95、微妙な関係
とてつもない腹痛に襲われたせいで遅れました。
西の戦線より遥か南。
生物が暮らす巨大な一個の大陸は西部の温暖な気候とは違い、南部付近は気温が高く、木々が鬱蒼と生えている。
木々などそこら中にあるのだが、植生は大きく異なっており、高い気温と大量の降水に見舞われるその地域にしか生息しない植物ばかりだ。
本格的に地域というものが変わってきており、じっとりとした蒸し暑さが人々を襲う。
その暑さに慣れた現地人でも苦しいほどだ。
熱中症や脱水症状はありふれている。
例年、南の方面にある目的地を目指す途中で暑さにやられて倒れる者も少なくない。道すがら、そういう手合を客にするために、水と氷を売る露店があるのも有名である。それも、かなり足元を見た金額なのだが、事前に下調べもせずに、天候というものを舐めている者の教育費としては安いくらいだ。
暑さとは、誰にでも平等に降りかかる天からの攻撃なのである。
大いなる自然の脅威は、人など簡単に捻り潰せる。
それは、勇者一行であっても変らない。
「うげえええ……あっつう……」
とてつもなくダレた声を、アイリスが漏らす。
恐ろしく『聖女』らしくない、俗物的としか言えない様子だ。神聖さを感じる神官服も、強引に腕を捲られ、襟元をバタバタと煽っていれば形無しである。
だが、その砕けた態度はかなり親しみが持てる。十代の少女らしい姿を晒しているのは、それだけリラックスしているのだと分かるだろう。
そして、彼女の態度と言葉の通り、今まさしく暑さにやられている真っ最中だ。
「暑い暑い言うな。余計暑くなる」
「暑いものは暑いんですぅ……。黙らせたいなら、なにか涼む方法でも出してくださぁい……」
へばるアイリスに突っ込みを入れて、手前勝手な言い分に苛立つのはカイルだ。
ただでさえ蒸し暑いのに、暑い暑いと連呼するアイリスには多少痛い目に遭ってくれないかと心の奥で思っている。だが、仮面を脱いだアイリスを嫌わず、受け入れているのだから、懐の深さが知れた。
だから、アイリスは遠慮をしない。
自分を預けられると心から信じられるから、ありのままの自分を曝け出せたのだ。そして幸いなことに、勇者一行の中で今のアイリスよりも、あのまま固く接される方が良いという人間は居なかった。
少なくとも二人はそうだ。
その二人のうちの一人であるカイルは、雑になったアイリスに対して粗雑な対応をする。
「このバカ女……」
「は?」
シンプルな罵倒に頬をひくつかせる。
まあ、実際にあまり頭が良くはなさそうな話し方をしていたが、返答まで頭を使っていない。
実際頭が沸騰しそうな暑さで、あまり脳を動かしたくないのかもしれない。
だが、変な活力だけはあるようだ。
アイリスは怒りを燃やしながら、ふざけた事をぬかしたカイルに食って掛かった。
「誰がバカ女だって?」
「目の前の似非聖女だよ」
「? ここには本物の『聖女』しか居ないよ? 偽物なんて死罪だからね?」
「すっとぼけやがって!」
暑苦しい森の中を歩きながら、軽口を叩き合っているのだから、なかなか仲はよろしいようだ。暑いからどうだの言っていたが、暑くても言い合いをする活力はある。
それだけに飽き足らず、カイルはアイリスの側頭を小突いた。
それにアイリスは「アイタッ!」と、小突かれた頭を抱えながら、カイルを睨む。
「おい、このバカ女どうにかしろ! リョウヘイ、コイツの世話はテメェの管轄だろうが!」
「…………」
カイルはさっきから黙りこくる黒髪の勇者、リョウヘイに意見を飛ばした。
自分の手に負うには面倒くさくなったのだ。なんとかして、目の前の化けの皮が剥がれた阿呆を押し付けようとしたのは明らかだ。カイルはそのまま阿呆から視線を移して、リョウヘイを見ようとしたが、
「…………」
「おい、阿呆勇者!」
ボケっとしているだけではない事に気付く。
カイルは急いで自分の腰に下げた水筒をリョウヘイの口に突っ込んだ。それから携帯している塩を続けて突っ込み、何度か軽く頬を叩く。
完全に暑さにやられていた。体の水分を全てひっくり返したのではないか、と思えるほど凄まじい汗をかいていた。妙に口数が少なくなったと思えば、喋るどころではなかったらしい。
リョウヘイはゴホゴホと咳き込んで、
「び、っくり、した……」
「こっちのセリフだわ!」
「私もびっくりした……」
全員が肝を冷やしたらしい。
凄まじい暑さの中でようやく少し冷えたのだが、こんな冷え方はしたくなかった。倒れる寸前のフラフラの状態でいた事に気付けなかった時点で、かなり認識能力がやられていたように見える。
カイルとアイリスは、いつもとは違う汗を背中に滲ませた。軽くふざけていた間にまさか重症者が隣に居たとは思いもしなかっただろう。
「あ、ありがとう……意識、朦朧としてた……」
「リョウヘイ? ちゃんとそういう時は私たちに言ってくれないと……。あのままなら倒れてたよ?」
「ごめん……」
反省しながらリョウヘイは頭を下げて謝った。
完全に無駄に焦らせてしまったのだ。申し訳なさを出しながら、変わらずに滝のような汗を滴らせている。
全員汗だくになりながら、顔を見合わせる。
リョウヘイが謝ってから少しの間全員が黙って、じめじめした暑さを肌で感じ取り、
「「「あっつ……」」」
三人同時に呟いた。
我慢ならない灼熱に身を焦がされながら、苦の意を一言で言い表す。
馬鹿げた暑さだが、流石に暑すぎた。
三人とも、既に限界に近い。熱い蒸し風呂よりもさらに苦しく、その熱の中に留まらなければならない時間も長い。リョウヘイとカイルの体力なら底なしだが、アイリスの身体能力は見た目相応のものしかない。
全員が死にそうになりながら足を進めた。
フラフラになって天を仰ぐ。
空にはギラギラとした太陽がリョウヘイたちを嗤って、その影響からは逃れられない。
足を止めず、リョウヘイがダレた声で、
「ていうか、なんで、俺たち歩いてるんだ?」
アイリスとカイルは、リョウヘイを『何を当たり前な事を』という目で見る。
アイリスは白く、長い髪を鬱陶しそうに払いながら、リョウヘイのものよりもさらにダレた声色で、
「忘れたの? カイルが馬車で行くより走った方が早く着くって言ったんだよ?」
「なんだ? なんか文句でもあんのか? 馬より俺とコイツがお前を担いで走った方が速いんだから当然だろ?」
西の戦線から、異端審問官デドレイトの言葉に従い、トロンに行くにあたっての移動方法の案がいくつか出された。その時、アイリスは一度聖国に戻り、馬車で行くことを提案したのだが、そこにカイルは待ったをかける。カイルいわく、『馬車より俺らが走った方が速え』という脳筋な意見だ。
確かに身体能力を強化すれば、前衛組二人は馬より遥かに速く走れる。彼らの目的は、一刻も早く王者を倒す、というものだ。それを吟味し、リョウヘイも賛成したという次第でこうなっている。
呆れる二人に、リョウヘイは不思議そうだ。
何故こうなったのか、とでも言いたげで、
「じゃあ、なんで今歩いてるんだ?」
「あ? 有事に備えて、途中で小休止挟みながら進もうって言ったのはテメェだろうが」
西の戦線からトロンまで、直線距離でおよそ六千キロメートル。いくら二人の身体能力とその強化率が高いと言っても、流石に一息で行くには遠すぎる。普通なら馬車で、数十もの街に寄りながら、半年はかけて行く距離だ。
リョウヘイたちは出発からおよそ半月、貰った水と食料をつまみながら、街にも寄らずにほぼ一直線に突っ切って南部にまで辿り着いていた。
だが、魔力は使えば減る。減る上に、間違って限界の限界まで使い果たせば、どれだけ希望的に見ても三日は使い物にならなくなる。身体能力だけに使うのなら微々たるものだが、三日間ほぼ徹夜で行えばかなりキツイし、道中でイレギュラーが起こらないとも限らない。常に最低限の余力は残しておくべきなのだ。だから四日に一度は、魔力を全く使わず、捨て身で歩くという時間を作っていた。
「……歩くにしても、もうひとり居ないとダメだよな?」
「…………そういえば、馬車と走り以外に、彼女の『転移』の魔術で直接行くっていう案が出たけど本人がトロンに行った事がないから不可能って却下してたような」
「………………不自然に忘れてたなあ、あの女の存在。魔術の気配がすんのも気の所為じゃなねぇ」
三人揃って天を睨んだ。
あいも変わらずギラギラと太陽が燃えているが、魔術の気配に敏感な三人は、そこに違和感を覚えてしまう。先程までは感じなかったのだが、タネに気付いてしまえばもうマジックショーには入り込めない。
「…………」「…………」「…………」
リョウヘイは『聖剣』を構え、カイルは愛槍を構え、アイリスは術を構築する。凄まじい魔力が集まり、高まり、純然な破壊のエネルギーが生まれようとしていた。
そこで、天で輝く太陽が初めて揺らぐ。どこか焦るようにグニャリと形を崩して、先程まで発されていた熱が逃げるように散っていった。
だが、三人は止まらない。
破滅の光の奔流と、地獄を埋め尽くす業火と、全てを呑み込む暗黒が空に向かって放たれようとして、
「ば、馬鹿か! いくらなんでもそんなのを、」
空から誰かの声がしたが、彼らは無視だ。
パッと彼らを苦しめる太陽が小さくなる。
その瞬間に、凄まじいエネルギーが混ざり合って爆発した。天空を彼らの色で完璧に塗り潰し、余波の爆風で街道と森を破壊していく。
この傍迷惑な事件を引き起こした犯人たちは、己の有り余るエネルギーと無駄に高度な技術によって、半日足らずで破壊の跡を直したのは、この直後の話だ。
※※※※※※※※
「テメェ、俺らの事ぉ殺す気だったろ?」
「心外。確かに私がお前たちと仲良くする義理はないけど、私は王者討伐には全力で協力してる。これはちょっとした嫌がらせだ。なんて事のないイタズラだよ」
何食わぬ顔でラトルカは答える。
詰問しているカイルが青筋を立てたが、気にも止めずにいけしゃあしゃあとのたまった。
ラトルカのした『イタズラ』は、自身の存在に対しての認識阻害、熱気と水分を操る事による即席の蒸し風呂の創造である。体感にして、六十度を超える灼熱の中での行進は、ただ熱いなどというものではない。
ピキピキとカイルの血管が浮き上がる。
「このクソ女ぁ……」
イタズラと言われればそれまでだ。
死ぬほど苦しかったし、アレが意図的と言われれば本当に腹が立つ。しかし、それで仲間割れなど愚行の極みでしかない。割とやり返したくもあるが、やればやり過ぎる自信がある。
だから、カイルは深く突かない。
もう少し冷静な判断が出来る二人に任せた。
「いや、あわよくば狙ってたでしょ?」
「…………」
アイリスの指摘を否定も肯定もしない。
怪しいというか、確定的だった。あのまま気付けずに、魔術に囚われ続けるのなら、ラトルカは手を緩めずに死ぬまで続けた事だろう。
ラトルカは契約で、王者討伐に全力を尽くさなければならない。これは絶対に遵守され、どんな私事を置いたとしても成し遂げなければならない。
だが、
「ルシエラ様から聞いてるよ? 貴女は契約で縛られてる。だから王者を討伐しないといけないけど、私たちを殺す事は縛られてないんだよね?」
「…………」
「知ってるよ。ラトルカのお祖父さんがそういう条件で契約したんでしょ?」
王者を討伐する者たちは、神が見繕うのだ。
未来の『勇者』と『聖女』に同年代で、かつたぐい稀なる才能がある者を選ぶ。カイルとラトルカは幼い頃から、そういう契約を交わさせられているのだ。
そして、ラトルカの契約に関しては、その祖父であるルーメン・ラヴルージが絡んでくる。
「『骨のある奴にしかあの娘を任せられん』って言ったらしいね? だから、曖昧な条件の契約を結ばせた」
「マジか? 俺の時は?」
「ちょっと黙ってろ、カイル」
アイリスの言っている事が気になるのは分かるが、この流れで差し込むのは違うだろうとリョウヘイがカイルをすっぱ抜く。
アイリスとラトルカは無視した。
話を逸らすつもりは毛頭ないらしい。
「あんな初歩的な事も気付けないようなら、ていう感じだったんでしょ?」
「……察しが良くて困るわ」
アイリスの言葉に対して言い訳も無かった。
イタズラの範疇に収まる事をしてはいたが、これでは殺意ありと捉えられる。殺せるのなら、殺す気でやると暗に認めている訳だ。
だが、これは裏切りではなく、試しだ。
ラトルカも、本気で殺せるとは思っていなかったのだろう。これまでずっと、ラトルカは三人とあまり良い関係を築けているとは言えない状態だった。信用は一応ギリギリしているようだが、信頼しているとはお世辞にも言えない。だから、と言って良いか分からないが、ラトルカは三人の事を測ろうとしているのだろう。
少なくとも、人の心に詳しいアイリスはそういうニュアンスを感じた。
「まあ、別に良いわ。私は貴女が何を試しても許してあげる。貴女の気持ち、分からなくもないから」
「…………」
「男二人、文句ないよね?」
リョウヘイとカイルは取り敢えず頷く。
試されていたという事はなんとなく分かったし、殺意も薄かったのも理解出来た。これからも同じ戦場を戦わなければならない相手だ。わざわざ溝を深める事をしてはならないと、ちゃんと分かっている。
「でも、試しは一端終わってほしいな? そろそろトロンに着くだろうし、行った事がなくても『転移』で飛べるでしょ? 貴女くらいの魔術師なら、これくらいの距離はちゃんと認知出来るはずよ」
『転移』の魔術は、遠く離れた距離を一瞬で埋める事が出来る便利な魔術だ。
しかし、行ける先は一度訪れた事がある場所、もしくは術者が認識出来る場所でなくてはならない。トロンには行った事がないという事で、旅を始める事になった四人だが、それももう終わりだ。
距離で言うなら、トロンに充分近付いた。ラトルカほどの高位の魔術師ならば、感知する事に全力を注ぐなら、数百キロは認識する事が出来るだろう。
「……チッ!」
「ほら、舌打ちしない。私たちは暇じゃないの。貴女も今の状況は分かっているでしょ?」
面倒くさそうにラトルカは顔を歪める。
だが、ラトルカの大きく魔力が高まり、弾ける。魔力を飛ばして知覚を広げるという離れ業だ。アイリスの言葉に素直に従っているあたり、分別というものはある。
ラトルカも、三人とは絶望的に性格と価値観が合わず、今すぐにでも殺したいと願う訳ではない。
ただ、大切なものを作りたくないだけだ。
そして、景色が切り替わる。
「うおっ!」「急に……」
リョウヘイとカイルは驚きの声を漏らすが、女二人はいたって冷静だ。
アイリスはすまし顔で、ラトルカはアイリスをきつく睨み付けながら佇んでいる。良好とは言い難い態度ではあるが、最悪というほどではなさそうだ。
「…………」
ギスギスとした空気が流れる。
それに巻き込まれた男二人は気まずそうに顔を見合わせる。先程までは怒りの色が強かったが、どことなくラトルカから流れる不信と、全体から出る不安感が、雰囲気を鉛のように重くした。
「さ、行こう。神様の使いが待ってる」
アイリスはその空気を打ち破るように言った。
目の前には、大きな街が見える。
リョウヘイとカイルはアイリスに釣られて、ラトルカは仕方無しに、目の前の街へと続いた。
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