第4話 死体がない死亡届は、だいたい揉めます
死亡保険金の請求で、一番揉めるものは何か。
金額が大きい案件。
遺族同士で受取人が争っている案件。
事故原因が曖昧な案件。
いろいろある。
だが、俺が一番胃薬の量を増やしたくなるのは、これだ。
死体がない死亡届。
死んだと申告されている。
だが、遺体がない。
目撃者はいる。
だが、全員が同じ方向を向きすぎている。
涙はある。
だが、証拠は薄い。
そういう案件は、だいたい揉める。
そして今回、俺の机に置かれた申請書には、見事にその条件が並んでいた。
【死亡保険金請求】
【探索者パーティ:銀狼の牙】
【死亡申告者:瀬戸悠真】
【申告内容:新宿第九ダンジョン内で捕食型モンスターにより死亡】
【遺体:未回収】
【保険金請求額:五千万円】
【受取人変更履歴:事故三日前に変更あり】
俺は申請書を見て、胃薬の瓶を引き寄せた。
「黒木さん」
隣の席から、御園ミミが不安そうにこちらを見る。
昨日、勇者レオンのパーティを抜けたばかりの元回復役。
正式な職員ではない。
現在は、事故査定課の臨時補助員という扱いだ。
主な仕事は、事故被害者への聞き取り補助、回復職の観点からの現場確認、そして俺の言い方がひどすぎる時の通訳。
最後の項目については、本人が勝手に担当している。
「これ、死亡案件なんですよね」
「はい」
「でも、遺体がないんですか」
「ありません」
「それでも死亡保険金って請求できるんですか?」
「できます。ダンジョン内では、遺体が回収できない事故もありますから」
ミミは小さく頷いた。
ダンジョン内での死亡は、現実の地上の事故とは違う。
捕食型モンスター。
腐食性の魔霧。
転移罠。
深層への落下。
遺体が残らない事故は、珍しくはない。
だからこそ、遺体がないからといって、それだけで疑うわけにはいかない。
だが。
「問題は、受取人変更です」
「事故三日前……ですよね」
「はい」
俺は申請書の該当欄を指差した。
もともとの受取人は、瀬戸悠真の母親。
それが、事故三日前に変更されている。
新しい受取人は、探索者パーティ「銀狼の牙」の代表者、水上怜司。
理由欄にはこうある。
『パーティ運営資金および今後の活動継続のため』
ミミが眉を寄せた。
「本人が、それを望んだんでしょうか」
「そこを確認します」
俺は資料を閉じた。
「死体がない死亡届は、だいたい揉めます」
「黒木さん、それ、言い方が……」
「ひどいですか」
「いえ。今回は、怖いです」
「俺も胃が痛いです」
「それは怖いに入るんでしたね」
「実務上は、かなり近いです」
俺は胃薬を飲み、立ち上がった。
「現場へ行きます」
「私も行きます」
「無理はしないでください」
「はい。証拠品には触りません」
「覚えていて何よりです」
ミミは少しだけ笑った。
その笑顔が、昨日よりほんの少し軽い。
だが、今回の現場を見れば、また重くなるだろう。
死亡案件は、いつだって軽くない。
新宿第九ダンジョン。
通称「湿骨洞」。
地下型の低温ダンジョンで、壁面には湿った白い鉱石が骨のように突き出している。
足元はぬかるみ、空気は湿って重い。
今回の申告現場は、地下三階の小部屋だった。
部屋の入口には、銀狼の牙のメンバー三人が待っていた。
リーダー、水上怜司。
剣士風の男で、整えた髪と高そうな革鎧を身につけている。
表情は沈痛。
ただし、悲しみにしては、目元が乾きすぎていた。
魔術師の北原。
痩せた男で、こちらをちらちらと見ている。
荷物持ち兼斥候の乾。
こちらは落ち着きがなく、何度も指を組み替えていた。
水上が俺に近づく。
「ダンジョン庁の方ですね。早く保険金の手続きを進めてください。悠真の死を、無駄にしたくないんです」
「黒木です。事故査定課です」
「分かっています。俺たちは全部話しました。瀬戸はモンスターに食われた。俺たちの目の前で」
「モンスターの種類は」
「骨喰い狼です」
水上は即答した。
「この辺りに出る、死体を残さないタイプです。俺たちも必死に戦った。でも、助けられなかった」
水上の声は沈んでいた。
言葉だけなら、仲間を失った探索者のそれだった。
だが、その目は乾いている。
涙がないことを責めるつもりはない。
人は、悲しい時に必ず泣くわけではない。
ただ、保険金請求額の話になるたびに、彼の呼吸がわずかに整うのが気になった。
……胃薬の追加を申請したくなった。
死亡案件でこの感覚が来る時は、だいたい良くない。
「俺たちは、何度もダンジョン庁の緊急依頼をこなしてきたパーティです」
水上は、低い声で言った。
「功績のある探索者を、最初から疑うような扱いはやめていただきたい」
功績。
便利な言葉だ。
過去に何かを成した人間ほど、現在の請求書まで信用で通そうとする。
俺は水上の顔を見た。
彼は沈痛な表情を作っている。
だが、俺が持つ資料の保険金請求額の欄に視線が落ちた瞬間、口角がほんのわずかに動いた。
五千万円。
人の死についた金額にしては、ずいぶん乾いた反応だった。
ミミが隣で息を呑む。
俺はうなずいた。
「現場を確認します」
小部屋の奥には、血痕があった。
破れたジャケット。
折れた短剣。
ひび割れた通信端末。
そして、床に残る赤黒い跡。
いかにも「ここで何かが食われました」と言わんばかりの現場だった。
水上が目を伏せる。
「悠真は、俺たちをかばって……」
北原が頷く。
「本当に、いいやつだったんです」
乾は何も言わない。
俺は床にしゃがんだ。
血痕を見る。
量が少ない。
捕食型モンスターに襲われた死亡事故としては、血の飛び方が不自然だ。
それに、破れたジャケット。
裂け目がまっすぐすぎる。
骨喰い狼の牙なら、もっと繊維が引きちぎられるはずだ。
俺は端末を取り出す。
《因果鑑定/ログ・リプレイ》
現場に残る魔力痕跡を拾う。
いつものように、青白い文字が浮かぶ。
【因果鑑定/ログ・リプレイ】
【対象事故:新宿第九ダンジョン死亡申告案件】
【申告内容:骨喰い狼による捕食死亡】
【遺体:未回収】
【現場魔力濃度:不安定】
【ログ復元率:四二%】
復元率が低い。
現場に、魔力の乱れがある。
自然な乱れではない。
何かを焚いたか、撒いたか。
ログを乱すための、簡易的な魔力攪乱剤に近い。
俺は床の隅に落ちている黒い粉を見た。
水上の視線が、わずかに動く。
「黒木さん?」
ミミが小声で呼んだ。
「はい」
「この血、少し変です」
俺はミミを見る。
「どう変ですか」
「生きている人から出たばかりの血って、微かに魔力が揺れるんです。怪我をした人を治療する時、血の流れと魔力の流れが一緒に乱れるので」
「続けてください」
「でも、これは……流れている感じが弱いです。古いというより、何かに保存されていたみたいな」
水上の表情が一瞬だけ固まった。
俺はそれを見逃さない。
「御園さん。つまり?」
「採血した血を、後から撒いた可能性があります」
北原が声を荒げた。
「ふざけるな! 俺たちが仲間の血を撒いたって言うのか!」
ミミがびくりとする。
俺は北原を見た。
「御園さんは可能性を述べただけです。怒鳴っても血液の性質は変わりません」
「……黒木さん」
ミミが小さく俺の袖を引いた。
「その言い方だと、相手の血圧が上がります」
「血圧は査定対象外です」
「でも、聞き取りが進まなくなります」
俺は少し黙った。
通訳など頼んだ覚えはない。
だが、相手の血圧を上げすぎないという意味では、彼女の存在は合理的かもしれない。
「……補足をお願いします」
「はい」
ミミは北原に向き直り、柔らかい声で言った。
「責めているわけではありません。ただ、血の状態が普通の事故とは少し違うので、確認したいんです」
北原は歯を食いしばったが、怒鳴り返しはしなかった。
なるほど。
通訳機能は、思ったより有効かもしれない。
俺は鑑定を続けた。
床に残る足跡。
骨喰い狼のものらしき爪痕。
だが、爪痕の深さが揃いすぎている。
生きたモンスターが暴れた跡ではない。
型を押しつけたような跡だ。
【痕跡解析】
【爪痕:不自然な反復性あり】
【血痕:流動パターン不一致】
【衣類損傷:切断方向に規則性あり】
【判定:偽装疑い】
モニターに表示された文字を見て、水上が一歩前に出る。
「待ってください。偽装って、俺たちが嘘をついているとでも?」
「現時点では、そう断定していません」
「なら、その表示を消してください。悠真の死を侮辱している」
「表示を消しても、痕跡は消えません」
水上の頬が引きつる。
俺は立ち上がった。
「事故当時の行動を確認します」
ログが揺れる。
映像は途切れ途切れだ。
瀬戸悠真らしき男が、小部屋に入る。
その後、水上たちが何かを話している。
映像が乱れる。
黒い煙。
魔力攪乱。
次の瞬間、床に血が広がっている。
その後、水上たちが叫ぶ。
『悠真!』
『くそ、骨喰い狼だ!』
『助けられなかった……!』
演技にしては上手い。
だが、肝心の骨喰い狼が映っていない。
【ログ欠損】
【欠損時刻:事故申告時刻の前後三分】
【原因:外部魔力攪乱の疑い】
【捕食モンスター映像:未確認】
俺は水上を見る。
「骨喰い狼は、どこから侵入しましたか」
「奥の通路です」
「足跡がありません」
「ダンジョンの床は湿ってる。跡なんて残らないこともある」
「血痕は残っています」
「……っ」
「逃走方向は」
「奥へ」
「奥の通路には、モンスターの魔力残滓がありません」
水上の声が低くなる。
「黒木さん。俺たちは仲間を亡くしているんです。そうやって疑われるのは、あまりにも――」
「亡くなっているなら、保険金は正しく支払われます」
俺は遮った。
「亡くなっていないなら、支払うべき相手が違います」
「……何が言いたいんですか」
「瀬戸悠真氏が本当に死亡したのか、確認します」
水上は口を閉じた。
乾が、その後ろで小さく震えていた。
俺は乾を見る。
「乾氏」
「は、はい」
「事故当時、あなたはどこにいましたか」
「入口の、近くです」
「瀬戸氏が襲われる瞬間を見ましたか」
「……見ました」
「骨喰い狼を見ましたか」
「見ました」
「色は」
「え?」
「骨喰い狼の体毛の色です」
「く、黒……だったと思います」
水上がわずかに舌打ちする。
俺は端末を見る。
新宿第九ダンジョンの骨喰い狼は、白灰色。
黒い個体は、深層変異種で地下七階以降にしか確認されていない。
「乾氏」
「はい」
「この階層に黒い骨喰い狼は出ません」
乾の顔から血の気が引いた。
水上が割って入る。
「暗かったんだ。見間違いはある」
「では、水上氏。あなたは何色に見えましたか」
「白っぽかった」
「北原氏は」
「……灰色」
「三人で色が違いますね」
「パニックだったんです!」
北原が叫ぶ。
ミミが肩を震わせた。
俺は静かに言う。
「パニックになることはあります。ですが、申告書では『三名全員が骨喰い狼を明確に視認』とあります」
俺は申告書を開いた。
「明確に視認したのか、パニックで見間違えたのか。どちらですか」
誰も答えなかった。
現場確認後。
俺たちはダンジョン庁新宿庁舎へ戻った。
ミミは黙っていた。
死体がない死亡案件。
血痕の違和感。
証言のズレ。
魔力攪乱。
おそらく、彼女にとっては初めての種類の案件だ。
「御園さん」
「はい」
「大丈夫ですか」
「……はい。大丈夫です。ただ、少し怖いです」
「何がですか」
「もし、あれが嘘なら……人が死んだことにして、お金をもらおうとしているんですよね」
「その可能性があります」
「でも、本当に死んでいたら……疑うのは、ひどいことですよね」
「はい」
ミミが驚いたように俺を見た。
「黒木さんも、そう思うんですか」
「思います」
俺は資料を机に置いた。
「だから、疑うのではなく、確認します」
「確認……」
「死んでいる人には、正しく死亡補償を。生きている人には、生きている人としての支援を。嘘をついている人には、支払い停止と処分を」
俺は端末を開く。
「支払うべき相手を間違えるな。それが査定の第一原則です」
ミミは静かに頷いた。
「はい」
その時、端末に通知が入った。
新宿第九ダンジョン、退場ゲート記録。
事故当日の深夜。
通常ゲートではなく、非常用搬出口が一度だけ開いていた。
利用者認証は、手動解除。
顔認証は魔力攪乱で不鮮明。
だが、装備タグが一つ残っていた。
【非常用搬出口ログ】
【時刻:事故申告から二十二分後】
【装備タグ:SETO-07】
【登録者:瀬戸悠真】
【状態:生体反応あり】
ミミが息を呑む。
「生きて……?」
「少なくとも、事故申告の二十二分後、瀬戸氏の装備タグは非常用搬出口を通っています」
「本人とは限らないんですか?」
「装備だけ持ち出した可能性もあります」
「でも、生体反応ありって」
「はい」
俺は別の記録を開く。
ダンジョン出口近くの自動販売端末。
事故当日深夜、誰かが治癒ドリンクと栄養ゼリーを購入している。
決済は匿名プリペイド。
だが、端末横の魔力認証補助ログに、微弱な個人波形が残っていた。
照合結果。
【魔力波形照合】
【一致率:八七%】
【候補者:瀬戸悠真】
ミミが小さくつぶやく。
「生きてる……」
「可能性が高いです」
俺は資料をまとめる。
「次は瀬戸氏本人を探します」
「どこにいるんでしょう」
「まず、保険金の受取人変更理由を調べます」
受取人変更。
事故三日前。
パーティ代表、水上怜司。
そして、瀬戸悠真には、消費者金融系の借入記録があった。
金額は、およそ八百万円。
死亡保険金請求額は、五千万円。
動機としては、十分だ。
「黒木さん」
「何ですか」
「もし瀬戸さんが生きていて、借金で追い詰められていたら……」
「はい」
「その人も、助けられるんでしょうか」
俺は少し黙った。
保険金詐欺は犯罪だ。
死亡偽装も、当然見逃せない。
だが、生きているなら、別の制度に繋げられる可能性はある。
死んだことにして五千万円を請求する前に、生活再建や債務整理の窓口へ行けたかもしれない。
もっとも、そこに行かせなかった人間がいるなら、話は変わる。
「助けるかどうかは、俺が決めることではありません」
俺は言った。
「ですが、生きている人間を、死んだことにはさせません」
ミミは頷いた。
その時、端末に新しい通知が入る。
差出人不明。
本文は一行。
『瀬戸悠真は死んだ。これ以上探すな』
添付ファイルが一つ。
開くと、瀬戸悠真の通信端末が映っていた。
画面には、血のような赤い液体。
そして、銀狼の牙のエンブレム。
脅し。
もしくは、誘導。
俺が画像を拡大しようとした時、ミミが小さく声を上げた。
「待ってください」
「何ですか」
「この端末に巻いてある布……結び方が変です」
画像の隅。
通信端末のストラップ部分に、細い包帯のような布が巻かれていた。
一見、ただの絡まった布に見える。
だが、ミミの顔色が変わっている。
「回復職の応急講習で習う、簡易止血の結び方です。でも、これ……止血じゃありません」
「どういう意味ですか」
「この結び方を二重にして、端を内側に折るのは、救助信号です」
ミミは画面を見つめた。
「声を出せない患者が、近くに敵がいる時に使うサインです」
俺は画像をもう一度見た。
赤い液体。
端末。
銀狼の牙のエンブレム。
そして、救助信号。
「瀬戸氏本人が、これを残した可能性があります」
ミミは小さく頷いた。
「生きています。少なくとも、このサインを結べる状態で」
俺はタブレットに新しい項目を追加した。
『死亡偽装疑い』
『保険金詐欺疑い』
『証拠隠滅または脅迫の可能性』
『瀬戸悠真氏、生存確認優先』
『救助信号:回復職式応急サイン』
ミミが俺を見る。
「黒木さん」
「はい」
「次は、どうしますか」
「探します」
「瀬戸さんを?」
「はい」
俺は胃薬の瓶を机の上に置いた。
死体がない死亡届。
血痕が薄い現場。
受取人変更。
生体反応ありの搬出口ログ。
探すなという脅し。
そして、画像に残された救助信号。
案件は、死亡保険金請求から、保険金詐欺と行方不明者捜索に変わりつつある。
「支払いは保留です」
「はい」
「ただし、瀬戸氏が生きているなら、保険金ではなく別の支援対象になります」
「……分かりました」
俺は立ち上がった。
死んだことにされた人間がいる。
死んだことにした人間がいる。
そして、死んだことにされた本人が、まだ助けを求めている可能性がある。
保険金の支払い可否だけでは終わらない。
これはもう、死亡保険金請求ではない。
生きている人間を、死んだことにさせないための案件だ。
「行きましょう」
「はい」
ミミの声は震えていた。
けれど、逃げる声ではなかった。
「どこへですか?」
俺は画面に表示された搬出口ログを見た。
「非常用搬出口の先です」
コメント欄の同情は、証拠能力を持たない。
契約書の文字も、逃げない。
そして、死体のない死亡届は。
やはり、だいたい揉める。
俺たちは、非常用搬出口の先へ向かった。
支払うべき相手を、間違えないために。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第4話は、死亡保険金請求の導入回でした。
死体がない死亡届、受取人変更、血痕の違和感、そして生存を示すログ。
さらに、画像に残された小さな救助サイン。
瀬戸悠真は本当に死んだのか。
それとも、誰かに「死んだこと」にされているのか。
次回は、瀬戸悠真の行方と、銀狼の牙の保険金請求の裏側に踏み込んでいきます。
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