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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第一章 支払うべき相手を間違えるな

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第14話 支払うべき相手を間違えるな

正式通知というものは、音を立てない。


 剣戟の音もない。


 魔法の爆発もない。


 勝利を告げる鐘も鳴らない。


 ただ、端末の画面に一行が表示される。


【求償通知 発出完了】


【行政側検証依頼 発出完了】


【被害者救済基金 正式支給決定】


 それだけだ。


 だが、その一行で、誰かの治療費が支払われる。


 誰かの休業中の生活が守られる。


 誰かが「自分のせいだった」と思い込む時間が、少しだけ止まる。


 派手ではない。


 だが、事故査定課の仕事は、だいたいそういうものだ。


 俺、黒木司は、朝九時ちょうどに送信された三つの正式通知を確認した。


【求償通知】

【対象:ミカドギア株式会社】

【内容:治療費、休業補償、再訓練支援、装備買い替え補助、調査費用、説明訂正対応費】

【理由:製品構造上の欠陥把握後の販売継続、適切な周知不足、事故後説明による被害者側負担の発生】


【行政側検証依頼】

【対象:ダンジョン庁本庁 装備産業調整室】

【論点:事故前相談記録の把握、回収指導見送り、担当移管、資料移動、内部協力者保護】

【処理:内部監査および第三者検証へ移行】


【被害者救済基金 正式支給】

【対象:新人探索者三名】

【内容:治療費、休業補償、再訓練支援、装備買い替え補助】

【備考:装着不備を理由とする減額なし】


 装着不備を理由とする減額なし。


 この一文が、今回の案件で最も重要だった。


 金額ではない。


 言葉だ。


 金は戻せるものがある。


 だが、「お前のせいだ」と思い込んだ時間は、簡単には戻らない。


 だから、記録に残す必要がある。


 あなたの装着不備ではなかった。


 あなた一人が、責任を背負う必要はなかった。


 そういうことを、制度の言葉で残す必要がある。


「黒木さん」


 隣から、御園ミミが声をかけてきた。


 彼女は被害者三名への説明文書を抱えている。


 昨日、何度も言葉を選び直した文書だ。


 俺なら三行で済ませる内容を、彼女は半日かけて、人に届く言葉に変えた。


「佐伯さんたちへの説明、行ってきます」


「お願いします」


「黒木さんも来ますか?」


「必要ですか」


「……たぶん、必要です」


「理由は」


「黒木さんの言葉は短いです。でも、黒木さんが直接言った方が、記録として重くなることもあると思います」


 なるほど。


 俺が行くと空気は悪くなるが、記録としては重くなる。


 評価が難しい。


「分かりました」


「ありがとうございます」


「ただし、説明は御園さんがしてください」


「はい。黒木さんが説明すると、佐伯さんがまた緊張しそうなので」


「否定材料がありません」


「そこは否定してください」


 最近、御園さんが俺の扱いに慣れてきた。


 業務上、良いことかどうかは査定中である。


 被害者連絡室には、佐伯真人と母親、そして他の新人探索者二名が来ていた。


 三人とも、まだどこか身体の動きがぎこちない。


 傷そのものは回復魔法と治療で塞がりつつある。


 だが、事故の後に残るものは、皮膚の下だけではない。


 佐伯がこちらを見る。


 少し緊張した顔だ。


 俺が座ると、さらに姿勢が硬くなった。


 ミミがすぐに柔らかく声をかける。


「今日は、正式な支給決定についてお伝えします」


 彼女は資料を開いた。


 そして、一つずつ、ゆっくり説明した。


「治療費は、正式に救済基金から支給されます。休業補償も出ます。再訓練が必要な場合の支援と、装備買い替え補助も対象です」


 佐伯の母親が、胸元で手を握りしめた。


「本当に……減額はないんですか」


「ありません」


 ミミははっきりと言った。


「今回の事故について、佐伯さんたち三名に装着不備は確認されませんでした」


 佐伯が、目を伏せた。


 他の二人も、息を止めたように聞いている。


「事故前の装着ログは適正でした。講習も受けていました。今回の事故を『装着ミス』として扱う根拠はありません」


 ミミの声は、少し震えていた。


 けれど、途切れなかった。


「だから、佐伯さんたちだけが責任を背負う必要はありません」


 沈黙が落ちた。


 誰もすぐには喜ばなかった。


 当然だ。


 金が出る。


 責任ではなかった。


 そう言われても、傷が消えるわけではない。


 ダンジョンへの恐怖が消えるわけでもない。


 けれど、佐伯の肩が、ほんの少しだけ下がった。


 それは、怪我の痛みが消えた動きではなかった。


 ずっと彼を縛りつけていた、目に見えない重しが外れたような動きだった。


 自己責任。


 装着ミス。


 自分が悪かったのかもしれない。


 その言葉が、彼の中で何度も巻き戻されていたのだろう。


 けれど、一枚の正式通知が、それを少しだけ止めた。


「俺……」


 佐伯は、ゆっくり口を開いた。


「戻るかどうかは、まだ分かりません」


 ミミは頷いた。


「はい」


「正直、ダンジョンに入るのは怖いです。装備を着ても、本当に大丈夫なのかって思うかもしれません」


「はい」


「でも」


 佐伯は、自分の右脇腹に触れた。


「休んでもいいんだって思えました」


 母親が、隣で静かに涙をこぼした。


「俺が弱いから戻れないんじゃなくて。ちゃんと怖い目に遭ったから、休んでいいんだって」


 ミミは、何も言わずに頷いた。


「休むことは、負けではありません。少なくとも、今回の事故については」


 佐伯は、少しだけ顔を歪めた。


 泣きそうな顔だった。


 けれど、それは苦しさだけではないように見えた。


 俺は、その発言を記録する。


【被害者本人発言】

【探索者復帰未定】

【事故後恐怖あり】

【装着不備ではない確認により、自責感の軽減】

【本人認識:休む選択を許容】


 佐伯が、ちらりと俺の端末を見た。


「それも、記録するんですね」


「はい」


「……お願いします」


「はい」


 他の二人も、それぞれ小さく頷いた。


 被害者三名。


 正式支給。


 装着不備なし。


 再訓練支援。


 装備買い替え補助。


 それらは、きれいな言葉ではない。


 だが、息をするための足場にはなる。


 ミミが、最後に言った。


「戻ってもいいですし、戻らなくてもいいと思います。少なくとも、今回の事故について、皆さんだけが責任を背負う必要はありません」


 佐伯の母親が、深く頭を下げた。


「ありがとうございました」


 俺は答える。


「支払うべき相手を間違えなかっただけです」


 ミミが横から小さく言った。


「黒木さん」


「何ですか」


「今のは、もう少し受け取ってもいいところです」


「査定不能です」


 佐伯が、少しだけ笑った。


 母親も、泣きながら笑った。


 笑えるなら、少しは呼吸が戻っている。


 それで十分だ。


 事故査定課に戻ると、ミカドギア社から受領通知が届いていた。


【ミカドギア株式会社】

【求償通知受領】

【内容精査のうえ、対応を検討】

【一部事実関係について争う可能性あり】


 予想通りだ。


 争う。


 検討する。


 一部事実関係。


 そういう言葉は、手続き上必要だ。


 別に構わない。


 こちらは資料を添付している。


 争うなら、資料で争えばいい。


 続いて、業界団体向けの安全周知文案も届いた。


【GL3-17A同一ロットについて】

【販売店・探索者向け追加確認】

【該当ロットの使用停止および点検受付】

【代替装備支援の準備中】


 遅い。


 だが、出ないよりはいい。


 俺は端末に追記した。


【ミカドギア対応】

【求償通知受領】

【争議可能性あり】

【同一ロット使用停止・点検受付準備】

【被害者説明訂正:要確認】


 高宮からの個人的な連絡はない。


 当然だ。


 彼は、謝罪より先に会社の防衛を選ぶだろう。


 それも記録に残る。


 ただし、榎本主任からは、別の経路で短い文書が届いた。


【技術管理部 榎本】

【GL3-17A再検査提案議事録提出】

【添付:社内会議議事録、検査表原本、反対意見記録】


 本文は一行だけ。


『遅くなりましたが、提出します』


 俺は添付ファイルを確認した。


 改ざん検知なし。


 社内会議議事録。


 再検査提案。


 納期優先。


 出荷判断。


 高宮の確認印。


 全部そろっている。


 遅い。


 そう思った。


 事故前に出ていれば、三人は怪我をしなかったかもしれない。


 だが、たとえ数日遅れた記録であっても、


 これから先の誰かの数年を守ることはある。


 探索者を続けるかどうか。


 自分を責め続けるかどうか。


 同じ装備で潜る誰かが、同じ傷を負うかどうか。


 遅れた記録にも、まだ役割は残っている。


 榎本の再検査提案は、彼自身を完全に救うものではない。


 止められなかった責任は残る。


 だが、危険を見ていた記録は残った。


 何もなかったことにはならない。


 それが、彼にとってどの程度の救いになるかは分からない。


 ただ、記録は残る。


 俺は返信した。


『受領しました。査定資料として保全します』


 余計な言葉は書かない。


 それで十分な相手もいる。


 本庁側の通知は、午後に来た。


【ダンジョン庁本庁】

【装備産業調整室に関する内部監査開始】

【対象:GL3-17A事故前相談対応、回収指導見送り、担当移管、資料移動】

【担当:監査室および外部有識者委員】

【久我室長:当該案件担当より一時離脱】

【相沢職員:内部協力者保護申請を受理、事情聴取は監査室経由で実施】


 真鍋課長が、それを読んで深く息を吐いた。


「動いたな」


「はい」


「久我室長は完全に落ちたわけじゃない」


「はい。一時離脱です」


「本庁らしい落としどころだ」


「記録しますか」


「するな。いや、もうしてるな」


「はい」


 俺は記録していた。


【本庁対応】

【内部監査開始】

【久我室長:当該案件担当より一時離脱】

【相沢職員:内部協力者保護申請受理】

【備考:処分内容未確定】


 相沢については、まだ油断できない。


 保護申請が受理されたからといって、組織内での居心地が良くなるわけではない。


 ただ、露骨な処分はしづらくなった。


 それだけでも、記録した意味はある。


 その日の夕方、相沢本人から短い連絡が来た。


『保護申請の件、確認しました。ありがとうございます』


 続けて、もう一文。


『見なかったことにしなくてよかったと、今は思っています』


 俺は少し考えてから、返信した。


『資料提供は事故原因究明に寄与しました。今後の聴取では、事実と推測を分けて説明してください』


 すぐに返事が来た。


『黒木査定官らしい返信ですね』


 どういう意味か。


 少しだけ判断に迷う。


 ミミが横から覗き込んで言った。


「たぶん、褒めています」


「そうですか」


「はい」


「査定不能です」


「知っています」


 やはり、御園さんは俺の扱いに慣れてきている。


 夕方。


 本庁の廊下で、久我室長とすれ違った。


 相変わらず、身だしなみは整っている。


 だが、以前のような圧はない。


 笑みも薄い。


「黒木君」


「はい」


「君の記録は、いつか君自身も縛るぞ」


 真鍋課長なら、ここで顔をしかめるだろう。


 ミミなら、息を呑むかもしれない。


 だが、俺には必要な確認だった。


「その時は、私も記録されるべきです」


 久我の目が、少しだけ動いた。


「君自身も例外ではない、と?」


「はい」


「面倒な男だ」


「よく言われます」


「だろうね」


 久我は、少しだけ笑った。


 今度の笑みは、前ほど綺麗ではなかった。


 疲れていて、苦くて、ほんの少しだけ人間に近かった。


「一つだけ言っておく」


「はい」


「組織は、正しさだけでは動かない」


「はい」


「だが、記録がなければ、間違いを認めることもできない」


 俺は久我を見る。


 彼はそれ以上、何も言わなかった。


 そのまま歩いていく。


 敵だった。


 今も、味方ではない。


 だが、彼もまた、記録に縛られ始めた。


 それで十分だ。


 夜になり、事故査定課はようやく静かになった。


 真鍋課長は胃薬を持って帰った。


 御園さんは被害者連絡の記録を整理している。


 俺は、今回の案件ファイルを閉じる前に、最終メモを入力した。


【案件総括】

【GL3-17A貫通事故】

【被害者三名:装着不備なし】

【正式支給:治療費、休業補償、再訓練支援、装備買い替え補助】

【求償先:ミカドギア株式会社】

【行政側検証対象:本庁装備産業調整室】

【内部協力者保護:相沢職員】

【備考:自己責任処理を回避】


 自己責任処理を回避。


 簡単な言葉だ。


 だが、この一文のために、ずいぶん時間がかかった。


 勇者配信者の無謀。


 聖女ミミの契約解除。


 死体のない死亡届。


 保険金詐欺。


 企業の安全偽装。


 本庁の調整。


 資料の移動。


 外部資料。


 事前相談記録。


 責任の押し戻し。


 そして、請求書の宛先。


 長い案件だった。


 だが、世界を変えたわけではない。


 ミカドギアが消えたわけではない。


 本庁が綺麗になったわけでもない。


 久我が完全に失脚したわけでもない。


 高宮が土下座したわけでもない。


 そんな劇的な結末はない。


 ただ、新人探索者三人の事故が、装着ミスという言葉だけでは終わらなかった。


 彼らが受け取るべき支援は、支払われる。


 彼らが背負わなくてよかった責任は、少しだけ元の場所へ戻った。


 それでいい。


 それが仕事だ。


「黒木さん」


 ミミが声をかけてきた。


「はい」


「今回の案件、終わったんですか?」


「手続き上は、一段落です」


「気持ちとしては?」


「査定不能です」


「ですよね」


 ミミは少し笑った。


 そして、自分の机に置いた小さな名札を見た。


 そこには、こう書かれている。


【事故査定課 補助員 御園ミミ】


 聖女ミミではない。


 誰かのパーティの回復役でもない。


 誰かの商品名でもない。


 御園ミミ。


 事故査定課の補助員。


 彼女はそれを見て、少しだけ背筋を伸ばした。


「黒木さん」


「はい」


「私、ここにいてもいいんでしょうか」


「雇用契約上は、更新手続きが必要です」


「そういう意味じゃなくて」


「では、業務上は助かっています」


 ミミが目を丸くした。


「それ、褒めていますか?」


「事実確認です」


「黒木さんらしいです」


 彼女は、小さく笑った。


「ありがとうございます」


「はい」


 礼を言われるほどのことではない。


 だが、彼女が少しだけ息をしやすそうなら、それでいい。


 その時、端末に新しい通知が届いた。


 案件受付システム。


 新規事故報告。


 俺は画面を開く。


【新規案件】

【探索者育成学校における訓練事故】

【対象:未成年訓練生】

【事故内容:模擬ダンジョン訓練中の重傷】

【学校側見解:本人の判断ミス】

【保険請求:訓練災害補償制度】

【備考:訓練ログに一部欠損あり】


 本人の判断ミス。


 また、便利な言葉が来た。


 ミミも画面を覗き込む。


「未成年訓練生……」


「はい」


「訓練ログに欠損……」


「はい」


 資料を開く。


 事故報告書。


 学校側説明。


 保護者向け通知。


 訓練ログ抜粋。


 事故報告書の書式に、見覚えがあった。


 余白の取り方。


 責任所在の欄だけが妙に薄い説明。


 そして、添付ログの一部だけが、事故後に上書きされている編集履歴。


 前の案件で見たものと、似ていた。


 同じ人間が書いたとは限らない。


 だが、同じ種類の逃げ方をする文書だった。


【編集履歴】

【事故後二時間以内に訓練ログ一部修正】

【担当者:育成学校安全管理室】

【書式:本庁装備産業調整室提出資料と類似】


 俺は、画面を見た。


「……また、自己責任ですか」


 ミミが、隣で静かに資料を覗き込む。


「確認しますか」


「はい」


 俺は胃薬の瓶を開けた。


 残りが少ない。


 買い足す必要がある。


 真鍋課長の分も含めて。


「仕事を、続けます」


 事故査定課の夜は、まだ終わらない。


 支払うべき相手を間違えるな。


 それは、一つの案件が終わっても、終わらない。


 次の請求書の宛先を、また探すだけだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第14話は、第一章のエピローグでした。


被害者三名には正式支給。

ミカドギア社には求償通知。

本庁装備産業調整室には行政側検証。

相沢には内部協力者保護。


黒木が世界を変えたわけではありません。

けれど、少なくとも今回の事故は「装着ミス」「自己責任」だけでは終わりませんでした。


第一章のタイトルは、

「支払うべき相手を間違えるな」

です。


次章では、探索者育成学校における未成年訓練生の事故へ進みます。

またしても「本人の判断ミス」とされた事故。

そして、欠損した訓練ログ。


第二章でも、黒木たちは記録を追っていきます。


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