第21話 その反省文で、いくら減らすつもりでしたか
金額は、正直だ。
言葉は飾れる。
教育論は抽象的にできる。
本人の反省は、美しい物語に変えられる。
本人自認資料は、本人反省文に書き換えられる。
本人過失は、再発防止のための振り返りと説明できる。
だが、支払額は具体的だ。
一円でも減らそうとする意思があるなら、そこには必ず「支払わなくていい理由」が必要になる。
その理由を、無理やり少年の反省文から作り出した形跡。
それが、四〇%という数字だった。
嘘をつくなら、言葉を飾ればいい。
だが、金額を動かすなら、式が要る。
誰が、何を根拠に、どれだけ減らそうとしたのか。
その計算式は、嘘をつきにくい。
嘘をつくなら、式そのものを隠すしかない。
翌朝。
事故査定課の端末に、相沢圭吾から追加資料が届いていた。
【教育訓練支援室 照会結果】
【対象:本人自認資料_標準添付案】
【復元範囲:一部】
【関連資料:本人過失考慮試算表】
【適用対象案件:抽出中】
【備考:一部ファイルに権限制限あり】
本人過失考慮試算表。
朝に見るには、胃に悪い名前だ。
真鍋課長は、まだ資料名を見ただけで胃薬の瓶を開けた。
今日は早い。
「黒木」
「はい」
「この名前だけで嫌だな」
「はい」
「本人自認資料、標準添付案、本人過失考慮試算表」
「はい」
「ここまで並ぶと、教育の匂いがしない」
「同感です」
俺は資料を開いた。
表形式のデータだった。
【本人過失考慮試算表】
【案件番号】
【教育機関名】
【事故分類】
【本人自認資料有無】
【本人過失割合案】
【補償支払額試算】
【備考】
対象案件は、少なくとも七件。
そのうち三件は青嶺探索者育成学校。
ほかは、別の育成学校と民間訓練機関。
事故分類には、似た言葉が並んでいる。
【恐怖反応による判断遅延】
【退避判断不十分】
【指導内容理解不足】
【本人による訓練継続意思あり】
そして、別列。
【本人自認資料:有】
その横に、本人過失割合案。
三〇%。
四〇%。
五〇%。
数字は、実に静かに並んでいた。
静かすぎる。
だからこそ、腹が立つ。
御園ミミが、俺の隣で画面を見ていた。
彼女は何も言わなかった。
ただ、指先で治療記録の角を押さえている。
強く押さえすぎて、紙が少し曲がっていた。
「椎名遥斗案件は」
真鍋課長が聞いた。
「あります」
俺は該当行を表示した。
【案件番号:AGS二一七七】
【教育機関名:青嶺探索者育成学校】
【事故分類:恐怖反応による退避判断遅延】
【本人自認資料:有】
【本人過失割合案:四〇%】
【補償支払額試算:基準額より四〇%減額】
【備考:本人反省文あり。訓練継続意思あり。】
会議室に、沈黙が落ちた。
真鍋課長が胃薬を飲んだ。
今度は水なしだった。
「四〇%か」
「はい」
「退避ゲートが開いていなかった案件で」
「はい」
「魔法弾が瞬間最大六七・九%だった案件で」
「はい」
「反省文の語彙が教官の指導記録と一致していた案件で」
「はい」
課長は目を閉じた。
「その反省文で、四割削るつもりだったわけだ」
「少なくとも、試算表上は」
断定はしない。
だが、逃がしもしない。
御園さんが、小さく息を吸った。
「遥斗くんの『僕が悪い』が、四割になっているんですね」
その言い方は、正確だった。
事故後の痛み。
大人の言葉。
反省文。
本人自認資料。
本人過失割合案。
補償支払額試算。
一本の線になっている。
少年の自責が、金額へ変換されている。
「この標準案の中では、そう扱われています」
俺は言った。
「椎名さんの内省は、支払額を調整するための資料になっている」
御園さんは、少しだけ目を伏せた。
泣かない。
怒鳴らない。
ただ、次の処置を考える顔だった。
午前十時。
本庁との追加照会。
出席者は前回と同じ。
事故査定課から、俺、真鍋課長、御園さん。
本庁側から、教育訓練支援室の榊原里央係長。
資料管理担当として、相沢圭吾。
榊原係長の表情は、昨日と変わらない。
落ち着いている。
感情を動かさない。
徹底した無機質。
本庁の壁としては、正しい。
「本人過失考慮試算表について確認します」
俺が言うと、榊原はすぐに答えた。
「それは内部の参考資料です」
「補償支払額の減額試算が含まれています」
「参考値です」
「椎名遥斗案件では、本人過失割合案四〇%」
「案です」
「基準額より四〇%減額」
「試算です」
「反省文を根拠資料として記載しています」
「本人の事故認識を確認する資料として扱っています」
早い。
用意している。
案。
試算。
参考値。
資料。
どれも、確定責任を避けるための言葉だ。
「榊原係長」
「はい」
「この試算表は、支払判断に影響しますか」
「直接の決定資料ではありません」
「間接的には」
「参考資料です」
「参考資料は、判断者に提示されますか」
「必要に応じて」
「椎名案件では」
「確認中です」
「確認済みのログがあります」
俺は、相沢からの資料を表示した。
【参照履歴】
【本人過失考慮試算表】
【閲覧者:青嶺探索者育成学校 安全管理室アカウント】
【閲覧時刻:事故翌日 九時十五分】
【閲覧者:教育訓練支援室 補償連絡担当】
【閲覧時刻:事故翌日 九時三十二分】
【閲覧後処理:請求資料整理】
榊原の表情は変わらない。
「閲覧と判断は別です」
「はい」
「資料を見たからといって、それが支払判断に使われたとは限りません」
「では、使われていない証拠を提示してください」
榊原が、初めてわずかに間を置いた。
「通常、そのような否定証明は行いません」
「では、使われた可能性は残ります」
「可能性だけで、本庁の処理を問題視されるのは不適切です」
「可能性を消すために、判断履歴を確認しています」
榊原は口を閉じた。
ほんの一瞬だけ。
すぐに戻る。
「補償判断は、複数資料に基づき総合的に行われます」
「総合的」
「はい。本人自認資料だけで判断するものではありません」
「では、総合判断に含まれた全資料を提示してください」
「開示範囲に制限があります」
「保全してください」
「手続きが必要です」
「手続きしてください」
昨日と同じだ。
ただし、今日は少し違う。
数字が出ている。
四〇%。
その数字は、簡単には消えない。
榊原は、資料を整えて言った。
「そもそも、本人過失相殺は保険制度上、一般的な考え方です」
「はい」
「本人に一定の判断ミスがある場合、その程度を考慮することは不当ではありません」
「はい」
「本人が自ら判断遅れを認識している場合、それを参考情報として扱うことも、制度上ただちに問題とは言えません」
「はい」
「では、なぜ問題視されるのですか」
「前提が壊れているからです」
俺は、一つずつ資料を並べた。
【退避ゲート開放ログ:なし】
【魔法弾瞬間最大出力:六七・九%】
【適応負荷補正:恐怖反応遅延検知により発動】
【教官承認ログ:未確認】
【安全管理室確認:未入力】
【反省文語彙:教官指導記録と高一致】
【反省文作成時:疼痛反応あり】
「この状態で、本人の判断遅れを主たる前提にした本人過失割合案を作成しています」
榊原は、画面を見た。
「主たる前提とは限りません」
「試算表の事故分類が、恐怖反応による退避判断遅延です」
「分類上の便宜です」
「便宜で四〇%減額試算を置いています」
「試算です」
「試算でも、数字です」
榊原は沈黙しない。
沈黙しないまま、壁であり続ける。
「黒木査定官。制度上、試算は複数パターン作成されます」
「他パターンを提示してください」
「確認します」
「椎名案件で、学校側過失を主たる前提にした試算はありますか」
「確認します」
「退避ゲート未開放を考慮した試算は」
「確認します」
「魔法弾高出力を考慮した試算は」
「確認します」
「反省文の誘導可能性を考慮した試算は」
「確認します」
四回目の確認。
なければ、ないと言えばいい。
言えない。
つまり、あるか、ないと言えない理由がある。
御園さんが、静かに口を開いた。
「榊原さん」
「はい」
「治療でも、予後の試算を作ることがあります」
「はい」
「でも、前提が間違っていたら、処置が患者を壊します」
榊原は、表情を変えない。
御園さんは続けた。
「痛みの原因を本人の弱さだと決めて、傷口を見ないままリハビリ計画を作れば、患者はもっと壊れます」
「比喩としては理解します」
「比喩ではありません」
御園さんの声が、少しだけ低くなった。
「遥斗くんは、すでに壊れかけていました」
会議室が静まる。
「自分が悪いことにならないと、先生が教えてくれたことが嘘になると言っていました」
榊原は、何も言わない。
「その言葉を本人自認資料として扱い、補償額を減らす試算に使うなら」
御園さんは、資料を見た。
「傷口を縫う前に、患者の震える手で治療拒否のサインを書かせるようなものです」
榊原は、すぐには返さなかった。
一拍。
呼吸が遅れた。
資料を持つ指先が、ほんのわずかに震える。
「……それは、御園さんの個人的な所見に過ぎません」
声は平坦だった。
だが、返答までの間隔は、先ほどまでより長い。
無機質な壁の奥に、人間がいる。
その程度の亀裂で十分だった。
ミミの比喩は、いつも現場から来る。
だから強い。
真鍋課長が小さく頷いた。
俺は、御園さんの言葉をそのまま記録しない。
だが、意味は所見に反映する。
相沢が、画面の端で手を挙げた。
「資料管理上の補足です」
榊原の目が、少しだけ鋭くなった。
「相沢さん。発言は簡潔に」
「はい」
相沢は、少しだけ息を吸った。
「本人過失考慮試算表には、非表示列があります」
榊原の表情が、初めて明確に動いた。
「相沢さん」
「開示画面では非表示ですが、キャッシュ上には残っています」
「それは、正式な開示対象では」
「資料管理上の説明です」
相沢の声は硬い。
だが、逃げていない。
「非表示列の名称は、補償圧縮効果です」
榊原係長の声が、初めて少し低くなった。
「相沢さん。それはシステム仕様上、通常表示されない設定項目です」
「はい」
「照会範囲には含まれていません」
相沢の指が、一瞬だけ止まる。
「非表示のデータも、保全対象のログに含まれます」
俺は言った。
榊原係長が、こちらを見る。
「表示してください。相沢さん」
声は低くした。
感情を乗せる必要はない。
相沢は、小さく息を吸い、それでも頷いた。
「はい」
画面共有が切り替わる。
【本人過失考慮試算表 非表示列】
【補償圧縮効果】
【本人自認資料有:効果見込】
【過失割合案:四〇%】
【支払額圧縮見込:中】
【備考:本人の訓練継続意思あり。学校側説明と整合。】
空気が止まった。
真鍋課長が、胃薬の瓶を握ったまま固まる。
榊原が、低い声で言った。
「それは内部管理用の列です」
「名称は、補償圧縮効果」
俺は繰り返した。
「用語の妥当性については、見直しの余地があります」
「用語ではありません」
俺は画面を見た。
「機能です」
榊原は黙った。
「本人自認資料がある場合、補償圧縮効果を見込む。そういう表です」
「財務上の見通しを整理したものです」
「教育資料ではありませんね」
「教育資料とは別です」
「本人反省文を、財務上の見通しに接続していますね」
榊原は、すぐには答えなかった。
ようやく沈黙した。
無機質な壁に、初めて亀裂が入った。
「……以上、補償試算査定、暫定終了」
俺は端末に所見を表示した。
【補償試算査定 暫定所見】
一、椎名遥斗案件について、本人過失割合案四〇%の試算が存在する。
二、同試算は、事故分類を「恐怖反応による退避判断遅延」としている。
三、同試算には、本人自認資料の存在が記載されている。
四、復元された標準添付案には、本人過失相殺適用時、補償支払額三〇〜五〇%減額を想定する記述がある。
五、非表示列に「補償圧縮効果」の記載が確認された。
六、退避ゲート未開放、魔法弾高出力、適応負荷補正、反省文誘導可能性を考慮した別試算は現時点で提示されていない。
七、本人反省文が、教育資料ではなく、補償支払額調整資料として機能した可能性がある。
榊原は、七番を見ていた。
補償支払額調整資料。
そこに、こちらの暫定評価を置く。
まだ断定ではない。
だが、逃がしはしない。
「黒木査定官」
榊原の声は低かった。
「表現が強すぎます」
「機能評価です」
「本庁の標準処理を、悪意ある圧縮のように扱うのは」
「悪意は査定対象外です」
俺は、昨日と同じ言葉を返した。
「ただし、支払額を減らす効果が見込まれていたことは、資料上確認できます」
榊原は黙った。
真鍋課長が、画面のこちら側でゆっくり息を吐いた。
「榊原係長」
課長が言った。
「本件、事故査定課として正式に上申する」
「上申、ですか」
「未成年訓練事故における本人自認資料の標準添付運用。および補償圧縮効果の管理」
真鍋課長の声は、胃痛を含んでいた。
だが、逃げていない。
「これは、個別事故の補足資料の話では済まない」
榊原は表情を動かさない。
だが、もう無機質な壁ではない。
向こう側に人がいる。
そして、その人間は今、自分の所属する仕組みが見られていることを理解している。
照会後。
事故査定課の会議室は、しばらく誰も喋らなかった。
資料だけが机に並んでいる。
退避ゲート。
魔法弾。
反省文。
本人自認資料。
補償試算表。
全部、つながった。
御園さんが、ぽつりと言った。
「遥斗くん、四割分悪い子にされるところだったんですね」
その言い方は、正確ではない。
だが、痛いほど分かりやすかった。
「査定上は、そう扱われる可能性がありました」
「悪い子じゃないのに」
「はい」
「怖かっただけなのに」
「はい」
「逃げる先が開いていなかったのに」
「はい」
「背中を押されたのに」
「はい」
御園さんは、それ以上言わなかった。
真鍋課長が、ゆっくり判子を持った。
「黒木」
「はい」
「この四〇%という数字は、椎名遥斗の人生を削った対価だ」
真鍋課長は、判子を握ったまま言った。
「査定員がこれを黙認すれば、俺たちは事故ではなく、ただの集金の片棒を担ぐことになる」
「課長」
「椎名遥斗案件について、本人過失割合案四〇%の適用停止。根拠資料再査定。標準添付案の使用停止要請」
「文案を作成します」
「御園」
「はい」
「本人保護の意見書を付けろ。反省文を再度本人に読ませるな。聞き取りも慎重にやる」
「はい」
「相沢には、適用対象案件一覧を保全させろ」
「すでに依頼します」
「黒木。本庁から文句が来たら、俺の胃のせいにしておけ」
「理由書には『組織的過失による判断不可』と記載します。胃薬よりは受理されやすいはずです」
「お前、本当に腹立つな」
課長は判を押した。
いつもの軽い音ではなかった。
机の奥まで沈むような、重い音だった。
【補償減額前提停止申請】
【対象:椎名遥斗案件】
【本人過失割合案四〇%の適用停止】
【本人自認資料の事故原因資料扱い停止】
【標準添付案の使用停止要請】
【根拠資料再査定】
判の赤が、紙に沈む。
今回は、血ではなかった。
誰かの金を削るための赤でもなかった。
間違った計算式に、訂正線を引くための赤だった。
夜。
俺は、椎名遥斗案件の補償試算表を見直していた。
四〇%。
その数字は、画面の中で静かに光っている。
数字そのものに罪はない。
数字は、ただ置かれているだけだ。
問題は、何を根拠に置かれたかだ。
退避ゲートは開いていなかった。
魔法弾は低くなかった。
反省文は本人の言葉だけではなかった。
それでも、四〇%。
その計算式は、もう壊れている。
俺は所見に、一文を追加した。
【椎名遥斗案件における本人過失割合案は、前提資料の信頼性に重大な疑義があるため、現時点で採用不可】
送信。
すぐに真鍋課長の承認が返る。
『出せ』
短い。
十分だ。
相沢からも返信が来た。
『適用対象案件一覧、保全に入ります。青嶺以外にもあります』
やはり。
事故査定は、広がる。
標準添付案は、椎名遥斗だけに使われていたわけではない。
俺は端末に次の確認事項を入力した。
【次回確認事項】
【適用対象案件一覧】
【他校事例】
【本人自認資料による補償減額実績】
【既払い案件の再査定可否】
御園さんが、隣で資料を閉じた。
「黒木さん」
「はい」
「これ、遥斗くんだけを救って終わりにはできませんね」
「はい」
「でも、まず遥斗くんですよね」
「はい」
順番は間違えない。
制度を暴くことと、目の前の一人を救うこと。
どちらも必要だ。
だが、支払うべき相手を間違えてはいけない。
今回、最初に守るべき相手は、椎名遥斗だ。
俺は、最後のメモを残した。
【本人過失四〇%案、停止】
【補償減額前提、再査定】
【椎名遥斗の反省文は、支払額調整資料として扱わない】
そして、端末を閉じた。
まだ、本人の判断ミスとは認めない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第21話では、「本人自認資料」が実際に何へ使われていたのかを査定しました。
出てきたのは、本人過失考慮試算表。
遥斗の案件では、本人過失割合案四〇%。
さらに、標準添付案には補償支払額三〇〜五〇%減額を想定する記述がありました。
反省文は、教育資料ではなく、支払額を調整するための資料として扱われていた可能性があります。
退避ゲートは開いていなかった。
魔法弾は低くなかった。
反省文は本人の言葉だけではなかった。
それでも、本人過失四〇%。
黒木たちは、その前提を止めに入ります。
次回は、適用対象案件一覧へ。
この標準添付案は、遥斗だけに使われたものなのか。
それとも、ほかの未成年事故にも使われていたのか。
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