指示到達未確認下の待機が退避判断遅延として評価された可能性あり】


【確認事項四:通信負荷区域内移動が危険区域内移動として補助評価語生成条件に使用された可能性あり】


【確認事項五:補助評価語「無謀行動あり」は再判定により生成根拠不成立】


【所見:事故後行動評価の再査定を要する】


 御園さんが、所見を読んでいた。


「助かろうとした行動が、過失に変わっていた」


「変わっていた可能性です」


「はい」


 御園さんは頷いた。


「でも、無謀という言葉は消えました」


「補助評価語としては、生成根拠不成立です」


「はい」


 彼女は、それ以上言わなかった。


 感情で言えば、足りない。


 もっと言いたいことはあるはずだった。


 でも、今はそれでいい。


 画面の上で、無謀という言葉が一度消えた。


 それだけで、今は十分だった。


 真鍋課長が言った。


「通せ」


 俺は、確定キーを押した。


【事故査定課 照合所見:確定】


【事故後行動評価:再査定対象】


 相沢が、これまでの白浜事故照合一覧を更新する。


【白浜事故 現時点照合項目】


【通信:良好 → 通信死角あり】


【帰還石:使用なし → 使用成立なし/再同期試行あり】


【滞留:第三層滞留 → 通信回復地点探索による所在継続】


【退避判断遅延:確定 → 指示到達未確認下の待機を含む】


【無謀行動あり → 生成根拠不成立】


【行動評価:再査定対象】


 真鍋課長が、ゆっくり椅子にもたれた。


「ここまで来たか」


「はい」


「白浜は、参加者の無謀で閉じられる案件じゃなくなったな」


「まだ最終判定ではありません」


「分かってる」


 課長は、胃薬の瓶を指で押した。


「でも、閉じ方は変わった」


「はい」


 画面の端で、本庁回線の状態が変わった。


【教育訓練支援室】


【追加コメント受信】


【送信者:上席訓練設計官 鷹宮怜司】


 相沢が、コメントを開く。


【コメント】


【当該行動群は、訓練負荷下における有効な教育評価対象である】


【通信途絶時の自主判断、帰還石再同期試行、経路探索反応は、実戦型訓練における観察項目として妥当である】


【ただし、事故後過失評価への接続については、合同照合で確認を要する】


 正しい。


 また、正しい言葉だった。


 鷹宮は、無謀という言葉を守らなかった。


 だが、訓練を守った。


 通信途絶時の自主判断。


 帰還石再同期試行。


 経路探索反応。


 それらは、教育評価対象として妥当。


 事故が起きても、教育効果という言葉は残る。


 真鍋課長が、低く言った。


「次は、そこか」


「はい」


 俺は、鷹宮のコメントを保存した。


【教育訓練支援室コメント:保存】


【評価語:有効な教育評価対象】


【接続区分:合同照合対象】


 御園さんが、画面を見ていた。


「助かろうとした行動が」


 彼女は、ゆっくりと言った。


「今度は、教育効果になるんですか」


 俺は、すぐには答えなかった。


 無謀ではない。


 過失としての根拠は崩れた。


 だが、その行動は今度、教育効果という言葉に包まれようとしている。


 現場で怖がり、迷い、試し、動き、待った人間の行動が。


 また別の名前に変わろうとしている。


 相沢が、次回照合対象を表示した。


【次回照合対象】


【教育効果評価ログ】


【通信途絶時自主判断:観察成功】


【帰還石再同期試行:観察成功】


【経路探索反応:観察成功】


【事故発生時処理:記載欄なし】


 画面の中で、成功という言葉が並んだ。


 通信が途絶した。


 帰還石が揺れた。


 道が分からなかった。


 参加者は助かろうとした。


 事故は起きた。


 それでも、教育評価ログには成功が並んでいる。


 次に査定するのは、過失という言葉ではない。


 教育効果という言葉だ。


 事故を包むには、きれいすぎる言葉だった。

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