第11話 知らなかったことにはできません
保存チップというものは、軽い。
親指の爪ほどの大きさしかない。
古い形式の魔力記録媒体で、いまどき本庁の正式業務ではほとんど使われない。
だが、そういう古い媒体ほど、余計な同期をしない。
勝手に上位階層フォルダへ移動されない。
管理者権限で見えなくされることもない。
つまり、組織が消し忘れることがある。
俺、黒木司は、事故査定課の検証端末に相沢から受け取った保存チップを差し込んだ。
隣には、御園ミミ。
向かいには、真鍋課長。
課長は腕を組んだまま、いつになく黙っている。
保存チップの読み込み表示が進む。
【魔力保存チップ読込中】
【記録形式:旧式庁内相談ログ】
【改ざん検知:未検出】
【作成元:ダンジョン庁本庁 装備産業調整室】
【複製日時:事故発生前】
ミミが息を呑んだ。
「事故発生前……」
「はい」
俺は表示されたファイルを開く。
タイトルは、簡素だった。
【事前相談記録】
【件名:GL3-17Aに関する安全基準上の取扱いについて】
【送信元:ミカドギア株式会社 法務渉外部】
【宛先:ダンジョン庁本庁 装備産業調整室】
【相談日:事故発生十日前】
【添付:製造ライン別魔力繊維密度検査表】
真鍋課長が低く言った。
「十日前か」
「はい」
ミミは画面を見つめたまま、小さく呟いた。
「事故が起きる前に、相談していたんですね」
「そのようです」
俺は本文を開いた。
弊社製品《ガーディアン・ライトⅢ》ロットGL3-17Aにつき、
第二量産ライン製造品の一部において、右脇腹縫合部の魔力繊維密度が社内推奨値を下回る個体が確認されました。
公的安全基準の解釈上、浅層向け装備として販売継続可能か、
また追加周知・注意喚起の要否について、貴室見解をご教示ください。
社内推奨値。
便利な言葉だ。
基準未達と言わない。
安全不備と言わない。
あくまで、社内推奨値を下回っただけ。
だが、添付ファイルを開けば、言葉の皮はすぐ剥がれる。
【添付:製造ライン別魔力繊維密度検査表】
【対象:GL3-17A】
【右脇腹縫合部:基準値比七三%】
【背面接合部:基準値比七五%】
【社内推奨値:九五%以上】
【備考:浅層甲殻系変異個体の爪攻撃に対し、防護膜途切れの可能性あり】
ミミの顔色が変わった。
「防護膜が途切れる可能性って……」
「御園さんが見た所見と一致します」
「事故前に、分かっていたんですね」
俺は続けて、本庁側の回答を開いた。
【本庁回答】
【回答者:装備産業調整室 久我】
【回答日:事故発生七日前】
浅層向け低価格装備の供給安定性を踏まえ、現時点で回収指導は不要と判断します。
製品の特性を理解した上での運用を、メーカー責任において周知されたい。
使用者への適正装着周知を強化すること。
事故発生時は個別事案として処理し、必要に応じて追加情報を共有してください。
会議室ではなく、事故査定課の狭い執務室。
それでも空気が重くなった。
真鍋課長が額を押さえる。
「……やりやがったな」
俺は画面を拡大する。
『現時点で回収指導は不要』
『製品の特性を理解した上での運用』
『メーカー責任において周知』
『事故発生時は個別事案として処理』
逃げ道が、綺麗に並んでいる。
ミカドギアには、回収しなくていいと読める。
本庁には、販売継続を明示したわけではないと言える。
事故が起きたら、個別事案。
責任が生まれる前から、責任の置き場所を分けている。
「黒木さん」
ミミが、静かに言った。
「これ、注意しているようにも見えます」
「はい」
「でも、回収はしなくていい、とも言っています」
「はい」
「それで、事故が起きたら個別事案……」
ミミは画面から目を離さなかった。
「それって、事故が起きた後に誰かが怪我をしても、その時考えればいい、という意味ですか」
「かなり近いです」
真鍋課長が苦い顔で言う。
「いや、向こうはそう言わん。供給安定性と現時点の情報に基づく判断だった、と言う」
「言うでしょうね」
「久我室長は、正式な行政指導ではないとも言うはずだ」
「相談対応ですね」
「ああ」
俺は端末に記録した。
【事前相談記録解析】
【ミカドギア社:GL3-17A右脇腹縫合部の密度不足を事故前に把握】
【本庁装備産業調整室:事故前に相談を受領】
【本庁回答:回収指導不要、メーカー責任で周知、事故時は個別処理】
【論点:行政側の見逃し可能性】
ミミが小さく言った。
「もし事故前に分かっていたなら……」
そこで言葉が止まる。
彼女は三人の治療記録を見ている。
傷の深さを知っている。
右脇腹の縫合部が守れなかったことを知っている。
だから、その先を言うのが苦しかったのだろう。
「三人は、刺されなくてよかったんですか」
執務室が静かになった。
真鍋課長も、俺も、すぐには答えなかった。
答えは簡単ではない。
事故は複数の要素で起きる。
モンスターの変異。
装備の構造。
講習。
現場判断。
本庁回答。
メーカーの販売継続。
どれか一つだけで全てが決まったとは言えない。
だが。
「少なくとも」
俺は言った。
「刺される前に、止める機会はありました」
ミミは、静かに頷いた。
本庁への再照会は、短く済ませた。
長い文章にすると、相手は長い文章で逃げる。
だから、項目を絞る。
【緊急照会】
【対象:ダンジョン庁本庁 装備産業調整室】
【件名:GL3-17A事故前相談記録について】
一、添付の事前相談記録は本庁装備産業調整室が作成・受領したものか。
二、回答者「久我」は現装備産業調整室長・久我氏本人か。
三、「現時点で回収指導は不要」と判断した根拠資料を提示されたい。
四、「製品の特性」とは具体的に何を指すか。
五、事故発生前にGL3-17Aの縫合部密度不足を把握していたか。
六、事故後に当該相談記録が担当移管資料から除外された理由を提示されたい。
最後に一文を添える。
『弱点を把握していたなら、知らなかったことにはできません。』
送信。
既読は、また早かった。
今回は数秒ではなく、ほぼ即時。
ミミが画面を見て、眉を寄せる。
「本当に、見ていますね」
「監視対象の優先度が上がったようです」
「それ、嬉しくない優先度ですね」
「はい」
真鍋課長が椅子の背にもたれる。
「また呼ばれるぞ」
「でしょうね」
「胃薬は」
「あります」
「俺の分も用意しておけ」
「いらないのでは?」
「前言撤回だ」
ミミが少し笑った。
笑える空気ではない。
だが、少しでも笑わないと、重さに潰される。
数分後、本庁から返信が来た。
【本庁回答】
【本日十五時、本庁会議室にて説明】
【出席者:事故査定課 黒木司、御園ミミ、真鍋課長】
【備考:当該資料の取扱いには機密性が含まれるため、口頭説明を優先】
口頭説明。
また便利な言葉が来た。
「文書で残したくないようです」
俺が言うと、真鍋課長は深いため息をついた。
「黒木」
「はい」
「今回は、絶対に記録しろ」
「承知しました」
「原文でだ」
「はい」
課長は苦々しく笑った。
「俺も、だいぶ染まってきたな」
「良いことかは査定中です」
「そこは良いことだと言え」
本庁会議室。
午後三時。
出席者は、前回より少なかった。
本庁側は久我室長と、若い職員一名。
ミカドギア社からは高宮と桐谷。
相沢はいない。
その不在が、逆に重かった。
俺は席に着く前に記録を開始する。
【会議記録開始】
【案件:GL3-17A事故前相談記録】
【議題:本庁回答の確認】
【出席者:本庁装備産業調整室、事故査定課、ミカドギア社関係者】
【備考:本庁側は口頭説明を優先】
続けて、会議室を見回して、もう一つ確認した。
相沢氏はいない。
昨日、保存チップを渡した若い本庁職員。
事故前相談記録を「知らなかったことにはできない」と言った人間が、この場にいない。
俺は端末に記録した。
【出席者確認】
【相沢職員:不在】
【事故前相談記録の提供者である可能性】
【本庁側による事情確認中の可能性】
【内部協力者保護上の懸念あり】
久我がそれを見て、目を細めた。
「黒木君。出席していない者まで記録するのか」
「事故に関係する資料提供者ですので」
「相沢君の件は本庁内で確認する」
「保護の対象として確認してください」
久我は一瞬だけ黙った。
その沈黙も、十分な返答だった。
「黒木君。まず確認しておく」
「はい」
「君たちが入手した記録は、本庁の正式な開示手続きによるものではない」
「はい」
「その点については、後ほど確認が必要だ」
「記録の真正性確認と、入手経路の確認は別論点です」
「君は本当に、論点を増やすのが得意だ」
「事故に関係するなら」
久我の目が細くなる。
高宮は黙っている。
桐谷も、今日は発言を控えているように見えた。
先に本庁がどう動くかを見るつもりなのだろう。
久我は資料を開いた。
「当該相談記録についてだが、存在自体は認める」
真鍋課長の表情がわずかに変わる。
ミミが息を呑む。
俺は入力した。
【本庁発言】
【事故前相談記録の存在を認める】
「回答者は久我室長ご本人ですか」
「そうだ」
【本庁発言】
【回答者:久我室長本人】
「では、GL3-17Aの縫合部密度不足を事故前に把握していましたか」
久我は少しだけ間を置いた。
「密度不足という表現は適切ではない」
「では、何と表現しますか」
「社内推奨値に満たない部位がある、という情報提供を受けた」
「防護膜途切れの可能性については」
「添付資料には記載があった」
俺は記録する。
【本庁発言】
【GL3-17Aの社内推奨値未達部位について情報提供を受けた】
【防護膜途切れの可能性について添付資料上で把握】
久我が少しだけ眉を動かした。
「黒木君」
「はい」
「その記録は文脈を省いている」
「では、補足してください」
「本庁は、ミカドギア社からの相談に対し、製品の特性を使用者へ周知するよう求めた。安全性を軽視したわけではない」
「では、なぜ回収指導不要と回答したのですか」
「当時の情報では、公的安全基準を明確に下回るとは判断できなかった」
「社内推奨値未達、防護膜途切れの可能性、浅層甲殻系変異個体への懸念が添付されています」
「それでも、即時回収を指導するには足りない」
「足りないなら、追加検査を指示すべきでは?」
「それはメーカー責任だ」
出た。
ミミの手が、机の下で握られる。
俺は久我を見る。
「つまり、本庁は弱点の可能性を把握した上で、追加検査や回収ではなく、メーカー責任での周知を選んだ」
「表現が強い」
「修正します」
俺は記録を打ち直す。
【本庁対応】
【弱点の可能性を把握】
【回収指導:不要と回答】
【追加検査指示:記録上確認できず】
【対応:メーカー責任による周知】
「これでよろしいですか」
久我は黙った。
沈黙も記録対象にしたいところだが、さすがにまだ早い。
高宮が静かに口を開いた。
「弊社としては、本庁の見解も踏まえて、適切に対応した認識です」
久我が高宮を見る。
その視線は、昨日までの協調とは少し違った。
「高宮さん。本庁は販売継続を指示したわけではありません」
「もちろん、指示ではありません。しかし、回収指導は不要との見解をいただいております」
「それは、公的基準上、即時回収を命じる段階ではないという意味だ」
「弊社はその見解を踏まえ、周知強化で対応しました」
「周知は十分でしたか」
「……弊社としては適切に」
「事故が起きています」
久我の声が、初めて高宮へ向いた。
高宮の表情が固まる。
責任の向きが、少しずつ変わっている。
企業は本庁を盾にし始めた。
本庁は企業判断へ戻そうとしている。
俺は端末に入力した。
【責任所在の変化】
【ミカドギア社:本庁見解を踏まえた対応と主張】
【本庁:販売継続指示ではないと主張】
【論点:曖昧な回答の解釈と事故発生の因果】
久我が俺を見る。
「何を書いた」
「責任所在の変化です」
「君は本当に性格が悪いな」
「性格は査定対象外です」
真鍋課長が小さく咳払いした。
今回は笑いではない。
警告だった。
だが、久我は続けなかった。
ミミが、おずおずと手を上げた。
「発言してもよろしいでしょうか」
久我は、少しだけ疲れた顔で頷いた。
「どうぞ」
ミミは資料を見つめながら、ゆっくり言った。
「私は、行政の基準とか、メーカー責任とか、全部は分かりません」
高宮がわずかに視線を向ける。
「でも、三人の傷は見ました。佐伯さんたちが、自分のせいかもしれないと思って苦しんでいたことも聞きました」
ミミの声は小さかった。
だが、前より震えていなかった。
「もし事故前に、防護膜が途切れるかもしれないと分かっていたなら」
久我の表情が止まる。
「三人は、刺されなくてよかったんですか」
誰も、すぐには答えなかった。
高宮も。
桐谷も。
久我も。
久我の顔に貼り付いていた笑みが、薄い紙を剥がすように少しずつ消えていく。
それは怒りではなかった。
責められ慣れた官僚の顔から、初めて「現場の傷」という想定外の言葉を差し込まれた時の表情だった。
答えられなかったのではない。
答えると、何かを認めてしまうからだ。
俺は記録する。
【御園補助員発言】
【事故前把握があった場合、被害回避可能性について質問】
【本庁・メーカー側:即答なし】
久我が低く言った。
「結果論だ」
「はい」
ミミは頷いた。
「でも、怪我をした人の前で、結果論だから仕方ないとは言えません」
その言葉は、会議室の空気を変えた。
ミミは黒木ではない。
論点で詰めるわけではない。
法的責任を語るわけでもない。
ただ、傷を見た人間として言っている。
だからこそ、逃げづらい。
久我は、視線を逸らした。
ほんの一瞬。
だが、見えた。
桐谷弁護士が静かに口を開いた。
「整理しましょう。本件は、事故前相談が存在したとしても、正式な行政指導ではありません」
「はい」
「本庁はミカドギア社に販売継続を命じたわけではない」
「はい」
「ミカドギア社も、公的基準に適合しているとの認識のもと販売していた」
「はい」
「したがって、事故発生をもって直ちに、本庁または弊社の過失とするのは飛躍です」
「直ちには、しません」
俺は言った。
「査定します」
桐谷が眉を寄せる。
「査定?」
「事故前相談記録に基づく、行政側の見逃し可能性。メーカー側の欠陥把握後販売継続。周知内容と事故発生の因果関係。それぞれを分けて査定します」
久我が口を開く。
「黒木君。言葉を選べ」
「選んでいます。まだ断定していません」
「では、何と言うつもりだ」
「事故前相談記録に基づく、行政側の見逃し可能性です」
久我の顔から笑みが消えた。
「見逃し、か」
「はい」
「本庁が見逃したと?」
「可能性です」
「可能性で組織を傷つけるのか」
「可能性で被害者を自己責任扱いした記録があります」
高宮の視線が動く。
久我も黙る。
俺は続けた。
「正式な指導ではないから責任がない、という判断ですか」
久我は答えない。
「正式ではない言葉で企業の判断に影響を与えたなら、それは記録されるべきです」
俺は端末に新しい項目を立てる。
【査定対象追加】
【対象:ダンジョン庁本庁 装備産業調整室】
【論点:事故前相談記録の把握】
【論点:回収指導見送り】
【論点:メーカー責任での周知に留めた判断】
【論点:被害発生との因果関係】
久我が低く言った。
「黒木君」
「はい」
「本庁を査定対象に入れるつもりか」
「事故に関係するなら」
「君は、自分の所属する組織を敵に回している」
「敵味方は査定項目ではありません」
真鍋課長が目を閉じた。
胃が痛そうだ。
俺も痛い。
だが、入力は止めない。
久我はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと椅子に背を預ける。
「相沢君だな」
会議室が静かになった。
「その記録を君たちに渡したのは」
俺は答えない。
「本庁内部資料を、権限外に持ち出した。処分対象だ」
「事故に関係する資料を、事故査定課へ提出した」
俺は言った。
「適切な経路です」
「担当は本庁に移管済みだ」
「移管が、事故前相談記録の遮断を目的とした可能性があります」
「君は――」
「その点も査定対象です」
久我の手が、机の上で止まった。
高宮も黙っている。
桐谷は発言しない。
おそらく、ここから先は企業より本庁側の問題になると判断したのだろう。
ミミが、小さく言った。
「相沢さんを責めるんですか」
久我がミミを見る。
「規則違反があれば、確認は必要だ」
「でも、記録を出してくれたから、事故前に相談があったことが分かりました」
「それと規則は別だ」
ミミは、少しだけ唇を噛んだ。
それでも、顔を上げた。
「傷と規則も、別ですか」
久我が黙った。
ミミは続ける。
「私は規則のことは分かりません。でも、佐伯さんたちは怪我をしました。自分のせいだと思って苦しみました。相沢さんは、それを知らなかったことにできなかったんだと思います」
久我は答えなかった。
俺は記録する。
【御園補助員発言】
【相沢職員の資料提出について、事故原因解明への寄与を指摘】
【本庁側発言:規則違反確認の必要性】
【追加論点:内部協力者保護】
久我が、疲れたように目を閉じた。
「……この件は、本庁内で確認する」
「確認項目を明示してください」
「黒木君」
「はい」
「君は本当に、相手に息をさせないな」
「佐伯さんたちも、しばらく息ができませんでした」
久我は黙った。
俺は端末を操作し、査定項目を確定させる。
【暫定査定項目】
一、ミカドギア社による製品弱点把握後の販売継続
二、本庁装備産業調整室による事故前相談の受領
三、本庁回答「回収指導不要」の影響
四、メーカー責任での周知が実際に行われたか
五、事故後の装着不備主張と被害者側負担
六、担当移管および資料遮断の妥当性
七、相沢職員提出資料の真正性および保護
久我は、その一覧を見つめていた。
企業側も、本庁側も、もう簡単には「知らなかった」とは言えない。
知らなかったことにはできない。
なぜなら、記録がある。
会議後。
廊下に出ると、ミミが壁にもたれて大きく息を吐いた。
「……怖かったです」
「はい」
「でも、言えてよかったです」
「はい」
「三人は刺されなくてよかったんですか、って……言ってから、自分でも怖くなりました」
「必要な質問でした」
「黒木さんにそう言われると、少し安心します」
「それはよかったです」
「黒木さん」
「はい」
「相沢さん、大丈夫でしょうか」
「分かりません」
ミミの顔が曇る。
「守れないんですか」
「守るために、資料提出経路を事故査定課への適切な提供として記録しました」
「それで守れるんですか」
「十分ではありません」
「じゃあ……」
「追加で手続きをします」
俺は端末を開いた。
【内部協力者保護申請】
【対象:相沢職員】
【理由:事故原因究明に関する資料提供】
【資料内容:GL3-17A事故前相談記録】
【報復・不利益取扱い防止措置:要請】
ミミが画面を見て、少しだけ表情を緩めた。
「黒木さん、ちゃんと人も守るんですね」
「資料提供者が不利益を受けると、次の資料が出なくなります」
「……そういう言い方をすると思いました」
「合理的です」
「でも、少し優しいです」
「査定不能です」
真鍋課長が後ろから来る。
「おい、黒木」
「はい」
「お前、本庁を査定対象に入れやがったな」
「入れました」
「胃が痛い」
「胃薬を」
「くれ」
俺は瓶を差し出した。
真鍋課長は、それを見て一瞬固まり、それから苦笑した。
「冗談だったんだがな」
「そうでしたか」
「一本もらう」
「はい」
ミミが小さく笑った。
笑っている場合ではない。
だが、笑える間は、まだ折れていない。
その時、端末に通知が入る。
ミカドギア社からの正式回答。
件名。
【GL3-17Aに関する弊社見解および本庁相談経緯について】
俺は開く。
本文は、短かった。
弊社は本件について、事故発生前にダンジョン庁本庁装備産業調整室へ相談を行い、
同室の見解を踏まえ、販売継続および周知強化を適切に実施しました。
本件については、弊社単独の判断ではなく、行政側見解も踏まえた対応であることを申し添えます。
真鍋課長が低く言った。
「責任を本庁へ投げ始めたな」
「はい」
続いて、本庁から通知。
【本庁見解】
【ミカドギア社への回答は正式な行政指導ではなく、相談対応に留まる】
【販売継続はメーカー判断であり、本庁が指示したものではない】
ミミが画面を見る。
「お互いに……」
「責任を押し返しています」
俺は二つの文書を、端末上で左右に並べた。
【ミカドギア社見解】
【本庁見解を踏まえ、販売継続および周知強化を適切に実施】
【本庁見解】
【販売継続はメーカー判断であり、本庁が指示したものではない】
左の文書は、本庁を見ていた。
右の文書は、メーカーを見ていた。
どちらも、自分の手元に責任を置いていない。
責任という荷物を、互いの机の上にそっと押し戻している。
俺は新しい項目を作成した。
【責任押戻し構造】
【企業側:本庁見解を根拠化】
【本庁側:メーカー判断として切り離し】
【論点:曖昧な相談回答が販売継続の免罪符として使用された可能性】
責任を分散させても、過失は消えない。
ただ、どこに何割あるのかが見えにくくなるだけだ。
その見えにくくなったものを、数字と記録に戻す。
それが査定だ。
俺は胃薬を飲んだ。
「黒木さん」
「はい」
「次は、どちらを相手にするんですか」
「両方です」
ミミは少しだけ目を見開いた。
真鍋課長は、頭を抱えた。
「お前はそう言うと思ったよ」
俺は端末を開き、次なる査定タイトルを静かに書き込んだ。
『その見逃しは、調整ではありません』
知らなかったことにはできない。
次は、見逃したことを、調整とは呼ばせない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第11話は、相沢が持ってきた事故前の事前相談記録を確認する回でした。
ミカドギア社は事故前にGL3-17Aの縫合部密度不足を本庁へ相談しており、本庁は「回収指導不要」「メーカー責任で周知」と回答していました。
知らなかったことにはできない。
そして、責任を押し返し合う企業と本庁。
次回は、その見逃しと責任分散に踏み込みます。
調整だったのか。
見逃しだったのか。
黒木が、双方の責任を査定していきます。
面白かった、続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると嬉しいです。




