第2話 コメント欄の同情は、証拠能力を持ちません
炎上というものは、火元よりも先に煙が広がる。
翌朝。
俺、黒木司の名前は、見事にSNSのトレンド欄に載っていた。
『黒木を許すな』
『ダンジョン庁は探索者の敵』
『勇者レオンを救え』
『血も涙もない査定員』
『保険金ゼロはおかしい』
画面を眺めながら、俺は胃薬の瓶を机の上に置いた。
昨日、勇者レオンに過失割合一〇〇%を通告した。
レオン本人への保険金は全額免責。
巻き込まれた初心者パーティ三名には、被害者救済基金から治療費と休業補償を即日仮払い。
さらに、その支払い分とダンジョン施設の修繕費などを、レオン本人へ求償する。
ここまでは、査定として当然の処理だった。
問題は、その当然を、レオン本人が受け入れなかったことである。
俺のタブレットには、昨夜から保存された配信アーカイブと切り抜き動画が並んでいた。
再生数が一番伸びている動画のタイトルは、こうだ。
『勇者レオン、ダンジョン庁の冷酷査定に涙』
実際には、レオンは涙を流していない。
目元をこすって、泣いているような角度を作っているだけだ。
だが、コメント欄には同情が集まっている。
『レオン様かわいそう』
『命懸けで戦った人に二千八百万請求とか鬼かよ』
『黒木ってやつ、現場で戦ってないくせに』
『役人は机の上で人を殺す』
『勇者を潰す国に未来はない』
勇者。
便利な言葉だ。
名乗った瞬間、自分の過失まで美談に変わると思っている人間がいる。
俺は動画を最後まで再生した。
配信の中で、レオンは腫れぼったい顔をカメラに近づけて叫んでいる。
『俺は仲間を守った! なのに黒木って査定員は、俺に全部押しつけたんだ!』
『ミミも、初心者たちも、俺がいたから助かったんだ!』
『なのに保険金ゼロだぞ!? しかも二千八百万払えって! こんなの探索者いじめだろ!』
俺は無言で動画を一時停止する。
画面の中のレオンは、被害者の顔をしていた。
その表情だけなら、見事なものだ。
怒り。
悔しさ。
裏切られた悲しみ。
だが、その下にあるものは、昨日のログで見ている。
警告区域への侵入。
装備点検不備。
撤退勧告無視。
配信演出のための危険誘発。
初心者パーティの退避経路妨害。
そして虚偽申告。
人間は、編集できる。
表情も、言葉も、動画も。
だが、事故ログは編集できない。
「黒木さん」
扉の外から、遠慮がちな声がした。
「入ってください」
入ってきたのは、御園ミミだった。
昨日より顔色は少し戻っている。
だが、目の下のくまはまだ消えていない。
手には、ひびの入った古いタブレットを抱えていた。
「すみません。朝から……」
「構いません。治療記録の提出ですか」
「あ、それもあるんですけど……その前に、これを」
ミミがタブレットを差し出す。
画面には、彼女宛てのメッセージが大量に表示されていた。
『レオン様を裏切るな』
『お前がちゃんと回復していれば事故にならなかった』
『聖女ならレオン様を守れよ』
『黒木に言わされてるんだろ?』
『回復役のくせに役立たず』
ミミの指が、わずかに震えている。
「昨日から、ずっと来ていて……」
「レオン氏のファンですか」
「たぶん。私、何も言っていないんですけど」
「何も言っていない人間を叩く方が、反論される危険が少ないですから」
「……黒木さん、たまにさらっと嫌な現実を言いますよね」
「仕事柄です」
俺はミミのタブレットから、メッセージの送信元情報を保存する。
「これは記録として預かります」
「いいんですか?」
「事故関係者への誹謗誘導があった場合、追加資料になります」
「追加資料……」
「簡単に言えば、レオン氏の請求書が厚くなる可能性があります」
ミミは一瞬だけ目を丸くした。
それから、小さく息を吐く。
「黒木さんって、本当に……」
「何ですか」
「怖いですね」
「よく言われます」
「褒めてないです」
「承知しています」
俺はレオンの配信画面へ視線を戻す。
昨日の段階で、すでに庁内の記録保全は済んでいる。
だが、相手が切り抜きと感情で世論を動かすなら、こちらは証拠と時系列で返すしかない。
問題は、どこまで公開するかだ。
被害者である初心者パーティの顔や個人情報は出せない。
ミミの同意も必要になる。
庁舎内でのレオンの発言は、すでに配信されているとはいえ、公式に扱うには手続きがいる。
俺が資料を開いていると、内線が鳴った。
『黒木さん、広報部です。至急、会議室に来てください』
「今度は広報案件ですか」
『いえ、その……黒木さん案件です』
俺は胃薬の瓶を見た。
今日の摂取量を増やすべきかもしれない。
ダンジョン庁新宿庁舎、広報会議室。
大きなモニターには、レオンの緊急配信の切り抜きが映っていた。
会議室には、広報担当、法務担当、事故査定課の真鍋課長、そして俺とミミがいる。
ミミは入口近くの椅子に小さく座っていた。
まだ正式な職員ではないが、事故関係者として呼ばれた形だ。
広報担当の女性が、疲れた顔で言った。
「黒木さん。現状、かなり燃えています」
「見れば分かります」
「そういうところです」
「どこですか」
「全部です」
真鍋課長がこめかみを押さえる。
「黒木。今回はさすがに説明が必要だ。探索者への補償を出さない冷たい役所、という印象が広がっている」
「事実と異なります。補償は出しています。支払い先がレオン氏ではないだけです」
「それを世間は見ていない」
課長の言う通りだった。
世間は、制度全体ではなく、見たい場面だけを見る。
レオンが包帯を巻いて怒鳴る場面。
俺が「一円も払いません」と言う場面。
二千八百万の求償を告げる場面。
そこだけを切り取れば、確かに俺は冷血査定員に見える。
まあ、言い方は元から冷たい。
そこは否定しない。
広報担当がモニターを操作する。
切り抜き動画が流れる。
『俺は仲間を守った!』
次の場面。
『あなたへの保険金支払いは全額免責です』
また次の場面。
『概算で、二千八百万です』
そこで動画は終わる。
コメント欄には怒りの言葉。
「悪意ある編集ですね」
ミミが小さくつぶやいた。
俺は頷く。
「編集というより、事故原因の削除です」
「そんな言い方あるんですか?」
「今作りました」
法務担当が咳払いする。
「黒木さん。公式に反論する場合、個人情報と被害者保護に注意してください。全ログ公開は不可です」
「分かっています」
「あと、言い方を柔らかく」
「努力します」
ミミが隣で小さく首を振った。
なぜだ。
努力はする。
結果が出るとは言っていない。
広報担当が言う。
「黒木さん。とにかく、動画の表現は柔らかくお願いします」
「努力します」
俺は動画編集用の確認画面を開いた。
広報担当が横からのぞき込む。
「黒木さん」
「何ですか」
「いま、【過失割合一〇〇%】の文字を大きくしませんでしたか?」
「視認性の改善です」
「柔らかくと言いましたよね?」
「証拠は見えづらいと意味がありません」
「そういうところです」
今日だけで何度目だろうか。
そろそろ「そういうところ」の具体的な定義を提出してほしい。
真鍋課長が腕を組む。
「どうする、黒木」
「配信アーカイブとログを時系列で照合します。被害者の顔と音声は加工。ミミさんの発言部分については、本人同意が必要です」
ミミが顔を上げた。
「私の……?」
「あなたが三度、撤退を進言した部分です。レオン氏が『仲間を守った』と主張する以上、同行者の警告を無視した事実は重要です」
「出してもらって大丈夫です」
ミミは、思ったよりはっきり言った。
「私、昨日は何も言えませんでした。でも……初心者の子たちまで悪く言われるのは、嫌です」
「分かりました」
俺はタブレットを操作する。
「では、反証動画を作ります」
広報担当が眉をひそめる。
「反証動画?」
「レオン氏の配信アーカイブと、事故ログの時系列照合です」
「タイトルは?」
俺は少し考えた。
「コメント欄の同情は、証拠能力を持ちません」
会議室が静かになった。
広報担当が深くため息をつく。
「黒木さん、それ公式タイトルには強すぎます」
「では副題で」
「副題でも強いです」
ミミが小さく笑った。
真鍋課長が天井を見上げる。
「……まあ、目立つな」
「目立つことが目的ではありません。誤認を正すことが目的です」
「お前、本当にそういうところだぞ」
「どこですか」
「全部だ」
本日何度目かは、もう数えるのをやめた。
午後六時。
ダンジョン庁公式チャンネルに、一本の動画が投稿された。
タイトルは広報部によって多少柔らかくされた。
『新宿第七ダンジョン事故に関する時系列説明』
ただし、動画冒頭のテロップには、俺の案が一部残った。
――コメント欄の同情は、事故原因を変えません。
まあ、妥協点としては悪くない。
動画は、レオンの配信映像から始まる。
『俺は仲間を守った!』
次に、同時刻のログが並ぶ。
【時系列照合】
【レオン氏発言:仲間を守った】
【ログ上の行動:警告区域へ単独侵入】
【同行者撤退勧告:三回】
映像の中で、ミミが言う。
『レオンさん、ここは危ないです。戻りましょう』
レオンが笑う。
『配信の数字が上がってるんだよ。空気読め、ミミ』
コメント欄が流れ始める。
『え、ここ出すんだ』
『ミミちゃん止めてるじゃん』
『レオンの切り抜きと全然違う』
『公式、容赦ないな』
次の場面。
レオンの切り抜き動画では、彼が初心者の前に立って火蜥蜴を引きつけているように見える。
だが、ログ・リプレイでは違った。
レオンは一度、初心者たちの位置を確認している。
その後、彼らの背後へ回り込む。
画面右上に、青白い文字が浮かぶ。
【切り抜き映像:救助行動のように編集】
【ログ確認:初心者パーティの退避経路を妨害】
【判定:第三者巻き込み】
動画の中の俺の声が淡々と流れる。
『角度の問題ではありません。ログで見れば、あなたは初心者を盾にして一秒稼いでいます』
コメント欄の空気が変わる。
『これはきつい』
『切り抜きだと助けてるように見えたのに』
『角度詐欺じゃん』
『盾にしたって言われても仕方ない』
『レオン様……?』
『レオン、これ言い逃れできないレベルで詰んでて草』
『ダンジョン庁、仕事が早すぎて逆に怖い』
『黒木さん、口は悪いけど証拠の出し方がえぐい』
『これ、感情論じゃなくて完全に事故調査じゃん』
さらに、レオンの緊急配信が流れる。
『俺はモンスターに腕を焼かれた!』
その横にログ。
【申告:モンスター攻撃による負傷】
【ログ確認:初心者探索者の防衛魔法の余波】
【原因:レオン氏による退避経路妨害】
【判定:虚偽申告疑い】
コメント欄に、また別の反応が増える。
『虚偽申告って出た』
『もう無理だろこれ』
『ミミちゃんと初心者に謝れ』
『黒木さんの言い方きつかったけど、これなら仕方ない』
『いや、むしろ優しい方では?』
動画の最後に、査定結果が表示される。
【確定過失割合:探索者レオン側 一〇〇%】
【レオン氏への支払い:全額免責】
【初心者パーティ三名への補償:治療費・休業補償・装備補填を即日仮払い】
【求償対象:探索者レオン】
そして締めのテロップ。
――無謀な行為による損害は、救済基金の対象外です。
――巻き込まれた被害者への補償は、すでに開始しています。
俺は自分の席で、その動画の反応を見ていた。
再生数は伸びている。
コメントも伸びている。
胃痛も伸びている。
広報部からは「黒木さん、コメント欄を見すぎないでください」とメッセージが来た。
無理だ。
コメント欄も、事故後の反応として資料になる。
見ないわけにはいかない。
すると、新しいコメントが流れた。
『レオン、今の配信でまた反論してるぞ』
俺は目を閉じた。
こういう時だけ、嫌な予感はよく当たる。
レオンの新しい配信は、公式動画の公開からわずか二十分後に始まった。
タイトルは、
『公式に捏造された件について』
だった。
俺は無言で胃薬の瓶を手に取る。
ミミが俺の机の横に立ち、心配そうに画面を見た。
「まだやるんですか、あの人……」
「やるでしょう。自分が悪いと認めるより、世界が悪いことにした方が楽です」
「……黒木さん、やっぱり言い方が」
「ひどいですか」
「はい。でも、今回は否定できません」
配信画面の中で、レオンは目を赤くして叫んでいた。
『あんなログ、いくらでも加工できる!』
『黒木は俺を潰そうとしてる!』
『ミミだって、本当は俺の味方のはずだ!』
ミミの肩が、小さく震えた。
レオンは続ける。
『ミミ! 見てるんだろ!? お前がちゃんと証言すれば、俺は助かるんだ! お前が黙ってるから、俺が悪者にされてるんだぞ!』
ミミの顔から血の気が引いた。
それでもレオンは止まらない。
『お前を“聖女ミミ”として売ってやったのは誰だと思ってるんだ!』
『俺の配信がなきゃ、お前なんてただの地味な回復役だっただろ!』
その瞬間、ミミの指先が、ぎゅっと握られた。
俺は配信を一時停止した。
「御園さん」
「……はい」
「今の発言について、どう感じましたか」
「怖いです」
「それで十分です」
俺はタブレットに記録する。
『事故関係者への証言圧力』
『心理的威圧』
『誹謗誘導の継続』
『パーティメンバーの商品化発言』
ミミが俺を見る。
「それも、資料になるんですか」
「なります」
「何の資料に?」
「次の査定です」
「次の……?」
俺はレオンの配信画面を見る。
事故後の虚偽発信。
切り抜きによる事実誤認の誘導。
事故関係者への誹謗中傷の誘発。
ミミへの証言圧力。
そして、彼女を「聖女ミミ」として売ってやったという発言。
ここまで来れば、単なる感情的な反論では済まない。
「レオン氏は、事故だけでなく、事故後対応でも過失を積み増しています」
「そんなものまであるんですか?」
「あります。事故は、現場で終わりません。終わった後の言動で、責任が増えることもあります」
ミミは小さく息を呑んだ。
「じゃあ、あの配信は……」
「請求書に項目を追加しているようなものです」
ミミはしばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言う。
「私、ずっと……レオンさんが大変だから、支えないとって思ってました」
「はい」
「でも、さっきの配信を見たら……私が支えなきゃいけないんじゃなくて、私が支えに使われていただけなのかもしれないって」
俺は答えなかった。
それは、俺が決めることではない。
彼女自身が気づかなければ意味がない。
しばらくして、ミミが小さく言った。
「黒木さん」
「何ですか」
「私の契約書、見てもらえますか」
俺はタブレットから視線を上げる。
ミミの目はまだ揺れていた。
だが、昨日のようにただ怯えているだけではなかった。
「レオンさんとのパーティ契約です。私、ちゃんと読まずにサインしてしまって……」
俺はうなずいた。
「持っていますか」
「はい」
ミミは鞄から、折り目のついた契約書のコピーを取り出した。
俺はそれを受け取り、最初の一枚を読んだ。
数秒で、胃痛が一段階深くなった。
「御園さん」
「はい」
「これは契約書ではありません」
「え?」
俺は一枚目を机に置く。
「責任の押しつけです」
ミミの瞳が揺れた。
俺は二枚目、三枚目に目を通す。
報酬配分。
回復薬代の自己負担。
離脱時の違約金。
事故時の回復責任。
そして、「聖女ミミ」という名前の使用権。
これは保険以前の問題だ。
労務管理も、契約の公平性も、未成年者保護の観点も、まとめて踏み越えている。
「御園さん」
「はい」
「この契約、事故査定課だけで終わる話ではありません」
「え……?」
「少なくとも、レオン氏の請求書はさらに厚くなります」
配信画面の中では、まだレオンが叫んでいる。
『ミミ! 俺を裏切るなよ!』
俺はその音量をゼロにした。
事故処理は、まだ終わっていない。
むしろ、ここから別の案件が始まる。
聖女ミミの契約解除。
おそらく、次の査定対象はそれになる。
「御園さん」
「はい」
「契約内容を一つずつ確認します。少し時間がかかります」
「お願いします」
「それと」
「はい」
「泣く必要はありません。泣くべきなのは、この契約書を書いた人間です」
ミミは一瞬だけ目を丸くした。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「黒木さん」
「何ですか」
「やっぱり、言い方がひどいです」
「よく言われます」
俺は契約書の一文に赤ペンで線を引いた。
そこには、こう書かれていた。
『聖女ミミとしての活動名義、映像、発言、収益権の一部は、勇者レオンチャンネルに帰属するものとする』
人間は、パーティの装備品ではない。
ましてや、配信者の所有物でもない。
俺は赤ペンを置き、契約書を閉じた。
「始めましょう」
「何をですか?」
「契約の査定です」
コメント欄の同情は、証拠能力を持たない。
だが、契約書の文字は逃げない。
次に暴くべき嘘は、紙の上にある。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第2話は、レオンの切り抜き・SNS炎上への反証回でした。
事故は現場だけで終わらず、その後の発信や責任転嫁でも過失が積み上がっていきます。
次回は、御園ミミのパーティ契約に踏み込みます。
「聖女」として売り出された彼女が、どんな契約で縛られていたのか。
黒木の次の査定対象は、事故現場ではなく契約書です。
面白かった、続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると嬉しいです。




