204、心臓
「忌々しい……!」
命を燃やした敵は、手強いものだ。
死を覚悟することで精神は追い込まれ、逆境から脱却するために己の力量以上の力を発揮できる。
格上を屠る弱者は、まさにこの例だ。
力量差を覆すイレギュラーが起こる。
クララにとって、人に近い精神性を持つ生物の嫌な部分が、ここだった。
敵と戦う場合、クララは徹底して心を折るように注意している。
神のためにというのもあるが、一番はそうした不確定要素を完全に排するための処置だった。
逆転の目を完全に潰すのだ。
今回の場合においても、彼とクララとでは遠すぎる実力差がある。だが、万が一、億が一は、必ず存在する。細胞の一欠片すらも残らず燃やし尽くされ、灰になれば、クララとて再生は難しい。
無理ではないが、それでもさらに奇跡でも起きたなら、本当に死にかねない。
だから、クララは手を尽くした。
なるべく彼の心の痛いところを突き、目を逸らした苦しい部分を見せつけた。
そうして、彼はクララの目的通りになった。
絶対に覆せないと思わせる力を示し、化け物風情が何を人間のフリをしているのか、と突き詰めた。
仕事は完璧に終わった。
心が折れて、もう動けなくなった。
本来なら、そこで終わっているはずだった。
そうなるように、懇切丁寧生真面目に戦った。
だが、横槍が入った。
舞台装置に紛れ込んだ、たった一つの小さな小さな小石。歯車を軋ませ、狂わせる一番はじめ。どう考えても、入ったところで大した影響など望めるはずもないのに、何故か大いに結果は変わった。
神のいたずらと言われても納得しかける。
クララはそういう茶々入れないと知っているが、あまりにも都合が良すぎた。
ある程度は想像通りだが、あの暴走以上のことは、頭によぎることもなかった。
クララは頭の潰れた死骸を睨む。
本当なら、死体など最早モノでしかない。
生物ではなくなったのだから、生き物のように扱うのが間違っていると、クララは思っている。
睨むなど、生きている者にする行動だ。
忌々しいと思った敵と、そこに転がっているモノは別だというのに。
クララが睨むべきは、もうそこにはないであろう彼の魂だというのに。
だが、そうせずにはいられなかったのだ。
彼の残骸すら憎むほどに腹がたった。
坊主憎けりゃ袈裟まで、と同じこと。
今まで、敵などどうでもいいか、見下すくらいだ。心底敵が嫌いになったのは、初めてかもしれない。ソレに関心を持ったことがなかったのだから。
だが、今回は違う。
話し合い、理解をし、聞く耳を持って、その上でバカにされたと怒っている。
「どこまでも、ふざけやがって……!」
苛立ちに任せて、メイスを振り上げる。
冷静になるべきだと、頭のどこかで声が聞こえたが、静止を振り切って鈍器は振り下ろされた。
先のような抵抗は当然なく、すんなりと、欠伸が出るほど容易く、吸い込まれるように直撃した。命に対して必死だった姿は既になく、本当の本当に死んだのだ。
頭が半分潰れ、脳漿がはみ出ていた死体の顔面が爆散し、さらに酷い状態になる。
死体にダメ押しだ。
魂は、既に天へ消えたに違いない。
だが、それよりも、だ。
クララは完全に頭に血が上っていた。
僅かでも冷静さが残っていたなら、死体の顔面を叩き潰す前に、メイスは途中で止まっていたはず。いや、そもそも振り上げすらしていなかった。
幼稚な行動で、何も解決しないのだ。
ただ己を貶めるだけで、何も良いことがない。
大人であること、何ものでもない子供のままではないことの証明をしたはずの、人のすることではない。
クララは己の意思で、己を止められない。
幼稚だから、止められない。
殺したはずのソレを相手に、何度も何度も、無意味な攻撃を繰り返す。臓物の一つ一つが完全に消え去り、血が残らず大地に染み渡るまで。
残ったのは、偶然、攻撃が外れ続けた心臓だけ。
それ以外は原型も残っていない。
死体すらも、そのままにはしておけない。
怒りは深く、留まるところを知らない。
地震が何度も連続して起こった。
ただの時間の無駄でしかなかった。
「このボクを相手に、手加減だと……!?」
ここまで虚仮にされた事がなかったのだ。
クララは自他の実力を、過小評価も過剰評価もしない。だから、彼と己との絶対の実力差が分かる。
途中で割って入った女は、そういうものだと知っていた。
アレは、もう病気だったのだ。
そんなものにとやかく言うほど、クララは暇ではない。言ったところでどうにもならないのだから。
だが、彼はそうではなかったはずだ。
自分の命に執着する、真っ当な生き物だった。
クララは、この手の感情を読み取るのは、誰よりも長けている。生存欲求に支配されているのは、クララもほぼ同じことだからだ。
彼はその観点から見て、とても獣らしかった。
そのことだけは間違いない。
どれだけ目が曇っても、正しい認識を示せる理解と経験が、クララにはあった。
だが、だというのに、手加減された。
生命の危機に、全力を尽くさなかった。
ここまで中途半端な結果に終わってしまうとは思わなかったのだ。
魔物と人が入り混じった姿のままで、彼はクララの相手をし続けた。真の姿を解放することもなく、出し惜しんだまま、死んでいった。
愚かどころの話ではない。
目的があったのは知っている。何がしたかったのか、分からないとは言わない。彼には彼のプライドがあるのも、察せられよう。
しかし、姿を縛った理由だけは、分かりたくない。
こんなことのために、命を捨てたのかと思えば、本当に腹が立つのだ。
クララの目には、身の程知らずの無知な愚者が、自分を馬鹿にしたとしか思えない。
何も知らないくせに、上から目線で。
神の使徒とて、人並みに苛立つこともある。
この程度のデク風情が、いったい何を、誰を自分よりも下に見ているというのか?
「ふざけるな!」
怒りと屈辱と、失望が渦巻いた。
侮られたことによる怒りと屈辱。
それから、自分と同じタチだと思っていたソレが、プライド可愛さにやりやがったという、失望。
クララは、彼のことを見下していた。
自分よりも下の存在。王者という、木偶人形にも劣るカスから生まれた、絞りカスの絞りカス。
その程度の存在だと、心から思っている。
だが、ほんの僅かに彼を買っていた。
生への執着は、共感できるものだった。
それは、生半可なものではない。
理性を捻じ曲げ、何よりも優先されるだろう感情。バランスが悪すぎるほどに強い、死への恐怖心。
人よりも強い獣なのは、分かっている。
クララもその点から見れば、そこらの獣と大して変わらないのだ。
ここは、分からなくはない。
守りたいものへの執着は、共感できるものだった。
それは、生半可なものではない。
全てを否定して然るべき、何かを胸に抱く。
敵の命どころか、生存欲求で守られた己の生命すらもかなぐり捨てしまえる覚悟がある。
何でも出来る強い強い意志がある。
格上に歯向かう行為の裏には、称賛すべき宝玉のような想いがあったはずだ。
ここは、分からなくもない。
だが、アレは最期まで全力を尽くさなかった。
全てを使い切ることをしなかった。
ここだけは、絶対に分からない。
いや、分かるのは分かる。言葉にするのは容易いが、心から理解を示せるとは思えない。
「こんな、ことが……!」
プライドなど、捨ててしまえばいいのだ。
魔物であることから逃げて、人のフリをしていたのは見てきた。
なるほど、それは納得しよう。
元の図体で隠れられるはずもなし。人に化け、隠れるのはクララも大いに賛成だ。確実性を考えたなら、ほぼ最善手を取ったのだろう。
クララも、同じ立場ならそうする。
だが、そこに情念を持てばおしまいだろうに?
「愚かしいにも、程があるぞ!?」
死体の、顔があった位置を踏み躙る。
音を立てながら、大地にヒビが入る。
出来た亀裂の中に、残った心臓が一つ、転がり落ちていくのが見えた。
見えただけで、気にも留めないが。
「人のフリを続けることが、そんなに大事か!? たかが、たかが茶番のために!」
プライドが大切なのは、大いに結構だ。
クララも、誇りというものが人を豊かにする大切なファクターだとは思っている。
しかし、あくまでも要素でしかない。
命という大きな組織の、重要な部品でしかない。
それは大きく、たくさんの葉を着け、多くの栄養を全体に送ったのだろうが、それは木の幹でもなければ、根でもない、ただの枝でしかない。
プライドのために、命を懸けるなど論外だ。
人として扱われていることに喜びを見つけることも腹立たしいが、そんな事のために死ぬなどふざけている。
なまじ、彼の生き方や思考に共感を抱けてしまった分、余計に怒りは激しい。
人であることを守り、魔物であることを捨てた。
だが、その過程で何故命まで捨てるのか?
クララは、納得できなかった。
似た思考、似た選択肢を持った彼がソレを選んだなら、自分も愚の骨頂と言える道を選ぶかもしれないのだという未来を見せられた気がして。
ノイズが、意志を曇らせる未来。
不必要な一念が、何よりも大切なものを守らせないという道筋だ。
怒っていた。
屈辱だった。
失望した。
そして、
「冗談、ではない……!」
恐れていた。
そうなる未来を。
「クソ! なんて、不愉快な敵だ!」
クララは元来臆病だ。
どんな場合でも、最悪は想定しておく。
思いついた最悪は、いつまでも彼女の脳裏から消えることなく残り続ける。
今まで、考えもしなかったことだ。
自分の意志を信じ、自分の愛を妄信していたから。
ソレとコレとは別だとは分かっていても、臆病という病は何の関係もなくクララを縛る。
その肉体に一筋の傷すら付けられなかったが、その心に深い傷をもたらした。
死の間際まで行った彼の中途半端で必死な抵抗は、彼の予想以上の事を為した。
「…………」
全てを知る関係者なら、おめでとう、と賛辞を送ったかもしれない。
良くやった、良く頑張った、と。
確実に死ぬと知りながら、想いを貫いた。
天晴の言葉以外に何もない。
彼程度の分際で出来る仕事ではなかった。彼の意志と執念が掴み取った奇跡だ。千回やっても、一度しかこうはならなかった。その一回を、はじめの一度目に持ってきた。
この数分のクララの行動、言動がその証だ。
奇跡がなければ、クララはすぐに踵を返した。
彼のことをどうでもいい存在として、一時間もしないうちに忘れていただろう。
彼の必死の抵抗も、何も残らず終わっていた。
ゼロで終わるはずが、何かが少しでも残っただけで、本当に大健闘だった。
「はあ……」
歩を緩めるなど、クララは絶対にしなかった。
いつも通りに、いつものように、覚悟など最初から決まっているから、速度は変わらない。
躊躇いの入り込む余地はない。
だが、それを遅らせたのだ。
傷が立ちどころに治るクララは、肉体的な要因で止まることはない。精神が盤石で、ブレることのないクララは、心のキズを理由に止まることがない。
けれども、彼はやってのけた。
クララの時を遅らせた。行動に無駄を生ませ、最も不愉快な敵として認識させた。
未だかつて、そんな敵は居なかった。
クララが殺してきた数万という命の中で、クララの記憶に深くに消えぬキズを残した存在など。
「まだ、終わってない、か……」
彼の程度を考えれば、まさに偉業だ。
不可能を可能にしたとも言える。
どんな形であるにせよ、彼は想定外を起こした。
「行こう……」
なんと、およそ三分間、クララは足を止めた。
戦闘以外、つまり必要外の時間を使った。
クララが嫌う無駄を、省かせなかった。
これから行う予定が三分ほど遅れるだけで、予定自体には何一つ影響はないが、それでも凄いものは凄い。
それだけだ、と言ってしまえば、本当にそれだけで終わるが、裏側にはこのためにながされた血が、色濃くこびり着いている。
執念とプライドと、想いの結末だ。
クララの予定が少しだけ伸びて、クララが不愉快だったと記憶した。
彼我の差を考えれば、大健闘だった。
拍手でも送ろうか?
無駄な献身を称えれば満足か?
褒美に、墓標に唾でも吐きかけようか?
クララは、次を決めている。
何をするのか、もう既に。
止めようとする敵は、もう居ない。
「ん?」
踵を返そうとした。
ひとしきり、発散は済んだのだ。
もう本当にここにいる意味はなく、さっさと差し支えている次に行こうとした時だ。
クララは微かな違和感を感じ取る。
小さな種火のような、僅かな火だ。
弱々しく、すぐに風に掻き消されてしまいそうな。
だが、
「…………!」
気が付いた。
それは、魂だ。
形こそ見えずとも、内包しているエネルギーのことだけは感じ取れる。
この時点で、クララの脳裏には、崩れた彼の様々なパーツの中で、一つだけ残った心臓を想起する。
だが、あり得ないのだ。
頭が潰れれば、生物は死ぬ。
心臓以外の全てが潰されれば、生物は死ぬ。
絶対にあり得ない。
魔物は神の加護を得られない。
西の魔物に、こういった不死性を持つ存在は寡聞にして聞かない。
「バカな、死んだはず……」
魂が爆ぜるのを、見た。
心臓をコアにして、ヴァウツォウルヘンの魂のエネルギーの全てが使われ、無限の衝撃に変わる。
起爆の音すら、聞こえなかった。
クララの視界は、ただ光で満たされた。




