203、自己批判
■■■視点
間違えた。
一瞬の判断を誤った。
そこにある死を前に、囚われた。
現実を受け入れたくなくて、何もかもを放棄してしまった。
考える事も止めたなら、本当にもう何もかもおしまいだ。
俺は、アレコレ考えてここまできたのだから。考える事でここまで生きられた。何百年も、殺されそうになっても死ななかったのは、知恵があったからだ。戦場において、死地を熟知し、無駄で無理な争いを省いてきたからだ。
それが、今はこのざまだった。
別にしなくてもいい戦いを、圧倒的な格上相手にしかけた。
何で、こんなことをしたのだろう?
どうして、こうなったのだろう?
本当に、手も足も出ない。
背を伸ばしても、命をかけて先に行こうとしても、分厚い壁が目の前にある。
何度壊そうとしても、乗り越えようとしても、俺にそれが出来ないようになっている。
およそ三百年、ここまで苦しかったことはない。
同じことばかりで、結局は何も出来なかった俺ごときには、荷が重すぎる。
出来る、だなんて思えない。
俺の経験は、温い勝利と勝負にもならない虐殺と、ただの敗北しかなかった。そのくせに、ここ一番だけは勝ちたいなんて、ムシが良すぎる。
生まれながらの負け犬の俺には、勝負事なんてそもそも向いてなかった。
長い生の中で、勝ちをもぎ取ったことなんて一度たりともなかったから。
俺に出来ることなんて、本当に少しだけだ。
でくの坊な俺には、その少しすら、有効に活用できない。本当にしたいことには、どうやっても届かない。
嗚呼、俺は勝負なんてしたことがないんだ。
強い相手には、頭を垂れるか逃げるかしかない。
どれだけクソな環境でも、死ななきゃ安いと思って、逃げ続けてきた。
死にないように、闘うのではなく、耐えること選んだ。環境を変えてやろう、なんて気概はなかった。変わればいいだろうな、と時間に任せただけだ。
辛苦の時を耐えたという事実を盾にして、己の怠惰を見過ごしていただけだ。
現状を変えるための努力など、しない。
ただ死なない道を進むと、他とは少しだけ違う、高い位置が用意されている。だが、そこは他より高いだけで、特別でもなんでもない。
何となくそう落ち着いただけで、運命や偶然以外にこうなった理由はない。
運が良かった。
悪ければ、とっくに死んでいる。
頭の出来が偶然悪くなかった。
ただのバカならとっくに死んでいる。
いつも周りには、俺ごとき簡単に殺せる存在が必ずどこかに居た。
殺すことに躊躇いのない者ばかりだった。
彼らに必要以上に近寄らないことが、生存の大きな要因になった。
我らが王は、我らの親だが、我らを別に愛してはいない。
あの御方は暴君でしかない。
自分の分身であり、そこに生まれた自我など気にも止めない方だった。
そもそも所有物ごときに、情など必要ない。
使い勝手の良いものに改良するのも、ストレス発散のために壊してしまうのも、主人の自由だ。
俺の生みの親たる我が王は、苛立つと我らに当たる。機嫌が良ければ、力を与えることもある。
最初にその法則に気付いてから、俺は然るべきタイミングで近付き、然るべきタイミングで離れることを覚えた。分かりやすかったし、そこまで苦労はしない。
常に気を張り続ける生活だったが、疲れ果てるほどではない。
何度か柔順であること以外も考えたが、それ以外の道など不可能だった。
逆らう気になれないほど、力の差があった。
戦いの場でも、楽は出来なかった。
何万という敵が俺の前に立ちはだかり、俺たちを死にものぐるいで殺しにくる。
一人ひとりが弱くはないのだ。
俺に比べれば、それは何段も格が落ちるが、油断すれば傷を負う。そして、出来た小さな傷から、突破口を広げられる実力と気概が、彼らにはある。
一人残らず、彼らは戦士なのだ。
しかも、そんな戦士たちの中でも、頭抜けて強い者が稀に居る。
人の身だというのに、人の枠組から離れた者たち。
決して弱くはない人間たち。
百や千人分の強さはあるような、類稀な逸材。
俺も何人も屠ったが、命に届きかけたことも何度かあった。命に懸ける情熱と、強い使命感、彼らの実力も相まって、ヒヤリとしたことは何度も。
英雄、という名に恥じない者たちが居た。
生物元来の強さを覆さんとする、天才たちだ。
彼らを見て、生きねばと強く意識した。
…………
ああ、他にも居た。
戦場には、一人、枠組を超越した化け物が。
一際巨大で、目立つ男だったのを覚えている。いや、あんなものを忘れるものか。
俺の自我の芽生えは、いつだったか?
人間は、幼少期の記憶は大抵薄れて消える。幼少期、と呼べる期間は俺にはなったが、記憶は薄れていくものだ。自我も最初の最初は分からない。
だが、その薄ボケた記憶の中でも、鮮烈に刻み込まれた巨大すぎる存在感は消えることなく在る。
確かに、巨大な男だった。
他の人間よりも明らかに大きかった。
力強さの印象を、見ただけで抱かせる。
獲物も異様なほどに大きく、ただでさえデカい男と相まって、とにかく巨大とだけ感じた。
人ではない俺の方が、絶対にデカいのに、だ。
見下ろす形でしか見たことがないはずなのに、今思い返せば見上げた場面で思い浮かぶ。
ただの腕の一振りが、俺すら見上げる大巨人の一薙ぎに思えてくる。
強さの桁が違う本物の化け物だ。
アレの名称を、『神の使徒』と呼ぶのだと後になって知ったが、これほど納得を抱いたことはない。
誰よりも濃く神に愛されたために、誰よりも強く神に近付き、その加護を受けた例外。格が違いすぎて、近寄ることも二度目から止めた。
アレが必要以上に攻め込む気を起こさないから、あの戦場は成り立っていたのだ。
我が王に勝るとも劣らない、いや、もしくはそれ以上のアレに本気で暴れられれば、その時点で終わっていた。
何故、人類の守護者のはずのアレが、人類の苦しみを長引かせるような真似をしたのか、知らない。知るはずもないし、分かりたくもない。
今、この瞬間、俺を殺す化け物もそう。
神の使徒というものは、ああいうものだ。
俺の想像の範疇を遥かに超えている。
何をしても勝てないという感覚はあったが、予想以上に何も出来なかった。
命を燃やし尽くすつもりで攻撃したのに、全てを塵にせねばと、そうなるように全力以上を出したのに、結局は通じなかった。
殺すつもりなら、瞬きの時間も要らないだろう。
わざわざ痛めつける事を目的にしなければ、実力を発揮する前に死んでいた。
逃げる事も考えたが、本当に逃げたあの時まで、何故か思考から省かれた。
きっと、俺なら出来たはずなのに。
誰の目にも止まることなく、こういう田舎に隠れられただろう。
だが、出来なかった。
なんとなく、止めた方が良いと思った。
本当に、良い思い出がない。
周りには好戦的な獣が多かったが、彼らの思考の欠片すら理解できない。
殺される恐怖に気付かず、最期まで戦いきったアレらが羨ましくも思う。
俺はずっとずっと、戦いを嫌っていた。
向いてない理由は明らかだ。
こういうまともじゃない経験しかしていない上に、そうして育った気質がこうなのだから。
さっきの戦い、いや、戦いですらないか。
一方的な蹂躪は、戦いとは言えない。
あの蹂躪で、心の底から思った。
俺は臆病なだけで、こんな力を持つような器ではなかったのだ。
出来る範囲の中で何でも行動していたつもりだったが、それでもまだ傲慢であったらしい。
俺のような魂の弱い小物には、俺の力はあまりにも大きかった。体ばかりがデカくて、それを使いこなすべき中身はまったく伴っていなかった。
最期まで、判断を間違えたのもそうだ。
アレは揺るがぬ意志があって、ただの人間一人の死など気に留めていられなかった。
きっと、強くなければ、神の使徒になれなかったのだろう。
俺は神なんて見たことがないし、どうでもいい。曖昧なものに祈る必要なんて、ないと思う。その存在は確かに必要なんだろうが、俺にはそうする理由がなかった。
だが、弱い人々と関わったから分かる。
目的がなければ、人は簡単に落ちぶれる。
だから、天に人智を超えた存在が居て、そんな見えない、凄いナニカに努力を認められる必要があった。誰かに見守られている、と思いたかった。
人々の甘え、願いが形となったのが神だ。
数億という人の希望を守り、それを代行せねばならない選ばれた戦士たち。
生物の枠を超えようとしている本物の化け物でなければ、務まらないのは道理なのかもしれない。
憐れな強者たちと、思ってしまう。
アレにしても、彼女の死を悲しめるのは、後にも先にもあの一瞬だけなのだろう。
弱い俺なんかとは正反対だ。
苦しかろうに、それを表に出してはいけない。悲しかろうに、そんなものに浸かる暇はない。神のために、捧げてしまったのだから。
魂は研磨され、より鋭く、より強く。
歪な生を歩んできたことが、嫌でも分かる。
聞けば、年の頃は二十にも満たないらしい。
だが、感じた威圧感は、共に三百年を過ごした奴に勝るとも劣らない。
よほどの天才だったのは間違いないが、それにしても、常軌を逸している。
幼い子供が、あれほど強くなってしまうのが、どうにも悲しくてならない。
「―――――――――」
俺が、こうして死んだ理由が、コレか。
生存のために全力を尽くすだけで良いはずの俺が、敵を憐れむなんて事をした。
戦闘において、生存において無駄な思考だ。
こんなことを頭に置いておく隙間は、どこにもない。無駄どころか、足を引っ張るだけのものだ。他の誰かなら、必要だと言ったかもしれないが、少なくとも俺個人にとっては害以外の何ものでもない。
魔物として、本来備わってはいない、そんなことはあってはならない機能だ。
元々獣らしくない俺でも、人のような感情は、不純物だと分かる。
だが、今の俺は毒されている。
たった数ヵ月の生活で、もう見てはいられないほどに、甘くなってしまった。
魔物のままであったのならば、もっと冷徹な手段を取れたはずだ。あの致命的な判断ミスもない、いや、そもそも端から逃げて、戦わなかった。
俺を、環境が惑わせた。
何度も合理的ではないと、本能が叫ぶのを無視してきたが、それでも何故かこの道を選んだ。
少し考えれば、誰だって分かる二択だ。
敢えて間違えるなんて、理由などないと少し前の俺なら断言している。
今の俺を、愚か者だと批判する。
実際にこうして、殺されたのだから、俺が正しいなんて口が裂けても言えない。
俺を責める人間など、居ないのだ。
逃げても何も言われない。恥など、覚えたことはない。生命を維持するためなのだから、そもそも誰かに何かを言われる謂れも、恥を覚える要素もない。
俺の背には、重りなどなかったはずだ。
なのに、足取りは山を背負わされたように重い。
俺を縛る鎖など、どこにもないはずだ。
なのに、キツく戒められたように動けない。
どちらも、ここから逃げようと考えたときに、この感覚が強くなるのを感じた。
これを、罪悪感と呼ぶらしい。
何かを裏切ったり、慮るべき人の意にそぐわない行動をわざと取ると感じるそうだ。
意味がわからない。
俺は、どうでもいいはずだ。
そんな事は認められない。
こんなに執着するほどの関係が、あったのか?
俺はあんな僅かな時間で堕ちてしまうほど、弱く、脆い存在だったのか?
三百年近くを共に過ごした同族に、覚えたことのない親愛を、たった数ヵ月しか時間を共にしていない者たちに覚えたというのか?
何が狂ったらそうなる?
何を間違えたら、こんな不自然が成る?
まるで、魔術にかかったようだ。
だが、魔術ではない。
精神を蝕む魔術の知識はあるが、そんなもの、かけられる間抜けをする方がもっとない。
短期間での性質の変化に、戸惑ってしまう。
精神の恒常性の働かなさ具合に苛立つ。
だが、こうなる運命だったとも思う。
疑問に思う一方で、何故そうなったのかは、明確に理解している。
俺が不自然なほどに弱くなったのも、仕方のないことだった。
ドロドロと、堕ちていったのだ。
弱いものたちは、お互いが支え合わなあければ生きていけない。
そして、俺はいつの間にかその輪の中に入れられていた。
引きずり降ろされていた。
共感が共感を呼び、お互いを守るための簑として、お互いを作用させる。
守らせるために引きずり込まれた。
彼らを守らねばならないと、そう意識に刷り込まされた結果だ。
同調圧力に屈していた。
共同体の中に入れられることで、決定的なノイズが魂に混じったのだ。
弱さという、疫病に侵されていた。
今回の茶番で得た教訓は、弱者に触れれば弱さが感染する、だろうか?
俺はずっと、強い者としか関わってこなかった。
だから、俺という存在が押し上げられ、研ぎ澄まされて、強くなった。
臆病ではあるし、あの場の人間や魔獣たちと比べれば圧倒的に弱いのは確かだ。
だが、それでも目的を容易く見失い、他人の死の一つで取り乱すなどあり得ない。
自分以外に大きく左右されるのが、まず軟弱千万。
他人任せになれば、ロクな事が起こらない。
今、殺されたように。
自分の行動くらい自分で決められない男に、都合の良い展開があるものか。そういうものを自分から掴み取る者の方が、良いに決まっている。
始まりを間違え、道中を誤り、最後を致命的なまでにしくじった。
原因は、自分がブレていたからだ。
俺の弱さが、俺の強さも蝕むほど脆かった。
穏やかな日々は心地よく、俺にかつてない影響を与え、俺の奥底に『温さ』を刻み込んだ。
居場所を定めることが、こんなにも心を縛ることとは思わなかった。
痛恨のミスだった。
分かっていたなら、俺は誰にも見つからないように、関わらないようにしていた。
生きてさえいれば、それでいい。
他人と関わるとロクな事が起こらない。
コソコソと日陰の中で生きて、温もりという甘い猛毒を避け続けるのが、ベストだった。
それ以外の道は、奈落にしか通じていない。
「―――――――――」
後悔ばかりが募っていく。
ああするべきだった、こうするべきだった、が際限なく溢れてくる。
そう、例えばあの女との交流だ。
俺のここ数ヵ月の中には、必ずと言っていいほど、あの女が居た。
俺を拾い、ここまで連れてきた女。
拾ってきた責任感からか、俺にしつこく絡んできた。
やれ、飯はちゃんと食っているか、院の仕事はしっかりしているか、他と上手くやれているか。
口煩く、女は俺に付き纏った。
何のメリットもないのに、毎日毎日。
不合理な女だと思った。
常に他人を気にして、己というものをいつだって後回しにする。
己とは、唯一無二にして至高の宝だというのに。
一番に守るべきモノを放って戦う様は、いっそ不気味だったように思う。
人に影響を受けた俺が弱すぎたのか、鮮烈に俺の中に自分を映した女が眩しすぎたのか。いや、どちらかではなく両方で、比率は後者が重いはず。日々の甘さに浸かり、脆くなった原因の一端は、間違いなく女にある。
己よりも他人を気遣う女は、俺にとってはあり得ない存在だったのだ。
気味の悪さすら感じながら、それでも一応拾ってもらった恩はあると考えていた。この時点でもう、人の考えに毒されているような気もするが、まあいい。
その在り方に敬意を抱いたのは、間違いなのだ。
物珍しさから、憧れなど抱いたのは失敗なのだ。
ただ、無償の優しさを貰ったから、女のために何かをしたいと願ったのは、禁忌に触れていたのだ。
愛など、人の観念でしかない。
それを持つ資格など、俺にはない。
女がきっかけで、俺は繋がりを得た。
そして、その繋がりとは甘い毒だった。
俺を溶かして、心地よくさせる代わりに、魔獣としての本能を弱らせる毒だ。
悪くないと、思った時点で罠に嵌っていた。
あまつさえ、感謝などと馬鹿げた感情まで女に強く抱いていた。
愚かすぎて言葉もない。
俺は俺が信じられない。
拒絶すれば、良かったのだ。
もう関わるな、もう構うなと言えば良かった。
不自然でもなんでも、必要以上に関わり合えば、不都合な部分が見えるのは当たり前だ。
リスクを排するなら、それが最善のはず。
とっつきにくい、気難しい人柄を演じれば、接触は減り、もしもの時も後腐れは減る。
過去の悪手ばかりが、今になって気になる。
あまりにも、影響を受けすぎた。
人でなしの怪物であるくせに、人であるかのような茶番を演じた。
らしくない、人並みの幸せの享受を、受け入れた時点で負けていた。
化け物が、化け物らしさを忘れてどうする?
人の強みが化け物に適応出来るはずがない。
全てが、この全てが、不必要な癌だった。
切り離すべき病巣だった。
街の人々の親切心など、不要だった。
子どもたちの抱擁など、煩わしかった。
老婆のうんちくなど、聞く価値はなかった。
女の心意気など……
「――――――――ぁぁあぁ……」
最期の時が、もう迫っている。
俺の魂が、死んだ肉体を離れようとしている。
今まさに死んでいるが、ここより先に進めば、本当にもう戻れなくなる。
完全なる無が、目の前にある。
これまでの生の中で、感じたことのない新しい感覚がする。
自分の輪郭が今までにないほどはっきりしたような、それとも恐怖を抱くほどに朧気なような。
曖昧だが、明確という矛盾だ。
死んだことは、今までに一度もなかったから、そういうものなのだろうと不思議と納得出来る。
「――――――――ああァァああ……!」
何も見えない。
何も聞こえない。
ただ、記憶だけが溢れていく。
果てしなく長い三百数十年に及ぶ戦いの記憶、ではなく、忌々しいはずの数ヵ月の記憶が。
特に、ただ惹かれてしまった女への愛が。
捨て去るべき病魔の象徴が、ただ。
「―――――ああァァああああ!!!!」
「バカな……」
急速に肉体が膨張していく。
エネルギーが真っ赤に染まる。
とにかく、熱くなっていく感覚がある。
「確かに、今殺し……」
その時、パキン、とナニカが砕けた音がした。
その時、致命的なナニカが壊れた。
一人の敵が、驚いたような顔をしていた。
俺の心に、あるべき悔いなどなかった。
毒に浸かりきった事に、満足していた。
ただ、初めて愛した人の顔が浮かんで、消えた。




