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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第四章 その標準処理、査定対象です

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第49話 その標準処理は、査定対象です

【KG系テンプレート】


【状態:標準処理】


【設計審査対象化:判定準備中】


 画面の中で、状態欄が点滅していた。


 標準処理。


 その四文字は、強い。


 現場担当者は従う。

 本庁は成果にする。

 遺族や保護者は、支払済みという表示を見る。

 異議がなければ、案件は閉じる。


 標準であることは、ただの分類ではない。


 疑う順番を後ろへ回す力がある。


 相沢が、状態変更履歴を開いた。


【KG系テンプレート 状態変更履歴】


【初期状態:試験運用】


【本庁承認:標準処理化】


【適用範囲:教育訓練関連事故】


【成果指標:異議申立率低下/処理時間短縮/支払済み移行率上昇】


【現状態:標準処理】


 綺麗な履歴だった。


 導入され、成果が出て、標準になった。


 資料の上では、そう見える。


 だが、第四十三話からここまでで、別の履歴ができていた。


 俺は、事故査定課側の注記一覧を表示した。


【事故査定課 累積注記】


【一、迅速支払処理と説明・同意成立は同一ではない】


【二、迅速支払処理が、再説明要求および異議表明を抑制した可能性あり】


【三、異議申立率は、利用者満足度を直接示さない】


【四、導線到達率および画面操作条件の再確認を要する】


【五、現場差異未反映により、過失評価保留】


【六、標準様式は構造確認対象】


【七、担当者入力判断は個人判断に限定せず】


【八、再確認フォームは旧仕様成立確認用査定資料として扱う】


【九、改善採用は過去案件の成立を補完しない】


 九つ。


 どれも派手ではない。


 だが、標準処理という文字の下に置くには、重すぎる注記だった。


 真鍋課長が、画面を見たまま言った。


「ここまで付いたら、もう普通の標準処理ではないな」


「はい」


「だが、外すと現場が止まる」


「止まります」


「胃に悪いな」


「査定です」


「今日は先に言うな」


 真鍋課長は、胃薬の瓶を開けなかった。


 代わりに、状態欄を見た。


「で、どう落とす」


 相沢が、候補表示を出した。


【状態変更案】


【案一:標準処理継続】


【案二:標準処理継続/改善中】


【案三:暫定運用】


【案四:設計審査対象】


【案五:運用停止】


 御園さんが、画面を見た。


「運用停止にはしないんですね」


「できません」


 俺は答えた。


「次の事故処理があります。完全に止めれば、必要な支払も止まります」


「でも、標準処理のままにもできない」


「はい」


 相沢が、案二を開いた。


【案二:標準処理継続/改善中】


【利点:現場処理への影響が小さい】


【欠点:旧仕様の成立未確認状態を維持】


【リスク:改善による責任補完と誤認される可能性】


 真鍋課長が、短く言った。


「久我が好きそうだな」


『はい』


 相沢が即答した。


『いちばん吸収しやすいです』


 画面上部に、本庁回線の接続表示が出た。


【教育訓練支援室 監理官室】


【上席監理官 久我:接続中】


 久我は、すでに資料を読んでいた。


 姿勢は変わらない。


 表情も変わらない。


 だが、こちらが状態変更案を開いていることは分かっているはずだった。


『確認しました』


 久我は、静かに言った。


『KG系テンプレートの扱いについて、事故査定課としての見解を整理する段階ですね』


「はい」


『私からは、案二を提案します』


 真鍋課長が、わずかに口角を下げた。


「標準処理継続/改善中、か」


『はい。完全な標準処理として無修正で運用するのではなく、改善中であることを明示する。現場処理への影響を最小限に抑えつつ、今後の仕様改善と旧仕様照合を並行できます』


 久我の声は、また正しかった。


 運用停止は現場に重い。


 標準処理のままなら、事故査定課の注記が死ぬ。


 ならば、標準処理継続/改善中。


 それは、いかにも現実的な落としどころだった。


 御園さんが、俺を見た。


 相沢は何も言わない。


 真鍋課長は、胃薬の瓶の蓋を親指で押したまま止めている。


 俺は、案二の欠点欄を拡大した。


【欠点:旧仕様の成立未確認状態を維持】


「この状態では、標準処理という地位が残ります」


『改善中であることを明記します』


「改善中の標準処理になります」


『現場の処理継続には必要です』


「必要性は否定しません」


 俺は、累積注記一覧を表示した。


【説明成立:未確認】


【同意成立:未確認】


【異議申立機会:導線到達率低】


【現場差異反映:未確認】


【担当者判断誘導:確認中】


【旧仕様成立:未確認】


「ただし、成立条件がこれだけ未確認のまま、標準処理として残すことはできません」


 久我は、すぐには返さなかった。


 沈黙は短い。


 だが、画面の向こうで、久我の万年筆が一度だけ書類の上で止まった。


『では、案四ですか』


「はい」


 相沢が、案四を開いた。


【案四:設計審査対象】


【利点:旧仕様の成立確認と改善仕様の採用判断を分離】


【利点:既存支払済み案件の差分照合を可能にする】


【利点:標準処理としての無条件適用を停止】


【欠点:現場処理に代替手順が必要】


【欠点:処理遅延リスクあり】


 久我が、案四を読んだ。


『設計審査対象に落とす場合、現場は何を使いますか』


「暫定手順を出します」


『事故査定課が作るのですか』


「本庁と共同で作ります」


『事故査定課が設計に入る、という意味ですか』


「旧仕様の成立確認に必要な範囲で」


 久我は、そこでわずかに目を細めた。


 怒りではない。


 境界線を測る目だった。


『標準処理の再設計に、事故査定課が関与する』


「事故査定課は、成立していない可能性のある処理を標準として扱えません」


『現場負荷が上がります』


「上がります」


『当事者への支払が遅れる可能性もあります』


「あります」


『それでも、設計審査対象に落とすべきだと』


「はい」


 久我は、静かに言った。


『理由を、一文でお願いします』


 会議室の空気が止まった。


 一文。


 言い逃れを封じるためではない。


 久我は、記録に残す文言を求めている。


 その一文が、今後の扱いを決める。


 俺は、画面上の状態欄を見た。


【状態:標準処理】


 標準処理だから問題ない。


 何度も見てきた言葉だ。


 標準だから従う。

 標準だから早い。

 標準だから成果になる。

 標準だから閉じる。


 だが、標準であることは、査定を免れる理由にならない。


 むしろ逆だ。


「標準処理だからこそ、査定します」


 相沢のキー入力が止まった。


 御園さんが、少しだけ目を伏せた。


 真鍋課長が、胃薬の瓶から手を離した。


 久我は、表情を変えなかった。


 ただ、万年筆の先が、署名欄の手前で止まった。


 完全に止まった。


 その一拍だけ、画面の向こうで何も動かなかった。


 やがて久我は、机の上に静かにペンを置いた。


 かすかな金属音だけが、通信回線を越えて響く。


『……なるほど』


 声は穏やかだった。


『では、この案件は一度ペンを置きましょう』


 久我は、こちらを見た。


『設計審査の場で続けます。黒木さん』


「はい」


『ただし、こちらからも一点、記録します』


「どうぞ」


 久我は、新しい欄を開いた。


【監理官室注記】


【KG系テンプレートの設計審査対象化は、事故査定課指摘に基づく暫定措置であり、標準処理の有効性全体を直ちに否定するものではない】


 強い一文だった。


 久我は、落とされる地位をただ受け入れない。


 標準処理の有効性全体は否定しない。


 暫定措置。


 事故査定課指摘に基づく。


 あとで戻す道を残している。


 真鍋課長が、低く言った。


「やっぱり胃に悪いな」


「はい」


「敵にしたくない」


「もうしています」


「分かってる」


 相沢が、状態変更欄を開いた。


【KG系テンプレート】


【状態:標準処理】


   ↓


【状態:設計審査対象】


【運用区分:暫定保留】


【暫定手順:共同作成】


【既存支払済み案件:追加確認対象抽出中】


 画面の表示が切り替わった。


 派手な音はない。


 誰も立ち上がらない。


 久我は崩れない。


 真鍋課長も笑わない。


 ただ、標準処理という文字が消えた。


 それだけだった。


 だが、それだけで十分だった。


 KG系テンプレートは、標準処理ではなくなった。


 設計審査対象になった。


 相沢が、次の抽出画面を開いた。


【追加確認対象:抽出中】


【条件一:異議申立導線未到達】


【条件二:無操作時処理=異議なし】


【条件三:現場差異反映欄なし】


【条件四:自由記述欄カーソル移動後、未入力】


【条件五:再確認フォーム改善項目と旧様式欠落項目が一致】


 抽出が始まる。


 白浜。

 朱ヶ丘。

 北杜。

 西苑。


 これまで見た名前が並び、その下に新しい候補が増えていく。


【一致候補:複数件】


【支払済み案件を含む】


【現場ログ照合:未了】


 御園さんが、そっと息を吐いた。


「終わったわけではないんですね」


「はい」


 俺は答えた。


「標準処理から、査定対象に戻っただけです」


 真鍋課長が椅子の背にもたれた。


「戻っただけで、これか」


「はい」


「仕事が増えたな」


「増えました」


「胃に悪い」


「査定です」


「最後までそれか」


 真鍋課長は、今度こそ胃薬を飲んだ。


 相沢が、追加抽出の下部を拡大する。


『黒木さん』


「何ですか」


『一件、現場ログ照合の優先度が高いものがあります』


「理由は」


『標準様式反映欄なし。帰還石反応不安定。階層環境圧急上昇。加えて、現場通信の欠落時間が長いです』


 画面に事故コードが表示された。


【追加確認対象候補】


【事故コード:白浜臨時訓練場事故/派生訓練ログ】


【分類:現場ログ照合優先】


【備考:標準様式反映欄なし】


 白浜。


 まだ終わっていない。


 同じ場所の、別のログ。


 標準様式からこぼれたものが、まだ下に残っている。


 久我も、その画面を見ていた。


『現場ログ照合ですか』


「はい」


『標準様式ではなく、原ログから見ることになりますね』


「そうです」


『処理は重くなります』


「分かっています」


『現場確認も必要になる可能性があります』


「分かっています」


 久我は、短く頷いた。


『では、次は現場ですね』


 その言葉は、確認だった。


 同時に、宣告でもあった。


 ここから先は、画面の中だけでは済まない。


 標準様式が拾えなかったものを、現場ログから拾い直す。


 必要なら、現場へ行く。


 相沢が、現場ログ照合画面を準備する。


【現場ログ照合】


【対象:白浜臨時訓練場事故/派生訓練ログ】


【原ログ取得:申請中】


【階層環境データ:未解析】


【帰還石反応履歴:未解析】


【現場通信欠落区間:未解析】


【治癒師到着前バイタル:未解析】


 未解析。


 未解析。


 未解析。


 画面の上に、まだ査定されていないものが並ぶ。


 俺は、KG系テンプレートの状態欄をもう一度見た。


【状態:設計審査対象】


 標準処理の顔をした未査定案件。


 それは、ようやく査定対象に戻った。


 だが、久我式は終わっていない。


 久我もまた、終わらせる気はない。


 未来の仕様。


 過去の責任。


 現場の原ログ。


 三つの戦場が、同じ画面の上に並んでいる。


 俺は、現場ログ照合の申請欄にカーソルを合わせた。


 次に見るべきは、本庁の綺麗な資料ではない。


 安全を謳う標準様式の欄でもない。


 牙を剥いたダンジョンそのものが、現場に残した冷酷な記録だ。

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