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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第二章 その判断ミスは、誰に教え込まれたものですか

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第22話 その標準案、何件に使いましたか

一覧表は、静かだ。


 泣かない。


 叫ばない。


 言い訳もしない。


 ただ、横罫線の中に、名前と日付と割合だけを並べる。


 事故名。


 教育機関名。


 本人自認資料の有無。


 本人過失割合案。


 補償支払額。


 支払済。


 審査中。


 再照会不要。


 そういう言葉が、整った行と列の中に並んでいる。


 だが、一覧表の一行は、一人分の事故だ。


 一人分の痛みだ。


 一人分の「自分が悪かったのかもしれない」だ。


 俺、黒木司は、相沢圭吾から届いた適用対象案件一覧を開いた。


【教育訓練支援室 標準添付案適用対象一覧】

【抽出条件:未成年訓練事故/本人自認資料あり/本人過失割合案あり】

【抽出件数:十一件】

【うち支払済:四件】

【うち審査中:五件】

【うち差戻し:二件】


 十一件。


 昨日まで見えていた七件より多い。


 それだけで、真鍋課長は胃薬の瓶を開けた。


 もう最近は、開ける音で会話が成立しつつある。


「増えたな」


「はい」


「七件じゃなかったのか」


「抽出条件を広げた結果、過去案件が追加されました」


「胃に悪い言い方をするな」


「事実です」


「それが胃に悪いんだよ」


 課長は水を飲んだ。


 御園ミミは、一覧表を見ながら、唇を結んでいた。


 怒っている。


 だが、怒鳴らない。


 彼女は最近、怒りを処置の順番に変換するのがうまくなってきた。


 いい傾向だ。


 この仕事では、怒りだけでは人を救えない。


 だが、怒りがなければ見落とすものもある。


 俺は、椎名遥斗の行を一番上に固定した。


【案件番号:AGS二一七七】

【青嶺探索者育成学校】

【事故分類:恐怖反応による退避判断遅延】

【本人自認資料:有】

【本人過失割合案:四〇%】

【補償状況:審査中】

【備考:訓練継続意思あり】


 その下に、似た行が続く。


【北央探索者育成校】

【事故分類:指導内容理解不足】

【本人自認資料:有】

【本人過失割合案:三〇%】

【補償状況:支払済】


【朱ヶ丘民間訓練所】

【事故分類:恐怖反応による行動停止】

【本人自認資料:有】

【本人過失割合案:五〇%】

【補償状況:支払済】


【白南探索者予備校】

【事故分類:退避判断不十分】

【本人自認資料:有】

【本人過失割合案:四〇%】

【補償状況:審査中】


 名前は違う。


 学校も違う。


 事故日も違う。


 だが、言葉が似すぎている。


 恐怖反応。


 判断遅延。


 退避判断不十分。


 指導内容理解不足。


 本人自認資料あり。


 御園さんが低く言った。


「同じ傷口を、別の言葉で縫っているみたいです」


「どういう意味ですか」


「場所は違うのに、処置の跡が似ています」


 彼女は一覧表を指差した。


「この子たち、それぞれ別の事故のはずですよね」


「はい」


「でも、本人に戻す言葉が似ています」


「標準案が使われているからです」


「標準化って、便利ですね」


 御園さんの声は静かだった。


 だが、かなり怒っている。


「痛みの形まで、同じに見せられる」


 俺は返事をしなかった。


 正しいからだ。


 午前十時。


 本庁との追加照会。


 教育訓練支援室の榊原里央係長は、今日も画面の向こうで整っていた。


 無機質な壁。


 感情を削った声。


 文書をそのまま読んでいるような表情。


 ただ、昨日よりわずかに目の下に疲れがある。


 壁も、長時間叩けば熱を持つ。


「標準添付案の適用対象一覧について確認します」


 俺が言うと、榊原はすぐに答えた。


「適用ではなく、参照です」


「一覧名は、適用対象一覧です」


「内部抽出上の名称です。制度上の確定適用を意味するものではありません」


「では、参照対象一覧と呼びますか」


「名称変更は本質ではありません」


「同感です」


 榊原が、一瞬だけ止まる。


「本質は、本人自認資料が本人過失割合案に接続されていることです」


 俺は一覧表を表示した。


「十一件中、十一件で本人自認資料あり。九件で本人過失割合案三〇%以上。四件は支払済です」


「本人過失相殺は制度上認められています」


「はい」


「未成年であっても、訓練中の判断行動は補償判断に影響します」


「はい」


「では、何を問題にしているのですか」


「前提資料です」


 俺は椎名案件の所見を横に並べた。


【椎名遥斗案件】

【退避ゲート開放ログ:なし】

【魔法弾瞬間最大出力:六七・九%】

【適応負荷補正:承認未確認】

【反省文語彙:教官指導記録と高一致】

【本人過失割合案:四〇%】


「椎名案件では、本人過失割合案の前提資料に重大な疑義があります」


「それは個別案件です」


「はい」


「他案件に一般化するのは不適切です」


「一般化していません」


 俺は一覧表を指した。


「他案件に同じ処理が使われた可能性を確認しています」


「可能性だけで、支払済案件を掘り返すのですか」


「はい」


 榊原の表情が、わずかに硬くなった。


「支払済案件の再査定は、制度上かなり慎重な判断が必要です」


「承知しています」


「被害者側に再度負担をかける可能性もあります」


「承知しています」


「ならば」


「だから、本人に触れる前に資料を査定します」


 榊原は黙った。


「本人へ再接触する前に、標準添付案、反省文作成経緯、補償試算、支払決定資料を確認します」


 御園さんが、静かに付け加えた。


「傷口を開く前に、カルテを見ます」


 榊原は御園さんを見た。


 昨日の比喩を覚えているらしい。


 今度は、すぐに返した。


「本人保護の観点からも、それが妥当でしょう」


「はい」


 御園さんは頷いた。


「だから、資料を消さないでください」


 榊原は、返答まで一拍だけ置いた。


「資料保全には協力します」


 その一拍を、俺は見逃さなかった。


 相沢が、資料共有の権限を切り替えた。


 昨日より手つきが速い。


 迷いが減っている。


 画面に、適用対象一覧の詳細が出る。


「本人自認資料の作成経緯を確認します」


 相沢が言った。


「十一件のうち、七件に共通の様式が使われています」


「標準添付テンプレートKG系ですか」


「はい」


 相沢は、画面を切り替える。


【共通様式確認】

【標準添付テンプレートKG系:七件】

【本人反省文_任意添付例:三件】

【学校独自様式:一件】


「KG系が七件」


 真鍋課長が低く言った。


「多いな」


「はい」


「KGって何の略だ」


 相沢が一瞬だけ黙る。


 榊原が先に答えた。


「様式管理上の符号です。特定個人を意味するものではありません」


「聞いていません」


 俺は言った。


「何の略かを聞いています」


 榊原は表情を変えない。


「確認します」


 真鍋課長が、胃薬の瓶に手を伸ばした。


 この「確認します」は、胃に悪い。


 俺は端末に視線を落とした。


「『確認します』の文言は、回答期限の設定がない場合、実質的な回答保留として記録します」


 榊原の視線が、こちらへ戻る。


「期限はいつに設定しますか」


「……本日中に確認します」


「時刻を」


「本日十七時までに」


「承知しました」


 俺は記録した。


【KG系名称由来について、教育訓練支援室より本日十七時までに回答予定】


 確認します。


 便利な言葉だ。


 だが、期限がつけば、ただの逃げ道ではなくなる。


 相沢が、少し声を落として言った。


「様式管理表の旧注記に、記載が残っています」


「表示してください」


 榊原が言う。


「相沢さん、それは旧注記であり、現在の正式資料ではありません」


「旧注記も保全対象です」


 俺は言った。


「表示してください」


 相沢は頷く。


「はい」


 画面に、古い管理表が表示された。


【様式管理表 旧注記】

【KG系:久我式本人自認処理テンプレート】

【用途:教育事故における本人反省文の標準添付処理】

【備考:責任主語を学校側に限定しない記載を推奨】


 真鍋課長が、とうとう胃薬を飲んだ。


「久我式」


 御園さんが、小さく呟いた。


 俺は画面を見る。


 久我本人の名前ではない。


 だが、やり方の名前として残っている。


 責任主語を学校側に限定しない記載を推奨。


 実に嫌な文言だ。


「榊原係長」


「はい」


「責任主語を学校側に限定しない記載、とは」


「多角的な事故原因分析を促す表現です」


「本人側へ責任を戻す余地を残す表現ですね」


「そのような意図ではありません」


「旧注記は現行の運用を拘束しません」


 榊原の声は平坦だった。


「現行様式は更新されており、旧注記に記載された個別の作成意図がそのまま適用されるものではありません」


「運用を拘束しなくても、作成者の意図は遺伝します」


 榊原の表情が止まる。


 俺は旧注記を見た。


「責任主語を学校側に限定しないという機能が、現在の様式にも残っている」


 本人自認資料。


 本人反省文。


 任意添付例。


 名称は変わっている。


 だが、本人の言葉を使い、学校側の責任主語を薄くする機能は残っている。


「これは廃止された注記ではなく、生きた化石です」


 榊原は黙った。


 機能。


 この言葉は、今日もよく働く。


 相沢がさらに資料を出す。


「各案件の反省文と、指導記録の語彙一致率を簡易照合しました」


「相沢さん」


 榊原の声が低くなる。


「それは正式な分析ではありません」


「分かっています。資料管理上の暫定比較です」


「表示してください」


 俺は言った。


 相沢が頷く。


【語彙一致簡易照合】

【椎名遥斗案件:主要語彙一致率 八二%】

【北央案件:七六%】

【朱ヶ丘案件:八八%】

【白南案件:七一%】

【その他三件:六〇%超】


 御園さんが、息を呑んだ。


「別の子たちも」


「はい」


 相沢の声は硬い。


「反省文の主要語彙が、直前の指導記録と高く一致しています」


 榊原が言った。


「指導を受けた後に反省文を書くのですから、語彙が一致するのは自然です」


「はい」


 俺は頷いた。


「自然です」


 榊原の視線が止まる。


「だからこそ、本人の事故原因自認資料として扱うには不適切です」


 言葉を借りるのは自然だ。


 大人の言葉が子どもの反省文に混じること自体は、珍しくない。


 問題は、それを「本人が事故原因を認めた資料」として使うことだ。


「大人が差し出した言葉を、子どもが痛みと恐怖の中でなぞる。それ自体は起こり得ます」


 俺は続けた。


「問題は、それを本人の自白として使ったことです」


 榊原は、すぐには返さなかった。


 俺はさらに加える。


「骨折と過呼吸の直後に、十四歳の語彙として自然かどうか。そこは確認対象です」


 榊原は黙った。


 御園さんが、一覧表の一行を指差した。


「この朱ヶ丘の子、事故分類が『恐怖反応による行動停止』になっています」


「はい」


「年齢は」


「十四歳です」


「負傷内容は」


 相沢が資料を切り替える。


【朱ヶ丘民間訓練所案件】

【年齢:十四歳】

【負傷:左下腿骨折、魔力熱傷二度、過呼吸発作】

【事故後反省文:有】

【本人過失割合案:五〇%】

【補償状況:支払済】


 御園さんの表情が変わった。


「過呼吸発作」


「はい」


「その子にも、本人過失五〇%ですか」


「試算表上は」


 俺が答える。


 御園さんは、治療記録のない画面を見ていた。


 それでも、傷を見ている顔だった。


「過呼吸を起こした十四歳に、恐怖反応による行動停止って分類して、五割」


 彼女の声は低い。


「これ、治療の現場なら、患者の症状を責めているのと同じです」


「はい」


「その子、支払済なんですよね」


「はい」


「もう終わったことになっている」


「補償上は」


 御園さんは黙った。


 かなり長い沈黙だった。


「黒木さん」


「はい」


「既払いでも、間違っていたら直せるんですか」


「簡単ではありません」


「直せないんですか」


「直す理由があれば、動かせます」


「理由はあります」


 御園さんは、画面を見た。


「少なくとも、確認する理由はあります」


「はい」


 俺は頷いた。


 そして、榊原へ視線を戻した。


「過呼吸発作は、不可抗力の身体反応です」


 榊原は、表情を変えない。


「少なくとも、本人の判断遅延という過失要件を満たすかは再確認が必要です」


 俺は朱ヶ丘案件の欄を指した。


「したがって、前提事実の誤認による再査定事由に該当する可能性があります」


 御園さんの怒りが、書類の武器になる。


 倫理を論理へ変換する。


 それが、ここで必要な作業だった。


 榊原が割って入る。


「既払い案件の再査定は、本人と保護者の生活に影響します。不用意に掘り返すべきではありません」


「不用意には掘り返しません」


 俺は答えた。


「ただし、誤った前提で支払いが減額されていた可能性があるなら、放置もできません」


「本人が納得していた場合は」


「納得の前提資料を確認します」


「すべて資料ですか」


「はい」


 榊原が、初めて少しだけ疲れた顔をした。


 すべて資料。


 その通りだ。


 本人の納得も、何を説明され、何を見せられ、何を見せられなかったかで変わる。


 納得は、空中に浮かんでいない。


 資料の上に乗っている。


 真鍋課長が、低い声で言った。


「優先順位を決めるぞ」


 会議室の視線が課長へ向く。


「全部一気に開けるな。本人保護の観点からも、査定資源の観点からも破綻する」


「はい」


「まず椎名遥斗」


「はい」


「次に支払済かつ本人過失三〇%以上、未成年、反省文あり、指導記録との語彙一致率が高い案件」


「朱ヶ丘案件が該当します」


 俺が言う。


「それから北央」


「はい」


「御園、本人再接触が必要になった場合の保護手順を作れ」


「はい」


「黒木、資料再査定の文案を作れ。相沢には、一覧表と原資料の保全」


「すでに依頼します」


「榊原係長」


 課長は画面の向こうを見た。


「教育訓練支援室には、適用対象一覧の全件保全を求める」


「正式要請として受けます」


「それと」


 課長は、少しだけ間を置いた。


「本人自認資料を根拠にした新規の補償減額処理を一時停止してもらう」


 榊原の顔が、わずかに変わった。


「それは、かなり大きな判断です」


「分かっている」


「現場に混乱が生じます」


「混乱はすでに生じている」


 真鍋課長の声は重かった。


「ただ、今まで見えていなかっただけだ」


 榊原は黙った。


 この沈黙は、重い。


 無機質な壁ではなく、組織の重さを背負った沈黙だった。


 照会後。


 事故査定課の空気は、さらに重くなっていた。


 だが、散ってはいない。


 必要なのは、論理。


 必要なのは、倫理。


 必要なのは、技術。


 そして、責任だった。


 その四つが、ようやく同じ方向を向いている。


「黒木」


「はい」


「お前、今の顔はやめろ」


「どの顔ですか」


「全部開けるつもりの顔だ」


「優先順位に従います」


「顔が従ってない」


「承知しています」


「本当に腹立つな」


 課長は胃を押さえながら、資料に目を通した。


「だが、今回はお前だけじゃ無理だ」


「はい」


「御園がいないと本人保護で踏み外す。相沢がいないと本庁ログに届かん。俺が判を押さないと、ただの暴走になる」


「はい」


「分かってるなら、最初からその顔をしろ」


「努力します」


「努力じゃなく実施しろ」


「検討します」


「検討するな」


 少しだけ、空気が緩んだ。


 御園さんが、小さく笑った。


 相沢からも、短い返信が来た。


『保全入ります。今日は帰れなさそうです』


 俺は返信した。


【業務負荷としては不適切です。可能な範囲で】


 少し置いて、相沢から返る。


『黒木さんに言われると説得力がありません』


 その通りだ。


 夜。


 俺は、適用対象一覧を見直していた。


 十一件。


 その中に、椎名遥斗がいる。


 朱ヶ丘の十四歳がいる。


 北央の十五歳がいる。


 名前はまだ伏せられている。


 だが、行の向こうに人がいる。


 恐怖反応。


 判断遅延。


 反省文。


 本人自認資料。


 本人過失。


 補償圧縮。


 同じ道を、何人も歩かされていた可能性がある。


 俺は、椎名遥斗案件のファイルを開いた。


 まずは、ここだ。


 遥斗の四〇%を止める。


 そのうえで、同じ処理が使われた案件を一つずつ開く。


 順番は間違えない。


 救うべきは、遥斗一人ではない。


 だが、最初に救うべき一人を見失えば、制度の話だけが大きくなる。


 それでは意味がない。


 俺は端末に、次回の確認事項を入力した。


【次回確認事項】

【椎名遥斗案件:本人過失割合案正式停止】

【朱ヶ丘案件:支払済補償の再査定可否】

【北央案件:反省文作成経緯確認】

【本人再接触時の保護手順】

【標準添付テンプレートKG系の作成責任者】


 最後の項目で、指が止まった。


 作成責任者。


 いつまでも、様式やテンプレートだけを相手にしているわけにはいかない。


 誰かが作った。


 誰かが残した。


 誰かが使わせた。


 標準は、勝手に標準にはならない。


 俺は最後に、一文だけメモを残した。


【標準化された誤りは、個別の事故より広く人を傷つける】


 保存。


 画面を閉じる。


 まだ、本人の判断ミスとは認めない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第22話では、標準添付案の適用対象一覧へ踏み込みました。


遥斗の件だけではなく、他校・他機関でも、本人自認資料と本人過失割合案が組み合わされていた可能性が出てきました。


特に、反省文と指導記録の語彙一致。

本人過失割合三〇%以上。

支払済案件。


そして、標準添付テンプレートKG系。


「久我式本人自認処理テンプレート」という旧注記が示したのは、個別の事故ではなく、処理の思想が残っていた可能性です。


事故査定は、椎名遥斗一人を救うだけでは終わらなくなってきました。


ただし、黒木たちは順番を間違えません。


まず遥斗の四〇%を止める。

そのうえで、同じ処理が使われた案件を開いていく。


次回は、椎名遥斗案件の本人過失割合案を正式に止める手続きと、支払済案件の再査定へ進みます。


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