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第9話 クソガキドライヤーを制した男の正体

銭湯やサウナで常にグループ移動する連中を「ドラクエ」と呼ぶ。


ゲーム「ドラゴンクエスト」のパーティーのように、サ室・水風呂・休憩スペースなど、各エリアを連れ立って移動することに由来する。


サウナは静かに自分と向き合う場所だが、ドラクエは、おしゃべりや笑い声で、その空間をいとも簡単に壊す。サ室もととのい椅子も一気に埋まり、多くの個人客が迷惑を被る。


彼らは銭湯全体の平和ではなく、仲間内の楽しみを優先する。


帰りの被りロッカー相手がドラクエだった場合は終了。リセットするしかない。


彼らはダベりながらノロノロ着替え、ドライヤーも長時間占領するため、もう一度風呂に入り直す覚悟が必要になる。


─────────


土曜日にしては早起きした僕は、いつもの市営ジムではなく、自宅からもっとも近いスーパー銭湯に来ていた。


ここは午前11時までにチェックインすると、土日料金900円が750円になる。


200円で利用できる市営ジムの温浴施設に比べれば割高だが、腰もだいぶ良くなってきたし、時間にゆとりがあるときは、民間施設の方が良い。


なにより設備が整っているし、木々に囲まれた露天風呂が気持ちよく、長居にはうってつけだ。


僕は水風呂に表示されている、「17度」の文字を見つめていた。


ここのサウナは95度。


以前トライしたホームサウナの水温は18度で、サウナは80度。つまりここは、温度差が広い。


ここの水風呂は入ったことがない。試しに足をつけてみると、ホームサウナと1度しか違わないはずなのに、驚くほど冷たく感じた。


───いつしか人は、数字に支配された。


どれだけ体調が良くても、血圧が140を超えれば薬を飲めと言われるし、グルメ評価は星の数で決まるし、結婚相手は身長・体重・年齢・年収で判断される。


人類はAIに支配されると言うが、すでに数字に支配されている。数字の神こそが、AIだ。


ホームサウナの18度が事実なら、この水風呂は10度くらいに感じる。


以前の僕ならこの冷たさに発狂していただろうが、王のスタイルを真似て、ゆっくりと身体を沈めていった。


大丈夫だ。入れる。


頭の中で30秒数える。


外へ出て、ととのう椅子に腰を掛ける。


ホームサウナにはガーデンチェアのような簡素な椅子しか置かれていないが、さすがは民間施設、通気性の良いメッシュ素材のととのう椅子と、優雅なリクライニングチェアまで並んでいる。


僕はこれまでに感じたことのない、身体の温かさに包まれ始めていた。


やはりサウナと水風呂の温度差だろうか。今日の気温や、天候も影響しているのか。


寒い膜に覆われた表皮と、内側の温かさ。そのコントラストが、ホームサウナのとき以上に鮮明だった。


気持ちがいい───


次第に、みぞおち付近で小さく震え始めていたなにかが、全身に広がっていく感覚に襲われた。


あれ(ととのう)が近づいてきたのか。


2度目の水風呂を終え、またみぞおちから全身へなにかが広がっていく感覚に包まれていた、そのとき。


強い風が吹いた。


木々を大きく揺らす風が身体を吹き抜けると、寒い膜で覆われた表皮が一気に刺激され、()()が全身を駆け巡った。


うわっ!


と僕は我に返り、身を起こした。


風にさらされ刺激を受けたことで、一気に()()が近づいて来た。


ととのうの感じ方は、人によって違うという。


ふわふわする、ざわざわする、心地良いめまい、毛穴からなにかが放出される感覚、頭から炭酸水をかけられたような感覚……。


しかし、体内から突き上げてくる衝動にも近いようなあの感覚を、みんなは怖いと思わないのだろうか。あのまま身を委ねて、恍惚の中へ入っていくのだろうか。


3度目のサウナでは、そこまでの感覚に陥ることはなかったが、また一歩、王に近づけた気がした。


───ととのうの正体を掴みかけた僕は、帰り支度をすべく、少し晴れやかな思いで脱衣所へ向かった。


そこで僕を待ち受けていたのは、愕然とする光景だった。


大学生と思われる5人組が、5つあるドライヤーを占領していたのだ。


終わった───


サウナーたちはこれを「ドラクエドライヤー」と呼ぶが、僕ははっきりと悪意を持って「クソガキドライヤー」と心の中で呼んでいた。


市営ジムは簡素ではあるが、ドラクエと遭遇しにくいメリットがある。しかし民間の温浴施設だとそうはいかない。


僕はドラクエの理解者だ。


友人らと銭湯に来るのは楽しい。


来れば行動を共にするだろう。自分の大学生時代を思い返してみても、覚えがないとは言い難い。


だからこの程度で僕は、不快感を示さない。


しかし、ドライヤーだけは理解できない。


なぜそこまで入念に髪をセットするのか。


2分、3分なら許せても、本番前のビジュアル系バンドかというほどに、5分、7分と終わりが見えない。


百歩譲って、その美意識も許そう。その髪を()()()()()()は否めないが、それは個人の主観だ。自分の髪を納得行くまでセットしたいと思う気持ちも、否定しない。


しかし、であるならばせめて、1つか2つ、空けておこうとは思わないのか。


ドライヤーまでドラクエすることで、多くの利用者が使えなくなることを想像できない()が許せない。


高校生なら許せる。しかし大学生だ。


社会にこそ出ていないが、もう成人。僕がこの5人組の一人なら、「他の人もいるから、一人ずつ順番に乾かそう」と言う。「二人ずつ」でもいい。


5人一斉に5個しかないドライヤーを占領できるのは、5人全員がちゃんとバカだという証明だ。


王なら。


王ならこのときどうするだろう。


きっと、クソガキドライヤーという事象自体起きない世界線を、創造なさるのだろう。


周りのおじさんたちも、やれやれ顔で辺りをうろついていたが、彼らはそんなこともお構いなく、大声で会話を続けながら乾かしていた。


ドライヤーを当てているから、大きな声を出してしまうところもバカっぽい。


ととのうの正体を掴みかけて晴れやかに始まるはずだった僕の休日は、ストレスに侵食され始めていた。


リセットか───


もう一度風呂にでも入ろうと思ったそのとき、救世主が現れた。


「お兄さん。他の人も待ってるから、一つでもいいので空けてくれませんか」


どこからともなく現れた小さな男の子が、彼らの一人にそう告げた。


あれは───王子!


なぜ王子がここに。


今日はこっちだったのか。


というか、王子もここを利用しているのか。それよりなにより、小学生が大学生5人にたった一人で───。


急に僕の守護者スイッチが入った。


王子になにかあってはいけない。


ロッカーに隠れるように動向を見つめていた僕は急に身を乗り出し、「待ってるんだけど」感を、分かりやすく態度で示してみせた。


小学生に続いて「そうだそうだ」と声を上げるのはさすがにおかしい。


だから僕は、王子の言葉に信憑性を与えるための景色の一部として、無言で強めの圧を添える役に徹した。


声をかけられた金髪の大学生が、


「ああっ、そうか。ごめんね、はいどうぞ」


と言って、王子に優しくドライヤーを譲った。


王子はそのドライヤーをすぐには手に取らず、一度辺りを見回した。そして、なにかの空気を察知すると、素早く髪を乾かし始めた。


「おい。そろそろ」


金髪がそう言うと、他の大学生たちもドライヤーを置き、待ちかねたおじさんたちが一斉にドライヤーを手にしていった。


王子はおそらく、ずっと待っていたおじさんたちに「お先にどうぞ」と言いたかったのだろう。


しかし、自分に促されておじさんを招けば、おじさんたちのプライドを傷つけてしまう可能性がある。


あなたたちが注意しないから、僕が代わりに注意してあげましたよ感、それを避けるために王子は、あくまで無垢な小学生然として、素直にドライヤーを取ってみせた。


その証拠に王子は、1分にも満たない時間で、ドライヤーを戻して立ち去った。


彼は自分が乾かしたかったのではない。待っていた人たちに早く回してあげたかったのだ。


元クソガキドライヤーたちは、何事もなかったかのように喋りながら着替えを進めていたが、あの金髪だけは、王子の行動を遠目に見て、いさめられたような表情を一瞬浮かべた。


彼らにリーダーなどいないように見えたが、どうやらあの金髪がリーダー格のようだ。


王子はそれを見切って、あの金髪に声をかけに行ったのだろう。


さすがは王子。


クソガキドライヤーを、小学生が制した。


年齢という数字が、人の器を決めることはなさそうだ。

次回・最終回「さよなら僕のホームサウナ。」

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